#1 予測されない少女
新連載『世界が君を忘れても』です!
"青春 × SF × 恋愛"を掛け合わせた作品になります。
応援よろしくお願いいたします!
西暦2042年。
人々が自分の未来を知ることが、当たり前になった時代。
進学先。将来の職業。性格に合った人間関係。そして、恋愛の相性までも。
それらを予測する人工知能システム――ORACLE。
生まれたときから蓄積された個人データ、学習能力、性格傾向、健康状態、日々の行動記録。膨大な情報を解析することで、ORACLEは一人ひとりに最適とされる未来を提示していた。
もちろん、未来が完全に決まっているわけではない。
人々はそう説明されている。
けれど、誰もが心のどこかで信じていた。
ORACLEが示した未来こそ、最も正しい選択なのだと。
*
「朝倉。お前、進路の予測結果もう見た?」
二年生の教室。
窓際の席でスマートフォンを操作していた朝倉湊は、隣から聞こえた声に顔を上げた。
「見たけど」
「どうだった?」
「別に。前と変わってない」
「うわ、相変わらず優秀だな」
そう言って笑ったのは、久瀬悠真だった。
湊とは中学時代からの友人で、機械やプログラミングに詳しい。学校でORACLEの話題が出るたび、妙に専門的なことを語り始める癖がある。
「国立大学進学の推奨度九十二パーセント。将来の適性職業は情報工学系。人間関係の安定度も高水準……だったかな」
「なんだよ、それ。人生の攻略本じゃん」
「攻略本というより、統計データだろ」
「そういうところだぞ、湊」
悠真は呆れたように笑った。
湊も小さく笑い返す。
自分の未来に、特別な不満があるわけではなかった。
成績は悪くない。教師からの評価も高い。両親も、ORACLEの予測結果には満足している。
だから、その通りに進めばいい。
そう考えていた。
自分が本当は何をしたいのか。
そんなことを、真剣に考えたことはなかった。
考える必要がないと思っていたからだ。
「そういえばさ」
悠真が、ふと思い出したように口を開く。
「転校生じゃないけど、今日からクラスに新しいやつが来るらしいぞ」
「新しいやつ?」
「家庭の事情で別の学校から移ってきたんだって。先生が言ってた」
「ふうん」
湊は再びスマートフォンに目を落とした。
そのときの彼は、まだ知らなかった。
たった一人の少女との出会いが、自分の信じていた未来を少しずつ変えていくことを。
*
「みんな、席に着いて」
朝のホームルーム。
担任教師の声に、教室のざわめきが静まった。
「今日からこのクラスに加わる生徒を紹介する」
教室の前の扉が開く。
入ってきたのは、一人の少女だった。
肩まで伸びた髪。少し緊張したような表情。それでも、教室を見渡す瞳には、不思議なほどまっすぐな光があった。
「天野美月さんだ。みんな、仲良くするように」
「天野美月です。よろしくお願いします」
少女は丁寧に頭を下げた。
教室のあちこちから拍手が起こる。
「じゃあ、天野。窓際の後ろから二番目の席を使ってくれ」
「はい」
少女が歩き出す。
そして、湊の席の横を通り過ぎようとしたときだった。
「あっ」
彼女が小さな声を漏らした。
手に持っていたノートが床に落ちたのだ。
湊は反射的に立ち上がり、それを拾った。
「はい」
「ありがとう」
美月はノートを受け取った。
その瞬間、開いたページに描かれた絵が目に入った。
街並みだった。
夕焼けに染まる高層ビル。その隙間を縫うように走る列車。空には、現実には存在しないような巨大な月が浮かんでいる。
まるで、どこか遠い未来の風景だった。
「……これ、天野が描いたの?」
湊が尋ねると、美月は少し驚いた顔をした。
「うん。趣味でね」
「すごいな。上手い」
「えっ?」
「いや、普通に」
美月はノートを胸元に抱えた。
そして、ほんの少しだけ嬉しそうに笑った。
「……ありがとう」
その笑顔を見たとき、湊はなぜか、すぐに視線をそらせなかった。
ほんの一瞬のことだった。
けれど、胸の奥に小さな違和感が残った。
まるで、見慣れた世界のどこかに、知らない扉を見つけてしまったような感覚だった。
*
昼休み。
湊は、悠真と一緒に学食へ向かう途中だった。
「あ、そうだ。朝倉くん」
背後から声がした。
振り返ると、美月が立っていた。
「さっきはありがとう。ノート」
「ああ、別にいいよ」
「それと、絵も褒めてくれて嬉しかった」
「本当に上手かったから」
「……そっか」
美月は少し照れたように笑った。
「ねえ、朝倉くんって、もうORACLEの進路予測を見た?」
「見たけど。それがどうかした?」
「やっぱり、みんな見るんだね」
「まあ、学校からも確認するように言われてるし」
「そっか」
美月は視線を落とした。
その表情から、先ほどまでの明るさが少しだけ消えていた。
「天野は見たのか?」
湊が尋ねる。
「……うん。見たよ」
「どうだった?」
美月は答えなかった。
代わりに、窓の外へ目を向けた。
校庭では、何人かの生徒が笑いながら走っている。
遠くの空には、配送用の無人飛行機が小さく浮かんでいた。
「私の未来はね」
やがて、美月は静かに言った。
「算出保留なんだって」
「……え?」
湊は思わず聞き返した。
算出保留。
その表示を見たことはある。
けれど、実際にそんな判定を受けた人間に出会ったのは初めてだった。
ORACLEは、どんな人間にも何らかの未来予測を提示する。
予測の精度に差があっても、進路の候補や適性の傾向は必ず表示される。それが、この社会の常識だった。
なのに。
「算出保留って、どういうことなんだ?」
「さあ。私にも、よくわからない」
美月は笑った。
