#1 転移
「師団長、現れました! 斥候からの報告通り、すさまじい数の魔物です!」
近衛騎士の言葉に、私はうなずいた。その言葉通り、狭い谷間を無数の黒い集団がまるでイナゴの群れの如く押し寄せてくるのが見える。
私の名は、ヴィルヘルミーネ・ヒルデグンデ・マリンガー。歳は二十歳。この歳で、ドネツランド王国での魔導師として最高位である「王級魔導師」の地位の中でも、もっとも高い地位である「王国魔導師団長」となった。
そして私は今、数万もの魔物と、それを率いる魔族の軍勢を前にしているところだ。
「およそ、十万といったところですかね」
私に次ぐ二番目の王級魔導師であるエルケが、私にそう告げる。周囲では慌ただしく、兵たちが走り回っている。
ここはまさに断崖絶壁の上。大地を黒く染め上げる魔物の群れを一望できる場所。眼下には、おぞましい魔物たちが棍棒やナイフといった簡単な武装で我が王国の領内にまさに攻め入らんとしていた。
「国境を越えた街、ヴォルフスランゲンまであと十五リーグス、もしあれが街中に攻め入れば、そこに住む人々は皆……」
魔導師の一人が、顔色を失わせつつそう呟く。無論、あれほどの群勢が街に入ろうものならば、小麦畑に群がるイナゴのように、人々を食いつくすことであろう。
「何を慄いている。それを食い止めるために今、我らはここにいるのだ」
私はその魔導師を諭す。もちろん、街を守り、しいては王国を守るために、我々はここにいる。そのためにこの、敢えて狭い谷間に奴らを引き込んだのだから。
魔物を率いる魔族は、強い魔力の流れを作り出す者を狙って迫ってくる。だから、つい前日まで我々は、ヴォルフスランゲンにとどまっていた。そうすれば必ず、この狭い谷間に魔物の群勢が現れると考えたからである。
「王国魔導師、前へ!」
私の号令と共に、断崖絶壁の淵に、一斉に魔導師たちが立ち並ぶ。彼らはその名の通り、王国の魔導師の中でも、特に魔力の高い者たちを選りすぐった。およそ百名ほどの魔導師たちの肩には、王国臣民の命がかかっている。
およそ百年に一度といわれる魔物の大軍勢が押し寄せてきた。それを従う魔族も、およそ三十ほど。この「災害級」の魔物侵攻に対し、我らは持てる力を惜しみなく放つ。
「まずは、前進を止める! 全魔導師隊、合図と共に炎魔導を斉射!」
軍勢は谷間に沿ってまっすぐ、我が王国領を目指している。すでに村が三つほど、飲み込まれた。それとわかる痕跡が、軍勢の中の魔物の一部が「戦利品」として得た服や槍など、およそ魔物の作り得ないものを手にしていることから明白だ。中には、人の首をその槍先にいくつも突き刺して……何ともおぞましい光景だ。
あのような悲劇を、この先にある我が王国で繰り返してはならない。私は、魔導師たちに向かって手を高く上げる。百人の魔導師の内、私以外の魔導師、九十九人が両手を前に差し出した。その中には、私と同じ「王級魔導師」も十人いる。
「炎の神よ、我が魂からの叫びに応じ、邪悪なる魔物らに灼熱の鉄槌を食らわさん! ローダンデ・ランス!」
各々の魔導師たちが、詠唱を唱え始める。皆の手のひらに炎の魔導が収束した頃合いを見て、私は手を下す。
「放てっ!」
黒い集団の先頭に、大小九十もの炎の弾が放たれていく。狭い谷間に展開した邪悪なる群団の目前に、きれいな一直線の炎の弾が着弾して彼らの進撃を止めた。
ただ、十人の王級魔導師の放った炎は、段違いに強力だ。いくつもの火柱を上げて、一撃当たり数百もの魔物らをまとめて灰に変えている。後方から迫る魔物はその炎に行く手を阻まれるが、さらに後方の魔物が行進を止めないため、将棋倒しになって折り重なる。
だが、その程度ではこの規模の魔物侵攻を食い止めることはできない。
そこで、私の魔導の出番となる。
味方の攻撃により、良い足止めができた。私はその機会を逃さず杖を手に取り、それを掲げる。そしてこう唱えた。
「清良なる氷の神よ、邪悪なる彼らに氷槌をくらわせ、この世界より抹消させたまえ、ギガンティッシュ・アイスヴァンド!」
