冒険に出よう
青く澄み渡った空に、植物の緑が鮮やかな山脈。
広い草原に深い森。 揺蕩う波に白い砂浜、何もかもが生き生きとする自然。
其処は、剣が火花を散らし、人知を超えた魔法が飛び交い、人の範疇を超えた魔物が跋扈する幻想的な世界。
魔王が世界を支配せんと蠢き、それに抗う為に、幾多の人から選ばれた者達が立ち上がった時代。
峠の山道の中、静かな筈の其処では、喧騒が轟く。
派手な装備を身に纏う一団は、奇妙な敵と戦っていた。
「おい! そっちに行ったぞ!」
仲間にそう声を掛けるのは、少年とも青年とも付かない勇者である。
細く煌びやかな長剣は、敵の武骨な鉈を止めるのが精一杯で他に回せない。
勇者の言葉通り魔物は駆けるが、大きな革のバッグを背負った気の弱そうな眼鏡の少女は、腰を抜かしていた。
「ヒィィィ……だから前線は嫌だって言ったのにぃ!?」
頭を抱えて、尺取り虫の様にうずくまってしまう少女だが、魔物が襲い掛からんとした時、一閃の白刃が走り、魔物の首と胴体は切断されていた。
羽とでも形容すべき曲剣を構えた美麗の女剣士は、スッと剣を振って血を払う。
「こら! いつまでも寝てないの! サッサと行って!」
腰を抜かした仲間の少女の尻を軽く蹴り、逃走を促す。
欄と光る目で戦場を見渡し、美麗の剣士は仲間を助けんと走る。
「シン! 合わせて!」
バッと跳ぶ剣士の声に、剣を合わせていた勇者もまた「おう!」と応えた。
押されたせいか、鉈を持つ魔物は一瞬体制を崩す。
その隙を、熟練の者達は見逃さない。
あっという間に、二振りの剣が、魔物を切り裂いていた。
苦しげな呻きを残しつつ、魔物は倒れる。
二人の男女は、お互いの背を合わせ、互いの背後を護る。
だが、既に魔物は全てが倒れ伏していた。
「ふぅ……今日も絶好調だぜ」
「嘘言わないでよ、さっきまで圧されてた癖に」
飄々とした態度の勇者に、剣士はクスリと笑う。
「なんだぉ!? し、しょうがないだろ! 仲間を護るためなんだから!」
荷物係の少女を救う為にと奮起した事を恥じない勇者。
それに対して、女剣士はフフンと不敵に笑う。
「やっぱり……私よりもあの子が方が好きなの?」
先程まどの凛とした顔は何処へやら、女剣士は寂しげな顔を覗かせる。
ソレを見せられ、勇者は戸惑いを隠せない。
「あ、いや……まぁ、その……えーと」
慌てて取り繕う勇者だが、女剣士は勇者の鼻に軽くデコピンを当てた。
「ウッソだってば……ほら、まだ魔王倒してないでしょ?」
ヤケに思わせ振りな女の声に、勇者の顔は見る間に真っ赤に成る。
そんな時、近くで近づく者達が居た。
「おーい! お前ら先行し過ぎなんだよ! コッチの事も考えろ!」
「そうだぞー! お熱いのは結構だけどさ!」
茶化す仲間の声に、勇者と女剣士はお互いに顔を赤くする。
そんな時、女剣士は何故か視界のザラ付きを感じる。
画面すら無い筈なのに、砂嵐を見た気がした。
「ねぇ、なんか……おかしいんだけど」
「あん? どうした? 急に」
訝しむ勇者を余所に、女剣士はドサリも倒れる。
身体は鉛以上に重く、息も苦しい。
仲間の「大丈夫か!?」という声すら、遠くから聞こえる。
何かがおかしい。 女剣士は違和感を覚えながらも意識失った。
倒れた女剣士を仲間達は心配し、勇者は愛する女を揺さぶる。
「おい! ルナ!? どうした? おい!?」
目を開いたまま、一向に動かない女剣士に勇者の顔も歪む。
そんな時、女剣士の目が瞬く。
ハッキリしなかった目線には力が戻り、辺りを見渡す。
「シン?」
弱い声に、名を呼ばれた勇者は顔を歪めて涙を滲ませた。
「バカ! 脅かすなよ! 死んだと思ったじゃねぇか!!」
そんな声に、女剣士は柔らかく笑う。
「もうだいじょぶ。 目眩も無いし。 なんか、スッキリしたみたい」
そんな声に、仲間達からは歓声が沸いた。
*
同じ頃、何処かのマンション。
其処は至って普通の部屋でしかなく、幻想的なモノも無ければ超常的な場所でもない。
但し、部屋の空気は異様でしかなかった。
排泄物にも似た臭いが立ち込め、ゴミが溢れた部屋は荒れている。
まるでゴミ溜め等しい部屋の中では、一人の少女が奇妙な機械を頭と手に付けたまま震えていた。
瀕死の少女は、まだ自分に何が起こっているのかが理解出来ていない。
自分は、世界を救おうと戦っていた筈。
その筈なのだが、実際にはゴミ溜めで寝転がっている。
喉は異様に渇き、空腹を通り越して内臓は痛みしか訴えて来ない。
なんとか起きあがろうとするが、手は震えるばかりで持ち上がってくれない。
長いこと使ってなかった筋肉は動く事を嫌がる。
