第81話 それでも……二度と……
「…………あ」
純白のドレスを身に纏い、ダイヤのような透明感のある銀髪。
病的なほど白い肌に、人間味を感じさせないほど整った顔立ち。そしてその右目に眼帯。
初めて見る少女ではあったが、ラトリアはそれが誰か一目で理解できた。
「まあ! 本当に生きていらっしゃるなんて、素晴らしいですね」
現れた少女、スノウビィは、ラトリアを見て感激したように手を合わせて喜んだ。
「命令通り、生かしといたぜ」
「ではよほどの実力者だったのですね」
「まあまあだな。多少手は抜いたとはいえ、俺と真っ向から斬り合える奴だ。見込みあるよ」
「まあ、それは素晴らしい! ――それはそうとムラマサさん」
「んー?」
「臭いです」
「おっと、これは失礼いたしました」
ムラマサは名残惜しそうに最後にタバコを一吸いし、吸いかけのタバコを床に落として足で揉み消した。
「……わたくし、やっぱりこの臭いだけはどうしても好きになれません。いつかこの世からタバコを根絶いたします」
「おいマジそれだけはほんと勘弁してくれ。いや、してください。分煙! 分煙制にしようぜ、な?」
ラトリアを差し置いて何やら揉める二人。
それを見て、ラトリアもようやく事情を察した。
ムラマサがラトリアを殺さなかったのは、彼の気まぐれではない。
あの少女……スノウビィからそういう指示が出ていたのだ。
「――スノウビィ」
間違いない。やはりこの魔人が元凶。
ラトリアの部隊を壊滅させ、セドガニアをドラゴンで襲撃した黒魔導士だ。
「――――は?」
ラトリアがスノウビィの名を口にし、ムラマサは呆気にとられた様子でラトリアとスノウビィを交互に見遣った。
「は? え? 何で名前知ってんだ? 知り合い?」
「いえ……記憶にございません。申し訳ございませんが、わたくし、どこかで貴女とお会いしたことがございましたでしょうか」
「……私の部隊が数日前、森で貴様と戦闘になった。そのときの生存者の証言だ」
「――ああ! あのときの方々の隊長さんでいらしたんですね。なるほど、納得いたしました」
スノウビィは疑問が晴れて満足げだったが、ムラマサはそれどころではなかった。
「…………は? ――――はあ!? え、ちょ、おま、ちょ、え、え、おま――――名乗ったのか!? ルドワイア騎士団に自分の名前を!?」
「ええ。誰何されたものですから」
「しかも名乗った相手を見逃した!?」
「ええ。その方には親切にしていただきましたし、敵対もしておりませんでしたので」
「…………」
それがなにか? とでも言いたげなスノウビィの態度に、ムラマサは覚束ない足取りで数歩後ずさり頭を抱えた。
「……信じらんねえ。じゃあもうルドワイアにお前の情報が出回ってるってことじゃねえか。……あーくそ。最悪過ぎる。どうせこれも俺の責任にされんだろ? 知ってる」
四天王の一人であるカルマディエは、スノウビィの完全なるイエスマンだ。
かつムラマサとは犬猿の仲。この失態は間違いなくムラマサに全て押し付けられることになるだろう。
もうどうとでもなれ、とムラマサは開き直った。
「……何が目的だ、貴様ら。何故セドガニアを襲う!」
「セドガニアを襲うこと自体は、わたくし達にとって重要ではありません」
「なに?」
「わたくしたちの目的は別にあります。セドガニアが被害にあったのは……まあなんと申しますか、成り行きですね」
「成り……行き、だと?」
今この瞬間にも、いったい何人の人間がドラゴンに襲われて命を落としているか定かではない。
その地獄が……成り行き?
セドガニア自体はどうでもいい?
「ふざけるな! 今すぐ召喚魔法を止めろ!」
「そういう訳にはまいりません。本当はもっと長い時間この塔を稼働させなければならないのです。しかし貴女の来訪により、我々は人間領から撤退しなければならなくなりました」
現在の段階で召喚されているドラゴンの総数がどれほどかスノウビィも認識していないが、多くがバラディア軍との戦闘を繰り広げている。
ブラッディ・リーチと、それを守護するグレイベア……この二人を確実に倒すには、まだまだ心許ない戦力だ。
「そこで、わたくしまたしても名案を閃いてしまいました」
「名案……だと?」
「あんま期待すんなよ。こいつがこういうこと言い出すと大抵悪い方に話が転がる」
ムラマサの茶化しにスノウビィが、むう、と頬を膨らませて抗議する。
「貴様ら……!」
スノウビィは本気だ。
本気でセドガニアを滅ぼそうとしている。
それも、何か他の目的のためのついでに。
それを止められるのはラトリアだけだ。
だが……ムラマサ一人にすら圧倒されるというのに、更にこの謎の魔人まで相手にしなければならないなど……無理だ。勝ち目などあるはずがない。
ましてラトリアの剣は既にムラマサに真っ二つに両断されている。もはや戦う力もないのだ。
「……それでも……私は、二度と……!」
逃げることだけはしてはならない。
その呪いに、今この場で殺されることになるとしても。
ラトリアは折れた大太刀を構え、スノウビィに向けた。
「おいおい、まだやる気なのか?」
ムラマサが苦笑を飛ばす。
ムラマサとスノウビィ……この二人を前にして握る、折れた大太刀のなんと心許ないことか。
何故自分はこれほどまでに弱いのか。
ラトリアはかつての弱さを克服したと思っていた。旧アルトリニア大空洞……あの地獄のダンジョンで一年半のレベリングという、常軌を逸した修行をしてまで力を手に入れた。
だというのに、未だこの身はあまりに非力ではないか。
……力が欲しい。
どんなものでも構わない。何か、奴らを倒せるような力が……!
