第82話 実験開始
『メインタワー』で行われていた実験の準備が、ついに完了した。
現状、メインタワーの七割以上の機能がサブタワーに支配され、こちらでできる調整は多くない。
それでもその全てを動員し、今できる調整を限界まで突き詰めて行った。
「……今ならまだ間に合います。こんな研究はやめるべきです」
魔法陣の中央に拘束されているパイは、今回の実験の主役だ。
つい数時間前までならば、成功がほぼ約束されていた実験だったのだが……現状、成功確率はむしろ僅かしかない。
実験が失敗した際にどうなるのか、パイは詳しくは知らされていない。
だが次々と被験者を変える必要があるという時点で、何らかの形で破滅することは目に見えていた。
自身の命の危機……それを感じながらも、パイの心を満たすのは研究員たちのことだった。
なんとか彼らが改心し、罪を償う道を選んでくれないかと、そんな儚い望みを抱いていた。
『まだそんなことを言っているのかね』
だがその願いを聞き届けるような者は一人もいない。
彼らにそんな心があれば、そもそもこんな塔が立つことはなかったのだ。
『君は今セドガニアがどうなっているのかも知らないだろう? いま町はとんでもないことになっているよ。私たちが出頭したところで、構っている暇などないさ』
「……セドガニアが?」
『安心したまえ。君の望み通り、我々の研究は今日で終焉を迎えるようだ。君はその最後の被験者だ、誇りたまえ』
事情は分からないが、どうやらこの塔での研究は今日で終わるらしい。
それ自体は喜ぶべきことだが、パイが望んでいるのはそれだけではない。
悪に染まった彼らの心の救済……神官として、パイはそれを切に望んだ。
しかしその見込みはなさそうだと、ついにパイも諦観するに至った。
「……貴方達には、必ず報いが訪れます。主は常に私たちの傍におられるのです。悪徳には罰を……自らの犯した罪を、必ず償うことになります!」
『残念だが、私は理論を重んじる研究者だ。神は信仰していなくてね。――だから、代わりに君が神に祈ってくれたまえ。この実験の成功を。我々の悲願の成就……全ての努力が報われる瞬間をね。――やれ』
ハンスが塔の稼働を命令する。
研究員たちが魔術式を操作し、メインタワーがその本懐を発揮する。
塔が小刻みに振動し、中央にパイを据えた魔法陣が青白く発光する。
「……っ」
白魔導士としての、そして神官としての感覚が異常を察知する。
ツインバベルを繋ぐ魔力トンネル。そこから何かが送り込まれてくる。
……それは、冥府から呼び寄せられた魔の魂。
それがメインタワーに少しずつ充填され、――そしてパイの中に注入された。
「――ひっ!? ぎ……きゃあああああああああああッ!?」
壮絶な不快感に、パイはたまらず悲鳴をあげた。
自分の中に、自分ではない何者かが侵入してくる感覚……自分のものとは違う声が、何重にも折り重なって脳内に響き渡る。
――殺せ。
――壊せ。
――喰らえ。
魔の魂が求めるものはより根源的な欲求。
純然たる破壊衝動だ。
自分の意思であるはずのないその声を内側から聞き続けている内に、パイは徐々に自身の正気を疑っていく。
これが本当の自分の心なのではないか。
自分が求めているものは、本当は殺戮なのではないか――。
「――違うッ!」
焦点の合わなくなった瞳でパイが叫ぶ。
多くの被験者が廃人になったというこの実験だが、それも当然だとパイは理解した。
適切な魔導具を用い、何度も検証、調整された魔術式を用いて……尚これだけの負荷がある。
こんなもの常人に耐えきれるはずがない。
パイが未だに正気を保てているのは、『悪』を決して認めないという信条……そして他の者よりも多少高いレベルに、神官として闇属性を防ぐ性質を持っているからだ。
その彼女にしても、早々に限界に近付きつつあるのだ。