足止めされ、将棋倒しとなった魔物どもの真上に向け、私は杖を向けた。杖の先から漏れ出す青筋の冷気が、魔物の頭上で渦を巻き、やがて巨大な氷の岩盤を作り出す。
谷間の端から端まで広がり、その黒い軍勢の大半を覆うほどの分厚い氷の壁が生成されると、それはゆっくりと落下を始める。大きすぎるがゆえにゆっくり見えているだけで、実際にはかなりの速さで落ちている。高さ百マレルから叩き落とされたそれは、着地と同時に直下のあらゆるものを圧し潰した。
すなわち、あの黒い魔物たちである。
文字通りの冷徹なる重厚な氷の壁は、魔物の大半を叩き潰した。生き残った魔物も、あまりの巨大な氷の塊を前に右往左往するばかりだ。
が、敵はまだ、残っている。
それはもっとも厄介な、後方の安全な高台からやつらを操る、魔族どもだ。
やつらを片付けねば、魔物の進撃を止めることはできない。
魔族とは、狡猾なやつらだ。言葉を発する魔物といえばそれまでだが、知能も比較的高く、我ら人族の放つものよりもずっと多様で強力な魔導を浴びせかけてくる。
元はといえば、人族の使う魔導は、魔族らが使うそれらを盗み出したようなものだ。とはいえ、残念ながら、そのすべてを会得したわけではない。
ゆえに、そんなやつらの懐に飛び込んだら、たとえ王級魔導師とはいえ勝ち目はない。
だから私は、やつらの裏をかくこととした。
私の横には、屈強なる騎士が立つ。その手には、巨大な弓が握られていた。弓矢を添え、それを魔族のいる方角へと向ける。と同時に、私も杖を前へ差し出した。
「いいわ、放ってちょうだい」
私がそう告げると、騎士は大弓の矢を放つ。その先端に付けられた大きな魔石目掛けて、私は炎の魔導を放つ。
「神聖なる炎の神よ、遠くで安穏をむさぼる愚かなる魔族に、灼熱と窒息の憂き目を食らわせよ、ローダンデ・クーゲル!」
魔石に、私が放った炎の魔導が吸い込まれる。私の炎魔導には、単なる炎だけでなくそれを推進させる力をも与えることができる。その力を得た真っ赤な矢はまっすぐと、魔族のいる二十リーグス先の高台まで向かっていく。
そう、私は強大な魔力の持ち主であるだけでなく、炎と氷という、相異なる二種類の魔導を使いこなすことができる。他の魔導師は一種類、たいていは炎属性のみを持つ者が多い。それゆえに、王国魔導師団の頂点である魔導師団長となった。
その魔導の力をいかんなく発揮し、魔族らの魔導の射程外から「範囲外」攻撃を仕掛けた。
「やつらが、この手に引っかかってくれればよいのですが」
「かつて、どの人族もやったことのない手です。意表を突かれたと気づいたところで、その時はもう、やつらの心身が灰塵と化しているでしょうから」
懸念を述べる副師団長であるエルケに、私はそう答える。そうこうしているうちに、その矢はまさに魔族どもの眼前に届きつつあった。
「まもなく、弾着します!」
視力のいい観測士が、その矢の行方を見守る。やがて魔族のいるであろう高台の上が、パッと白く光った。
それは魔石が砕けた際に放たれる光だ。が、直後、それは赤に変わる。
そう、魔石に濃縮された私の炎魔導が、魔石が砕けると同時に一気に炸裂したためだ。一方で魔石は、吸い込んだ魔導の力を何倍にも増幅してくれる効果がある。
高温の炎は、魔族や魔物、そして人族が生きるために必要な空気から呼吸の源を奪う。あの赤い光は魔族らを焼き尽くす以前に、彼らが吸う息を死の廃気へと変える。たとえ炎を耐え抜いたとしても、息の根を止められ、生きてはいけないだろう。
「弾着! 魔族どもの姿が、消滅しました!」
観測士が叫んだ。私は安堵のあまり、杖を地面に突き身体を支える。少し、めまいを覚える。魔力を使い過ぎたようだ。
大量の魔物は消え去り、魔族も絶えた。もしもまた魔族が復帰することがあったとしても、それは私の生きているうちに来ることはない。
「隣国を滅ぼした災害級の魔物どもは、ここで潰えましたね」
エルケが私のそばに立ち、そう告げる。そうだ。私はこの戦いに、勝利したのだ。大魔導師の再来とされ、これまで魔力を高めるため寝食を忘れるほどに魔力原理の書を読み漁り、魔導を極め続けた。その結果が今、まさに報われた瞬間だった。
