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《冬の頃 前》

 仕事上がり、いつものように書棚へ並べる予定の本を読んでいたら、さすがに遅くなりすぎた。窓から外の天気が見えて、思わず手入れなぞしていない黒髪をかきあげ、青い目を細めた。…雪が降り出してきている。

 踏み出した屋外の夜道には、冬のイアースらしく、すでに雪が積もっていた。朝一番で自宅玄関の除雪が最優先かも知れない、と暢気に考えながら歩き、それを見つけた。

 冷たい冷たい雪の中に、小さな小さな子供が。明らかに傷だらけで、埋もれているのが。


「兄さん、手当終わったよ」

 暖炉を使って居間の凍えた空気がやっと和らいだ頃、子供を診ていた弟が、隣部屋から出てきた。…そっちには、雪から引っ張り出して連れ帰った子供を寝かせている。


 あの光景を前にして、出来ると言える事は無い。が、通り過ぎるなんてのは以ての外で、衝動的に抱き上げた。生きているのを確認しながらコートで包んで、冷たい体をさすりながら走る。何の種族だったとしても、この気温は命取りだ。急がなくてはいけない。

 自宅に帰り着き、真っ先に子供の世話に取り掛かる。

 濡れていたので、これ以上冷えないようにするため、衣服を脱がせて(幸いにもやはり少年だった)清潔なタオルでざっと拭く。手持ちから適当に選んだセーターを着せて毛布を数枚重ね、その上でベッドに寝かしつけた。

 机にあった紙切れに、殆ど走り書きで要約しまくった手紙を書く。宛先は弟。《傷だらけの子供が雪に埋もれていた、種族は判らない、連れ帰って寝かせている、容態を診て欲しいのですぐ来てくれ レイジ》

 連絡鳥の足に手紙を急いで縛り付け、窓から送り出す。雪がちらついたまま止まないがそれしか無い、俺が行ったのでは遅すぎる。それに、子供を一人にできるはずもない。

 眠る子供のその傍に座り、なるべく温かくしてやろうとしている内に、扉が蹴破る勢いで開かれた。まとめられた手荷物一つを持って、手紙を読んだ弟が-ラメルが来たのだ。 書き方からしていつに無い事態だろう、と急いで駆けつけたと言った。本当に深く感謝する、弟よ。


「どうだ?ラメル。子供の具合は」

 聞きながら、待っている間に淹れた手抜きのお茶を差し出す。食に対しこだわりが無いので、そこまで良い物では無い。食事は特に害が無くて腹が膨れれば良い、という意見だ。俺と同じ、こちらは艶のある黒髪をかき混ぜながら弟が椅子に座った。

「どうもこうもない!兄さんから、先にざっと聞いたのがほぼ答えだ…ありがとう」

 お手上げだと仕草でも表しながら、大した物で無いとよく知っている弟は、きちんと礼を言ってお茶を受け取る。今度はそれなりの物を買っておく事を決め、更に聞き返した。

「傷だらけの子供、雪の中に埋まってた、種族不明、連れ帰った、としか伝えてない。他に言える事も無いしな。…まさかそれが全部か?」

「生憎と。種族だって判らないし…。もし聞くなら本人の意識がないと。ま、じゃあ起きないから起こすって訳にもいかないだろ。それと異様なのが少し。あの傷、虐待じゃないかと思う」

 自分も座って、カップの中身を一口。一文以上が聞けたと思ったら。内容がまた、とんでも無いものだった。今日は波乱尽くしなのか。別に要らない、返却希望だ。

「…なんだって?」

「虐待じゃないかって言った。可能性だけど、その線が濃いよ」

 あの手の傷付き方は独特だしね、と毒づく弟。見事なまでに不機嫌なのはその所為か。仮に憶測だったとしても、命が虐げられていたのが、我慢ならないのだろう。

「…判った、なるほどな。理解したくないけど、ならあの状況も納得だ」

 この近くに医者は居らず、病院の類も中心街の方へ出掛けなければない。ましてこんな遅くに、まだ患者を診ている医者は居ないだろう。けれど医者に掛からず弟を呼んだのは、それだけの理由じゃない。咄嗟だったのも確かにある。が、一番に信頼しているからこそ頼った。

