第74話 これからって時に……
赤く染まった空の下、二頭の馬が森を走っていた。
ヴェノム盗賊団のアジトである二つの塔『ツインバベル』の一つ。メインタワーまでの道のり。キャメルには通りなれた道だ。
あと数時間で夜になる。夜は盗賊の時間。ヴェノム盗賊団が最も本領を発揮できる時間帯だ。
彼らに仕掛けるのは、おそらくそんな時間帯になるだろう。
「……」
ビクビクと怯えながら馬を操るキャメルの背後にパンダが相乗りし、それから二馬身ほど遅れる形で、ホークを乗せた馬が続いていた。
パンダにヴェノム盗賊団とハデス研究機関の情報を全て話し終えた辺りで、ホークが宿屋に戻ってきた。
見た目は出て行った時と変わりなかったが……キャメルはホークの身体に染みついた血の臭いをハッキリを嗅ぎ取った。
倉庫に待機していた盗賊団員を殺害し、人質として確保していたケリーも解放したようだ。
拍子抜けするほどにあっさりと一仕事終えたホークに、パンダは一つの話を持ち掛けた。
「――つまり、今からヴェノム盗賊団のアジトに乗り込んで、そいつらを始末する。そして囚われている例の神官、パイ・ベイルを救出したい。そういうことだな?」
「ええ、……いいかしら」
「S-64の戦士と戦うのはリスクが高いが……まあ不可能な仕事じゃない」
ホークの力は魔族と黒魔導士に対して絶大なアドバンテージを誇るが、ヴェノム盗賊団の頭領、バンデット・カイザーはその条件から完全に外れている。
一対一で戦えばホークが不利だが、少なくとも一方的に圧倒されるほどの力量差はないはずだ。
むしろ問題は別のところにある。
「が、その前に話しておきたいことがある。さっきバラディア軍の占星術師から連絡があった。セドガニア近辺に大きな魔力反応を捉えたらしい」
「……詳細は?」
「まだ追跡中だ。だがグレイベアのものである可能性は十分あるらしい」
セドガニアは今、特に警戒レベルを引き上げている最中だ。その近辺に潜伏する以上、ベアとマリーが探知にかかることは避けられない。時間の問題だ。
ベアもそれを承知しているはず。当然その備えも考えているだろう。
「パンダ。私の言いたいことが分かるな?」
「……ええ」
時間との勝負だ。
バラディア騎士団が動き出す前に。そしてそれを察知したベア達が再び姿をくらます前に、先んじて彼女に接触してブラッディ・リーチの身柄を引き渡すように命令する。
それが最優先事項だ。
――そんな貴重な時間を割いて、たった一人の少女を救う。
パンダのその要求は、ともすればホークの思いを軽んじていると取られても仕方のないことだ。
「……」
「……」
数秒の沈黙。パンダとホークが互いの目を覗き込む。
部屋の隅で見守るキャメルが固唾を飲むほどの緊迫感。
その静寂の中でホークが考えていること……それはパンダという少女……いや、魔人の心理についてだった。
パンダはかつて魔王として全ての魔族から崇められていた。
だが今ではそんな者たちから命を狙われる立場にある。
かつて敵対し、大量に殺害してきた人間の社会に紛れ込み、その中で人間の敵である魔族を倒している。
そんなことをしている理由はただ一つ。
それが面白いと思ったからだ。
パンダにとって種族の括りなどは無意味。人も魔族も全ては他人。取るに足らない命に過ぎない。
「……」
パンダと協力関係を結んだ日、パンダは言った。
ホークがパンダの協力を拒めば、今度はブラッディ・リーチに協力を持ち掛けるつもりだった、と、
「……」
断言できる。もしそうなれば、パンダは何の躊躇もなくホークと敵対し、今頃ブラッディ・リーチと共に魔族から逃亡する日々を送っていただろう。
パンダはそういう奴だ。
――ありがとう、ホーク。大好きよ。
「……」
冷酷な一方で、パンダは一度心を許した者に対しては驚くほど甘い。
特別ホークと気が合ったということではないだろう。
おそらくパンダの中で、『仲間』というのは特別な存在なのだ。
生まれも育ちも、種族も歴史も存在しない。
