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シュガー・シュガー・シュガー(!)  作者: 助供珠樹
大学二年:4~7月まで(エピソード4)
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第十八章「米田香奈子、逆襲の-3さじ目」(1)

「与那城のヤツ、どうするの」


 食堂で遅めの昼食を取っている千佐都の前で、松前が頬杖をつきながら唐突にそう言い放った。


「正直、こっちにもかなりプレッシャーきてんだけど。千佐都も知ってるでしょ。つい二時間前の、三年の米田先輩と堀内みすずが喧嘩した話」

「あー。うむうむ。あの件ね」


 ずずずっと小ぶりのパック豆乳をすすりながら、千佐都は頷いた。



 ――以下に示すのは今から約二時間前、

 正午になろうとする、およそ十五分ばかり前に起こった事件の一部始終である――


 五月十七日本日、堀内は昼過ぎからの講義のためいつもよりゆっくりと目覚めてから、未開大へと登校した。スキー部でさっそく仲良くなった男のアパートから、一度自宅へと戻りシャワーを浴び服を着替え、ネット通販で買ったばかりの新しいヘアアイロンでふわっふわの巻髪を完成した彼女は、いつも以上にご機嫌なステップを刻んでいた。


 だが、そんな気分は昇降口を入ってすぐのところで霧散してしまう。

 ……というよりそのふわっふわの巻き髪はこの後、あっという間にぐっちゃぐちゃになる。


 昇降口へ入った堀内は、まだ起きてから何も口にしてないことに気付き、ふと、学食限定早いもの勝ちスイーツ、「スペシャル杏仁豆腐のベリーソース、マンゴー添え」を食べようと思い至った。


 これは未開大の食堂の、教授含め限定十名しか食べることの出来ない超激レアメニューである。

 販売は正午を切った時点で開始され、その前から並んでいた人達の先着順で毎日五分とかからず売り切れてしまうのだ。


 今から行けば、食べられるかも知れない。そう思った堀内はるんるんと鼻歌交じりにスキップしながら、さっそく食堂へ行こうと胸を躍らせ廊下へと足を踏み出した。

 その時である。自分の目の前に一人の女性が立ちふさがっていることに気付き、一体何事かと堀内はよだれをすすりながら顔を上げた。


 そこに立っていたのは言わずもがな、米田香奈子その人である。


「あんた、人の男をぶんどっておいて、よくもそんな平然とした顔で歩いていられるわよね。はっきりいって正気を疑うわ」


 開口一番、さっそく米田からこのような物言いをされ、堀内は若干戸惑いつつも、いつもの調子で口を開いた。


「平然と、って。そんなこと言われても、ここはみんなが歩いて良い場所じゃないですか。どーしてそんなことをあなたに言われなきゃならないんですかぁ?」


 ややピントがずれているこの堀内の返答に、米田の頭に一気に血が昇った。

 赤らんだ顔で、持っていたバッグを胸の前で掴みながらつかつかと堀内へ詰め寄ると、


「……あのね。気付いてないかもしれないけどあんた、大学中の女の子みんなから嫌われてるのよ? 入学したばかりのくせに、男を取っ替え引っ替え……だらしないと思わないの。挙げ句は人の男にまで手をかけて」


 唇を震えさせ、吐き捨てるように米田はそう言った。

 対する堀内はその場で身をすくめると、


「だってそんなの知らなかったんだもん。教えてくれなかったんだもん。みすず悪くないじゃん」


 そう開き直った態度で、米田を睨み返した。


「悪くないって……あんた正気で言ってるわけ? どこの世界に人の彼氏に手を出して悪くないだなんて道理が通用するのよっ」


「でもでもアタシぃ、ホントに知らなかったんですよぉ。てかなんでアタシがそんなにまで言われなきゃならないんですかぁ? そんなことは、アタシにもセンパイにも黙って事を為した“たっくん”に言ってくださいよ」


 ここで、この堀内が『たっくん』というキーワードを、いくら無意識といえど口を滑らしてしまったのがまずかった。


 『たっくん』とは、つまるところ米田香奈子の彼氏――春山達博のことを指し、この春山という男は今まで米田以外のどの女子にも、自分のことを『たっくん』と呼ばせることはなかったのだ。


 ――俺っちのことをたっくんて呼んで良いのは、香奈子だけ!


