お悩み相談 その7
日中、バスが止まるべきバス停を無視して走り去るという異様な光景に、バスを待っていた人々は目を疑った。
「あれー? なんで?」
遠ざかるバスを見ながら、待っていた筈の一人はボソリと呟く。
だが、そんなバスの後、一台のタクシーが迫っていた。
─この際、忙しいからタクシーでも仕方ないさ─
そんな事を思うサラリーマンは、タクシーを止めるべく片手を上げた。
普段であれば、自動タクシーは客を求めて手を挙げる人物の前に止まる。
だが、そのタクシーは止まらず、バスを追って走っていってしまった。
日常では見られない光景に、サラリーマン以外の者も首を傾げたり眼を剥いたりするのだが、何よりも驚いたのは、二台の走っていった先である。
かつて、神話の中でモーゼが海を割った様に、バスとタクシーに他の自動車は道を譲っていく。
そんな珍妙な光景に、サラリーマンは呆気に取られていた。
*
一方、そのタクシーを操る匠は真剣そのものである。
久々の運転に加えて、相手を逃がしてはならないという気分がアドレナリンを分泌させ、恐怖を拭う。
「ぬぅぅぅ」
ハンドルを握り締める匠は、歯を食いしばって眼前のバスを凝視していた。
車両の大きさ故に、案外簡単に追い付けるかとも思ったがそうも行かない。
何故なら、匠は無意識の内にアクセルを緩めていたからだ。
踏み締めているつもりでも、ついつい緩んでしまう。
それは匠の本能のせいだとも言えた。
恐くないかと問われれば、匠は恐いと言うだろう。
エアバッグやシートベルト、ありとあらゆる事故対策が為されて居ようとも、本能的な恐怖を拭い去るには至らない。
そんな匠に運転を預けたエイトだが、人には見えない戦いに集中していた。
バスが行く先では車が道を空け、信号は青へと変わる。
だが、それをやっているのはエイトではなく、前のバスを操っているで在ろうモノであった。
エイトは何とか干渉を試みるが、それは弾かれる。
悪戯に暴走を続けて、被害が出る事をエイトは嫌がる。
だが、前を行くバスを操るモノは違った。
如何に被害が出ようが頓着を見せず、ただ逃げようとバスを走らせる。
そんな暴走バスの被害を抑えようとエイトは試みるが、完全には無理だった。
自動運転の車ならば、【停止】の指示を出せば止まって避けてくれる。
だが、問題なのは人が運転している車であった。
機械の反応速度をもってしても、人を操れない。
バスとタクシーのせいで、既に交通事故が起こり始めてしまっていた。
『………クソ』
万能ではない自分に、エイトの中に悔しさが生まれた。
ゲームに負けた様な良い意味での悔しさではなく、完全には被害を抑えきる事が出来ない歯がゆさ。
「なんだ? どうした!」
エイトの悪態を聞き取った匠は、僅かに動揺を見せる。
そんな運転手を安心させるべく、ドロイド少女は無理に笑った。
『なんでもないんだ……ソレよりも、運転に集中してくれよ?』
「あ? おお、分かってるって!」
安心させる様な声に、匠はバスを睨み付け、ドロイド少女の眼もまた、同じくバスを睨んでいた。
*
二台の車が暴走していると成れば、流石に騒ぎは大きく成りつつあった。
押っ取り刀で、高らかにサイレンを鳴らしてパトカーがタクシーに近付いてくる。
『其処のバスとタクシー! 速やかに左に寄って止まりなさい!!』
サイレンと勧告を聞いた匠は、ヒヤヒヤしてしまう。
何故なら、如何に泥棒を追い掛けているとは言え、自分も暴走運転の実行犯である事に変わりはない。
「何だよ……おっせぇんだよ……てか、ヤッベェ」
どうせなら本職に追跡を任せたい匠は、アクセルを踏む足を緩めようとする。
だが、安心した様な匠とは違い、エイトが操るドロイド少女は目を見開いていた。
