25
その当時の私も、やはりまだまだ「自分がわからない」人間であった。
その「おめでたい」両親の「おめでたい」虚偽の同情に、ほっとするのである。
一見すると、自分のことを想ってくれているように見える、そのおめでたい「弁明」になぜか、ほっとするのである。
そして、同情するのである。
まるで、誘拐犯に捕まった被害者が、誘拐犯に同情するような感覚なのである。
誘拐された自分が悪い、というような感覚である。
ねっとりとした「罪悪感」に長年浸されていた少年は、やはり、その「罪悪感」にどっぷり浸かったまま、また、「今」からの、「自分」からの「逃亡」を始めるのである。
この頃、自分が「何かおかしい」と思いながら、その「おかしさの内容」と「おかしさの原因」がわからないでいた。
その頃、「アダルトチルドレン」という言葉をインターネットで見つけた。それは、まさに「私自身」だったのである。
しかしながら、また、その「事実」から逃げようとしたのである。
まだ、この頃は、両親への憎しみはあるものの、その憎しみを解消できずにいた。
自分が「支配」されていたことを認識できずにいた。
また、「そこ」に目を向けることも恐れていた。
日々の忙しい業務にかまけて、やはり、「得体の知れないもの」から逃げていたのである。
やはり、私は「自分」を見つめることから逃げていたのである。
ここでも、私は、「戦場で怯えた少年」だった。
妻が与えてくれる「温かい光」も感じられないほど、苦しんでいるのである。
すぐ近くにある「温もり」に気づかないのである。
そして「支配者」達に敵意をあらわにしながらも、彼らに認めてもらいたい、という想いを抱き、彼らに尽くそうとするのである。
自分を不幸にする人達に一生懸命尽くそうとするのである。
私はその自分の「未熟さ」に一向に気がつかないのである。
この頃、新しい「光」が生まれた。
私の息子である。
また神様は、私に「正しい道」に気づくヒントをくれたのである。
新しい命の誕生は、私にとって、大きなターニングポイントではあったが、そこでも私は、逃亡を試みる。
新しい職場が決まったのである。
その新しい職場が、新しい「逃亡先」であり、私が得体の知れないものに気づく「場所」でもある。
自分を見つめる「場所」でもある。
この地で、私は、暗い暗い「戦場」と明るい明るい「安全基地」を発見する。
まだ安心はできないが、少なくとも少しずつ、「自分」というものを見つめていこうとするのである。
そして、これまで走ってきた「戦場」と、その悲惨な「迷走」に目を向けるのである。
神様がくれた五回目のチャンスで、私はその「迷走」に気づくのである。




