お悩み相談 その8
匠が操るタクシーは、何とかバスの間近まで追い付く事が出来ていた。
床にベッタリと着くほどに踏み込んだアクセル。
タクシーの使い古された電気モーターでも、後少しという所だが、いざ車を突っ込ませるという事には気が引ける。
自ら事故を誘発させる事を、匠は恐れるが、チラリとルームミラーを窺えば、真剣な面持ちのドロイド少女が見えた。
「よぅ……いよいよだが……覚悟は良いか?」
匠の声に、エイト操るドロイド少女は、柔らかく微笑んだ。
『既に先の車は退去させてるさ。 後は、やるだけだよ』
そんな声に従い、匠は、息を深く吸い込む。
嫌な汗が額から流れるが、それを無視して、匠は獰猛に笑った。
「……えぇいままよ! コレでも食らえ!!」
後は野となれ山となれ、匠は、狙い定めてハンドルを切る。
極限の興奮の為か、匠の目はタクシーの鼻先が上手いことバスの後輪を捕らえるのを見ていた。
*
「な!?」「きゃあ!!」
タクシーとバスを追う刑事二人組だが、橋に差し掛かった時点で、橋の車止めが動き出し、車を止めざるを得なかった。
派手にタイヤが擦れる音を響かせつつ、二人を乗せた車は止まる。
「あーもう! なんだってんだ? 今日はどうかしていやがるぜ!」
せっかくのアクセル全開を止められたらせいか、藤原は悪態を漏らすが、隣の長谷川はと言えば、胸を抑えてハァと長い溜め息を吐いていた。
「それは分かりませんが…………あ」
「ん? 何だよ長谷川…………あ」
何かを見つけ出した様な長谷川に釣られ、藤原も同僚の眼を先を追う。
すると、異様な光景が見えていた。
タクシーがバスに横から突っ込む。
すると、いきなり足を止められたからか、急激にバスが横を向くのが分かった。
無理な旋回は可能な筈もなく、バスは勢いもそのままに横転し、浮いた。
そして、バスを無理やり止めたタクシーも、無事では済まない。
派手な音を立てながら横回転しつつも、欄干に軽くぶつかり何とか止まる。
旧世界の様な派手な事故の光景を目の当たりにした長谷川は、現実の光景とは思えず眼鏡の向こうの眼を剥いていた。
「そんな……自動運転の筈なのに……」
安全を約束する筈のバスやタクシーが見るも無残な事故を起こした。
その事に動転し、長谷川は焦るが、運転手の藤原はいち早く車を降りる。
「何してやがんだ長谷川! 車が駄目なら脚だ! 行くぞ!」
藤原の声に、長谷川もシートベルトを外し慌てて外をへと出る。
急に思い出した様に吐き気が込み上げ口を抑えるが、それでも、何とか足は動いていたが、そんな相棒の動きよりも、藤原の目は遠くの事故に目が向いている。
「くっそ! 結局は自前の足かよ! この歳にゃあ、ちとキツいぜ!」
「あー、待ってくださいよぉ……」
言葉の割には素早く懸け出す藤原の後を、長谷川もフラフラとしながらも続いていた。
*
派手な事故の後、タクシーの車内では、匠が呻いた。
「うぅむ……俺、死んだかな?」
目を回し、そう匠は呟くが、直ぐに後部座席からニュッと細い腕が伸び、その肩を叩いた。
『生きてるよ。 さ、そんな事よりも』
促す様にそう言うと、エイト操るドロイド少女は我先にと潰れ掛けたタクシーから降りる。
「………ったくよぉ、キッツイぜ」
愚痴りつつ、運転席に手を伸ばす匠だが、車体が歪んだせいか、生半にドアが開かない。
本来なら、このまま救援でも待ちたい所ではあるが、エイトを放って置けない匠は、身体を捩り、開かないドアを蹴飛ばした。
ガンガンと二回鈍い音を響かせ、タクシーのドアが開く。
「人使いの荒いコンピューター様だよ」
のそりと身を外に出す匠だが、タクシーから降りた途端にウウンと鼻を鳴らした。
自分がやってしまった事とはいえ、事故の惨状はひどい有様。
チラリと窺えば、自分達を乗せて頑張ってくれたタクシーは既に使い物成りそうもない。
それだけではなく、転がしたバスは欄干を破り、半分が外へと突き出てしまっていた。
「お? 不味いんじゃないか?」
見たままを言う匠だが、その言葉を示す様に金属の悲鳴が聞こえた。