ただひたすらに個人と個人。
あらゆる垣根を超え、パンダはホークと仲間であることを望んだ。
仲間であるホークの望みは、今のところ全て聞き入れてくれている。そのために多大な協力を続けてくれている。
そんな彼女が、どうしても救いたい者がいるとホークに願い出ている。
――取引ではなく、仲間として。
「――おい、貴様」
「は、はひっ!?」
まだ痺れ薬で動けないキャメルにホークが声をかけた。
「ここから貴様のアジトまで、馬でどれくらいかかる」
「え、えっと……五〇分くらいですかね」
「あら、案外近いのね」
「占星術師の話では、魔力体の位置を完全に特定するにはまだ多少時間がかかるらしい。――馬の用意に一〇分。往復で一〇〇分。アジトの制圧と女の救出は……五分もあれば終わるな」
「ならティーブレイクを五分取って、二時間ってところね」
占星術師がベアの位置を特定し、騎士団が動き出すまでにどれだけの時間がかかるかは不明だが、甘く見積もってもそれより一時間は遅れるだろう。
ベアとマリーを取り逃すには十分すぎる時間だ。
だがホークはその条件を受け入れた。
「その時間をくれてやってもいい」
「ええ、不足はないわ。ありがとうホーク、これも貸りとくわ」
「ならブラッディ・リーチを殺すことで払え」
ぶっきらぼうに言い捨て、ホークは地面に倒れ込むキャメルに歩み寄った。
怯えた眼差しで縮こまるキャメルを、容赦のないホークの眼光が見下ろしていた。
「じゃあ、さっさと案内してもらおうか」
解毒剤で痺れ薬の効果を消し、冒険者組合にかけあって馬を二頭借りた。
キャメルに道案内をさせる必要があるが、彼女に馬を一頭与えるのは逃亡のリスクが高い。
そのため同じ馬にパンダが乗り、その背後からホークが追いかける形で、いつでもキャメルを狙い撃てるよう注意を続けた。
「……やるしかない……やるしかないんすよ……」
小さな声で呟くキャメル。
これから死地に飛び込む自身の身を嘆き、なんとか勇気を奮い立たせようとした。
キャメルが今まで出会ってきた人間の中で、バンデット・カイザーは最強クラスの戦士だ。
ヴェノム盗賊団が総出でかかっても彼一人に一蹴されるだろう。それほどの力の差がある。
そんな男をパンダとホークの二人だけで倒せるかはかなり怪しいところだが……もう賭けるしかない。キャメルは既にヴェノム盗賊団を裏切り十数人の仲間をホークに売り渡して殺害している。
言い逃れる余地はない。
ならば戦うしかない。カイザーを打倒し、パイを救い出す。
それが達成できれば、パンダもキャメルを見逃してくれるはず――
――そう願うキャメルには酷だが、全てが終わったあと、パンダはキャメルを始末するつもりでいた。
当然といえば当然の話だ。キャメルはパンダが魔人であることを知っている。生かしておくわけにはいかない。
個人的にはパンダはキャメルのことを愉快な奴だと思っているが、まあ情けをかけるほどの愛着もない。
「この道をずっと道なりに進むっす!」
「ええ、分かったわ」
「っす!」
明るく好意的に接するキャメルに、パンダも表面上は親しげに返答する。
今のうちにパンダの機嫌を取っておこうという腹積もりだろうが、残念ながらその努力は無に帰すことだろう。
そのとき。
「――止まれ」
背後からホークの声。
キャメルが馬を止めて振り返った。
「な、なんすか?」
キャメルにとって、パンダ以上に恐ろしいのがホークだ。
彼女の放つ敵意、容赦のなさは、ともすればカイザーにも匹敵するほどだ。
何か彼女の機嫌を損ねたかとキャメルが恐る恐る尋ねる。
だがホークはキャメルではなくゆっくりと周囲を見回していた。
「――何か変な気配だ」
「……そう?」
パンダも周囲を警戒する。
彼女の感覚も相当鋭敏な方だが、それらしい異常は感じられなかった。
だが今彼女らがいるのは森の中。
森の民であるエルフの感覚は、こと森の中では魔人をも超える。
