3.兄と弟
──次の日の朝、マーゴはいつもの時間に厨房に向う。が、直ぐに異変に気づき走った。
「あんた! 何してんのよ!!」
マーゴは目の前の光景に目眩がして倒れそうになった。
「あ! マーゴさん! おはようございます」
この娘、頭がおかしいのかしら? あれだけ陛下は食事は「飲み物」だけしか召し上がらない。と何度も言ったのに? 何? 馬鹿なの?
「エミリア? 一応念の為に聞くけど、それってまさかとは思うけど?」
目の前の娘は顔に白い粉を付けながら、朝から白い丸いものをこねていた。
私の見間違いでなければ良いのだが……
残念だけど、此処は陛下専用の食事を作るところ。
アンタその粉、何処から持って来たのよ!!
いや今、問題はそこではない。
それどうするつもりなのよ!
私は今までの人生を振り返った。これと言って良いこともなかったが、色々あった中なんとか今は平和に暮らせていた。
だが、その平和な生活も今日で終わりなのね……と。
何でこんな娘のせいで!
「エミリア!!」
マーゴの雷が落ちた。
「マーゴさん……お願い。今日だけ。今日だけで良いからこれを。これを陛下に! お願いします!!」
「ちょっとアンタ、昨日も今日だけってあの変なの持って行かしたじゃないか! あれが最後って約束したじゃないか!」
なんでこうなっちまったんだろう。
振り切ろうとしたら振り切れたはずが、あの娘の目を見たら。
マーゴは娘に託された、盆の上にのっている香ばしい匂いのするパンと野菜と鶏肉がたっぷり入ったスープ、果物を添えたヨーグルトを見ながら後悔の念と、昔見た同じような瞳を持つ女性を久しぶりに思い出していた。
ソフィア様……
マーゴは首を横に何度も振り、背筋をピシッと伸ばしドアの前に挑んだ。
大きく深呼吸をし、覚悟を決める。
「失礼します。ルーベンス陛下。朝食をお持ちしました」
マーゴはあの時以来ぶりに彼の名前を呼び、いつもは離れたところにそっと置き、即座に逃げるように去って来たが、今日は彼の目の前に置き、カトラリーを並べる。
以前と同じように。
「何の真似だ? マーゴ」
数年振りに話し掛けられた。まさかまだ名前を覚えていたことにびっくりした。
あの頃のように優しい声ではなかったが、私は嬉しかった。
「では、ルーベンス陛下ごゆっくりお召し上がり下さいませ」
私は多くを語らず部屋を後にした。
「何がしたいのだ」
数年振りに目の前に並べられた、水分以外の物がのった朝食をじっと眺める。
「何だこれは?」
ヨーグルトに添えられた薄切りのリンゴを手に取る。
皮が半分残されていて、切り込みが入れられていた。
その三角にとがった部分を引きちぎり、静かな笑みをほんの一瞬浮かべた。
そして、一切朝食に手をつけることなく無表情で立ち去った。
◇
それから昼が来て、マーゴはまた娘に泣きつかれ仕方なく運ばされた。
今度は鶏肉のソテーと、チーズを入れたパンと、サラダにいつものジュース。
「ルーベンス陛下、昼食をお持ちしました」
あの朝食に一切、手をつけていなかったことを危惧し、マーゴは今回は足早に立ち去った。
ただ、今回もちゃんと彼の目の前に置いてきた。
「よう? 生きてるかミーシャ? って!! おい! どうしたこれ? 何だちゃんと食べているのか!? 良かった」
「コンラッド、ノックぐらいしろ。そしてその呼び方やめろ殺されたいのか?」
部屋の温度が一気に下がりはじめたことに、コンラッドと呼ばれた男は、手を目の前に出し大きく振る。
「お、おいこら! 壊れる。抑えろ。俺はお前のことが心配でこうして。でも安心したわ。ちゃんと食事をとっていて良かったわ」
綺麗な金髪で長身の男は、目の前の気怠そうに座る男に優しい目をする。
「ん? これお前ちゃんと食ったのか? あ、これからだったのか? にしては遅い時間だなぁ? 珍しいなぁ? あのマーゴが時間に遅れるだなんて」
コンラッドは目の前にある盆の上の皿と、カトラリーがまったく移動していないことに気づき、たずねた。
「帰りに下げとけ。コンラッド」
冷たく感情の無い声がした。
「おい! また食っていないのか? 何考えているんだ!! 何年もう経っていると思っているんだ馬鹿やろう!!」
コンラッドは目の前の色白の男を睨みつけた。
「お前がそんなことをしたからって、ソフィアが戻ってくることはもうない! そんなことをソフィアは望んでない!」
