第五章『千佐都式、ごうかい4もり目』
プロフィールNo.4
名前:樫枝千佐都
年齢(誕生日):19歳(9/18)
身長(体重):145.8cm(37kg)
血液型:O(RH+)
好きな飲み物:リプトンミルクティー
苦手な物:苦いもの
(2012年 9/11~13更新分)
時を前後して、『ガストロンジャーズ』解散の日、
どうして。
どうしてこんなことになってしまったんだろう?
千佐都は混乱した頭で必死に考える。
同じ名字だったから?
同じ出身だったから?
一歳年下だったから?
性格まで剛児にそっくりだったから?
「わかんない……わかんないよ……」
千佐都はすっかり夕闇に包まれた公園のベンチで丸くなって涙を零した。
「……たけ……る…………」
自分には年子になる一歳年下の弟が『かつて』いた。
樫枝剛児――十年前、突然の交通事故でこの世を去った、たった一人の弟。
泣き虫で、臆病で、人見知りで、いつも自分の服の袖を握って離れなかった。そんな自分もまんざらでもなく、いつもそんな弱い弟を守る『お姉さん』であろうとした。
自分は悟司のことをいつしか、そんないないはずの弟の姿に重ねていたのだろうか?
……わからない。でも、もしそうだとしたら、自分はきっとこの上なくひどい人間だ。
でも、あれだけ脆そうで、ちょっとした挫折で簡単に崩れ、墜ちてしまいそうな男を、自分は弟以外に見たことがなかった。
そんな悟司の顔を見るたびに自分は、そこに弟の姿を見ていることを自覚していた。自覚しつつ自分は悟司にとっての『お姉さん』であろうとしたのだ。
具体的にはどこが似ていたのかなんてわからない。根拠なんて思いつかない。ただ、どことなく面影を感じてしまった。そして一度そう思いこみはじめてしまったら、もう止められなかった。
「あたしは悟司の『お姉さん』だ。
悟司はあたしがいないと何も出来ない」
しばらくはずっと、そう思い込んでいた。
だが、近頃の悟司はそうじゃなかった。知らず知らずのうちに悟司は自分の知っている範囲から飛び出し、気付けば春日と共同で曲作りなんてものをし始めた。
悟司が変わってしまった。特にそう明確に感じたのは食堂の一件からだった。あのとき、悟司が月子を勧誘するためにまさか自らが向かっていくなんて信じられなかった。
そう。気付けば悟司は自分の手を借りずに少しずつ歩き始めていたのだ。自分の保護を必要としなくなっていた。そして今回も、一度そう思い始めてしまったら、止められなかった。
「あたしは悟司の『お姉さん』じゃない。
悟司はあたしがいなくても大丈夫なんだ」
いつしかあれだけダブって見えたはずの弟の姿が、悟司の表情からは一切読み取れなくなってしまっていたことに自分は愕然とした。
弟はもういない。十年前、飲み込めなくても流れる月日の中で無理矢理飲み込んだその事実が、この年になって再び吐き出された気分だった
十年来の悲しさ、切なさ。やりきれなくて胸の内をあますとこなく現実という悪夢によってえぐり出されたような絶望と焦燥。
ここ数日はろくに眠れない日々が続いた。
最終的にそういったものから逃れたくて自分が導き出した結論は、悟司を無理矢理にでも自分の愛した弟に重ね続け、心の奥底から吐き出されてしまった弟の死という現実から目を背け続け、ひたすらに悟司の中から自らの弟像を見つけ出しては、『お姉さん』を押しつけることだけだった。
