お悩み相談 その6
主の意外な弱さ。
ソレを見てしまったエイトは、実に困っていた。
まごついて居れば、居るほどに相手は逃げてしまい離れていく。
『こら! 君は相楽一光の為に来たのではないのか!?』
とりあえず本来の目的をエイトが匠に言うと、匠は、怖ず怖ずとだが滑り台へと近付けていた。
だが、本能的な恐怖を跳ね除けるのは難しい。
恐怖症は多々あるが、閉所や人といったタダの好き嫌いに比べるば、高所や先端といった本能的な恐怖は拭い去り難いモノがある。
そんな恐れから、匠は一歩下がってしまった。
「たっけぇよ……何だってこんな事に」
本能的な恐怖に支配される匠を見て、エイトは迷った。
エイトには恐怖症は無い。
カメラを通して【外】を見ているに過ぎず、それは、人間がテレビゲームをしているのと大差は無く、画面越しに何が起ころうがそれは恐怖足り得ない。
避難用滑り台の安全性に付いて説明する気なら出来るが、そんな暇はない。
相楽一光の名を出しても、やはり根源的な恐怖には勝てないのかと、唇を噛む。
だが、人間を遥かに超える思考速度を持つエイトは、まるで頭上に電球が浮かんだかの如く瞳を輝かせた。
『お願い……頑張って!』
エイトの応援に、匠が動く。 悲しいかな、可愛い異性の前では見栄を張りたい。
悲しい男の性が、匠の体を突き動かしていた。
「怖くなんかなーい……ぜぇんぜん……怖くなんかなーい」
遅々として進まない匠の動きだが、入り口まで辿り着いた。
だが、背後でエイトが宿るドロイドの妖し笑みには気付けない。
『失礼しまぁ~す!』「ん?」
なんと、エイトは匠をドンと蹴った。
無論、匠を落とすためだが、一応その先は避難用滑り台である。
つまり、蹴られた本人は呆気なく滑り台の中へと落ちていったのだ。
「ちょっ!? おま……」
自分を落としたエイトを咎めようとした匠だが言葉は届かず、そんな主を見送るドロイドは、ポンポンと手を軽く叩く。
『……全く、滑り台の何がそんなに怖いんだ?』
匠が落ちるなり、エイトもやれやれと後へと続く。
主とは違い、感覚を持たないエイトには高所の恐怖も無く、落ちたからといってどうなる問題ではなかった。
*
「うわぁぁぉぉおぉ!?」
未体験の滑落に、匠は慌てた。
滑り台の白い布の中にも関わらず、匠の脳裏に今までの人生が過ぎる。
幼く親に手を引かれていた自分、余り目立たなかった小学生の頃、中学生の時に偶々知り合った一光、代わり映えしない日々に溜め息を吐いた高校生。
そして、最後は自分を笑う歪なエイトの丸顔。
人生を走馬燈の様に垣間見る匠はどんどん地面に近付く。
【あぁ、お父様お母様。 不肖、加藤匠。 短い人生でした】
辞世の言葉の考えてしまう匠だが、そんな滑る匠を、エイトが操るドロイド少女が腕で捕まえつつ、脚を広げて周りに擦らせる事で落ちる速度を緩める。
「うわっ!? あ、え……エイトさん?」
『落ち着け友よ! 私が付いている。 もう直ぐ地面だぞ!』
エイトの声と共に、匠は案外やんわりと地面に辿り着いていた。
「……はぁぁ……死ぬかと思っちまったぜ」
溜め息と共に、匠は辺りを見渡す。 其処はまだ現世であった。
地球に帰還を果たした宇宙飛行士の如く、地面の有り難みを感じる匠だが、直ぐにグイと手が引かれ余韻が飛ぶ。
『何をしているんだ!? 早く追うぞ!』
「あ、おう!」
普段の画面越しとは違う感覚に、匠は慌てた。
仮に自分を引く者が【人】とは違うモノだとしても、それはそれで良いのではないかと考える。
実感を伴う事に、匠は犯人追うことよりも他の事を考え出していた。
だが、そんな匠の妄想は、目の前に止まったタクシーに因って止められる。
ハッと成った匠に、エイトが操るドロイド少女は我先にと車内へと乗り込む。
『友よ! 急いでくれ!』
そんな声に、匠は逆らえない。
一光と匠が奪われた金自体は、大した額ではない。
二人合わせても総額で六十円である。
どこかの溝に百円を落としても、匠は以前には溜め息を吐いただけだった。
取り返した所で、一光の分を合わせても十円玉一枚と五十円玉一枚ずつ。
もしくは十円玉六枚か、一円玉を六十枚と、微々たる額である。
命を懸けるには、額面としては些か心許ない。
だが、必死な様子のエイトには、一つしかないそれを懸ける価値が在ると匠には思えた。
「しゃあねぇなぁ! わぁってるよ!」
可愛い女の子に頼まれたら仕方ないさと、匠は、そう決めた。
*
二人を乗せたタクシーは、通常の手順を無視して走り出す。
捕まえるべき相手が逃げた方向へと、タクシーは走るが、案外早く目的の相手は見つかった。
「うん? あのカバみてーな野郎がそうなのか?」
遠目に見える姿に、匠は素直な感想を漏らす。
