once upon a time,
「小説家になろう」初投稿作品になります。
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サラブレッドに乗り始めて半年も経たない、夏盛りの頃だった。
草千里ヶ浜はどこまでも緑が続き、いくつかぽこぽこと小高い丘が立ち並んだ向こうに、阿蘇山がまるで要塞のように聳え立っている。まあ、要塞をこの目で実際に見たことはないのだけれど。でもおそらく、そんな感じだと思う。漫画やアニメや電脳空間の中で見たことがある城塞都市は、あの山みたいにバカでかい壁に囲まれていて、兵隊たちはその中で、自分たちが死ぬ時を今か今かと待ち受けている……そういう感じだったと思う。
ちゃんと中を見たことはないけれど、春日とか脊振山とか志摩の国防空軍基地も、たぶんああいう感じのいかつい城壁にぐるっと囲まれていて、その中でたくさんの軍人たちが、いつ起こるかもわからない戦争のために、毎日訓練を頑張っているに違いないのだ。
ぼーっと山肌に視線を滑らせていると、ミンネゼンガーがぶるるっと鼻息を鳴らした。そうして何度か首を上下に振った。こんな隅っこに留まっていないで早く行かせろとでも言いたげである。
僕はくだらない妄想を振り切って、彼女の脇腹を踵で軽く蹴った。よく訓練されたミンネゼンガーは、それに応じて軽く駆けだした。
四歳という若さがなす軽快な駈歩。タタタン、タタタン、と三拍子が僕の身体を突き抜ける。振り落とされないように手綱をしっかりと握って腰を浮かせ、僕は命のグルーヴに身体を添わせる。
父が追い付いてきた。父はミンネゼンガーのペースにぴったりと併せて、僕の左隣を走っている。
父が馬を走らせているということは、母は、牧場主の筒香さんに引かれながらポニーに乗っている妹の花穂を見守っている、ということだ。きっと、筒香さんに「遠慮せずに乗ってこいよ」とでも言われたのだろう。そして父は、「すまないな」とか言って後頭部を掻きながら、ウキウキと飛ばしてきたに違いないのだ。
父はそういう人物だった。
「どうだ巧馬、馬の背には慣れてきたか?」
「うん」
「まだ手に力がこもっているな。ふくらはぎで背を挟め。膝はもっと柔らかく」
「やってる」
「馬の尻が撥ねるのに合わせてこっちも尻を下ろすんだ。そしたらゴムボールみたいに自然に腰が上がる。俺の子供の頃に活躍していた騎手が言っていたんだが、ゴムボールを強く叩くと、その瞬間に跳ねっ返ろうとするだろう? その反発力を利用するんだ」
「こう?」
「さっきよりいいぞ。俺たちは騎手じゃないからな。馬の力を引き出すんじゃない、胸を借りるんだ」
「わかんないや」
「そんなもんさ、まだ息が切れているうちは。そのうちわかる」
「いつかな」
「そのうちさ。身体で覚えるのは、BCIで知識をインストールするとのは全くの別物だよ」
「効率悪いんだね」
「だから楽しいんだ、身体に感覚を刻むってのは」
言うなり父は、好きに行ってこい、と言って左へ折れた。馬蹄の音もやがて遠く後ろに消えていった。どうせ父も好きに走らせるのだろう。
とはいえ、好きに行ってこい、と言われたところで、どうしようかと迷ってしまう。襲歩はまだ禁止されているから、思いっきり馬を飛ばすこともできない。とりあえずミンネゼンガーの好きに走らせることにした。
僕は、父と母と妹の四人で、三泊四日で阿蘇に来ていた。旅行……というよりは合宿みたいなものだ。
「今年の夏は阿蘇に行こうかと思うんだが、どうかな」
一か月ほど前、夕食の席で父は言った。
「阿蘇? 許可が下りたの?」
花穂におかわりのカレーをよそっていた母が、目を丸くした。西日本最大の国防陸軍基地がおかれている熊本は、国際陸軍会議を目前にして、目下警戒態勢が敷かれていた。とりわけ、国防陸軍の広大な演習地を兼ねている阿蘇山周辺は、観光でも仕事でも、個人法人問わず、内務省の許可なしには一切の訪問が禁止されているはずだった。
「特別にな。外交目的での解放だと思う」
「外交と何か関係があるの、父さん?」
僕は聞いた。
「次の国際陸軍会議に、フランス陸軍、ドイツ陸軍、オーストリア陸軍とか、いろいろな国の高官が来るだろう? それで、陸上幕僚長に提案してみたら、じゃあ折角だから、ってことで許可してもらったんだ」
「自由に阿蘇に行けるなんて大学生ぶりだから嬉しいけど……なんだか政治利用されている感じがしないかしら」
「政府もアピールしたいのさ、この国の健やかな国民を」
「行ってみたい」
僕は言った。母は不安げな目で僕を見ていたが、それが何によるものなのか、僕は全く分かっていなかった。ただ、電脳空間の中でしか見たことがない阿蘇の青々とした緑の景色を観れるのであれば、絶対に行ってみないと気が済まないような気がしていたのだ。ちょうどその年の春先頃から、父の勧めで乗馬を始めていたせいで、阿蘇が憧れの地として映っていたのもあった、とは思う。
いずれにしても、『阿蘇に行ってみたい』という僕の欲求を満足させるには、内務省務めの父は、十分すぎるほど都合が良い存在だったのだ。
僕はかなり無邪気に自己中心的だった。世界を知らないのは当たり前だった。十二歳なんてそんなもんだ。