そうして積み重なっていく欺瞞の数々は悟司だけじゃなく、気付けばもう一人、そんな自分に振り回された人間を作る結果を生んでしまうことになる。
春日のことだ。
弟に重ねていた悟司の為と思いながらも軽い気持ちで引き受けた作詞。あれだけ好き勝手に音楽の大好きな連中に言い放っていたくせに、いざ自分が作る番になったらろくに詞など思い浮かびやしなかった。
やってみてよくわかった。作詞とは自分の心の中を探ることなのだ。飲み込めなくて吐き出した現実を無視し、代わりに欺瞞を詰め込んでしまった自分の胸の内など、第三者に見透かされてしまって当然だ。
……そうしてその結果が、あれだ。
自らの本質的な作詞能力もさることながら、やはりどこか軽い気持ちもあったのだろう。だからこそ、思ってもいないような言葉で脚色して、そのくせ体裁だけはしっかりと取り繕って。
そんなものはきっとパソコンの向こうの人達にははっきりとわかってしまったのだろう。
心にも思ってないような歌詞。どこかから拾ってきたような言葉を適当につなぎ合わせて作っただけの、まるでハリボテのような単語のお屋敷。
あの歌詞の本質は――あたし自身だ。
だからもう自分は、これ以上関わってはいけない。
これ以上、欺瞞だらけの自分に彼らを振り回してはいけない。
所詮、自分はハリボテなのだから。
悟司にも、これ以上『お姉さん』ではいられない。
そんな時だった。
唐突に大家さんの息子の隆史さんから着信が入ったのは――
※ ※ ※
「――はい」
それはまるで別人のようなトーンだった。
「千佐都、今どこにいるんだ?」
心臓がばくばくする。
一体、何が起きているんだ。
空っぽの部屋の惨状を見た直後、すぐに悟司は千佐都の携帯に電話をした。部屋の中をみた時から頭の中は混乱しっぱなしだった。しかし、おそらく電話をかけてもきっと出ないだろうという、その一点を考えることだけに関してはやたらと冷静でいられた。
ところが実際はこの通り。千佐都は驚くほどあっさりと悟司からの電話を取った。
ますます混乱する。何考えているんだ、こいつは。
「どこって……家ですが」
「家なわけないだろ何言ってんだっっ! お前の部屋は空っぽじゃないか!」
まくし立てるように舌が回る。
「引っ越しました」
「…………なんだって?」
「引っ越しました。そう言ったんです。……あの。この電話、もういいですか?」
千佐都のしゃべり方がおかしい。なんでこんなにもよそよそしいんだ?
あれだけ自分を振り回しておいて、あれだけ脳天気にバカなことばかり言って。
底抜けに明るいし、ぎゃあぎゃあうるさいし、強引だし、わがままだし、そのくせ泣き虫で、ホントいっつもいっつも騒がしかった。
あの千佐都は、どこだ?
「待てよ、切るな。なぁ、どうして俺になんにも言わなかったんだよ?」
「……なんでもかんでもあんたに言う必要、ある?」
「別になんでもかんでも言う必要なんてないけど、引っ越しするなら引っ越しするでどうして一言俺に言ってくれなかったんだよ! 無駄口だけはあんなにいっつも俺に叩いてたじゃないか」
「あー……あれ。ゴメン、あれ本当のあたしじゃないんだ。きっと」
「……は?」
何を言ってるんだ、こいつは。
「実は自分が多重人格者でしたーとか、またそういうくだらないおふざけか? そんなしょうもないおふざけなら今すぐ辞め――」
「だって、あんたは剛児じゃないから」
……たける?