魔法陣の中央で暴れ回るパイではあったが、手足につけられた拘束具が動きを封じる。
身動きのできないパイに、止めどなく押し寄せる魂の奔流。
パイは意識が保つ限り、ただそれに耐え続けるしかなかった。
――それを上部にある管制室から眺める二人の男。
「順調か?」
「今のところはな」
静かに眺めるカイザーとは違い、ハンスは固唾を飲んでパイの様子を観察していた。
彼らにとっては見慣れた光景だが、その重みは今までのどれより重い。
過去、この実験を正気で乗り切った者はほとんどいない。
だがそれでは駄目だ。本番である盗賊団の者たち……そしてカイザーが被験者になれない。
ここで成功させるしかない。
もしこの施行で成功すれば、次はヴェノム盗賊団の面々の番だ。
そうなれば彼らとの契約も果たせるし、ハンス達も研究を遂げる。
チャンスは一度きり。ここで失敗すれば、もう後はない。
「メインタワーの機能の七割以上がサブタワーに支配されているが、幸い、サブタワーを占拠した何者かはこの実験に関する機能は奪わなかった」
「敵は何故わざわざこの機能を残したんだ?」
「……さあ、不明だ。単純にそこまで出来なかったのだと思いたいが……そんな甘い相手でもないだろう」
ツインバベルのメインとサブの役割を入れ替え、制御の主導権を奪い、冥府の門を好き放題に開けて利用するサブタワーではあったが、肝心の『対象者のレベルを上げる』という機能、その魔術式はメインタワーが依然として有していた。
「もし彼らの目的が、冥府の門を開けてそこに満ちる無限の魔力を用い、セドガニアを襲うことだけだとすれば……『レベルを上げる』という機能自体は不用だったという可能性もある」
「ふん、単純に奴らには要らねえ機能だったってわけか」
「だがそのおかげで、この騒動の前に調整しておいた値がそのまま残っている。……理論上は、これで成功するはずだが……」
今このメインタワーがどこまでの機能を使え、事前に調整していた性能にどこまで迫れるかは、正直なところ断言できない。
残された時間ではそこまでの調査はできず、多くが不明瞭のまま実験が行われている。
それでも一縷の望みを託し、ハンスは実験を見守った。
眼下で苦痛に悶え苦しむパイの姿……その様子は正常だ。
今のところ、実験はハンスの望む形で進んでいる。
理論を超えた幸運に縋るなど、研究者であるハンスには屈辱的な話だが、それでもどうか……このまま何事もなく実験が終わってくれることを祈った。
「レベルを強制的に上げる実験……だと?」
サブタワー内部。
スノウビィによって作成された魔法陣の中央に座らされたラトリアは、その手足を氷の枷で封じられていた。
「はい。この塔もそのための装置です。人間の研究者の方々が作ったもののようですが、今はわたくし達がお借りしています」
「そんな研究が……バラディアで行われていたのか」
もし本当にそんなことが可能なら、人類の命運を左右しかねないことだ。
だがバラディア軍の者からはこんな場所に研究施設があるなどという情報は一切出なかった。
極秘裏に行われていた研究を、よりにもよってスノウビィとムラマサの二人が嗅ぎつけ利用しているということか。
「――ああ、よかった。間に合いました」
スノウビィが安堵の声を漏らす。
ちょうどメインタワーで実験が始まったところだった。
「レベルを上げる機構はメインタワーの方に残したままでしたから、あちらの実験開始に乗り遅れると機会を逃すところでした」
「なんでその機能を向こうに残したんだ? それもこっちで支配しちまえばよかったんじゃねえのか?」
「それではこの塔を使って実験する意味がありません。レベルを上げる機構に関してだけは、本来用意され、想定された過程を踏んで実験を行いたかったのです」
そのためにわざわざメインタワーの全ての制御を奪わず、三割ほどを残したままにしたのだ。