ホークは静かに目を閉じ、まるで森そのものと対話するかのように身体を自然に預けた。
「……北だ。北西。何かくる。何なんだこの……禍々しい気配は……!?」
「キャメル、北西になにかある?」
「え、えっと……『サブタワー』があるっす、けど……」
「『メインタワー』もあるんだっけ?」
「はい。今向かっている場所っす。そこはここから真っ直ぐ北っすね」
キャメルから話を聞いただけではあるが、パンダも彼女たちが行っている研究の内容は大方理解しているつもりだ。
冥府の門を開いたならば、そこから溢れだした魔力をホークが感じ取ってもおかしくはないが、その場合はメインタワーから魔力が発生するはずだ。
パンダの推測ではサブタワーはあくまでもメインタワーの補助を行う装置に過ぎない。サブタワー単体で何か異常が起こるとは思えないが……。
「ホーク、何が来てるかわかる?」
「……いや、そこまでは」
「そう……ホーク、この子を見張ってて」
パンダは馬から降りて、近場で一番背の高い木に登り始めた。
実際に見てみるのが一番早いだろう。
もし目視できないようであれば、現段階で注意するほどの脅威ではない。しばらく様子見をしていいだろう。
やがて木の頂上に辿り着いたパンダは、そこから北西の方角を見て……一目で異常に気付いた。
「……? なにあれ?」
不思議な光景は北西の空にハッキリとあった。
茜色に染まった夕暮れの空に、大きな暗雲が立ち込めていた。
暗雲。
雲一つない晴れた空にぽつんと浮かぶ奇妙な雲。
そう見えた。
――パンダの左目には。
だが彼女の右目……あらゆる魔力を見通す魔眼は、全く別の『情報』を読み取った。
「――――乗ってッ!!」
唐突にパンダが叫んだ。
木から飛び降りて地面に着地する。
するとすぐさまパンダは再度叫んだ。
「馬に乗って! 急いで! 今すぐここから離れて――待って今のなし、やっぱり降りて! 馬から降りて物陰に隠れて気配を消して! ダッシュ!!」
ホークも今まで聞いたことがないような、鬼気迫るパンダの声。
よほど逼迫しているのか、パンダは事態が飲み込めないキャメルを馬から引きずり降ろして草むらに投げ込んだ。
ほとんどそれに覆いかぶさるようにしてパンダも草むらに身を隠す。続いてホークも木の陰に身体を隠した。
「何が起こってる」
「ヤバいことよ」
パンダはそれ以上は深く語らずに、ただ北西の空を睨みつけていた。
「やってくれたわね、ビィ……!」
「なに……? サブタワーの様子がおかしい?」
メインタワーの管制室から実験場を見下ろしていたハンスは、研究員からの報告に眉をひそめた。
「はい。先程から奇妙な動きをしています」
「具体的には」
「考えづらいのですが、こちらとは無関係に個別に動作しているように見えます。それを止めようとこちらから働きかけても変化がありません。どれも今までにない反応です」
サブタワーはメインタワーの起動に合わせて動き始める。
レバーを引いて動作する仕掛けのようなものだ。レバーを動かさずに仕掛けだけが動くなどあり得ない話だが、研究員の観測ではそのような動きが見られるらしい。
「サブタワーの者と連絡を取れ」
「既に行いましたが、反応がありません。動いている以上、他の研究員がいるはずなのですが……」
「……」
似たような話をつい先程カイザーと行った。
『サブタワーが動いているが、連絡がつく者がいない』。
この不可解な現状の答えをとして、カイザーは何者かの襲撃を予想し、ハンスはそれを否定した。
……が、こうなってはカイザーの意見を軽視できなくなってくる。
可能性として十分にあり得る話のように思えてきた。
「そのまま監視を続けろ。それと並行して、サブタワーに応答を呼びかけ続けろ。おかしな動きがあればすぐに私に報告するように」
「了解しました」
ハンスの指示通りに作業に移る研究員たち。
彼らの顔には、困惑こそあれど危機感はない。何か不測の事態が起きているだけだという認識しかないのだ。
「異常事態か?」