けれど、その笑顔はどこか寂しそうだった。
「でも、ちょっとだけ嬉しいんだ」
「嬉しい?」
「うん。だって……」
彼女は空を見上げた。
「私の未来は、まだ誰にも決められてないってことでしょ?」
湊は何も言えなかった。
そんな考え方をしたことがなかったからだ。
未来がわからないことは、不安なこと。
予測が出ないことは、問題があるということ。
ずっと、そう思っていた。
けれど、美月は違った。
彼女にとって、わからない未来は、何かを失った証拠ではないらしい。
まだ何かを選べるという、希望のようなものなのかもしれなかった。
「……変かな、私」
美月がこちらを見る。
「いや」
湊は首を横に振った。
「変じゃないと思う」
自分でも驚くほど、自然に言葉が出ていた。
美月は一瞬目を丸くして、それから笑った。
「そっか。ありがとう、朝倉くん」
その笑顔を見て、湊はまた胸の奥に違和感を覚えた。
今度は、さっきよりも少しだけ強く。
*
その日の放課後。
湊は忘れ物を取りに教室へ戻っていた。
廊下を歩いていると、使われていない美術室の扉がわずかに開いていることに気づいた。
中から、鉛筆が紙を走る音が聞こえる。
誰かいるのだろうか。
不思議に思って覗き込むと、窓際に美月が座っていた。
机の上にはスケッチブック。
彼女は真剣な表情で、何かを描いていた。
夕日が差し込む美術室で、鉛筆を動かす横顔。
その姿は、昼休みに見たときよりもずっと自然で、楽しそうだった。
「……天野?」
声をかけると、美月は驚いて振り返った。
「あ、朝倉くん! どうしたの?」
「忘れ物を取りに来たんだ。天野こそ、こんなところで何してるんだ?」
「えっと……ちょっとね」
美月は慌ててスケッチブックを閉じた。
その仕草が気になったが、湊は深く追及しなかった。
「絵、好きなんだな」
「……うん」
美月は少しだけ間を置いて、答えた。
「好き、だったんだ」
過去形。
その小さな違いに、湊は気づいた。
「今は違うのか?」
「違わないよ。ただ……」
美月は閉じたスケッチブックを見つめた。
「好きなだけじゃ、どうにもならないこともあるから」
その声は、先ほどまでの明るい調子とは違っていた。
湊には、その意味がわからなかった。
けれど、何かを聞き返すこともできなかった。
彼女の横顔に、触れてはいけない過去があるような気がしたからだ。
しばらくして、美月は顔を上げた。
「ねえ、朝倉くん」
「ん?」
「もし、自分の未来が全部わかるとしたら……湊くんは、それを知りたい?」
初めて、名前で呼ばれた。
湊は少しだけ戸惑ったが、それ以上に、質問の答えを考えていた。
将来、どんな仕事に就くのか。
どんな人間になって、誰と出会うのか。
失敗するのか、成功するのか。
すべてがわかっていたら、きっと迷わずに済む。
傷つかずに済む。
間違えずに済む。
「……知りたいと思う」
湊は答えた。
「そのほうが、失敗しなくて済むだろ」
美月は、すぐには答えなかった。
やがて、彼女は小さく笑った。
「そっか」
そして、スケッチブックを胸に抱えた。
「私はね、知らないままでいたい」
「どうして?」
「だって……」
窓の向こうで、夕日がゆっくりと沈んでいく。
美月は、その光を見つめながら言った。
「まだ何者でもない自分に、何にだってなれる可能性があるって思いたいから」
湊は言葉を失った。
その言葉は、彼が今まで信じてきたものと、正反対だった。
未来を知ることが、正しいことだと思っていた。
未来を予測することが、人を幸せにするのだと思っていた。
けれど、目の前の少女は、その予測から外れた場所に立っている。
まるで、誰も知らない世界を一人で歩いているように。
「……天野って、不思議なやつだな」
湊がそう言うと、美月は声を上げて笑った。
「よく言われる!」
その笑顔に、湊もつられて笑った。
まだ、このときは知らなかった。
美月がかつて、夢を諦めるように告げられたことを。
彼女の未来が算出保留になった理由が、単なるデータ不足ではないことを。
そして、ORACLEが記録している彼女の過去に、今では使われていないはずの評価コードが残されていることを。
湊がそれを知るのは、もう少し先の話だ。
*
同じ日の夜。
街の中心にあるORACLE管理センター。
一般の人間が立ち入ることのできない解析室で、一つの記録が更新されていた。
ORACLE SYSTEM / PERSONAL FUTURE ANALYSIS
対象者:天野 美月
未来予測ステータス:算出保留
過去評価データ:照合中
現行モデルとの整合性:不一致
警告:旧評価モデルの記録を検出。
旧モデル識別コード:OR-07
記録状態:参照制限
数秒後。
画面に、もう一つの通知が浮かび上がった。
「対象者の行動傾向が、過去の予測結果から逸脱しています」
解析室には、誰もいない。
それでもシステムは、繰り返し同じ記録を照合し続けた。
まるで、かつて一度失われたはずの何かを、もう一度見つけようとしているかのように。
そして画面の片隅で、誰にも閲覧されていない古い記録が、静かに開かれた。
そこには、数年前の日付とともに、短い一文が残されていた。
『本人の希望より、予測された適性を優先すること』
それが誰の判断だったのか。
なぜ、その記録が今も残されているのか。
まだ、誰も知らない。
ただ一つ確かなことがある。
この日から、朝倉湊の未来は、少しずつ予測できないものへと変わり始めていた。
そして、その変化の中心には――
一人の少女がいた。
天野美月。
世界が彼女の未来を予測できなかった、その理由を知る者は、まだ誰もいなかった。