「素敵な目をしておられますね」
不意にスノウビィが言った。
スノウビィはラトリアの目をじっと見つめて、優しい笑みを浮かべていた。
「力を求める者の目。弱さを呪う目。わたくしにはよく分かります」
「黙れッ! 人の命をゴミのように扱う貴様のような外道に、私の何が分かる!」
「わたくしも貴女と同じ、『力』を信仰する者です。『力』は何にも勝る尊きもの。ゆえにわたくしは貴女の心を……強き意思を尊びます」
スノウビィが手をかざすと、彼女の身体がかすかに発光した。
魔法の予兆。身構えるラトリアだが、スノウビィが行使したのは攻撃用の黒魔法ではなかった。
ラトリアの握る大太刀が光に包まれ、次の瞬間には元通りに戻っていた。
「な――!?」
ムラマサに斬られたはずの大太刀が、一瞬で元の姿に戻った。
一体どのようなスキルを使ったのかは不明だが、スノウビィはわざわざラトリアの武器を修復したのだ。
「さあ、これで存分に貴女も『力』を振るえますね? ムラマサさんと剣で戦い生き延びたという時点で貴女は合格ですが……念のため後一度だけ、貴女の『力』を試させていただきますね」
「……ッ!」
ムラマサも……この女も。
いったいどこまで人を舐めれば気が済む?
「貴様!」
「ムラマサさん、助太刀無用ですよ?」
「するかよ」
ムラマサは勝敗の行方すら気にする素振りもなく、眠そうな眼でぼんやりと二人を眺めていた。
「わたくしを殺せば召喚魔法は即座に停止いたします。それに伴いドラゴンも消滅し、町は救われるでしょう。さあ、何も思い煩う必要はございません。わたくしに貴女の『力』を見せてください」
ワクワクと楽しそうに笑うスノウビィ。
それと対峙するラトリアは……その優れた戦闘センスにより、気づいてしまった。
――スノウビィは、ムラマサよりも強い。
ムラマサと対峙したときには、研ぎ澄まされた刃のような威圧感があった。
が、スノウビィにはそれがない。
ただ……何か得体のしれない闇を覗き込んでいるような錯覚に陥った。
自分が今対峙しているのはただの魔人ではない。
形を持たない、『力』という概念そのものだと理解できた。
ムラマサとは全く別の次元で、勝つイメージが抱けない。
「……騎士だ。私は、騎士。人類の守護者だ……」
自らに言い聞かせる。
人類の希望。正義の体現。弱きを護り、悪を斬る。その騎士道に殉じると決意したはずだ。
逃げてはならない。
どんなに絶望的な状況であろうと、逃げる事だけは……してはならない!
「――うあああああああああッ!!」
ラトリアが駆け出した。
スノウビィとの距離はおよそ七メートル。ラトリアほどの剣士ならば接近は一瞬だ。
一歩目を踏み出す。
スノウビィは黒魔導士だ。遠距離戦ではこちらが不利。だが逆に距離を詰めさえすればラトリアにも十分勝機はある。
今はとにかくスノウビィに接近することだけを考える。
シィムから受けた報告では、スノウビィは謎の怪能力を使うとのこと。
――その正体は、おそらく特殊な効果を持つ魔眼。
二歩目を踏み出す。
ラトリアはスノウビィを確認した。
スノウビィの右目を覆っている眼帯……あの下には紫の瞳が隠されているらしく、おそらくそれが魔眼だ。
スノウビィはまだ眼帯を外していない。魔眼は発動できない。
それだけではなく、スノウビィは両手に何も持っておらず、脱力させたまま下に伸ばしている。
その体勢ではあの眼帯を外すまで一瞬のタイムラグがある。
今から眼帯を外そうとしても遅すぎる。ラトリアの方が遥かに速い。
三歩目を踏み出し――
「――ガハッ!?」
――その瞬間、ラトリアの身体が勢いよく転倒した。
手放した大太刀が地面を転がる。
ラトリアが転倒した理由……それは、ラトリアをして悶絶させる激痛。
そして、今まで体感したことのないような、極大の『違和感』だった。
「がっ……あ、あぐううあああ!?」
何をされたのか理解できなかったが、とにかく左胸に強烈な違和感があった。
ラトリアは自身の左胸に手を当て……そして確信した。
異変はラトリアの内部から発生していた。
「な――こ、れ――なぜ……!?」
あまりの恐怖にラトリアが悲鳴を漏らした。
外傷はない。装備している鎧にも、スノウビィにつけられた傷は一切ない。
――なのに、ラトリアの心臓だけが凍っていた。
「か、はっ……! あ、あ……! は、ぐうっ……!」
胸に手を当てればはっきりと分かった。
掌に確かに伝わる冷気。そして、心臓が全く鼓動していない。
体中の血流が止まっているのが感じ取れた。