『不味い!! 友よ!上手く避けろ!!』
「な、なんだ……」
甲高い声に、匠は驚くが、同時に奇妙なモノを眼で捉えていた。
真っ直ぐタクシーとバスを追跡していた筈のパトカーだが、何を思ったのか急にブレーキを掛けながら無理に曲がろうと車体を横へ向ける。
そんな無理をしたからか、パトカーの加重は一気に片側へと寄り、いとも容易く横転を始めてしまう。
そんな光景に、匠の背筋に寒気が走った。
極限の集中からか、迫るパトカーの破片までが遅く見える。
ハンドルを操作し、匠が操るタクシーは何とか障害物を避けていた。
あっという間にパトカー数台が転がり、後ろへと消えていく。
余りの事に、匠は息をするのも忘れて居たが、思い出した様に酸素を吸い込んでいた。
「くっそ! なんだ? なんなんだよ今のは!」
『あのパトカーにも、自動運転が付いている。 それを、向こうが操作したのさ』
エイトの淡々とした説明に、匠は歯をギシリと軋ませた。
「糞が……何だってそんな事をするんだよ」
悔しさを隠さない匠の声に、ドロイド少女の顔も同じ様に歪んだ。
『逃げる奴も死に物狂いだからな。 捕まればお終い。 だからこそ、必死に成った形振り構って居ないんだろう』
「なぁエイト! お前の力で向こうのバスを無理にでも止められないのかよ!」
淡々としたエイトに、匠は何とかして欲しいと懇願した。
そんな声に応じて、ドロイド少女の瞳が煌めく。
『出来なくはないが……危険かも知れない』
「お? どんな方法だ!」
力が拮抗している以上、エイトはバスには干渉出来ない。
だが、その方法を説明する事をエイトは躊躇っていた。
出来ることなら、匠を危険な目には合わせたくない。
既にエレベーターや避難用滑り台と多少の無理をさせた事を、エイトは悔いていた。
『これ以上は、君に危険が……』「今更だろうが!」
心配そうな声を抑える様に被せられた匠の声。
逃げるバスを見ている匠には見えないが、エイト操るドロイド少女は意外なモノを見付けた様に驚きを顔に浮かべる。
「あぶねーなんてのは……今更だろ?」
今の匠は燃えていた。
肉用鶏の様な生活に飽きていた自分に舞い降りたこの事態に、匠の胸は焼け付く様に沸いている。
【何とか悪党を捕まえたい】
そんな欲求に、匠は素直に従う。
主の覚悟を聞いたエイトも、ドロイド少女の首を縦に振らせる。
『分かった……ならば、無理にでも止める方法は在る』
「おうよ! そうこなくっちゃ! で? どうする!」
『何とか追い付いて、タクシー鼻先をバスの後輪にぶつけるのだ。 調べた結果なら、この速度からいきなり後輪が停止せられたら場合、向こうも只では済まない』
「おう! おう?」
一旦は納得した匠だが、実に原始的かつ物理的な方法に眼を剥く。
『向こうは君を操る事は出来ない。 だからこそ、君に頼むしかないんだ』
そんなエイトの声に、匠はなる程と感じる。
機械こそ操れるが、人までは向こうも操れない。
だからこそ、機械に操られない自分が何とかするしかないのだと。
「オッケィ……行くぜエイト」
覚悟を決めた匠は、息を吸い込んで今一度アクセルを踏み直す。
恐怖を完全に払拭は出来ないが、ソレを無理にでも飲み込んでいた。
エンジン代わりの電気モーターが唸りを上げてタクシーを速め、段々とバスとタクシーの距離は詰まっていた。
*
匠が覚悟を決める中。
転がったパトカーからは、警官達がノソノソと降りだしていた。
時には仲間に手を貸し、アレだけ派手に転がった割には、駆け付けた警官に怪我人は居ない。
「いたたた……なんだってんだ?」
腰を痛そうに抑える年配の警官は、いきなりパトカーが勝手に動いた事を訝しむが、今更転がったパトカーを調べている暇はない。