この場で強い危機感を持っている人物は二人。
ハンスとカイザーだけだ。
「……そのようだ。確かに、今サブタワーがおかしい」
「敵だろ。サブタワーが乗っ取られた可能性が高い」
「…………やはりどうしても信じられん。つい先程まで、サブタワーは何の支障もなく稼働していた。誰かがあの塔の魔術式を読み解き制御しているということになるが……そんなことが可能なのか?」
「それは俺には分からんが、経験則として、悪い予感は当たるもんだ。――俺の方で部隊を用意しとく。いざとなればヴェノム盗賊団を総動員してサブタワーに攻め込む。その準備を進めとくよ」
「……ああ。そうだな。それで頼――」
「――所長ッ!」
突然ハンスを呼ぶ研究員の声が響いた。
「なんだ」
「こ、これ、これを見てくださいッ!」
研究員がハンスに資料を手渡した。
それはこの実験中に発生したデータを書きだしたログだった。
一般人には難解過ぎて解読できないその文字列も、ハンスには見慣れたもの。そこに記されたデータをすらすらと読み進めていく。
「……………………はあ?」
そして記されているログの内容を把握したとき、呆然と声を漏らした。
「なんだこれは……? 冥府の門を、開けようとしている……? サブタワーが?」
そう書かれているように見える。
今度こそ理解が追い付かず放心するハンス。
メインタワーの補助装置に過ぎないサブタワーが、その役割を超えて本来メインタワーが行うべき処理を実行しようとしている。
松葉杖が独りでに動き、両脚ごと身体を持ち上げているような不可解さ。
サブタワーはそんなことのために作られた装置ではない。
サブタワーが冥府の門を開けることなど不可能だ。そんなことを試そうとすること自体が愚行。誰かは知らないが、サブタワーを制御している者は一体何を考えて――
「ち、違います所長! ここを見てください!」
そう言って研究員が指さした箇所。
そこに記されていたログを読み取ったハンスは――今度こそ言葉を失った。
「門は既に開いています! サブタワーが、冥府の門を開けてしまっています!」
「……馬鹿な」
有り得ない。
……が、ログにはそう出ている。それをロガー機器の故障だと笑い飛ばすことが、今のハンスには出来なかった。
「……大至急、調査を――」
「――ボスッ!」
再び言葉を遮られるハンス。
今度は盗賊団員の一人が管制室に飛び込んできて、カイザーに詰め寄った。
「なんなんだ次から次へと!」
研究の成就までもう間もなくというこのタイミング。
何故この祝福すべき瞬間に限ってこれほど慌ただしく問題が発生するのか。
「なんだ」
「空が、ボス……空がッ!」
「空がなんだ」
こういうグダグダとした報告は許さないカイザーではあるのだが、あまりにも狼狽している盗賊団員の様子に今回だけは大目に見ることにした。
盗賊団員はごくりと生唾を飲み込み、言った。
「――空に、ドラゴンがいます!」
「――はい。了解いたしました。それでは」
通信魔石による会話を終え、ラトリアが魔石の効力を切った。
その表情には隠し切れない落胆と緊張の念が浮かんでいた。
「いかがでした、ゴード殿」
「申し訳ありませんバロウン殿。エルダーの到着にはまだ時間がかかるそうです」
セドガニアのバラディア軍基地内の一室を作戦室として利用し、中に集められた大勢の人間は今、慌ただしく動き回っていた。
彼らを仕切るのは、バラディア軍参謀本部長、アレックス・バロウン。
普段はバラディア国本部で軍務に励んでいる彼ではあったが、この度セドガニアに大きな危機が迫っている可能性があるということでこの地に赴いた。
「致し方ありません。では、ゴード殿……以前お話していた通りで、構いませんね?」
「無論です」
この場にラトリアとシィムが呼び出されたのがつい先ほどのこと。
『セドガニア南方に大きな魔力反応を検知した』という占星術師の報告はすぐさまセドガニア基地中に広まり、速やかに二人が招集された。