痛みと混乱でパニックを起こし、呼吸をすることも手足に力を入れることもできなくなったラトリアは、悶え苦しみながらも必死にスノウビィの姿を確認した。
……そして目撃した。
こちらを見下ろすスノウビィの視線。
彼女に似つかわしい、美しい青い左目と――。
――禍々しい、紫の右目を。
「ば――馬鹿なあッ!?」
息も絶え絶えになりながら、それでもラトリアは叫ばずにはいられなかった。
「いつ外した!?」
スノウビィの右目は眼帯に覆われていなかった。
だが有り得ない。ラトリアは特に右目の魔眼を警戒していた。少しでも外そうとする素振りがあれば絶対に気づいたはずだ。
スノウビィにそんな動きは一切なかった。
……いや、そもそも『何かをした』様子すらなかった。黒魔法を発動させようとする予兆さえもなかったのだ。
……シィムの報告は正しかった。
ラトリアは今、自分がいったい何をされたのか、まるで見当がつかなかった。
「――『オニキス』か?」
ぽつりと、見学していたムラマサが呟いた。
彼にしては珍しく、目に見えて驚きの表情を浮かべていた。
「お前……アレを使えるようになったのか?」
「はい、先日。とある事情がありまして」
「……すげえな。こりゃあ……マジでフルーレを超えたかもな」
感心した様子のムラマサ。
彼をして唸らせるほどの何かが、やはりあの右目には隠されているのだ。
「ルドワイアの騎士さん」
スノウビィがゆったりと歩み寄り、地面で悶え打つラトリアに語りかけた。
「お見事でした。貴女の強い闘志、拝見させていただきました」
「な……なにを……言って……」
何を褒められているのか分からなかった。
ラトリアはスノウビィを前に、たった三歩踏み込むのがやっとだったというのに。
「なあ、結局そいつどうすんだ? 殺すんならさっさと介錯してやれよ。苦しそうだぜ」
「いえ、この方にはしていただきたいことがございます」
「ほーん、また何かよからぬことを企んでるわけか」
ムラマサは気の毒そうにラトリアを見下ろした。
「ま、なんつーか災難だったな。よりにもよって俺ら二人がいる塔に乗り込んでくるなんてよ。何されたか分からねえから納得できねえだろうが、まあ性質の悪いのに出くわしたと諦めな」
「…………時間」
「ん?」
心臓と血流が止まり、満足に呼吸もできなくなり、朦朧とする意識の中で、ラトリアは掠れた声を絞り出した。
「――時間を止めた、のか……?」
「おっ!」
「まあ!」
ラトリアの予想を聞き、二人は感心したように声をあげた。
「当たらずも遠からず、って感じか」
「素晴らしいですね。たった一度体験しただけでこの力の本質にそこまで迫るなんて」
二人の反応を見て、ラトリアの絶望が決定的なものとなった。
ラトリアもそんな力の存在を信じたくはなかった。
だが今起こった出来事は、それくらいでなければ説明できない。
ムラマサ曰く厳密には『時間を止める』能力ではないらしいが、それに近しい何かであるのは間違いないようだ。
「ふ、ふざけ……! そん、な、魔眼が……あるわけッ……!」
目に宿る力である以上、その効果は『見ること』に起因する能力であるのが常識だ。
いや、もはや常識とかいう問題ではなく、魔眼という性質上『そうあるしかない』のだ。
そうでなければ、それはもはや魔眼というカテゴリーを逸脱している。
いったい『見ること』と『時間を操ること』にどんな関連性があるというのか?
そんな能力が魔眼として発動するわけがない。絶対に有り得ない話だ。
なのに……そんな常識を覆す力を、この魔人……スノウビィは持っているというのか。
「やはり、わたくしの目に狂いはありませんでした」
スノウビィはそっとラトリアの胸に手を当てた。
途端、ラトリアの全身がカッと熱くなった。
指先に激しい痺れ。止まっていた血流が一気に流れ始めたのだ。
凍っていたはずの心臓が、そんな事実はなかったかのように元通りに戻った。それに伴って異常をきたしていたラトリアの身体も徐々に力を取り戻していった。
「ルドワイアの騎士さん。貴女に『力』を授けましょう。この『力』は、やはり貴方にこそ相応しい」
その言葉で、スノウビィが何を企んでいるのかをムラマサもようやく察した。
「おい、お前……まさか」
たおやかに微笑むスノウビィを見て、そのまさかなのだと理解した。
倒れ伏すラトリアに向けて、スノウビィは雪のように静かで透明感のある声をかけた。
「――実は今、面白い実験をしている最中でして」