 内容がとんでも無くても、見立てが間違っているとは思わない。生業は薬屋で、医療の腕はあくまで民間療法の範囲だ。しかし心得もある、薬屋としての経験か判断もキッチリしている。疑う余地は無い。

「そんなに酷いなら、下手に構わない方が良いか。明日にでも医者に連れて行く」

「そうして。消毒だけはしておいたけど、本職に診せた方が良いよ」

「あぁ、朝一診て貰う…。あの子供は、起きそうか?」

 明日の予定を決め、気になった事を聞いてみた。自分の見立てでは判らなかったが、弟なら気付いた事もあったのでは、と思ったのだが。判らないらしい、緩く頭を振る仕草で返された。そうか、と小さくなった返事が、口の中で半分は消える。

「ま、俺達がやきもきしたって、別に何も変わらないけどね?」

「そうだな。…今夜はお開きにして、取りあえず待つか」

 空にしたカップを同じタイミングで机に置く。ラメルは椅子の背にもたれ、俺は溜め息を吐いた。どうにも出来ない事をずっと考えても、確かに意味の無い事だ。

 二つ三つ関係の無い事を話して、ラメルは念のために処置セットと、夜にまた来るという約束を置いて帰って行った。

 見えなくなるまで玄関から後ろ姿を見送って、家の中へ戻る。ラメルと話している内に帰ってきた連絡鳥に好物をやってから、子供の眠る部屋を覗いた。寝ているのは判っているが、全然動かないのが心配で、ベッドに椅子を寄せて座る。暫く見ていたが俺もそろそろ眠る事にして、背もたれに寄りかかった。


 まず、ぱさぱさと音がした。自分はまだ眠っているのに物音がするのはおかしい、と目を開けると、部屋はすでに明るく、朝のようだ。ぱさっ、何か軽い物が落ちる音。続けて怯える様な声が聞こえた。

「ぁ、…」

「-あぁ、起きたのか。具合はどうだ。少しはマシか?」

 昨日はぴくりとも動かなかった子供が、起きてこちらを見ていた。

 察するに恐らく、さっきの音は子供が、ベッドから降りる為に毛布を退かして聞こえたものだろう。起き上がったばかりであろう子供の、柔らかそうな栗色の髪はもつれ。同じ色の目は怯えに彩られている。倒れていたとは言えいきなり見知らぬ場所にいて、男が真ん前に居たら、そりゃ怯えもするだろう。

「まずは“おはよう”と言うかな。変な話だが、初めまして少年。俺はレイジ、昨日の夜に君を拾った」

 我ながら滅茶苦茶だ…。仕方ない、本を読んでいても、語彙はさして豊富では無いのが原因と言える。

「…ぉ…は、よぅ、ござ…ます、…」

「おはようございます。丁寧だな、偉い偉い」

 ぽそぽそ返された挨拶に感心しながら、椅子から立ち上がって体をほぐす。無精の結果だが、閉まっていないカーテンから日差しが差し込んで、視界はハッキリしている。改めて見ると、子供は思っていたより傷だらけで、幼かった。

「…さて?早速と言っては何だけど。君に聞かなきゃいけない事と、聞きたい事がある。ひとまず座ってくれるか?」

 自分が立ったばかりの椅子を示し、座るように促す。逃げ出されるという可能性も考えたが、子供が大人しくそれに座ったので、自分はベッドに軽く腰掛けて質問をする。外に逃げるより、ここの方がマシだと考えたのだろう。その点については助かった。


 子供の世話などした事も無い俺が、四苦八苦しながら夜まで二人きりで子供と過ごす。まず昼の内に一度連絡を取り、ラメルに子供用の服を持ってきて貰えるよう頼んだ。その後で、セーター一枚という服装では連れ出せなかった子供のため、診察については医者を家に呼んだ。夕飯にしようとしていたところで、約束通りにラメルが来た。頼んだ子供服を抱えて。…それから、弱った子供の体にも優しそうな、幾つかの食べ物も。

 互いに自己紹介をして一緒に食事をし、サイズのあった服に着替えた子供は、何も言わなくてもベッドに入った。疲れていたのだろう、よく眠っている。今のうちに、こっちが考えてやらなくてはいけない事の相談を済ませてしまおう。