「お前、酔っ払ってんのか?」
「酔っ払ってない」
「なら今すぐ病院に行け。きっとメンヘラだぞ。お前」
「……そうかもね、ちょっとそういうとこあるかも。ありがとう。今度行ってみるわ」
「……あのな、そろそろマジでいい加減にしろよ。俺は、なんで急にいなくなったのかが知りたいんだ。それと、どうしてさっきからそんなによそよそしいんだお前は」
イライラしながら壁を軽く小突いた。
「だから、あんたは剛児じゃないから」
「だからそのたけるってのをいい加減ちゃんと説明――」
「剛児はあたしの弟。ずっと前に死んだ、あたしのたった一人の兄弟」
「……なんだって?」
「あたしはあんたの中に剛児を見てたのよ。なんでかはわからない。でも、なんとなく面影を感じたの。こんな変な感覚ってあるんだね。あたしも初めての経験だったからびっくりよ」
悟司は開こうとした口を結んだ。
「剛児ってね、ホントあんたにそっくりだったの。知らない人に話すときはおどおどびくびくして……で、いっつもお姉さんのあたしの袖にくっついて離れないのよ。お姉ちゃん、助けてーって。言葉にはしないけどいつもそう目で訴えてた。そんなところがさ、ホントあんたそっくり。おかしいでしょ?」
電話越しにくすくすと千佐都の笑う声が聞こえた。
「あたしはね、あんたと一緒にその部屋で過ごしてくうちに知らず知らずあんたと剛児がダブって見えちゃったのよ。まぁ実際あたしの弟は十年前に死んでるわけだし、普通に考えればどうしたってダブるわけがない……。でもね、なんかホント似てんのよ。あんたはまるで大きくなった樫枝剛児。どう? 頭に来た? あたしはバカにしてたのよ、あんたを。それも無意識下で。ずっと今まで」
「なんでそれが俺をバカにしてたことになるんだ?」
そう尋ねると、千佐都は少しだけ湿った声で「だってそうでしょ?」と言った。
「あんたに優しくしてたあたしって、結局弟に優しくしてたってことなのよ? あんたの作曲ノートを見て、軽音サークルに連れて行って、春日の演奏動画を見つけて勧誘に走ったり、DTMであんたの曲を作って見せたり、ぜんぶ、ぜんぶ、ぜーんっっぶっ! あんたの為じゃなくて弟のため。いや、違うな。多分自分の為だったのよ。自分の心の平穏を保つためにあたしはあんたに対して『お姉さん』として振る舞っていたってわけ。あんたと付き合っていく内に動揺しまくっていたあたしが取った自己防衛手段。あはははは! ねぇねぇ、ばっかみたいじゃない? あたしって。あははは……」
千佐都は笑いながら泣いていた。
嗚咽混じりの吐息が、言葉の合間合間に漏れていた。
「でもさ、やっぱ違うんだなーって……ぐすっ。あ、あんたってやっぱ、全っ然、弟と違う! だ、だってさ……ぐすっ。あんたホントいちいち可愛げないし、気がつけばどんどんどんどんあたしの知らない間にいろんな事を吸収してって……ほら! 最近は春日ともあんなに普通に喋れるようになったじゃない!? 今のあんた見てると、とても三ヶ月前には考えられない成長っぷりだって。……ぐっす。……ねぇ、聞いてる?」
「……聞いてるよ」
「そんなわけだから……さっ。ぐすっ。もうあんたと今まで通りには、いられないの」
「わかった。それはわかったから、今どこにいるんだ千佐都。俺もそこに――」
「だめっ!」
その声は激しい拒絶の色をしていた。
「今あんたに会ったら……本当にあたし、おかしくなっちゃう。きっとわんわん泣いて、そんな情けない姿、もうこれ以上あんたに見せたくない。まだ……まだあたしはあんたに『お姉さん』を見せていたいから」
千佐都はそう言って、しばらく無言になる。
それから一分ほどの間があった。
少し落ち着いたのかすぅっと息を吸い込む音が電話越しに聞こえた。
「……今はもう新しい部屋にいる。ついこの前隆史さんから電話が来て、近くに部屋が空いたからって。それで、あたしはあんたに黙って荷物運んで出て行った――あんたにはあたしから言っておくって、そう言ったし」
「言ってないじゃないか」
「言うわけないじゃない。あたしはバカにしてたのよ、今まであんたを」