変わらず無表情の男の胸ぐらを掴み、殴りかかろうとした。
その時だった。
「出て行け!」
大きな部屋の温度が急激に下がると同時に空気が震撼しはじめる。窓枠がガタガタ揺れ出し、テーブルの食器にヒビが入りそうになる。
「もう止めろミーシャ! お前のせいじゃないんだ。ソフィアを失ったのは俺たち軍の責任だ。お前には何の責任もないんだ。あれは事故なんだ! いつまでそこで立ち止まる! そんなに自分を責めるなら俺を此処で殺せよ!!」
王家の血筋を引く者にだけ稀に現れる現象。ただ近年はその血が婚姻により薄まり、もう何代も現れなかった現象を持つ者。
人はそれに恐れをなし彼を悪魔と呼び、誰も近づかなかった。色素の薄い銀色の髪を持つ美しい顔の少年。
コンラッドは、その美しい髪を優しく撫でた。彼の妹であったソフィアと同じ紫色の瞳を持つ愛しい腹違いの弟を抱きしめながら。
「いいから食えミーシャ。分かったな? これは兄の命令だ! 食わないなら俺をこの場で切れ!」
そう言ってコンラッドは自らの腰にあった剣を鞘から抜き、テーブルの上に置いた。
「面倒な奴……」
長い綺麗なプラチナブロンドを掻き上げ、仕方なくパンに手を伸ばすが、止める。
「おい! はったりじゃないぞ! 本当に俺は死んでも良いんだぞ!」
コンラッドは声を荒げ、気怠そうにしている弟に言う。
「食べ難い」
「……女子か!」
コンラッドは呆れて腰が砕けそうになったが、思い出した。こいつの生活を。
ソフィアが煩く言うから仕方なく飯を食べ、仕方なく寝て、ソフィアが外に行きたいと言うから仕方なく屋外にも出ていた。
その「面倒」を言う者が居なくなったのだ。
この男がわざわざ腹を満たすだけの為に「切ったり」「咀嚼したり」をする訳がないと。
ソフィアの死を責めて食べなくなっただけじゃなく、ソフィアの死によって何もかもが無になってしまって閉ざされていたことに改めて気づいた。
「ミーシャ、兄ちゃんが切ってやるから待て」
子供みたいに「食べ難い」と小さな声で言った、大きな最愛の弟の為、俺は一口大にナイフで切ってやる。
肉を切りフォークに突き刺し、この可愛い弟の手に持たす。
「食うまで、今日は絶対に帰らんからな!」
俺は、決意した。
いつまでも立ち止まっていてはいけない。ミーシャだけじゃなく、この俺も同じだ。
目の前の男を見ながら俺は思った。
──「いつまで立ち止まっている。もう何年経ったと思っている」
あの言葉は奴に言ったんじゃない。俺自身に言った言葉だ。
「なぁ? お前自分で食うって考えはないのか?」
この男……
目の前の綺麗な顔した男は、じっと飯を見つめているが、自分でフォークを手に取ろうとはしない。まるで赤子のように俺が手に持たすのを従順に待っている。
「ミーシャ君? 君はいくつだい? 自分で食え!!」
「なら、こっちでいい」
そう言って、ジュースに手を伸ばす。
「お前、殴られたいのか?」
「あ?」
紫の目が光る。
「やれるものならやれ」
こいつを止められるのは、ソフィアが居なくなった以上もう俺しかいない。
こんな無茶苦茶な気の使い方をしていて身体に負担が無いはずがない。
奴が立ち上がる。だがもう俺は奴から逃げないと決めた。
「座れミーシャ。まだ飯は残っている。そして自分で食え。良いな? ルーベンス帝国皇帝陛下」
「ちっ」
目の前の男は、俺の決意に諦めたかのように、ふてくされた顔をしながらも席につき、自らフォークを持ち口に運びはじめた。
「ゲホッ、ゴホッ」
「ミーシャ! 大丈夫か!!」
奴が咳き込み、俺は急ぎ背中をさする。
そりゃあそうだろう。長年、流動食しか食べていなかった為、嚥下状態が悪くなっている証拠だ。このまま放っておけば、本当に固形物を食べられなくなっていたところだ。
せめてもの救いが、こいつの体力と精神力、日々の鍛錬により筋力が低下していなかったのと、若さだろう。先程握ったこいつの手の平には、剣タコができていた。
しかしまぁ野菜ジュースとスープだけで、よくここまで生きてこれたなあ?
目の前の男の顔艶を確認する。
やっぱり悪魔か?
全く衰えを感じる姿はなく、寧ろ少年から成長し今度は色気まで伴い艶めいていた。
一瞬コンラッドは身震いした。
「ミーシャ。無理はするな。急に腹に入れたら身体が追いつかない。ゆっくりで良い。マーゴに言っておくよ。少しづつにして貰うように」
「マーゴじゃない」
え?
どう言う意味だ?




