ティー・ブレイクⅡ『チャット・ログ』
十二月一日――弘緒
『caramel puddingさんが入室しました
cp:こんばんはhirooooooooooooさん』
チャットログにそんなメッセージが流れる。
真っ暗な部屋の中で、佐藤弘緒はキーボードを叩いた。
『hi:こんばんは』
即座にcaramel puddingからの返信がログに表示される。
『cp:毎日いるんですね
hi:そんなこともないですよ
cp:そう?
hi:……あの、そういえばずっと聞きたかったんですが
cp:なんですか?
hi:キャラメルさんって、何をされている人なんですか?』
そこでやや間があり、
cp:大学生かな。一応
素っ気ない言葉でそうログに表示される。
そのレスポンスは、弘緒が予想していたよりもずっと早かった。
てっきりもっと謎めいた雰囲気を保ち続けていたい人だとばかり思っていたからなのだが。
しかし、大学生とは。
『hi:もっと、年上の方だと思ってました
cp:質問を返してもいい?
cp:hirooooooooooooさんは何をされてる人?』
少し考えてから、正直にいこうと思い弘緒はタイプを打った。
『hi:高校生です
cp:ええ! 普通にもっと年上だと思ってたー!』
会話文のみのログだけでも、それなりに相手の感情は読み取れるモノだ。
どうやら本当に驚いているようである。
caramel puddingの書いた文字を眺めて弘緒はマウスを動かした。
『cp:そろそろ始めます?
cp:それじゃー
cp:今日もよろしくー』
弘緒がマウスポインタを対局開始という文字の上で止めたところで、そんな言葉がチャットログに表示された。まるでこちらの動きをわかっているかのようにタイミングが良い。
だが、構わず弘緒はそのまま左クリックを押した。すると、バーンという大きな効果音とともに画面中央にある緑色の盤面に白と黒の石が合わせて四枚並べられた。
『cp:今日も負けないぞー』
そんなcaramel puddingからの煽りに弘緒はむっとしながら再びマウスを動かした。
それは、なんのこともないただのオセロゲームであった。
弘緒はこの、簡単なミニゲームをやりながらオンライン同士で交流を深め合うサイトの常連者だった。中学の頃に暇つぶし目的で作ったアカウントで個室を作っては、誰かがやってくるのを待ってのんびりとオセロをやる。それがここ最近の彼女のマイブームだった。
このサイトは他にも五目並べや将棋、チェス、ペアでやる以外のものでは麻雀、ポーカー、ブラックジャックなどバラエティに富んでいた。
だが弘緒はオセロ以外のゲームには興味が無く、オセロ以外のミニゲームには一度も足を運んだことすらなかった。その理由は『もともと昔からオセロが得意だったから』というよりは『多人数同士の交流があまり好きではなかったから』の方がより正確だろう。
まずは後者の理由が一番にあって、前者の理由というのはあくまでもおまけのものでしかなかった。
そんなわけで弘緒は時々このサイトにやってきては個室を作り、対局を繰り返していた。
続けていく内になかなかの勝率になった。今年に入ってからは特に連勝続きで、気付けば自身の歴代最高記録を大きく上回る三十八連勝。
まさに絶頂期。すっかり有頂天になっていた弘緒は、気付けば以前よりこのサイトに入り浸ることが多くなっていた――つい数日ほど前までは。
数分後、
『cp:お疲れ様ー』
caramel puddingからのメッセージ。
弘緒は頬杖をついてディスプレイを睨みつけながらポチポチ文字を打つ。
『hi:あなた、強すぎです』
弘緒の連勝記録を止めた人物。
それがこのcaramel puddingだった。
今までも弘緒は、何度かオセロ対局で負けたことはあった。
しかしそれらはどれも僅差でcaramel puddingのような圧倒的な実力の差を見せつけられる試合になったことは過去の相手で一度もなかったのだ。
それに弘緒の作った個室にやってくる訪問者のほとんどは一見さんばかりだし、稀に何度も足を運んできてくれる人物はいたが、それらはどれも自分よりずっと弱い相手ばかりだった。
……気に入らない。
そんなに私を追い込んで楽しいのか。
こいつ、嫌なヤツ。
嫌なヤツ。
弘緒は相手のアバターにカーソルを合わせてダブルクリックをした。すぐに別画面の窓が開き、相手の詳細なプロフィールが表示される。
『ID:caramel pudding
Sex:♀
Age:非公表
お気にいりのもの:sugar sugar sugar(!)