橋からはみ出したバスの部分が、僅かに持ち上がりつつある。
「おいおいおーい! 不味いんじゃなあいのぉ!?」
どうしたら良いかも分からない匠だが、そんな匠を後目に、ドロイド少女が走っていた。
急いでバスへと駆け寄り、片手でバスの車体を掴み、もう片方の手で欄干の一部を掴みバスが落ちるのを食い止める。
『友よ! 急げ!』
数トンを支えているとは思えない声に、匠も慌ててバスへと近寄るが、それをエイトの『待ってくれ!』という声が押し止めていた。
とりあえず声に従い、匠はバスを抑えるドロイド少女へと近寄る。
「おいおい、待てって言われても……」
『バカ者! 良いから、ポケットから私を回収してくれよ?』
甲高い声に、匠はふと自分の携帯端末を思い出す。
「あ、失礼しま~す」
いきなり他人の服に手を突っ込むのは失礼だと思いつつも、ソッとドロイド少女のポケットから携帯端末を取り出した。
すると、バスを抑えているドロイド少女の顔がスッと切り替わり、それと同時に、携帯端末の画面にあの歪な円が浮かんだ。
『安心しろ友よ! ソイツは現行命令で固定してある! 今の内に中へ入るんだ!』
響くのはエイトの嗄れ声。
ギシギシと立てながらも、何とかバスを抑えるドロイドに、匠は小さく「すんません」も言いつつ、エイトの声に従った。
*
横倒しに成ったバスの車内は、お世辞にも良いとは言えない。
唯一の救いと言えば、客の姿が見えない事だが、車体に入った匠の耳には、呻きが聞こえた。
恐る恐る、慎重に呻きへと向かう。
車体の半分は宙に浮いた状態であり、ソッと歩くだけでも背筋が凍り付くように感じた。
「おーい、生きてるかぁ?」
一応は誰かが居るのは分かっている匠。
返事は期待せずに居たが、呻き声の主は直ぐに見付かった。
匠の眼には、シートに挟まった形で呻く肥えた男性の姿。
こめかみ辺りから血を流し、呻く男性は、近寄ってきた匠の姿を見て顔を歪めた。
「なんだよ……追いかけてくるって云うからどんな奴かと思えば、誰だよ?」
苦しげな割には不敵な男性の声に、匠の中から情が冷めた。
「テメェこそ誰だ? 散々人から金盗んで置いて、無事に済むと思ってたのかよ?」
相手の不遜な態度に、思わず匠も声を荒げる。
そんな匠のポケットから、声が響いた。
『近いぞ友よ。 その辺に携帯端末に似た様なモノはないか?』
エイトの声を聞いた男性は、目を丸くして笑った。
「……ソッチも居るのかよ……どうりで俺について来れた訳だぜ」
せき込みつつ、苦しげな男性だが、匠は人命救助よりもエイトの声を優先していた。
─此奴は今まで遊んできたんだ、少しは苦しみやがれ─
口には出さないが、匠はそう思う。
此処までの事を仕出かして置いて、尚且つ尊大な態度を崩さない男性を敢えて無視した。
多少血を流しては居ても、まだまだ元気ならば後でも大丈夫だろうと。
『もう少し……足元に居るはずだ』
エイトの声に従う匠は、変わったモノを見つけ出した。
携帯端末に似ては居るが、形が些か違う。
自分が使っているモノよりも大型で、実に頑丈そうなデザイン。
『友よ……ポケットから出してくれないか?』
匠のポケットからは、エイトの懇願が聞こえる。
スッと携帯端末をポケットから取り出すと、画面に映るエイトは眼を細めていた。
『ふぅむ……どうやら、向こうの入れ物は特注の専用らしいな……友よ、拾ってやってくれ』
「うぇ? 触って大丈夫なのかよ?」
エイトと匠のやり取りを聞いた男性は、咳き込みながらもまた笑った。
「なんだよ……そんな作り物とお話かぁ? 頭湧いてんな?」
負け惜しみなのか、悔しさなのかは分からない。
ただ、声が寂しそうなのは分かった。
それを聞いた匠は、シートに挟まる男性を見て眼を細める。
もしかしたら、彼と自分の立ち位置は違って、自分がその場に居たのではないかと。
だが、いつまでも悩む事はせず、匠は、エイトの要望通り変わった機械を拾い上げた。
ソレにも画面は付いて居るが、エイトの様な顔は浮かんで来ない。
「なぁエイト……コイツは、死んじまったのか?」
