第十二話 そんな事があったのか
三人は田中を先頭に、民家がまばらに建ち並ぶ畦道を歩く。
街灯などあるはずもなく、月の光だけが辺りを照らしている。
そんな中を、メガネは疲れた顔で夜空を見上げながら歩いていた。
ミケの家では女神やアレのせいで結局あまり休めなかったのだ。
座れたおかげで歩ける程度には体力が戻っていたが、万全には程遠い。
それ故にぼぅっと空を見ていたのか、と言えば、だがそれは違う。
メガネが見ていたのは「月」だ。
空には五つもの月が浮かんでいた。
どれも大きさの異なるそれらは、しかし横一列に並んでおり、まるで夜空に飾られた真珠のネックレスのようだ。
異世界である事を象徴するようなそれをメガネは観察していたのだ。
その視線に気付いた田中が声をかける。
「月が五つってよ、違和感半端ねぇよな。地球じゃねぇんだって嫌でも納得しちまうっつーか」
「……だろうな。それを意図しての設定だろう」
「んん? 相変わらず意味わかんねぇ」
「メガネくんだからねー」
その一言で話をまとめた山本に田中の視線が移る。
何度か顔と体を交互に見た後、微妙な表情で尋ねた。
「つか聞きたかったんだけどよ……山本、その服なに?」
顔見知りの男が何故かしれっと女装しているのだ。
当然疑問が湧くだろう。いったい何があったのかと。
しかし当の山本はそんな物知った事かとばかりに平然とズレた答えを返す。
「これ? 可愛いでしょ」
そう言ってワンピースの裾を両手で摘まみ上げ、上目遣いで頭一つ高い位置にある田中の顔を見つめる。
とても愛くるしい仕草だった。
後ろにハートマークでも飛んでいるかのように見えてしまう。
幼い頃から情操教育ならぬ女装教育を受けて育った彼は、仕草までも完璧なのだろう。
その直撃を受けた田中は思わず顔を赤くし歩みを止めた。
「ぐっ……!?」
男相手にどきりとしてしまった自分が許せないのか、胸の辺りを押さえつつ、顔を屈辱に歪める。
しかし赤いままだ。
山本はそれを見てニヤニヤしている。
からかって楽しんでいるのだ。とんだ小悪魔(♂)である。
「田中くん、顔赤くしてどうしたのかな?」
「な、なんでもねぇ!」
ふいっと顔を背けるとまた歩き出す。
が、相当ショックだったのだろう。
歩きながら何かぶつぶつ言っている。
「あれは山本……あれは男……違う、俺はノーマルだ………あ、でも俺あいつの裸………ってあああああああああ! そうじゃねえええええあああああああああああ!」
発狂した。山本恐るべし。
そんな様子を無視してメガネが尋ねる。
「ところでそろそろ用件を聞きたいのだが」
「………お、おう。そういや言ってなかったな」
「ある程度察しは付くがな。あの連中が何か助けを必要としているのだろう?」
「あの連中ってお前……クラスメイトだろ」
この村に到着したとき、何やら広場で言い争っていたクラスメイト達。
田中はその場に残っていたのだから、それに関連する事なのは想像に難くない。
「でもま、んなとこだわ。今、戦える奴探してるみたいでよ。お前の事話したら手伝ってもらえねぇかって」
「ふむ。敵は何だ」
「俺も詳しくは聞いてねぇけど、『ドラゴン』らしいぜ」
ぴくりとメガネの眉が動く。
「それは楽しみだ」
あまり表情は変わっていないが、本人が言うのだから楽しみではあるのだろう。
しかし何とも好戦的な台詞だ。
田中もそう感じたようだった。
「ドラゴンと戦うのが楽しみって、お前どこの戦闘民族だっつーの。ゴブリン時も一人で突っ込んでったしよ。意外と血の気多いのな」
「ん? 何か勘違いをしているな。戦うのが楽しみなのではない。戦闘シーンが楽しみなだけだ」
「………んんん?」
毎度の事ながらメガネの発言が理解できなかった田中は、「分かる?」と山本に視線で問いかける。
山本は可愛らしく小首をかしげた。
それで先ほどの事を思い出したのか、田中はまた顔を赤くして視線を逸らす。
すると山本は胸の前で手を組んで悲しそうな表情になった。
あわてて何か言い繕おうとする田中。
その反応を見てくふふと笑う山本。
完全に遊ばれている。
「……それよりもう少し説明してくれ」
そんな二人にメガネが呆れ顔を向けていた。
二人はそれに気付くと、そろって暗い表情で俯く。
「メガネに呆れられるとか……死にてぇ」
「ごめん田中くん……僕ちょっと調子に乗ってたよ………」
「いいから説明しろ」
構わず説明の続きを要求するメガネに、田中は気を取り直して口を開こうとする。