今までやったゲーム:オセロ 8回(8勝0負け0分け)
:ミュージックタイピング 54回 』
対戦相手のプロフィールをこうやって確認するのは初めてだった。
そこに載っている性別欄。
相手が女性であるということはアバターの絵を見ればすぐにわかることだったので、特に驚きもない。
ただ、その次のお気にいりの部分。
ここを見て、弘緒はたまらず首を傾げてしまった。
「……シュガー・シュガー・シュガー?」
しかもなぜか最後には括弧で『!』マークが使われている。
これは一体何を意味しているのだろう。
それにもう一つ気になるのは、そのさらに下の項目。
今まで彼女がやってきたゲームである。
オセロが八回。
この回数は弘緒が今まで彼女と対戦してきた数とぴったり一致する。
つまり、この人物は弘緒以外の部屋の人と対戦したことがないということになる。
彼女はそれ以外にもミュージックタイピングというゲームをしているようだが、これは正直どうでもいい。
今までも何度かそう思ったことはあったが、プロフィールを全て見てその思いはより強く、確信めいたものへと変わった。
――この人はなぜか私と接触することにこだわっている。
いっそ、そのことについて直接問いただしてみようか。しかし、それを聞いたところで果たしてなんになろう?
ブロック機能というものがあった。これは特定のユーザーが粘着して構ってこないように相手を遮断する機能だ。これを使えば、caramel puddingはもう自分の部屋に来ることはなくなる。だが、弘緒はそれを使うことをためらっていた。負けたまま二度と対局出来ないようにすることはあまりにも悔しいし、相手にも優越感を味あわせてしまう気がしたからだ。
『cp:hiroooさん?
cp:もう一局やりませんか?
cp:あれ?いない……?
cp:おーい 』
ふと、ディスプレイの下方部へ目を落とすとチャットログには彼女からの言葉が流れっぱなしになっていた。弘緒は別ウィンドウで開いていた彼女のプロフィールを消すと、
『hi:すみません。トイレ行ってました』
と、実にありがちな嘘を書き込んだ。
『cp:なんだー
cp:うんうん、おkおk
hi:あの
hi:もう一局やる前に聞いてもいいですか?』
意を決して弘緒はそう書き込んでみる。
『cp:どうぞ?
hi:なぜ、caramelさんは俺の作った部屋にしか来ないんですか?』
弘緒は自身のプロフィールとアバターの性別表記をわざと偽っていた。当然、年齢もチャットで聞かれる以外は完全に伏せてある。
女であるというだけで出会い目的のバカな連中が寄ってこないようにするためだった。別に自分はこのサイトで他者との交流を望んでいるわけではない。ただ暇つぶしにゲームをして、短い話をして、ログアウト。
それでいいのだ。
それ以外は望んでもいないし、興味もなかった。
『cp:いやーなんか面白そうな人だと思ったから
cp:深い意味はないよー?』
二回に分けて、そんな文章が流れた。
その言葉に対し弘緒はさらに追求を試みる。
『hi:それ、ホントですか?
hi:さっきあなたのプロフ見たら
hi:なんかずっと俺としかオセロしてないみたいで
hi:すげー気になったんですけど』
真っ暗な部屋でカタカタとそう打ち込んで弘緒は頬杖をついた。
さあ、どう出る?