 このように、どこぞの少年漫画雑誌のコピー文句めいたことをどや顔で口にしながら、春山はこの自らのホーリーネームを、これまで米田たった一人にのみ呼ばせ続けていたのである。


 ちなみに千佐都から言わせれば、この春山という男、とてもじゃないがたっくんなんてツラじゃない。

 ゴリラだ。はっきりいってゴリラ以外の何物でもない、オランウータンでもマントヒヒでもブッシュベイビーでもない、学名「ゴリラ・ゴリラ」に相違ないゴリラなのである。


 しかも、やたらと筋肉体型のごんぶと眉毛ゴリラ。身長は小倉以下なのに、常に猫背で歩く姿はさながら動物園の檻を徘徊しているかのようであった。


 以前この春山が、バナナを食べてながら廊下を歩く姿を目にした千佐都は、人知れずミルクティーをその場で吹きだしてしまった。

 ともかくそのくらい春山はゴリラーマンなのだ。

 ハロルド作石氏の作画キャラがまんま実在しているという、まさしく奇跡の産物であった。


 話は逸れたが、ともかくそんなゴリラーマン春山のことを『たっくん』と呼ぶような女は、これまで米田以外誰一人存在しなかった。というより、未開大で春山を知っている人物の、およそ九割九部の人間が彼を「ゴリラ」と蔑称し、残る一分は単にゴリラーマンの本名「池戸定治」と呼んでいただけのことである――というか、その一分とはそのものずばり千佐都のことなのだけれども。


 ともかくその米田が、だ。

 これまでオンリーワンであったはずのその呼び名を、あろうことかこの目の前にいる彼氏を寝とった女が使っていると知り、激昂しないわけがない。


 かろうじて体裁を取り繕っていたはずの自尊心はズタズタ。何より最も堪えたのは、堀内がその呼び名を知り得た理由に、彼女自身が解答を容易に導き出してしまったことだ。


 誰が聞いても、一桁同士の足し算より些末な解答である。

 そんなもの当事者であるゴリ――もとい、春山達博以外に他ならない。


 米田は吠えた。

 胸の前で抱えていたバッグを思いっきり振り回すと、そのまま堀内の左肩に向かって、文字通りそのままに叩きつけた。


 突然のことに混乱しながらも堀内は、


「……ったぁ! ちょっと、なぁにするんですかぁーーー!」


 と、そのまま米田の首筋へ水平チョップをかました。しかもあろうことか、クリティカルヒット。

 まさか反撃を受けるとは思っていなかった米田は一度身をよろめかせ、こほっと喉元にあった空気を吐き出し体勢を立て直すと、今度は目をひん剥かせ泡をふかしながら堀内の身へと飛びかかった。


 髪を振り乱し、「きぇええぇぇえっ!」と叫びながら堀内の髪を掴んで引っ張りあげる。

 山姥も裸足で逃げ出してしまうほどの凶悪な顔つき。未開大に後世まで語り継がれることになる「なまはげ米田」は、今まさにこの時、ここに誕生した。


 そしてそんな伝説の第一声「きぇええぇぇえっ!」が、その場にいた全員の注目を惹きつけ、結果として大きな人だかりを生んでしまったことは言うまでもない。


 程なくして春山達博もその場に駆けつけるというさらなる大惨事へと成り果て、そしてそんな歴史的瞬間に与那城成司はこの後、不幸にも立ち会ってしまうのである。



 ――以上、ここまでが一連の事件の全ての流れであった。



「ねぇ樹里、あたしは今回起きたこの、なまはげ米田の忌まわしい初事件を『五・一七事件』もしくは『米一揆』と命名したいんだけど――」

「冗談言ってる場合じゃないって」


 茶化す千佐都に対し、松前は苛立ちを押さえながらテーブルをこんこんと小突いた。


「このままじゃスキー部内の女子から、私とあんたまで目の敵にされるわよ? 千佐都がどういうつもりで与那城のことをかばうつもりか知らないけど、私はこれ以上あいつなんかに肩を持てない」

「んなこと言ったって、そもそも与那城は今回の事件と直接関係してないじゃん」

「直接は関係してなくても、あそこで堀内が与那城に助けを求めたのが、テニス部とスキー部の連中皆にバレちゃってんのよ。しかもあんた、その後のあいつの行動聞いてる?」


 千佐都は素直に首を振った。そういえば与那城が、堀内に泣きつかれてからどういう行動をとったのかまるで知らない。


「よりにもよってあいつは、そのまま堀内の手を取って身体を支えてから一緒にその場を逃げたのよ。それも、いまだ衆目に晒されているど真ん中で。そんな行動とったら、明らかにあいつは堀内の味方だって、周りに言いふらしているようなもんじゃない」