大きな魔力反応の正体が、先日森で遭遇したあの灰色の魔人のものかどうかは現在調査中だが、可能性は十分にあるだろう。
それに備えて派遣されたルドワイア帝国のエルダー部隊が到着予定だったのが今日。
彼らと共同で戦えれば戦力としては盤石だったが、それは叶わなかった。
今しがた通信魔石でキース・リトルフ評議員に確認を取ったところ、エルダーの到着が予定よりも遅れているらしい。
早くとも明日の早朝になるそうだ。
残念だが、そんなにも待つことはできない。
占星術師が次もこの魔力体を捕捉できるとは限らない。このチャンスを逃す手はない。
「……」
そうなると、当然ラトリアが先陣を切ってあの灰色の魔人と戦うことになる。
今度はバラディア国騎士団の援護もつけてもらえるだろうが……それでもかなり危うい。
次にあの灰色の魔人と対峙したら、自身が生き残る可能性は低いだろう。
そんな予感があるが、それでもラトリアは逃げるつもりはない。
どんな相手であろうと、もう二度と逃げない。
それこそがラトリアの誇り。騎士であるアイデンティティなのだ。
「シィム、準備出来てるな?」
「はい。いつでもいけます」
ハッキリと答えるシィム。
その姿に、数日前までスノウビィに怯えていた面影はもうない。
やはり彼女もルドワイア帝国騎士団の一人。なんとか心を持ち直したようだ。
「兵の準備はできているな?」
「はい。バラディア軍兵士三〇〇人。バラディア騎士団を四部隊計一〇三名。全て戦闘準備を終えております」
バロウンが部下と討伐部隊の規模を確認していた。
相当な大所帯だ。一人の魔人に対してこれほどの規模の討伐部隊が編制されることは稀だ。
通常であれば有り得ないが、今回は話が違う。
預言されるほどの危機なのだ。どれだけの戦力を割いても不思議ではない。
……が、これでも足りないくらいだ。
いや、あの灰色の魔人を相手にするのなら、戦力差を数で補うのは難しい。一〇〇人の兵よりも、ラトリアのような超人的な一人こそが望まれる。
そして、彼らはそんな強力な一人の助力を得られるはずだったのだが……。
「おい、ホーク殿はまだ来られないのか?」
「は、はい……すぐに来ると仰っていたのですが」
「クソ、こんな時に何をグズグズと……」
バロウンが何やら揉めている様子だった。
「何か問題がありましたか?」
ラトリアが尋ねると、バロウンは一瞬話すのを躊躇したようだったが、やがてラトリアには告げておこうと決心したのか話し出した。
「実は本日、この町に勇者のホーク・ヴァーミリオン殿が来訪されておりまして」
「ホーク・ヴァーミリオン……というと、あのシューデリアを救ったというエルフの?」
「はい」
その名前はラトリアも耳にしていた。
人類にとって異例過ぎる勇者。
人間でなく、神器に選ばれた訳でもなく、聖属性の白魔法が使えるわけでもない。
ただとりわけ特異なユニークスキルによって勇者の称号を獲得したエルフ。
「それは渡りに船ですね。彼女にも依頼を?」
「ええ。むしろホーク殿の方から積極的に情報提供を求めておられた様子でしたので、おそらく助力をいただけると思うのですが……現在連絡が取れない状況で」
バロウンの落胆も無理からぬ話だ。
ラトリアの部隊が森で遭遇したあの吸血鬼の少女、ブラッディ・リーチ。
彼女はS-70の魔人に匹敵するほどの戦力だという。
そんな者をたった一人で討伐した実績を持つホークの力は喉から手が出る程欲しいところだろう。
とはいえ無い物ねだりはできない。
可能であれば討伐に協力してほしいが、連絡がつかないなら必要以上に期待もできない。
やはりあの灰色の魔人はラトリアが倒すしかないようだ。
「覚悟を決めるしかないか……」
あの魔人を打倒できるビジョンがどうしても見えないが、ラトリアは騎士としてその任務に全力を賭す次第だ。
そのとき、作戦室の扉が勢いよく開け放たれた。
外から一人の兵士が飛び込んできた。
「――バロウン殿! 至急、ご報告したいことが!」