「……か……し…ん……誰か………此処は……」
渇き罅すら入った唇からは、苦しげな呻き。
少女は、今、自分が死にそうな事をようやく気付く。
今までは楽しかった筈なのに、今あるのは想像したこともない苦しみ。
「……誰か……助けて……」
蚊の鳴く様な悲鳴は、誰にも届かない。
死に物狂いでもがくが、少女の肺は、息を長く吐き出していた。
眠る様に、意識は闇へと飲まれて行く。 寝るのと似ているが、何処までも沈む。
誰にも看取られる事もなく、人が一人が息絶える。
天井へと伸ばされ掛けていた骨と皮しかない腕には、奇妙なコントローラーが付いたまま。
だが、そんな機械は何の助けにも成らず、伸ばされていたソレは、パタリと落ちていた。
*
数週間後。
隣人が異臭に耐え兼ねたのか、顔に怒りを浮かべ部屋の前に立つ。
流石に人の部屋を勝手には開けられないと、彼女は管理会社を呼びだしていた。
「もう! 早く追い出してくださいよ! 大学だが高校だが知りませんけどぉ、ガキが一人暮らしとか無理だから!」
怒りを隠さない声に、管理会社から派遣された作業員は苦く笑う。
「あぁ、すみません。 出来るだけ対処致しますので」
悪くもないのに詫びる作業員に、彼を呼んだ中年の女性は舌打ちを漏らす。
「別に貴方を怒ってる訳じゃないんだけどさ。 ここの部屋のさぁ、クッサイのよ。 何食ったらこんなに酷い臭いがするか。 毎晩クサヤでも焼いてるんじゃないの? それとも何!? 部屋中漬け物でも漬けてるっての?」
滝の如く漏れる女性の愚痴に、作業員は適当に相槌を打ちながら鍵を開けた。
開かれるドア。 その途端、女性と作業員は鼻を摘まむ。
部屋の中からは、何かが腐った様な異臭が漂う。
「ちょ!? なにこの臭い!?」
「……あぁ、確かにコレは……不味いですよね」
同意する作業員を押し退け、女性は怒りに任せて部屋を覗く。
「ちょっと!? こら! いい加減に出て来な!! あんた迷惑なんだよ!!」
「あぁ、まぁまぁまぁ、落ち着いて」
人の手前、一応は怒声を控える女性と、宥める作業員。
だが、部屋の主からの返事は無い。
イラつきから、女性は舌打ちを漏らす。
「ちょっと、あんた見てきてよ」
「は? 私がですか?」
「当たり前でしょうが!? 何のために管理料払ってると思ってるの!? 大丈夫よ! 警察呼ばれても、私が証言してあげるから! あんたは仕事で入っただけだってさ!」
女性の声に、作業員は溜め息を漏らす。
管理会社の作業員である以上、問題があれば対処せざるを得ない。
「はぁ……分かりましたよ」
因果なモノだとしか思えない。
朝早くから呼び出され、何が悲しくてこんな汚い部屋に入らねばならないのだと作業員は思う。
今の仕事を選んでしまった事を呪いつつ、仕方なしに部屋に一歩足を踏み入れる。
ゴミを踏まずに入るのは不可能であった。
弁当の空き容器に菓子パンの空袋。 中途半端な飲みかけのペットボトル。
それらからは、此処の主が余り綺麗好きではないのだと分かる。
「柳沢さーん? こう言うの困るんですが? 入りますよー?」
鼻を摘まみながらの声は間抜けだが、この際仕方ない。
ガスマスクでも持ってくれば良かったと、作業員は自分の不備を呪う。
「柳沢さーん……」
グシャリグシャリと、ゴミを踏みつつ部屋へと入る。
一応靴は脱いだ。 だが、靴を脱いでしまったことが、より作業員の悲痛を煽る。
靴下はもう使い物に成らないだろうと、作業員は部屋の主を呪う。
異様な臭いが強くなる。
作業員は、寝ている人を見つけ出し、目を窄めた。
「柳……さわ……さん……」
死体を目の当たりにした作業員は、ゴミに関わらず腰を抜かす。
ヒィと呻きつつ、必死に部屋の外へと犬の様に這う。
這い出してきた作業員に、女性は目を剥いてしまった。
「ち、ちょっと!? ど、どうしたの!? そんなに慌てて!?」
いきなりの事に、作業員を読んだ女性は益々慌てる。
問われた作業員にしても、平静では居られない。
「け、警察呼んで! し、し、死んでる! 通報して! 早く!」
慌てたせいか、作業員の声はしどろもどろであった。
作業員が見たのは、ミイラの様な死体。
エジプトで発見されたミイラには、装飾品等が施され、その墓も綺麗にされていたが、件の死体は違った。
異臭の中、ゴミに囲まれた遺体は、黄金のマスクではなくゲーム機のゴーグルセットを掛けていたまま横たわっていたのだ。
この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。