「おーい、大丈夫かぁ?」
仲間の無事を確認しつつ、何とか周りを見渡す警官。
そんな彼の耳に、時代錯誤なタイヤとアスファルトが立てるスキール音と、咆哮の様なエンジン音が聞こえた。
*
転がったパトカーの群れを縫う様に、一台の車が走る。
ソレは、現在で隆盛を誇る電気自動車ではなく、エンジンを高らかに唸らせるシルバーのフォードアスポーツセダン。
車の屋根に取り付けられた小さな蓋がパカッと開き、中からは小型のパトランプが飛び出す。
『あー、緊急車両が通ります!! 緊急車両が通りまーす!! 道を空けてくださーい!!』
勇ましくサイレンを鳴らしつつ、同時に周りに野太い声が響く。
壊れたパトカーを通り越すスポーツカーの車内では、それを運転する男性と青い顔をしている助手席の女性が居た。
「よぉ長谷川! どぅだ? やっぱり機械任せより自分で運転するに限るってんだよ! はっはぁ!」
助手席にそう声を掛けるのは、年の頃四十といった筋肉質の男性である。
普段、この手の事件が無いからか、それとも、余り飛ばす事がないからか、この時ばかりはとハンドル握る男性の顔は輝いていた。
「そ、そ、そんな事より……ふ、藤原さん。 だ、大丈夫でしょうか?」
急加速に加えて、壊れたパトカーを避ける際の蛇行に内臓を揺さぶられ、声を震わせる長谷川と呼ばれた眼鏡の妙齢の女性。
彼女は、必死に車の取っ手を掴んでいた。
そうでなければ、左右から襲い来る揺れに耐えられそうもない。
長谷川の震え声を聞いた藤原と呼ばれた男性は、ニヤリと笑う。
「あぁん? コイツぁよ! タップリの予算で改造してあんだぜ? ツインターボにCPUも入れ替えて今じゃ三百五十馬力越えよ! あんな電気自動車なんざに負けるかってんだ!」
自信満々に改造覆面パトカーの説明を宣う逞しい中年男の藤原だが、同乗者である長谷川は何も車の事を問い掛けた訳ではない。
今時では手動運転などと揶揄される行為に、身の危険を感じていた。
「そうじゃなくて! 壊れたパトカーの人ですよ!」
仲間を想い、少し怒りを滲ませる長谷川の声に、藤原はフフンと鼻を鳴らす。
「ああん? アッチは一応最新鋭のパーカーだぜ? 谷から落ちたって全身エアバッグが護ってくれるってメーカーも言ってるだろうが? 皆ピンピンしてたろうが? 見えなかったか?」
藤原の説明に、長谷川は仲間の無事を知って安堵するが、自分が乗っているソレについては、実は余り新しくない事も知っていた。
「えと、でも、私達は?」
「安心しろ! 一応エアバッグなら付いてる!」
安全を断言する藤原だが、そんな声にチラリと長谷川が目を配ると、エアバッグは運転手の分も合わせて二つしかない。
つまり、横転なり横からの事故の場合、保証は無かった。
「ホントに……大丈夫でしょうか?」
「安心しろや! 五分以内には追い付いて見せるぜ!」
「そうじゃないんですってば! 私……まだ結婚だってしてないんですからね!?」
動けないバケットシートに加えて、慣れない異様な加速に場違いな事を言い出す長谷川。
そんな長谷川の声を聞いた藤原は、アクセルを踏みつつ豪快に笑った。
「なんだぁ? そんな事かよ? なぁに、行き遅れたら俺が貰ってやる!」
ガハハと豪快に笑い、強化クラッチを踏み込みギアをガチリと入れ換える藤原。
また新たな加速の加重が長谷川を襲うが、彼女の顔は不機嫌であった。
「絶対、ぜぇったい嫌です!! だいたいセクハラですよ? セクハラ!!」
迫り来る危険に対しての恐怖からか、長谷川の声は荒い。
そして、そんな刑事二人組を乗せた過去の名車は、狂った様に加速していった。