「でも普通、人にしがみつかれてたらそれ以外に方法なんてないでしょうが」

「振りほどけばよかったのよ! そこで変にかばうような真似したら、誤解されるに決まってるじゃん」

「いや、それはそうだけどさー……」


 千佐都は背もたれに身体を預けながら、両腕をだらんとさせてむくれた。

 確かにそうした方が、妙な誤解を受けることはなかったかもしれない。

 しかし、あえてそうすることをしなかった与那城を、むしろ千佐都は高く評価したいと思っていた。


 無論、自分としても堀内みすずは大変虫の好かない女である。


 一見して「あ、こいつダメだ」と直感した女に出会ったのも久しぶりのことであった。


 だが、たとえそのようなダメ女だったとしても、彼は頑としてはね除けず、共にその場を離れるという選択肢の方を選んだわけだ。それが意図的であるにせよないにせよ、事実彼はそう行動した。

 どちらかというと、これまで松前の言ったような行動を取る男だと思っていた千佐都には、その話を聞いて与那城のことをむしろ、「優しいやつだ」と好意的に解釈して受け取っていた


 まぁしかし、所詮こんなのは他人事だからそう思えるのだろう。

 もし自分が渦中の人物であったとしたら、絶対そんなの許さない。

 というかまずその前に与那城をその場から絶対に逃がさない。 


「とにかくもう私は限界。これ以上、与那城をかばうことは出来ないよ。いくら千佐都の頼みでも、私には私なりの付き合いってもんがあるんだから」


 そこまで言うと、松前はようやく自らの持っている野菜ジュースのパックへ口をつけた。


「わかったよ樹里。昨日の飲み会はありがとね、与那城に救い舟出してくれて」


 千佐都がその場で大きく伸びをする。


「さすがに与那城も、これ以上スキー部にはいられないかぁー。まぁ、でもしょうがないよね。結構楽しいヤツだったけど、あーさびしーなぁ」

「何言ってんの。春日先輩んとこのサークルにいるじゃないの」

「あ、そうだったね」


 ぺろりと舌を出す千佐都に、松前は呆れ顔で野菜ジュースを口から離した。


「わざととぼけてたクセに……。でもね千佐都、私の考えで言わせてもらえば、あの子はちょっと問題児よ」

「へ? これ以上なにが問題なんさ?」


 きょとんとする千佐都に、松前は厳しい表情で。


「与那城って、少なくとも私の見る限りでは軽音に力を入れる気なんてこれっぽっちもない。ポーズだけ、口だけ、思うだけの子。絶対に『やらない』子よ」

「へぇ、樹里ってそんな、見ただけでそう言い切れちゃうような失礼な子だったっけ?」

「言い切れちゃうのよねぇそれが。高校の時、ああいう男を何度も私は何度も見てきたから」


 半分冗談かと思って笑っていた千佐都は、口元をひきしめると改めて松前に向き直る。


「とにかく何を言わせても軽いでしょ、あの子。基本減らず口で、『やります』『します』『出来ます』――これの延々ループ。文化祭とかでもよくいたよ、やるやる言って、結局全部人に押しつけてその場からそそくさ逃げ出しちゃうタイプ。与那城はああいうタイプだって言ってるの」