「それは俺のことを自分の弟に重ねてたからか? それが俺のことをバカにしていたからって、そう言いたいのか?」
「……聞かなくてもわかるでしょ? あたしは今まであんたのことを一人の男性、他人として見ていたわけじゃない。あんたに対して見ていたあたしの目は肉親のそれ、つまり弟のそれとして扱っていたの。ここまではオーケー?」
またそれか。
「……オーケー」
渋々そう答える。
「だから、これからはあんたをあんたっていう一人の他人として、これからはちゃんと認識する。……正直、めちゃくちゃ超ド級ウルトラスーパーミラクル反省してる。電話じゃなかったら正式に土下座してるわ」
「本当かよ」
「本当よ――というわけでこれからはあんたと会ったときも、きっと前みたいに図々しくは話せない。出来ないの。……オーケー?」
悟司が口を開こうとした瞬間、また千佐都の泣き声が聞こえてきた。
「……本当に出来ないの。お願い……悟司……。いつもこの後、あんたはノーって言ってたけど、今日だけ、せめて今日だけはオーケーって言って……じゃないと……じゃないとあたし、本当にあんたに合わせる顔が……まるでないの……」
千佐都の声はまるで悟司にすがりつくように弱々しい。
「あんただけじゃない……春日にもひどいことしちゃった……あたしの詞には心なんてなにもこもってなかった……まるであたしそのものなのよ。ねぇ……お願い、悟司……あたしを……思いっきり怒鳴り散らして……好きなだけぶってもいいから……ねぇ……オーケーっていって……悟司。じゃないとあたし……あたし……」
悟司はゆっくり息を吐いた。
ホントにバカなヤツだ。今までも何回もバカだと思っていたが、今回は今まで以上にそのバカっぷりが深刻だ。
「お願い悟司……お……けぇ?」
掠れた声で尋ねる千佐都。
はっきり言ってやらなければ気が済まない。
悟司はぐっと拳を握ると、力を込めて言った。
「悪いが、ノーだ」
はっきりそう言ってやった。
今まで以上に。この上なく、はっきりと。
「……なぜだぁー」
そう言ってわんわん泣き始める千佐都。
そんな千佐都に向かって、悟司は構わず言った。
「千佐都、俺はお前が俺のことをどう思って接してくれてたかなんて関係ないんだ」
「どうしてよぉ……」
マジでわからないのか?
そう思いつつも、悟司は言った。
「だって、俺の知ってる千佐都ってのは、あのちっともお姉さんとは思えない傍若無人なあ
の千佐都なんだ」
「……………………………………は?」
千佐都の泣き声がぴたりと止まる。
「大体、今までの自分の立ち振る舞いを考えてみろ。あんなののどこがお姉さんだよ。あんな千佐都の姿が俺の想像する『お姉さん』ってヤツの現実だったとしたら、俺ははっきりいって『お姉さん』なんてごめんだね。しっかり今までの行動振り返ってみろよ。どこがお姉さんだ? ほら、言ってみ?」
「……さ、悟司?」
「俺の記憶に残ってる千佐都ってのは、いきなり首を絞めてくる暴力女。勝手に軽音サークルに突っ走って泣きべそかいたり、勝手に演奏動画見て春日先輩に突っ走っていったり。全部全部そんなだらしない姿ばっかだ」
「で、でもあたしはあんたの為を思って……ううん、あんたの中にある弟の影を――」
「んなの知るか」
一蹴。
「えぇ!」
「弟がいたことは知らなかった。千佐都が俺に対して、弟の影を見ていたのもなんとなくだが理解した。でも、残念ながら俺は千佐都から姉貴オーラを感じたことはコンマ一ミリも、ない。俺にはその事実しかない。だから千佐都がどう思って接してかなんて知らん」
「で、でもそんな態度であたしは今まであんたを……あんたって存在を否定して、バカにしたような態度取って……あたしはそんな自分が許せなくて――」
「あぁ、別に良いよ今までバカにされてたとしても。だって内心俺もバカにしてたし」
「はい?」
「もし今、仮にこの会話内容が全部小説になってたりなんかしたら、俺はきっと地の文で散々千佐都のことをバカにしてたな、きっと」
ホントバカ女だ、こいつ。
……こんな感じ?