メインタワーが、残された機能を総動員して実験を強行しようとしていることを見て取ったスノウビィは、それに合わせて動き出していた。
「私に……何をするつもりだ」
恐る恐るラトリアが問う。
スノウビィは穏やかに、どこか祝福するような声音で言った。
「貴女に、実験の被験者になっていただきます」
「な――!?」
「願ってもない話でしょう? 貴女の望み通り、貴女は強大な力を手にすることができるのです」
「ふ、ふざけるな!」
不気味な研究の人体実験の被験者にされると悟り、ラトリアが焦りを露わにする。
そんなラトリアの反応を見て、スノウビィは不思議そうに首をかしげた。
「何かご不満な点がございますか? この塔の魔術式は見事な出来ですよ。わたくしが保証いたします。きっと貴女は大きな力を手にできますよ」
「そんな話じゃない! 何故私が貴様らの実験に協力しなければならない!」
「……? 貴女は力を求めないのですか?」
話が噛み合わずに苛立つラトリアの心情を察したムラマサが補足を入れる。
「俺達には別の目的があってな。そのためにお前の力を借りようってわけさ」
「な……まさか……」
「そういうことだ。この実験には『魔の魂』が使われる。そしてその魔力を使ってドラゴンを召喚してるのさ」
「……っ!」
「あのドラゴンにはこっちの命令を聞くように魔術式が組み込まれてる。それを、お前にも埋め込むわけさ」
つまり――あのドラゴン達と同様に、ラトリアもまたスノウビィの支配下に入るということだ。
そしてセドガニアのどこかに潜むブラッディ・リーチとグレイベアを探し出し、襲撃する。
もし数千体のドラゴンと共にラトリアが襲撃に参加すれば、ブラッディ・リーチの討伐確率が大幅に上昇する。
スノウビィの目的を果たすための尖兵へと成り果てたラトリアは、その命令のままに戦い続けるだろう。
「私にセドガニアを襲えと言うのか!?」
「厳密にはセドガニアそのものを襲う必要はねえが、まあ強くなったお前とグレイベアがガチで殺し合えば、あんな港町消し飛んでもおかしくねえな。だはははは!」
「き、貴様らぁ!!」
ルドワイア帝国の騎士、それもエルダーが魔人の手に落ち、セドガニア襲撃に加担するなど……そんなことが許されるはずがない。
ラトリアは視線を下げる。ラトリアを中心にして大きな魔法陣が地面に描かれている。
「……」
おそらく、この魔法陣が実験の核となる魔術式だ。そしてこれを用いてドラゴンを召喚しているとムラマサは言った。
この魔法陣を破壊できれば……。
だがそれは儚い願いだった。ラトリアが視線をムラマサに向けると、彼としっかりと目が合った。
「くっ……」
気が抜けたように見えるムラマサの姿も、そう見えるだけだ。
彼はたゆまずラトリアを監視している。少しでもおかしな動きをすれば、即座にあの刀がラトリアの首をはねる。
そうでなくても目の前にはスノウビィがいる。こんな状況で魔法陣を破壊するなど不可能だ。
「あ、忘れるところでした。ルドワイアの騎士さん。お好きな武器は剣でよろしかったですか?」
「……なに?」
「この実験には『魔力を吸収する』魔導具が必要なので、わたくしの方で用意させていただきたいのですが、剣でよろしいでしょうか。ご希望があればお応えいたしますが」
「剣でいいと思うぜ。でもお前今持ち合わせあんのか?」
「魔法で魔王城の宝物庫から何か取り寄せましょう。ええっと……何か良さげなものはあったでしょうか……」
スノウビィにはラトリアに見えない何かが見えているのか、うーん、と品定めを続けた。
しばらくそうした後、「あっ!」と嬉しそうな声をあげる。
――すると、いつの間にかスノウビィの手に一振りの剣が握られていた。
「これなどはいかがでしょう。とても強力な剣ですよ」
それは一般的な剣よりも一回り小型な、ショートソードだった。