しかし途中で止め前方を指差した。
「あ、続きはあそこで聞いてくれ。クラスの奴らが居るからよ」
どうやら目的地に到着したようだ。
指差す先にあるのは大きな建物。
ミケの家の数倍はあった。
「あれは何だ」
「宿屋だぜ。みんな今日はあそこに泊まるんだってよ」
「それは好都合だ」「だね」
「お? 何の話?」
さっそく別の寝床が確保できそうだと喜んでいるのだろう。
歩調が早まるメガネと山本。
頭に疑問符を浮かべながらも二人に合わせる田中。
そして三人は宿屋の門を潜るのであった。
------------------------
宿に入るとそこは広間になっており、奥の方にカウンター、中央には大きな長テーブルが一台、その周辺に四人掛けのテーブルがいくつかあった。
制服姿の男女十数人がそれぞれ席に着き食事を楽しんでいる。
田中は四人掛けの席の一つに近寄っていく。
メガネと田中もそれに続いた。
「おう、呼んできてやったぜ」
田中がそう声をかけると、座っていた三人のクラスメイトがこちらに振り向く。
「やあ、待っていたよ。僕は大路。キミがメガネ君だね。それとそちらが山本……さん? 女の子だったのかい?」
まず言葉を返したのはイケメン男子だった。
爽やかな笑顔が眩しい。
少し動けば薄く茶色がかった髪がさらさらと揺れる。
街角の女性100人にアンケートを取れば全員が抱いて!と即答しそうな完全無欠のイケメンだった。
女の子かと聞かれた山本はニコニコとしたまま何も答えない。
ご想像にお任せします、と言うスタンスで行くことにしたようだ。
そしてメガネは文句を言った。
「メガネじゃないが」
「……あれ? 田中君はメガネ君を呼んでくるって言っていたんだけど」
「こいつがメガネだぜ」
「ん? やっぱりそうなのかい?」
「違う」
「………あっれぇ~?」
俺の名前はメガネではない。
そう言いたいのだろうが見事に伝わっていない。
場を混乱させただけだ。
出会って十秒足らずでこの有様。流石のメガネクオリティである。
大路は呆けた顔で首をひねっていたが、ふと、何か思い出したようにメガネを見た。
「そういえば、君、ホームルームで先生に……」
転移直前のホームルームで、女教師相手に意味不明な事を言う男が居た。
あのとき「頭おかしい」と感じたその男が目の前のメガネだと思い至ったのだ。
連れてきた田中に訝しげな視線を送る大路。
「その、田中君……彼が一人で怪物の群れを全滅させたって聞いてたけど、本当なのかい?」
「残念だけどマジだぜ。いや、信じらんねぇのは分かるが」
「オレも信用できないわー」
と、大路の隣に座る男子生徒が口を開いた。
派手な金髪にピアスの着いた耳。
シャツを第三ボタンまで開けており、チェーンネックレスと赤いシャツが見えている。
全体的にチャラい男だった。
「こいつ技能測定でぶっ倒れてたへっぽこ君っしょ? んな強いスキル持ってると思えねーすわ」
技能測定とは、ここに転移する前に体育館で行われていたスキル診断の事だ。
メガネはそこでスキルの制限解除と共に意識を失った。
このチャラ男が言っているのはそれだろう。
馬鹿にしたようにへらへら笑うチャラ男。
メガネの眉間に皺が寄る。
「……理解されないのは馴れている。だが見下されるのは我慢ならんな」
それを聞いてチャラ男は笑うのをやめ、目を鋭く細めた。
「あ? やんのかへっぽこ」
空中でメガネとチャラ男の視線が激しくぶつかり火花を散らす。
メガネは拳を硬く握り、チャラ男もテーブルに手を突いて腰を浮かせる。
どちらも臨戦態勢だ。
二人の間に剣呑な空気が流れだしたその時、横から冷やかな声が飛んできた。
「やめなさい、鎌瀬」
チャラ男こと鎌瀬を嗜めたのは対面の女生徒だった。
黒髪のショートボブに赤いアンダーリムの眼鏡をかけている。
整った顔立ちと切れ長の目が合わさり、どことなく冷たい印象を受けた。
「は? なんで?」
「あなた失礼よ。喧嘩するために来てもらったのではないでしょう」
「……うっざ」
そう吐き捨てると鎌瀬は乱暴に椅子に座り直す。
女生徒はふて腐れ顔を逸らす鎌瀬に大きくため息をつくと、メガネに向き直って謝罪を口にした。
「私は伊音長よ。彼の代わりに謝るわ。ごめんなさい」
「………気にするな。こういう流れなのだろう」
「そう言ってもらえると助か……え、流れ?」
「そうだ。………大体読めてきたな」
最後にぼそりと呟くとそれきり黙るメガネ。
伊音長と名乗った女生徒は、その言い草が気になりつつも、しかし話を進めることにしたようだ。