「あ、あんたね……」
「まぁでも良かった。これでうるさい生活とももうおさらばかー。あー良かった良かった。いなくなってせいせいしたかも。実はこんなことも心の中で思ってたりして」
まぁそこまで思っちゃいなかったから慌てて電話したんだけど。
内心そう思いながら悟司が笑うと、電話越しからすさまじい怒気を感じた。
「あ、あああああんんた……ねええええ!」
「でも好きなんだ」
「え」
途端、向こうの怒気が霧散するのを感じた。
「か。勘違いしないでよね、別にそういう意味じゃないんだからぁー」
棒読みでそう言うと、
「ば、ばばばばっかじゃないの! か、かかか勘違いなんて、してないし」
思いっきり勘違いしたような返事が返ってきて、悟司は軽く電話から顔を引いてみせた。
そうして引きつつ、再び受話口に口を当てる。
「でも多分、俺はお前の事が気に入ってるんだ。いっつもぎゃあぎゃあやかましくて、うっとうしく感じたりもしたけど。それでも千佐都がいてすごい楽しかったから」
少しの沈黙。
「……ホントに?」
「ああ」
それは嘘じゃない。
そんな悟司の声を聞いて千佐都はため息をついた。
「……あんたホントに変わったね。はっきり自己主張出来すぎ。……ねぇ、人間ってこんなに簡単に変わるモノ?」
「そんなの俺がわかるかよ。自分でもびっくりなんだ」
そう言って二人で笑いあう。
「なぁ、千佐都。もう戻ってこれないのか? この部屋に」
悟司が尋ねると、千佐都はうぅーっと唸ってみせる。
「……多分。だってもうこっちの大家さんに契約書渡しちゃったし」
「そっか……」
少しだけ残念だが、仕方が無い。
そもそも今までがおかしかったのだ。ようやく普通に戻っただけ。
……寂しくなる。
なぜだかふと、悟司はそんな気持ちになっていた。
「ねぇ、悟司。お願いしてもいい?」
「なに?」
突然の声に、電話から少し離していた耳を慌ててくっつけ直す。
「あの部屋、出来たらしばらく使わないでほしいなって……だめ?」
「どうして?」
電話の向こうで千佐都はなにやらもじもじしていた。
どうしたんだ?
そう思っていると、
「時々……寂しくなったら、使わせてほしくて」
千佐都は照れくさそうに、そっと静かにそう言ったのだ。
……全く。
名字と学部と出身が一緒の人間は、揃ってしばらく同居のような生活をしていたら考えることまで一緒になってしまうのか?
悟司はおかしくなりながら、一番言いたかったことを口にした。
「俺からも、一つお願いがあるんだ」
「……なによ?」
「もう一度、作詞して欲しい。今度は俺の曲、『ういろう』をネットにあげる」
沈黙。
悟司はその沈黙をじっと辛抱強く待った。
千佐都には作詞をしてほしい。小倉も言っていたが、やはりあれだけバラバラな人間達を集めたのは他でもない千佐都なのだ。
千佐都なら――千佐都がいてくれたら。
きっと今度はもっとすごい動画を作れる。
そんな動画を作るには、やはり千佐都が必要なんだ。
やがて千佐都は困惑するような声で、
「でも……あたし。今度は……悟司の方を傷つけるかもしれない。そんなの、嫌。春日にもまだきちんと謝ってないのに……そんなこと、出来ない。出来るわけない」
「頼む。先輩にはまだこのことを話してないが、いつかちゃんと話そうと思ってる。月子ちゃんの方はまた俺に協力してくれるって。もう一度リベンジしてくれるって言ってくれたんだ。俺は千佐都に新しく詞を書いて欲しい」
「だめ。ダメだって。どうしてそんなこと言うの? どうしてあたしが詞なの?」
どうして、か。
改めてそう言われると辛い。
自分の詞がダメなことは散々千佐都に言われたおかげでようやくどうにか納得できるようになった。でもだからといってもう一度自分で書いてみせても結局は同じ思考回路なので、出てくる言葉のフレーズは似たようなモノだろう。
どうして自分は千佐都に詞を書かせたいのか。
それは自らの詞じゃネタ曲だとしか思われないからという、果たしてそれだけの理由で納得させられるだろうか。
きっと「なら他の人に頼め」で終わりだろう。
千佐都じゃなきゃいけない理由。それを千佐都へどう伝えるべきだ?