が、これがまさに、油断だった。
敵は必ずしも「魔族だけではなかった」ことを、私はその直後、思い知らされる。
ふらつく私の背中を、誰かが押す。私が倒れる先は、断崖絶壁の向こう側だ。
しまった、魔力の使い過ぎでふらついていた身体は、まさにその高さ七十マレル先まで遮るもののない崖下へと向かって落ちていく。
そのまさに私の足が崖から離れる直前、第二の王級魔導師であるエルケが、予想外の言葉を私にささやく。
「あの魔物殲滅で、師団長様は不要になりました。後のことは私に任せ、あの世で安らかにお過ごしください」
魔族ですらも思いつかないような狡猾な罠に、私ははめられた。まさか私の腹心が、最大の敵だったとは。
災害級の魔物侵攻を止めた今、彼女にとって私は、むしろ邪魔な存在だった。私がいなくなれば、魔導師団長という地位に加え、この災害級魔物侵攻を止めた功績を横取りできる。
その腹心の企みに、もっと早く気付くべきだった……真っ逆さまに落ちていく私の脳裏には、これまでの修行の数々よりも、悔しさが込み上げてきた。
私は、大勢の人々を救いたかった。そんな人々の平穏な姿を見ることが、何よりも夢だった。いずれ起こるであろう魔物侵攻に備え、私はただ一心に、魔物に怯える人々を笑顔に変えるために鍛錬を続けてきたのだ。
それを見ることなく息絶えることは、悔しい。せめて私は、その先の平穏な日々を喜ぶ民の顔を見たかった……
魔物を圧し潰した氷の塊の端目掛けて、私の身体が吸い込まれるように落ちていく。
◇◇◇
……ガタッ。
私の身体は、何かの上に落ちた。
が、不思議なことに、痛みは感じない。
ふと地面を見ると、それは木製の板が敷き詰められた、不思議な場所だった。おかしいな、崖の下に、こんなものはなかったはずだが。
いや、そもそも私は七十マレルの高さから落ちた。身体を叩きつけられて、全身が砕かれてもおかしくないほどの高さを落下しながら、ほぼ無傷のままだ。
とはいえ、氷の壁を逃れたわずかな生き残りの魔物が、私に襲い掛かってくるかもしれない。私は杖を握りしめ、首を上げた。
そんな私は、愕然とする。見たこともない光景が、そこには広がっていた。
『魚雷換装、急げ!』
『八七式攻撃機、第二次攻撃、発進準備! 急げ!』
そこにいたのは、真っ黒な魔物ではなく、白く殺風景な服を身に着けた人々が走り回っている。そして、聞いたことのない言葉で何やら叫んでいる。
そして、木板の敷き詰められたその上に並ぶのは、まるで巨鳥の如く大きな翼をつけた、不可思議な物体がいくつも並んでいる。それらの先端には、まるで小舟の櫂のようなものが三枚、取り付けられている。
一人が、直角に曲がった不可思議な棒をその巨鳥の先端に突っ込んでいる。それを勢いよく回すと、その三枚の櫂が勢いよく回り出す。
ババババッというけたたましい音が、響き渡る。魔導師帽が、その風の勢いで飛ばされそうになり、慌てて私は頭を押さえる。辺りでは次々と、巨鳥の先端の櫂を回り出す。
が、一人の男が私に近づいてきた。そして、こう告げる。
『何をしている! というか、お前、誰だ!?』
もはや、何を言っているのか分からない。が、おそらくだが、私のことを尋ねているのだろう。訳も分からぬまま、私は答える。
「イッヒ ハイセ ヴィルヘルミーネ・ヒルデグンデ・マリンガー! アイン ツァウベラー アウス デム ケーニヒライヒ ドネツランド!」
(私の名は、ヴィルヘルミーネ・ヒルデグンデ・マリンガー! ドネツランド王国の魔導師だ!)
私は答えたが、言葉が通じていないのか、その男は立つくしたまま、ただ私の顔をじっと見る。が、男は答えた。
「ディス イスト ダス デック デス ジャパニッシェン フラウツォイツトレーガース 『ヒショウ』! ヴァルム ベフィンドエット ジヒ ヒール アイネ フラウ アウス アイネム アリエルテン ラント!?」
(ここは皇国海軍の空母「飛翔」の甲板の上だ! なぜここに、同盟国の女がいる!?)