その様子から、何やらよほど逼迫した内容だと察せられた。
「なんだ。例の魔人に関することか?」
「いえ、違います」
「では手短に。こちらも時間がない」
「セドガニア周辺を警邏していた兵士からの報告なのですが――北西の空からドラゴンが接近しているとのことです!」
作戦室内の喧噪が半分ほどにまで減少する。
多くの者がその報告に驚愕した。
竜種は、魔人が台頭する以前から地上を支配していた最強の種族の一つだ。
唯一竜種と並び立っていたのが吸血鬼だが、彼らは魔人との全面戦争に敗れ絶滅した。
そんな中、竜種は魔人との戦争を避け、地上の支配者の座をあっさりと明け渡した。
そうして全ての種族を支配した魔人だが、彼らも竜種との戦争だけは避けてきた。互いに不可侵の暗黙を護り続けることで棲み分けを行ってきたのだ。
ドラゴンとはそれほどに強力な生命だ。
過去を遡っても人類がドラゴンを討伐した例は少なく、達成者はそれだけでドラゴンスレイヤーとして絶大な栄光を得ることができる。
竜種は人気のない山奥などに生息していることが多く、こんな都市には滅多に現れるものではない。
そんなドラゴンがセドガニアに向かっているとなれば、確かに緊急事態だ。
「……セドガニアに向かっているのか?」
「不明です。しかしドラゴンは北西から直線で移動しており、そのまま進めばセドガニア上空を通過するようです」
「こちらに敵対している様子は? ――いや、関係ないな。どちらにせよ看過できん。適性討伐レベルは?」
「アナライズスキルを持つ兵士でしたのでスキルで確認したそうですが、およそS-58相当という話です」
兵士の言葉に聞き耳を立てていた作戦室の者たちが、一斉に安堵の息を吐いた。
バロウンやラトリアやシィムも同様に一息ついた。
ドラゴンの中でS-58相当というのはかなり低レベルだ。
中にはS-90を超えるような個体も存在するのがドラゴンだ。そんな特大の脅威が迫っているわけではないと知って、ひとまずは安心といったところだった。
「全くこんなときに厄介な客人だ。騎士団の部隊を一つ割く。警戒はさせるが、向こうが明確に敵対の意思を見せるまでは攻撃するな。ただの迷惑な空中散歩の可能性もあるのだからな」
弱い個体と言っても、あくまでドラゴンの中ではという話だ。
S-58は平均的な魔人にやや勝る戦闘力。決して楽観はできない。
騎士団の部隊を一つ割くのは痛手ではあるが、致命打ではない。
ドラゴンの出現と聞いて緊迫した作戦室の空気がゆっくりと緩和されていく。
「……バ、バロウン殿……それが、問題がありまして」
「? まだ何かあるのか?」
「その……ドラゴンの数が」
――ピリ、と再び緊迫感に包まれる作戦室。
「……一体ではないのか?」
「……はい。報告によると、そのようです」
「なんてことだ……」
頭を抱えるバロウン。
一体でも厄介なドラゴンが数体……これは十分にルドワイア帝国が受け持つに値する脅威だ。
ラトリアも、まさか灰色の魔人の前にドラゴンの相手をせねばならないのか、と心配になる。
S-58のドラゴンと言えど、ラトリアならば数体程度相手にするのは問題ない。
ラトリアのレベルはS-81。そのドラゴンよりも23レベルも高い。何ら問題ではない。
が、あの灰色の魔人の前に余計な消耗は控えたいというのが本音ではあった。
「クソ……で、何体出現したんだ」
不安そうに尋ねるバロウン。
正直、三体以上はキツイ。そんなにも騎士団の戦力を割けない。
だがそんなラトリアの懸念も、バロウンの不安も……全てを吹き飛ばす言葉が放たれた。
「数千体」
「……………………は?」
今度こそ完全に静寂に包まれる作戦室。
ラトリアですら兵士の言葉の意味を理解できず唖然とする。
「……復唱してくれ」
聞き間違いだとしか思えず、バロウンが命令する。
だが、兵士の報告がより好転することはなかった。
「数千体のドラゴンがセドガニアに接近しており、北西の空を埋め尽くしているとのことです」