どうする?
……どうする?
「ねぇ、聞いて。あたしは悟司みたいに今までちゃんと打ち込んできたものなんてないの。その上今回の件で、いきなりイチから作詞して大失敗した人間なのよ? 才能ないの。もう、無理だよ……どうせきっとまた、いっぱいひどいこと言われちゃう」
「いや、それでも俺は千佐都に書いて欲しいんだ」
千佐都の勢いに負けて言葉を失わないようにそう言い放つ。
何か千佐都を言いくるめられる、そんな言い訳はないだろうか。
悟司は必死になって頭を回転させる。
「あたしの言葉なんてみんな空っぽのハリボテなの」
「お、でも今のそのフレーズ悪くないと思うよ」
悟司がそう言うと、
「冗談はやめて」
ばっさりと却下されてしまった。
冗談じゃなかったのに。やはり自分の作詞センスはゼロか。
「教えて。どうしてあたしに書かせたいの。そこまであたしに書かせたい理由って――」
考えろ考えろ考えろ考えろ。
そもそも自分はどうしてもう一度リベンジをしようと思ったんだ?
どうしてそんなにめげずに何度も向かっていける?
曲を公開するんだぞ?
今まで自分しか聴いていなかったあの曲を。
どうしてそれが、いつしかこんなことになっているんだ?
それは――――千佐都のせいだ。
あいつがあんなことを言わなかったら俺はきっとこんな風にはなっていなかった。
思えばあの言葉から全てが動き出したんだ。
天啓のように悟司の頭の中に思い浮かんだそのフレーズは、今の千佐都を黙らせるには実にぴったりだった。
そうだ、これしかない。
「それは――」
「……それは?」
悟司はふっと笑うと、力強く千佐都に向けて言い放った。
「それは俺が、お前の最初のファンになったからだよ、千佐都――」
……笑いがこみ上げてきて仕方が無かった。
使ってみればわかるが、この言葉は魔法なのだ。
だってこの先、もし千佐都が作詞に関して屁理屈をこねようが全部これで押し通していけるからだ。なぜならこの言葉は理屈じゃないからだ。理屈で片付けられないものを理屈で押し込めようとしたって土台無理な話ではないか。
なんて使い勝手が良い言葉なのだ。『あなたのファンです』嗚呼、良い響き。良すぎ。
当然そんな事実を当の使用者の千佐都がわからないはずもない。
しばらく無言になった後で、千佐都は静かにこう言ったのだった。
「その言葉は……あたしだけの魔法なんだってば。バカ」
※ ※ ※
それから数日後、
「つっきー、お久しぶり」
「ち、ちさ姉?」
食堂にいた月子に向かって悟司と千佐都が笑いながら手を振った。
ちょうどお弁当をしまおうとしていたところだった月子が千佐都の顔を見て、ぱぁっと明るくなる
「しばらく学校で見かけなかったので……ウチ、すごい心配してましたっ」
「あっはは……ここ二、三日はちゃんと来てたけどね。テスト始まったし」
そうなのだ。現在未開大は前期にやっていた講義のテスト期間。レポート提出だけで済む授業もあったのだが、やはりまだ一年の悟司と千佐都はテストを受ける比率の方が、レポートだけで済む講義より遙かに多い。
「あの、春日さんとはまだ……?」
月子が悟司を見る。
悟司と千佐都は未だ春日と顔を合わせていなかった。
悟司が無言で首を振ると、月子は「そうですか」と暗い顔をして俯く。
「でもね、つっきー。曲は完成したんだ。つってもあたしら機材が壊滅的に不足してるから、今は悟司がギター弾いて、それに歌詞を読みながらあたしが歌うってことくらいしか出来ないんだけどね」
千佐都がそう言うと、月子は途端明るい顔を見せた。今まで気付かなかったが、本当はこんなにも感情を身体全体で示す娘なのだなぁと、悟司は少しばかり感心した。
「ホントですか? それはぜひ聴いてみたいです!」