「まぁそう言われてみれば与那城のヤツ見てると、確かに心当たりがないこともない……。けど、そんな悪意的に捕らえなくても、もしかしたらただのお調子者なだけかもよ?」

「ただのお調子者なら、なおさら軽音に不必要な存在でしょうが」


 仰るとおりであった。

 松前はそんな、たった今気付いたような顔をしている千佐都へなおも告げる。


「……あんたさ、阿古屋って子の事もそうだけど、新入生に対してちょっとはりきり過ぎてやしない?」

「どういう意味さ」

「そのまんまの意味よ。なんていうか、やたら面倒見が良すぎるというか」

「気のせいだってば」

「ううん。気のせいなんかじゃない。そういう風になること千佐都ってたまにあるけど、大体そういう風になるときは、腹に一物ため込んでいることが高確率で多いから」


 自分でそう口に出してから、より確信したように松前は千佐都の方へと向き直った。


「ねぇ千佐都――もしかして、“今の状況”にずいぶん参ってるんじゃない?」


 二人の間に一瞬の沈黙が訪れる。

 千佐都はついと松前から目を背けると、


「シュガーのことなんだけどさ……、なんかこのところ、ずっとマズそうな雰囲気続いちゃってると思わない?」


 語尾を少しだけ上げて同意を求めるような言い方をしたが、松前はそれが千佐都の独り言であることに気付いて何も言わなかった。


「ここ一ヶ月くらいさ……あたし、悟司とかすがとつっきーに全く会ってないんだ。みんなそれぞれバラバラに、思い思いのことをやってるって感じで――声かけ辛くってさ」

「……千佐都」

「あたし、リーダーなのにな」


 ぽつりと、口元には笑みを浮かべながらも千佐都の声は弱々しく松前の耳に届いた。

 そうして、今度は先ほどよりも湿った空気の中で、再び沈黙が生まれる。


「……多分、樹里の言ってることは当たってる。あたし、新入生に過度の入れ込みをしてると思う。ちょっと自覚してるんだ。もしかしたらあたしはどこかで“代わり”を探してるんじゃないかなって」

「……誰も、悟司くん達の“代わり”なんて出来ないって、私は思うけど」

「わかってる。だから、最近ちょいと自己嫌悪気味なのさ。あはは。こんなこと、樹里に話すつもりじゃなかったんだけどなー。つーか、どーしてこんな話になってんだろ?」


 無理に明るい雰囲気を取り繕おうとする千佐都を見て、松前はつい穏やかな口調になる。


「あんま結論を焦るな……千佐都」

「うん……」

「悟司くんの話は私も鵜飼さんから聞いたよ。名前を貸しただけで、まだ一度も軽音部に顔を見せてないことも知ってる……でもさ、きっとちょっとずつ、そのうち元に戻っていくから」

「戻る……かなぁ?」

「戻るよ。だから“代わり”を探しちゃダメ。相手にも失礼だけど、なによりもそういうことを続けて、やがて自分の期待通りに新入生が動かなかったときに、きっと千佐都自身がすっごく傷つくと思う。だから、ちゃんとその日が――シュガーが復活するその日がくるまで、千佐都は辛抱強く耐えなさい」

「……うん」

「絶対絶対、元に戻るから」


 千佐都の手を握ると、松前は強く言い聞かせるようにして何度も頷いた。

 千佐都が呟く。


「そうなってくれると……嬉しいけどな」

「なるよ。私はそう思ってる」

「うん……。ありがと、樹里」


 だが、そう口にしつつも心の奥底ではずっと不安の念が渦を巻いていた。

 千佐都は、たとえまた四人が一緒になって固まったとしても、きっと前と全く同じような四人にはなり得ないと思っている。あの楽しかった関係は、わからないようにちょっとずつ変化してきている気がするのだ。