「……と、ともかくまずは用件を説明しましょう」
「そうだね。メガネ君、僕も疑うような事を言ってしまってすまない。じゃあ、まずはこれまでの事から話そう」
呼び名はメガネで決定してしまったらしい。
そして大路が話し始めた。
大路達もメガネと同じく、初めはバラバラに森の中に転移させられたそうだ。
だが人探しに適したスキルを持つ生徒が、近くに居た皆を集めた。
この時、何故かメガネ達三人は感知できなかったそうだ。
そして集まった三十三人のスキルを駆使して森を抜けたらしい。
スキル便利すぎる。
「なるほどな。俺達が感知できなかったのは、女神の仕業と言った所か」
「め、女神?」
「なんでもない。それより三十三人と言ったな。教師もいるのか」
「あぁ、居るんだけどね……」
そう言って奥のカウンターに目を向ける。
そこではスーツを着た女性がべろんべろんに酔っぱらっていた。
「……現実を受け入れられなかったか」
「そうみたいだね。………話を戻すよ。それで、僕たちは村の近くまで来たんだが、そこで―――」
村の近くまでやって来た時、大路達は馬車を襲う巨大な生物に遭遇した。
全身を覆う燃えるように赤い鱗。
黄金色に輝く瞳と捩れた大きな二本の角。
長い首の根元から続く胴体は発達した筋肉で隆起し、肩からは前肢の代わりに長大な一対の皮翼を広げている。
そして太い尾が大蛇のようにとぐろを巻く。
頭から尾の先まで、およそ三十メートルはあるだろうその巨大生物。
映画やゲームの中で見たドラゴンそのものだった。
一瞬たじろいだ大路達。
だが幼い少女が襲われそうになるのを見て、鎌瀬が一人飛び出した。
鎌瀬はスキルでドラゴンの注意を引き付ける。
そこに大路達も助けに入り、全員の攻撃で辛くも追い払う事に成功したのだった。
ちなみに助けたのが何とここの村長の家族。
そのお礼として、この宿を貸し切りで使わせてもらえているそうだ。
「んな事があったんだな。ドラゴン追っ払うなんてすげぇじゃん!」
「かっこいいね!」
田中も詳しい話は初めて聞いたらしく、山本と共に賛辞を口にする。
メガネは「そんな面白そうな事が俺の居ないところで……」と呟きながら歯軋りしていた。
しかし二人から賛辞を受けた大路は苦い顔だ。
「そんな大層な事でもないんだ。実際は見逃してもらったのに近い」
「ん? どういう事だよ」
「……僕たちのスキルはほとんどドラゴンに傷を与えられなかったんだ」
その話に山本が首をひねる。
「えっじゃあどうしてドラゴンは逃げたの?」
「分からない。急に動きを止めてどこかに飛んで行ったんだ。あのまま近寄られていたら全滅していたかもしれない」
そう言って唇を噛む大路。
力の無さが悔しいのか、仲間を危険にさらした事を悔やんでいるのか。
あるいは両方かもしれない。
そんな大路の手をそっと山本が握る。
「……でも、みんなが助けに入ったから馬車の人たちは助かったんだよね? やっぱりかっこいいよ」
優しい笑顔でそんな事を言われ、大路の頬が朱に染まる。
まずい。また新たな犠牲者が生まれてしまう。
その二人の間に、焦ったように田中が体を割り込ませて別の話題を振る。
「で、でもよ! あれだな、鎌瀬も一人で女の子助けに行くとかすげぇよな!」
さりげなく山本を大路の視線から隠すような立ち位置を取っている。
こいつはもう駄目かもしれない。
手を振り解かれた山本は気にした様子も無くその話題に乗る。
「そうだね! 嫌な人かと思ってたけど見直したよ」
「そんなの当然なんすけどー。困ってる幼女たん助けんのは義務っしょ」
「…幼女?」「たん?」
「あ^~アリスたんマジ可愛すぎ……ありがとうって、ちっちゃい手で握手してくれちゃってさぁ~」
『アリスたん』とは恐らく彼が助けた少女の事であろう。
恍惚とした表情で少女の魅力を語り続ける鎌瀬。
それを見て表情が固まる田中たち。
大路と伊音長は呆れた顔で見ていた。
「ち、ちなみに襲われてたのが『幼女』じゃなかったら……?」
「『たん』を付けろよぶっ殺すぞ」
「ご、ごめん……」
恐る恐る尋ねた山本に、妙なところで噛み付く鎌瀬。
間違いない。重度のロリコンだ。
田中と山本はそう理解した。
と、会話が止まったところでメガネが問いかける。
「ところで、続きを話してくれないか。俺を呼んだ理由があるのだろう」
「あぁすまない、すっかり脱線してしまったね。話を戻そう」
そうしてようやく本題の説明が始まった。