「あー……あはは。でもちょっとあたしは歌うの恥ずかしいかな。やっぱ、あたしは自分の歌詞はミクちゃんに歌ってもらいたいや」
「うーん。でもちさ姉の歌でもきっとちゃかぽこ良いと思いますけど」
そんな使い方も出来るんだ。『ちゃかぽこ』って言葉、便利。ファンと同じくらい便利。
そんな事を思いながら、悟司は月子と千佐都を交互に見て言った。
「えーっと。まぁそんなわけで、正直なところ、今の俺たちではネットに動画をあげるどころか、まともな楽曲としてさえデータに残すことができません。三人でバイトして、少しずつお金を稼いで機材を揃えるということは出来ますが、それだとネットに動画をあげるのは大分後のお話になってしまいます。なので、早急に彼の獲得が必須なわけですが」
「はいはいはーい」
千佐都がにこやかに手をあげる。それを見て悟司はわざとらしく咳をしてから、
「はい、千佐都くん。名案でも浮かんだかね?」
と言って手のひらを上にして話を促す。
「かすがを拉致る!」
「……バカも休み休み言ってください。冗談じゃなくマジね、これ」
呆れた顔で見返す悟司。それを見てふくれっ面をする横で、月子が手をあげた。
「はい、月子くん」
「ウチがされた時みたいなことしてみたいですっ!」
「まさか、あの茶番劇のこと言ってんの!?」
驚いて悟司が聞き返すと、月子は嬉しそうに身体を左右に振る。
「えへへ~。ウチもあれやってみたいなー。春日さんがしてたヤツ」
「ダース○イダーのこと? 無理無理。だって現状を考えると、既にあいつ自身が暗黒面に墜ちてんじゃん」
さらりと毒を吐く千佐都。すると突然――
「……誰が暗黒面だ」
といって、悟司の横にどかっと座り込む長身の男がやってきた。
相変わらずのふてぶてしいその態度。
間違いない、
「で、でたー春日だー!」
「に、逃げましょう皆さん。ちゃかぽこ逃げましょう!」
女子ども二人が半ば真剣な様子で一斉に春日から距離を置いた。
だが、春日はそれに反応せずに悟司の方を向いた。
「……お久しぶりっす」
「一週間ぶりくらいか、樫枝」
一瞬でギャグなど言えない空間に引っ張られてしまったと感じた女子二人がゆっくり座り直す。
「まだ、跡が残ってるのか?」
春日は悟司の頬のガーゼを見て、そう呟く。
「済まなかった」
そう言って頭を下げようとする春日を悟司は制した。
「先輩、違うんです。悪いのは俺で――」
「手を上げたヤツが一番悪い。本気で反省してるんだ。すまない」
「おお、春日が謝った!」
「君は黙ってろ」
ぎろりと千佐都を睨む春日に、千佐都はすぐに真面目な顔をした。
「あたしも……ごめんね、春日」
「? どうして君まで謝る?」
「あたしの歌詞が……春日の曲を台無しにしたから。だからです。ぶっていいよ」
「ぶたん」
「あは、らっきー。てへぺろー」
「樫枝。この女を押さえろ。あっという間に気が変わった」
「わーちょっとちょっと! やめてよ! 今のはホントごめんってば! ちょっと」
立ち上がった春日をなんとか取り押さえ「ホント冗談の通じないヤツね」とぶつぶつ言う千佐都を黙らせたところで、ようやく悟司が切り出した。
「俺も……あれからちょっと色々考えて、反省したんです。なんで俺は『これは俺の曲じゃない』とか、そんなことにムキになってたんだろうって。だって……どうでもいいじゃないですか。そんなこと」
悟司の言葉に春日が慌てて口を挟む。
「そんなことはない。僕も、正直どうかしてた。だが、どうしても認めたくなかったんだ。だってそうだろ? あんな……まさかあんな風に言われるなんて思ってもみなかった」
「先輩。違う。そうじゃないんです」
さらに言葉をかぶせるように悟司が口を開く。