黒のスウェットにサンダルという、高級マンションとは些か似付かわしくない姿だが、それこそ、エイトがマンションの監視カメラで捉えていた人物であった。
『そうだが……不味いな』
「あん? 何が不味いってんだ?」
顔を曇らせるドロイド少女に、匠は思わず自分も前を見る。
すると、バス停すら無い筈なのに止まるバスが見えた。
「おいおい、バス停なんざねーぞ?」
訝しむ匠に、ドロイド少女は眼を細める。
ソレにあわせて、止まったバスからは人が慌てて逃げ出していた。
「おぉ!? なんだ?」
『我々もやったろう?』
「あん?」
『何かから人を出したい時、出ろと言っても出ないものさ。 だからこそ、火事なり事故なり、何でも良いから【理由】を与えてやれば人は自ら鍵を開け、逃げ出すんだよ』
エイトの説明に、匠は、なる程とも感じられた。
仮に匠が何かに籠城するとしても、【出ろ】と勧告されても出はしない。
だが、出ざるを得ない状況に追い込まれれば、話は違う。
遥けき過去、将軍ですら大奥を支配していた女性達を追い出す事は出来なかった。
だが、在る人物が一言お触れを出した途端、要塞が如き大奥から人は出た。
【畳替えをしますので、少々お時間を。 すみません】と、ただそれだけで。
そんな昔話を思い出した匠だがその眼に、誰かを乗せるなり急に走り出すバスが見えた。
「おいおい! エイト! アレを止められないのか!?」
タクシーはおろか、エレベーターや監視カメラ、制御パネルまでエイトは容易く操ってすら見せた。
それを身近で見ていた匠だが、ドロイド少女は首を横へと振る。
『無理だな』
「なんでだよ!?」
慌てる匠に、ドロイド少女は首を回してジロリと匠を見る。
運転しているのはエイトだが、元々自動的に動くタクシーには其処まで細かい指示を出す必要は無い。
『言ったろう? 向こうにも、私と同じ様なモノが居るのだと』
「あー、おう」
『遠隔操作は同じ様なモノだが、向こうの方が幾分か近い。 干渉は出来なくはないだろうが、恐らく止めるには至らないだろう』
エイトの悔しげな声に、匠も顔を唇を噛む。
自分は何も出来ないのかと。
其処で、ハタと匠は出来る事を思い付いた。
「エイト、お前も運転してるから……向こうになんかするのは難しいんだろ?」
細かい技術的な事は分からないが、思い付いたままを匠は口走る。
そして、それは案外的を得ていた。
自動車を運転すると言うことは、案外難しい。
ましてや、人とは違う理で車を走らせているエイトは、それだけでも力を喰われてしまう。
『うむ、まぁ……そうだが……』
「俺が、運転してやらぁ!」
『は? 君は確か……スーパーペーパーだった気が……』
咎めるエイトの声に、匠は、カッと目を見開く。
「おうよ! ペーパーよ! だがな、一応免許は在るんだぜ?」
そう言うと、匠はポケットの財布から急いで免許証を取り出してドロイド少女の眼前に突き付けた。
僅かな間、タクシーはただバスを追う。
その中では、ドロイド少女が長い長い溜め息を吐き出していた。
『分かった友よ……君がそう言うのなら……』
どこか投げやりなその声と共に、タクシーの前席パネルが開き、ハンドルがニュッと出て来る。
ソレには【非常時用手動ハンドル】とシールが貼られていた。
「おっけぃ! 待ってろよ!」
後部座席から前席に移るのは些か難しい。
だが、ドロイド少女を後部座席に残し、何とか運転席に座った匠は、久し振りの感触に眼を泳がせた。
「えーと、シート良し、ミラー良し、あーとはっと……」
教習所そのままの匠に、車内の鏡には不安げなドロイド少女が映る。
『と、友よ……本当に……大丈夫なのか?』
不安というモノを感じたことがないエイトだが、今、言い知れぬそれをまざまざと感じ、声を震わせる。
だが、そんな脅えた声に匠はグイッと腰と首を捻り、後ろを見て親指を立てた。
「安心しろ! お前ゲームの時言ってたろ? 人間には機械にぁ分からないモンが在るのさ!」
匠のソレは、所謂【根拠の無い自信】ではない。
窮地に陥りながらも、自らを奮い立たせ敢えて前へ出る【死中に活を見出す】という気持ちであった。
真剣な匠の顔に、エイトが操るドロイド少女は、眼を閉じて肩を竦めるが、直ぐにその眼は開かれた。
『分かった友よ。 君が私を信じてくれた様に……私も、君を信じる。 前を向いて、しっかり運転してくれよ?』
縋る様な甲高い声に鼓舞され、匠はバッと前を向くと、ハンドルを握り締めた。
「よっしゃ! 頼むぜ!!」
『自動から緊急用手動に切り換える。 ……三……二……一……』
エイトのカウントダウンを聞きながら、匠は、唾を飲み込んだ。
興奮気味だからか、妙に気分が冴える。
『任せたぞ、友よ………』「オッケー、やってみるさ」
エイトの声に従い、匠はアクセルを踏み締めていた。