 その証拠に、

 ちょっと前まで、四人はずっと毎日一緒だったのだから――


「泣くなよ」

「泣かないって」


 でも、本当は泣きたくて仕方がなかった。

 さっきから真逆のことばかり口にしてる気がして、なんだか可笑しかった。


 松前に“自分の弟”のことを話した事は一度もない。


 それでもここまで自分のことを丁寧に分析されているとは恐れ入った。

 それほどまでに新入生へ向ける態度が、露骨に表面に出ていたのだろう。


 ――自分の期待通りに、か。


 千佐都はぼんやりと、過去の悟司とのやりとりを思い出す。


 去年の夏、千佐都は悟司に対して、弟の“代わり”を求めそれを期待し続けていた。

 結局、悟司は弟の代わりになんかならず、悟司は悟司でしかないというひどく当たり前の事実に気付いてしまった自分は、物凄く身勝手に傷ついて、挙げ句塞ぎ込んでしまった。


 あの時の『お姉さん』という役割から、今度は『リーダー』にすり替わっただけで、あれだけ前回強く反省したにも関わらず何も学んでいなかったことを痛感する。


 弟のことが吹っ切れた途端、今度はシュガーの幻影を他人に求めているだなんて。


 本当に情けない。


 まったく成長していないのだなと、そんな風に自身のことが滑稽に思えてしょうがなかった。


「あたしって……バカだよね……」


 豆乳パックを手で潰し、何気なくそう尋ねてからすぐにその場へ突っ伏すと、


「バカに決まってるじゃない!! ……大バカだよ千佐都は。いつもいつも」


 速攻でそんな、温かい笑いが混じった松前の優しい声が返ってくる。



 そんな友人からのお墨付きで、千佐都はほんのちょっぴりだけ救われた気がした。



 ※ ※ ※



 時は前後し、衆目の場から逃げ出した成司と堀内、そして何故かそれを心配し、その後を追った阿古屋の三人は談話室へと避難していた。


 べそをかいている堀内を眺める。おそらくキャットファイトを繰り広げる前までは可愛かったふわっふわの髪も、今では見る影もなくあちこちへ跳ねまくっていた。


「ふぇ……どーしてぇ……ぐすっ。どーして、アタシがこんなめに遭わなきゃいけないんですかぁ……っ。ぐす」


 それは自分の台詞だと成司は思う。

 大体何が悲しくてあれだけの数の女子を敵に回さねばならんのだ。頭をかきながら堀内のスカートから伸びた白いふとももが目に入って、慌てて目をそらすとその先にいた阿古屋がチラシ原本を抱えたままぽかーんと虚ろげな目で成司を見ていた。


「阿古屋?」

「はぅっ!? ……へ?」


 びくんと身体を撥ねさせて、阿古屋の瞳に活力が戻る。


「なんかぼーっとしてたけど……そもそもおまえどうして付いてきたの?」

「え? え?」


 混乱した様子で阿古屋が後ろの壁に身体をつける。


「え? えーっと……どうしてでしょう?」

「はぁ? なんだそれ」

「い、いや。ははは。堀内さんと与那城くんが、まさかそこまで良い関係だったなんて思ってなくて。いや。その。別にそんなこと自分には関係ないっスよね。はは。あはは」


 ……なんだかよくわからない誤解をされている気がする。


「あ。もしかしてお邪魔っスかね? とても込み入ったお話のようなので、そろそろ失礼をば――」

「いや待て、いかないでくれ」


 即座に成司は阿古屋を引き留める。

 堀内と二人きりにだけは絶対なりたくない。ただでさえ既に多くの女子から大きな誤解を受ける羽目に陥ってるというのに、このまま二人きりでいるところまで誰かに目撃されてしまったら、さらなる別の火の粉が飛んでくるかもしれないではないか。


 先ほど昇降口にいたギャラリーの中には当然、テニス部とスキー部で見知った男の姿も混じっていた。渦中の男性春山先輩は当然として、他にも数名ほど成司と堀内の逃走現場を目撃してる連中がいた。彼らまで自分に目をつけられたら、もう大学に居場所がない。


 本当に、どうしてこんなことになってしまったのだ。


 堀内さえ。

 堀内さえいなければこんな――


「よなっちぃ……」


 すんすん鼻を鳴らし、ぼろぼろの泣きっつらで堀内が顔をあげる。


「ごめんねぇ……よなっちにまで……迷惑かけちゃって」


 そんな顔をされると、成司はそれ以上なにもヘイトな言葉が思い浮かばなくなってしまう。


 ――無自覚で場を引っかき回すタイプだ。



 突如、成司はそんな松前の言葉を思い出した。

 おそらく本当に無自覚なのだろう。普段会話しているときにも、堀内はどこか抜けているというか、正直頭があまり足りていないのではないかと思うことがままあった。演技とか、人格を使い分けるほどの器用さは彼女にはない。


 そんなふところが広い女では決してなく、要するにただのアホなだけなのだ。


 貞操観念に関してのモラルはお察しの通り、他人の気持ち汲むことも下手くそ過ぎる。

 良く言えば無邪気、悪く言えば自己中。


 堀内みすずという女の正体はつまるところ、自分のことに常に脳みそのメモリを取られすぎているため、周りの人がどう思うかまできちんと認識出来ないだけなのだ。


 わかりやすい性格だけに非常に厄介だと思う。同姓からは間違いなく疎んじられるタイプで、事実これまでもずっと疎まれて育ってきたのだろう。


 それで、その代わりに修得したのがよりにもよって異性に対する媚び方とは。


 もはやひどいってレベルを通り越して、嫌われるためだけに生まれてきたようなヤツだとしか思えない。


 そもそもその媚びるという行為が、一体どのような悪印象を及ぼすのかこの女はまるでわかっていない。媚びることで愛され、甘えられるのならそれで問題ないとすら思っているふしがある。確かにそれは、生物学的には全く問題はないことだが社会的には大問題だ。