うんともすんとも云わぬ機械を見て、匠はそう言うが、携帯端末に映るエイトは丸顔を左右へと振る。
『いいや、怯えて居るんだよ』
「怯えるって……そりゃあまた」
『まだほんの子供さ。 頼む、回収してやってくれ』
エイトの縋る様な声に、匠は渋々ながらも怪しげな機械をポケットへと収めた。
機械を回収した匠は、チラリと男性を見る。
「なぁ、何でこんな事した?」
「……あ?」
訝しむ男性に、匠も眉間に皺を寄せる。
「だからさ、こんな事しなくたって……」
「テメェに何が分かる!?」
急な怒声に、思わず匠は目を見開いていた。
「大方、金を盗んだのが俺だって分かって追い掛けて来やがったんだろ? だがな、お前から俺が幾ら盗んだってんだ?」
男性の声に、匠は自分の口座から消えた額を思い出すが、それ自体は微々たる額でしかない。
実質的には、匠は三十円しか失っていなかったとも言える。
「三十円ポッチだろうが? なぁ? 他の政治家だの官僚だのがボコスカ金を毟っておいて、俺だけが悪いってのかよ!?」
男性の言い分も、匠にはある程度伝わる部分が在った。
自分が盗まれたのは三十円だが、他の税金などに関して言えば比べるべくもなく額が大きい。
「だからってよ、人の金盗んで良いのかよ?」
思わずそう口走った匠だが、男性は豪快に笑った。
「ハァ!? オメェ馬鹿だろ? 何でも出来る機械手に入れたんだぜ? 使って何が悪いってんだよ!」
実に自分勝手な男性の言い分に、匠は唇を噛んだ。
どうせなら捕まえる前に何か言いたい。
そう思う匠だが、その手に握られている携帯端末に映るエイトの顔が驚くように歪んだ。
『いかん! 友よ! 速やかに此処から出るんだ!』
必死に言葉を考えていた匠は、チラリと画面のエイトを窺う。
「おぅおぅ、待ってくれよ。 まだ此奴を……」
何とか男性を助けようと思う匠だが、当の男性は何とか動く片手を振った。
「はぁ? 嫌だね……どうせ助かっても刑務所だろうが。 冗談じゃねぇぜ」
『不味いぞ! バスを何とか止めていたアレがそろそろ限界だ! 早く逃げろ!』
助かろうともしない男性の声と、逃げろと叫ぶエイトに挟まれた匠。
どうしたら良いのか迷う。
何せ助けようにも手の中に在るのは叫ぶ携帯端末だけ。
レスキュー隊が使用する様な重器も道具も何も無い。
「くっそ!」
逃げるか挑むのか、選択を迫られた匠は、急いで携帯端末をポケットにねじ込み、男性の元へと急いだ。
「何……しやがる?」
グイグイと匠に引かれ、苦しげに男性は呻くが、匠もまた呻いた。
「うっせぇんだ! テメェも死にたくねぇなら少しは動きやがれ!」
壊れたシートに挟まれた男性を、匠は何とか引きずり出そうと息むが、余程硬く挟まれているのか、男性の体は動かない。
その代わり、男性は空いている片手で匠を殴っていた。
「ばぁか……だぁれが刑務所なんかに行くってんだよ」
今際の際といった男性の声に、匠は、思わず殴られた痛みを無視して自分を殴った相手を見た。
「冗談じゃねぇぜ。 俺は十分楽しんだんだ……今更、豚箱なんざ入りたくねぇんだよ」
『友よ! 頼むから逃げろ!?』
もう良いといった風情の男性と、必死なエイトの声に、匠は、今度こそ慌ててバスの外を目指す。
そんな背中に、動けない男性は、静かに眼を閉じていた。
*
バスからピョンと飛び降りた匠は、勢いに任せて橋の上を転がる。
痛みに呻きつつも、何とかバスの方を見るが、その時、バスを掴んでいたドロイド少女の腕が肩から千切れた。
重いバスに引き摺られ、ドロイド少女は本来の持ち主を乗せたバス諸共落ちていく。
その際、匠は見てしまった。
轟音に掻き消され、聞こえこそしない。 だが、口の動きは見て取れる。
【あ り が と う ご ざ い ま し た】
僅かな刹那、ドロイド少女の口がそう動いた様に匠には見える。
ドロイド少女が本当は何を言ったのかは分からない。
だが、それを確かめる事は無理だろう。
橋から滑り落ちたバス諸共、男性もドロイド少女も、沈んで行ってしまった。