「あれは……動画なんです。曲と、詞と、イラストの合体、動画。あの動画全てが一つの作品なんです。あれそのものが、俺らの作りあげた音楽なんです。曲だけじゃダメなんです。詞だけでも、イラストだけでもダメ。俺らがそれぞれ出来ることを持ち寄って、そんな一つ一つの要素を全部混ざり合わせて、それが動画となった。そういう音楽なんです。あれは。そう考えればあれは本当に、先輩の言っていた現代の音楽の一つのジャンルなのかもしれない。そんなものなんじゃないかなぁって。だから、誰がダメだったとかじゃない。きっと全部何もかもがダメだった。あれは俺の音楽でも、先輩の音楽でも、ましてや千佐都のでも、月子ちゃんのでもない――動画が俺たちみんなの音楽、みんなの作品なんだ」
悟司の言葉に皆、揃って口を結んで沈黙した。
正直言ってる本人の悟司ですらも、これが本当に明確な回答なのかどうかはわからない。わからないけど、今はもうそれくらいの答えしか見つけ出せない。
「バンドだって、馬鹿にされるときは個々のパートを指摘されたりするけど、結局それは全体のイメージとなって言われる。俺が言いたいのはそこなんです。俺たちは、ちっとも足並みが揃っていなかった。個々がばらばらになって、主張し合って、それで……」
「樫枝」
「だから、誰が悪い悪くないとか。そういうの、もうやめましょう。それでもどうしても悪いものをあげるとするならば……それはきっと俺たち全員の責任です」
「悟司君」
月子が悟司の顔を見る。
そうだ。だからもうこれ以上、前の結果についていつまでもくよくよしちゃいられない。
悟司は全員の顔をくるりと見て、そして声を張り上げた。
「だから! 今度こそ、俺たちはリベンジする。俺たちで、みんなをびっくりさせるような音楽を見せつけてやるんだ。この北海道で! このド田舎の超Fラン大学の俺たちが! 見せつけてやるんだ、日本。いや世界中に!」
そこまで言ったところで、千佐都がすっとみんなの前に手を差し出した。
見ると千佐都は悟司の顔を見てにんまり笑っている。
結局、美味しいところはお前が持ってくんだな。千佐都。
そう思った悟司はたまらずに吹き出してしまった。
「……なによう。笑ってないでさっさと組みなさいよ」
照れくさそうに睨む千佐都。
「はいはい」
笑いながら悟司が千佐都の手に自分の手を重ねる。すると月子が笑顔でその上に手を重ねた。
「次はもっといい絵を描きますね! 実は漫研の人にペンタブを借りる約束したんですっ」
「マジか! やったじゃんつっきー。えらい!」
月子をなでる千佐都の横で、春日が月子の手の上に手を重ねた。
「樫枝。僕は今回、君の完全なサポートに回る。機材は好きに使ってくれ。それと――」
少し恥ずかしそうに春日は組んでいない方の手で、頬をかく。
「また……曲作りを始めたんだ。もし全部完成したら――きっとぼろぼろだろうから、その時は先輩後輩の関係抜きに、僕のことを思いっきり罵ってくれ。樫枝」
悟司はそんな春日の言葉を聞いて強く頷く。
「そんときは、あたしもばっしばし罵ってやるね、かすがっ」
「ああ、千佐都もぜひ聴いてくれ」
いきなり春日は千佐都のことを名前で呼んだ。
「ふぇっ!? な、なななに。いきなり人の名前を呼ぶとか! しかもなんか優しかったし。きれいなかすがとかありえないありえないっ!」
「き、君が呼べと言ったんだろう。それに名前で呼んだのは今回が初じゃない」
二人して動揺する。そんな二人を見て悟司と月子は顔を合わせて笑った。
やってやる。今度こそは――
ようやく落ち着きを取り戻した千佐都が大きく胸を張った。
「それでは――ここに、我ら最強ユニット。『シュガー・シュガー・シュガー』の結成を宣言します!」
その言葉に千佐都以外の全員がぽかーんとした。
「「「……なに、それ?」」」