 現代社会のこの日本では、とかく生きにくい人間なのだ。この女は。

 孤立無縁の樫枝悟司とは真逆のようでその実、根っこの部分が非常に似通っている。


 どうして自分の周りにはこんな人間しか集まってこないのだ。

 足を引っ張られ続けている、と成司は思った。


 ――実のところをいえば、成司は別に足を引っ張られているわけではなく、そのような人間にまでしっかりと関わってしまう、その不器用な性格が最大の問題なのであった。

 そんな成司が自身の、その無駄なところまで優しい性格をはっきりと自覚し出すのは今からおよそ十年後。結婚し家庭を持ち始め、社会の中でより多くの面倒くさい人間たちと幾度となく関わりあうようになってからのことである――


 というわけでこの時の成司は、そんな自身の性格など微塵も把握しきれていない。


「どうしてアタシ……こんな目にあってるんだろぉ……今日はぁ……すっごく……気分が良かったのにぃ……」


 大粒の涙をこぼしながら、堀内がそんな風にぼやいた。


 たとえ他人であっても、楽しい気分であった人がひょんなことでその気分を打ち壊されてしまう光景を見るのはとても辛い。

 感情移入が容易だからだろうか。

 そんな風に浮かれた気分が壊される経験は、成司自身にもよくあることだった。


 それに、なんとなく女の子が泣いてる姿を見るのもあまり好きじゃない。


「……涙、拭きなよ」


 そう言って、成司はポケットからハンカチを取り出して堀内に差しだした。


 成司はちらと阿古屋の方を見る。

 阿古屋はそんな二人の光景を見て、またしても目が点になっていた。


 さっきからなんなんだコイツは。一体どういう心理で、ずっと何もせず突っ立っているのだ? さっさとこっちに来て一緒に慰めてくれよコイツを。いつもみたいに自分の隣で。


 何度も心の中で成司は阿古屋に向かってそう呼びかけ続けたが、阿古屋は気付くどころか壁に身体をくっつけたまま相変わらずぽけーっとしている。

 こんな風に泣きべそをかいている女を慰めるのは自分には不向きだ。そもそもこんな苛烈極まる女子同士の殴り合いなど、今までお目にかかったことすらないのだから。


 出来れば成司は、今の自分の役目を阿古屋に引き継いでもらいたかった。幸い阿古屋ならばテニス部とスキー部のいざこざにも関わっていないので、いくらか自然にそれをすることが出来る。