それを見たムラマサが、ぶっ、と噴き出した。
「お前それ――『グラントゥイグ』じゃねえか! だはははは! マジかよ、それフルーレの剣だぞ!」
「今はわたくしのものです。魔王城のものは全てわたくしが引き継ぎましたので」
「うおぉ~それを実験に使うのかよ、もったいねえ……大盤振る舞いだな」
「構いません。どうせわたくしは剣は使いませんもの。宝物庫で腐らせるくらいなら、是非この方に使っていただきましょう」
ラトリアはしげしげとその剣、『グラントゥイグ』を見つめた。
一見すると普通の剣にしか見えない。いや、一般的な剣よりも小ぶりで、むしろ威力は低そうに見える。
しかしあのムラマサが手放しで褒めるほどの名剣……となれば、ただの剣であるはずがない。
「ルドワイアの騎士さん。この剣は『グラントゥイグ』といって、持ち主の力に応じて『大きさと威力が変わる剣』です」
「持ち主の……力に応じて?」
「はい。まさに、これから力を得る貴女に相応しい剣ですね」
我ながら名案だとばかりにスノウビィは嬉しそうにはしゃいでいる。
「ではこの剣は貴女にお譲りいたします。存分にお使いください」
スノウビィは魔法陣の一角にグラントゥイグを設置した。
「さあ、これで全ての準備が整いました。早くしないとメインタワーの方で実験が終わってしまいかねませんね、急ぎましょう」
スノウビィが宣言すると、サブタワーが大きく揺れる。
とうとう始まってしまう……この瞬間にもセドガニアはドラゴンの大群に襲撃され、それを止められるのはラトリアしかいないというのに、あろうことかラトリア自身が魔人の手に落ちセドガニアを襲う羽目になってしまう。
「くっ……!」
かくなる上は、ここで自刃も辞さない覚悟だ。
そうすれば、少なくともセドガニアにこれ以上の戦力の投入を許さずに済む。
……だが、それすら望み薄な状況だ。
ムラマサはラトリアが不審な動きを見せないように注意しているし、何よりスノウビィのあの魔眼……未だ能力の知れないあの力があれば、ラトリアの反抗など無力だ。
……どうすれば。
答えの出ない問いにラトリアが思い悩んでいる傍らで、スノウビィが魔法陣を見つめていた。
「それにしても……」
スノウビィは不思議そうに呟いた。
サブタワーに構築された魔法陣を通して、スノウビィはメインタワーの様子を観測できる。
メインタワーは今レベル上昇実験の真っ最中のようだが……。
「やけに出力が低いですね。これでは大したレベルアップになりませんよ」
被験者に吸収させる冥府の魂の量、その出力が、驚くほど低かったのだ。
それはハデスの面々が数年をかけて導き出した最適な出力値ではあったが、スノウビィには物足りなかった。
「こんな出力ではこの方には不足ですね。1レベルも上がりません。最低でも5レベルは上がっていただきたいですし……どうしましょう」
「出力ってのは、被験者に吸収させる魂の量のことだよな? 少ないのか?」
「はい。おそらく被験者への負荷を少なくするためでしょうが……これはあまりに低すぎます。人間はこの程度の出力でないと自我を保てないのでしょうか」
「気に入らないなら書き変えちまえばいいんじゃねえの? できねえのか?」
「造作もありませんが……できればこの機構に関してはあまり弄らずに見守りたいのですが……」
そうしてこそ意味のある実験ではあるが、こんな小規模では盛り上がらない。主にスノウビィの好奇心が。
低レベルの被験者にはちょうどいい出力なのかもしれないが、スノウビィが試そうとしているのはエルダークラスの騎士。
彼女の魂の強度ならばもっと高い出力でも問題ないはず……それを確認しておきたい。
ここで半端な成果しか出せないのは興ざめもいいところだ。
「――よし、やっちゃいましょう。えいっ」
――直後、ツインバベルに二つの絶叫が木霊した。