短い言葉だが、これだけでこちらが警戒していることは相手に伝わるはずだ。
弘緒は相手からの反応をじっくり待つ。
やがて、彼女はこう言った。
『cp:いやいや、本当だよ?
cp:だって
cp:hirooooooooooooなんて変な名前、他にいないでしょ?
cp:面白くて気に入っちゃいました
cp:まさか高校生だとは思わなかったけど』
弘緒が書き込む。
『hi:あなたもずいぶん甘ったるそうな名前で十分面白いけどね』
弘緒の嫌みにcaramel puddingが答える。
『cp:これは……私の趣味じゃないのでなんとも』
その一言で弘緒はピンとくる。
……もしかしてこいつは他人のアカウントを使っているのか?
なるほど、ならばミュージックタイピングとオセロだけのゲーム歴なのもなんとなく理解できる。というのも、ミュージックタイピングはこの実際のアカウント本人の趣味であり、このオセロを相手しているのは別の人物だと予想できるからだ。
さて、しかしそいつがわかったところでこいつは結局何者なのだ? 文章を読む限りじゃ男か女かも判別出来ない。
ぐるぐると思考だけを長いこと張り巡らした後、ゆっくりと息を漏らして弘緒は全身を弛緩させた。変に警戒しすぎなのかもしれないと思えてきたからだ。
見知らぬ他人からの言葉にしては結構キツイ感じに言ったつもりなのだが、相手の様子を見るにあまり堪えているようにも思えない。もともとそういう奴なのか、平然としたフリをしているのか弘緒にはまるで判断がつかなかったが、結局これ以上追求したところで何か特別な害意がありそうにも思えなかった。
それに――
『cp:うーn
cp:もう一局しようかなと思ってたんだけど
cp:もしかしていやなのかな?
cp:もう今日はやめます?』
この人物は特に自分とコミュニケーションを取りたいわけではなく、純粋に対局をしたいようにも思えてきたのだ。その点は弘緒自身と同じタイプである。考えてみれば、今までもこちらから話を振る以外、向こうから何か会話をしてくるということはなかったはずだ。
……やはり考え過ぎだったのだろう。
弘緒は自身の中でそう結論づけると、警戒を解いたという合図を示すように謝罪の言葉をタイプした。
『hi:ごめんなさい。なんか突っかかるものの言い方して
hi:やりましょう
hi:あ、でも最後にもう一つだけ、質問いいですか?』
すぐにcaramel puddingからの言葉が帰って来た。
『cp:なんですか?』
弘緒はさきほどのプロフィールを思い出しながらキーボードを叩く。
『hi:さっきプロフのお気にいりの欄を見たんですけど
hi:シュガー・シュガー・シュガー(!)って一体なんですか?』
この件に関しては、本当にどうでもいいことだった。
いくら考えてみても、こればかりはあまり自分の興味をひくような言葉に思えない。どうせ自身のプロフィールのように甘い言葉をただ羅列した意味のない単語なのだろうと。そう弘緒は勝手な分析していた。
……しかし、なんとなく気になる。
それは以前、どこかで聞いたことのあるようなフレーズのようにも思えるし、全く聞き覚えのないもののようにも思えた。
そうしてぼんやりとディスプレイを眺めていると、ふと向こうの返事が遅いことに気付く。
それまであまり時間をかけずに返事をしていたcaramel puddingのログが、弘緒の最後の一言を機になぜかぴたりと止まってしまったのだ。
……一体どうしたというのだろう。
正直そこまで、深く考える必要のある単語のようには思えなかった。
むしろさきほど自分が問い詰めた発言の方が、よっぽど答えやすかったとでも言いたげにcaramel puddingからのメッセージは一向に更新されないまま、かれこれ約一分以上もの停滞を続けていた。
弘緒の胸中に再び妙な警戒心が沸き出てくる。
やはりこの人物、何かあるんじゃないだろうか。
そうして、三分ほど待っただろうか。
ようやく向こうからの返事がログに表示された。
『cp:hirooooooooooooさんは
cp:初音ミクって知ってます?』