ややたどたどしいが、確かにドネツランド語だ。だが、ところどころ、意味の分からない言葉が続く。皇国海軍? 空母? 何を言っているんだ、この男は。
見たところ、剣も弓も持っていない。軍人らしいことは分かるが、非戦闘員なのだろうか? ただ、周りが白い服を着ているのに対し、こいつは茶色のがっしりとした服に、妙に透明な覆いを頭上に付けている。よく見れば、似たような姿の者が、周囲に幾人もいる。
それらの多くが、あの爆音を上げて櫂を回転させる巨鳥の上に乗り込んでいく。そこには、奇妙なガラスの覆いが取り付けられており、真下には長い筒のようなものがぶら下がっている。そんな巨鳥は、三本の足で立っている。
それらは滑るように木板の上を進む。二列に並び、まさに飛び立とうとしている。
そこに、私に話しかけてきた男と同じ服装の男たちが乗り込むのが見える。ふと私は、辺りを見渡す。
愕然とした。
そこは、海の上。見渡す限り、陸は見えない。おまけに、緩やかではあるが、揺れを感じる。つまり私は大海の只中に浮かぶ、巨大な船の上にいることになる。
まるで、木板を敷き詰めた島のような船。よく見れば、武骨な高い砦のようなものが船の端に建っており、この船の表面を見渡すように幾人かの人影が見える。巨大な筒を抱えた巨鳥のすぐそばを、それよりは短い芋のような形の寸胴なものを二台のようなものに載せ、甲板の端へと運び込んでいる白い服装の者たち。
武器は持ってはいないが、彼らが兵士であることは、その統率された動きで推測がつく。
そんな私に、先ほどの男は叫ぶ。
「こんなところにいては、発艦の邪魔だ! 第一、どうして同盟国であるドイッツェ帝国の女がこんなところに……」
先ほどの男が、私にたどたどしいドネツランド語で語り掛けてくる。私はこう、返す。
「わ、私はついさっき、二つの魔導を用いて十万の魔物と戦い、魔族をも撃ち破った。その刹那に味方に裏切られて、崖の下に放り出されたのだ!」
「マモノ? 何を言っている、そんなもの、ここにはいない!」
この男こそ、何を言っているのだ。まさしくこやつらが乗ろうとしているそれは、魔物の一種ではないのか? 禍々しい、というよりは、流線の羽根が一見武骨なそれを美しく見せてはいるものの、耳障りな咆哮を奏でてまさに飛び立とうとしているところは、まさしく魔物の所業だ。
もっとも、空を舞う魔物は珍しい。災害級の魔物の襲来ですらも、空を舞う竜はついに現われなかった。
しかし、この魔物はどこか、変だ。
そもそも、人を襲うどころか、人に操られている。おまけに全身が、鎧のごとく硬い殻で覆われているように見える。
『坂口曹長! 急ぎ八七式に乗り込んでください! 発艦命令が出ております!』
白服の兵士らしき者が、この男に向かって叫ぶ。この男、どうやら「サカグチ ソウチョウ」というらしい。奇妙な響きの名だ。
『分かった、今すぐ乗り込む。それよりもだ、この同盟国の女を艦内へ連れて行ってくれ』
『は? いや、曹長殿。なぜ同盟国の女が、ここに?』
『それは、こっちが聞きたいくらいだ。が、ドィッツェ帝国の言葉を話す。同盟国人であることは間違いない』
言葉は分からない。が、どうやら私をどうにかしろと言っていることは、私を指差しながら叫ぶそのサカグチという男のしぐさで察することができる。
が、その時だ。
『上空に、敵急降下爆撃機、来襲! 数、およそ二十!』
見張りの兵士らしきものが、大声で叫ぶ。その声を聞いたサカグチをはじめとする男たちは、空を見上げた。私もつられて、空を見る。
青い、櫂を回転させながら飛ぶ別の巨鳥が、真っ逆さまにこちらに向かってくる。その巨鳥が、腹のあたりから何かを切り離した。
後で知ったのだが、あれは炎の魔導を封じ込めた、二百五十キロ爆弾と呼ばれる武器だった。それが一斉にこの島のような船——「飛翔」という名の船——へと迫っていた。
しかしその時はまだ、それが何なのかを知る術はなかった。が、命の危険を、周囲の者たちの表情から察した。
私は無意識に、そして咄嗟に杖を高く掲げた。