 テーブルに置いたお茶は注意を払ったおかげか、今度は少しまともな風味がしている。手当を頼んだ後の時と同じように椅子に座り、今度は弟がこちらを促す。名前以外、まだ何も教えていないのだ、当然だろう。出来るだけ簡潔に情報を語る。

「あの子供についてなんだが、もう少し詳しく言うとな。両親から暴力を受けて“ルビ”ってとこから逃げてきたらしい。年は多分8歳で、名前は無かったそうだ」

「どういうこと。トウカって-」

「呼び名として俺が付けた。ひとまずそう呼んでくれ。-それから、これが重要なんだが」

 ラメルに、医者から言われた事を教えた。種族が判った事、それで浮上してきた、次の新しい問題。

「じゃあ…トウカは人間なの?何かの血を引いても無い、まるっきりの純粋な?」

「らしいな。血液型がそうだと」

 参ったな、と揃って呟く。保護したのは良いが、本当は手当をした後に、専門の機関へ連れて行くつもりだった。だが、人間でなかったら可能だった話。保護機関“ヴァン”は、人間の受け入れはしていない。こうなると選択肢は、親を探して送り届けるか、もう一つか、しか無い。

「…引き取るよ、あの子供。何が出来るとかじゃ無くて、俺が引き取る」

「兄さん、流石に判ってるよね。小動物とは違うんだよ、子供だよ?しかも人間の!このイアースで、それがどれだけ珍しいか判ってる?!暮らしてる大半が人外かその縁者なんだよ!」

 勿論知っている、人間の数は十分の一あるかないかだ。残りの四割が人外で、五割を人外の縁者が占める。

「判ってるさ。出来ない事はするなって、お前は言うんだろ?」

「それだけじゃ無いよ!と言うか兄さん、どうやって育てるつもり?!」

「…今からごねて、どうにか出来る事なのか、それは?」

 食い下がる弟を説き伏せ、まだ渋ってはいるものの、ついに頷かせる。あくまで仮の意見だ、と言うがどうにか折れて貰えた。あとは子供本人の希望次第だ。いきなりせっついても仕方がないと、数日の内には言うとする。

 さて、明日は仕事がある。子供は一人でいさせる事は出来ないし、職場は図書館なので問題も無いだろう、連れて行く事にした。何か言われたら、閉館時間まで本を読んで待っていて貰う事になるが、あの面子は文句を出すどころか…猫可愛がりすると思うが。


 再び翌朝。着替えて起き出して来た子供に、今日は一緒に俺の職場へ行くと伝えた。頷いた子供を抱え、職場までを歩く。比較的早い時間とは言え一部は動き始めているので、道は雑然としている。迷わないように予防策だ。馴染みの店で朝と昼の分の食事を二人分買う。知り合いに会うごと子供を連れているのに驚かれるが、全てに曖昧に笑ってごまかした。

 進んで行くにつれて道が緩やかに細く、入り組んだ作りになる。閑散としているのでは無いが、静かに活気から離れていき、やがて大きな建物の前で一度足を止める。

「着いたぞ。ここが俺の職場だ」

 声を掛けてから子供を下ろす。持っている合い鍵で扉を開け、先に入って子供を手招く。水が通り、木々に眠る猫や鳥たち。生き物の姿を横目で流し、エントランスを突っ切って、管理員室へ直行しようとするが…いつの間にか、手の届く所に子供の姿がなかった。

 後から付いてきていた小さな足音が止み、振り返ると、子供が「わぁ」の形に口を開けたまま、上を見つめている。目を奪われているのは“植物図書館”名物、ミズクチナシの大樹。俺は既に見慣れたが、あの子供は初めて見たのだから、そりゃあ驚きもするだろう。あそこまで見事な大樹は、そうそう他に無い。

 エントランスの真ん中で「ぽけっ」と固まった子供へ向き直り、やっと垣間見れた子供らしさに、目尻が下がるのを自覚する。両腕を少し大仰に広げて、思わず笑っていた。

「ようこそお客さん。この“植物図書館”へ」

 話しかけた俺を見て、その子供は目を瞬かせた。年相応の表情で。驚くとそうなるのか、と理解する。きっとより良く生きるのに、驚きも必要なのだと、割と始めて思った。

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