 なのにそんな阿古屋は、先ほどからこのような原因不明の放心状態に陥っていた。

 面倒くさいのがこれ以上増えるのは勘弁だ。


「なぁ、おい阿古屋ってば!」


 とうとう我慢できなくなり、ちょっとだけ強い口調で成司が声をかけると、そこでようやく阿古屋が我に返った。


「はっ。え。え。な、なんスか?」

「『なんスか?』じゃない。頼むから、おまえも一緒にコイツを慰めてくれよ。俺一人じゃどうにもならない」

「えぇ……ううっ」


 なぜかそんな成司の言葉を聞いて、阿古屋がなおいっそうその身を強張らせる。


「なんだよ。さっきから変だぞお前?」

「おじゃ――」

「おじゃ?」

「お邪魔じゃ……ないんスか?」


 怖々と阿古屋が尋ねる。

 どうして、なにをそんなにおびえることがあるのだ。


 成司には全くわけがわからない。


「邪魔なわけがあるか。むしろいてくれなきゃ、変な誤解がさらに加速していくだろ。二人きりになっちゃうんだしさ」

「で、でも与那城くんは堀内さんのことが――」

「おいやめろってっ。……今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ」


 顔を真っ赤にして成司がそういうと、ようやく金縛りがとけたように阿古屋がおずおずとこちらへやってきた。


 そんな阿古屋の姿を見て成司はようやく悟った。

 なるほど。コイツは変にこちらへ気を回していたから今まで動けなかったのか。


 しかしおあいにく今の自分は既に、堀内への恋愛感情が冷め切ってしまっている。

 現状、核弾頭みたいな女なのだ。コミュニティ内での協調性を重視したい自分にとって、堀内のようなクラッシャー女はたとえお付き合いしても長くは続かないであろう。


 何よりこれまで自分が熱を上げ続けていたのは、そのほとんどが性的なアピールのせいであったからと、今でははっきり自覚しまくっていた。


 おっぱいは正義だけれども、時として正義は非情な結末を向かえるものなのである。


「どう、すればいいんスかね」

「わからん……一向に泣き止む気配がないし」


 めそめそと泣き続ける堀内を見て、二人は頭を抱えながら唸った。


「ごめ……ぐすっ。ごめんね……う……うっ……」


 しゃくりあげ、言葉もうまく喋れないでいる。やや過呼吸気味なのが気になる。


「阿古屋。とりあえず俺は慰めの言葉を考える。正直今でも何を言えばいいのかわからんが、とりあえずお前は背中でも優しくさすってあげてくれ」

「りょ、了解っス」


 原本をソファーの上に置くと、阿古屋は堀内を抱えるようにして背中をさすり始めた。


「あのね堀内ちゃん。とりあえずさ、あとで謝りにでも行こっか? 俺もついていくからさ。ね?」

「ど、どうし……ぐすっ。どうして……アタシ、謝らない……とっ。いけ、いけないんですかぁ……あ、アタシべつに……なにも……なにもっ」


 そうだった。

 彼女には自覚がないのだ。

 それに、考えてみれば籠絡されたのはそもそも春山の方なのだから、こっちが謝罪に行くというのもおかしな話である。


 第一、謝罪にいったところであの包丁女が許してくれるはずもない。


「あ、アタシ……しらなかったんだも、ん……ぐすっ……わ、わわ。悪くなんて……ない、ないんだ……ひっく……ないんだからぁ……」


「そ、そうだったね。うん。俺もそう思うよ」


「手、手ぇだしてきた……ひっく。あ、あっちが。あっちが謝ってほしっ……ほしいんだからぁ……あ、アタシ……すご、すごく……いたかったんだからぁ」


「うんうん。大変だったね。俺もそう思うよ、うん

「……頷いてばかりじゃなくて、もっと気の利く返答は出来ないんスか」


 阿古屋からの鋭い指摘がとんできた。

 だって、他にしようがないじゃないか。

 泣くのを落ち着かせないとろくに話も出来ない。


「あの、堀内さん。とにかく深呼吸っスよ深呼吸。落ち着いたら、ジュース買ってくるっス」

「うん……ありがとう……どこの誰かはわからないけど……」


 そんな堀内の言葉に、阿古屋は一瞬ぐっと息を呑んで眉間がひくついたが、成司が首を振るのをみて黙って肩をさすり続けた。



 ※ ※ ※



 そうして数分後。

 ようやく落ち着いた堀内に向かって、成司は言いにくそうに口を開いた。


「あの、ね。堀内ちゃん。たとえ知らなかったといっても、そうやって色んな男の人とほいほい関係を持つのは、その……あんまり関心できるものじゃないっつーか……」


 出来うる限りオブラートに言葉を選び、それでいて的確なアドバイスをしたつもりだった。


「でも……気持ちいいんだもん」


 ところが、まるで処置無しだった。


「みんな……アタシに優しくしてくれるもん。みんなぁ、鼻息荒くなって時々怖いなって思うこともあるけどぉ……ちゃんと終わったらみんなぎゅってしてくれるんだもん……アタシのお願いも、みーんな素直に従ってくれるんだもん……」


「……病気伝染されてもしらないっスよ」


 ぽつりと堀内には聞こえないように阿古屋がつぶやく。

 どこぞの先輩と同じことを言うのだなと成司は苦笑いしながら、


「でもね、そういうことをずっと続けていたら、そのうちその優しかった先輩とか同級生の男たちも、堀内ちゃんのことを軽んじてみてしまうんだよ? 『ああ、こいつとは簡単にやれるな』って。そうなったら、せっかく優しくしてくれた人達もいずれ冷たくなってしまうから」


「……そうなんですかぁ?」


 そんなこと初耳だとばかりに堀内が成司を見る。


「そうだよ。男って単純だから、欲が満たされれば結構ドライなもんさ」

「よなっちもそうなの?」


 ぐっ、と一瞬喉を詰まらせる成司。


「おっ、俺はそもそも、そんな簡単にそういうことをしないっ!」


 かろうじてそうかっこつけてみる。が、過去の自分を振り返るに、とてもそんなことを断言できるはずがない。

 ないけれどもとりあえずは、そう言っておくしかないではないかこの場は。


「こ、心のつながりを求める派だかんね。俺はっ!」


「「おおー」」


 二人の女子から、ぱちぱちと拍手が送られる。

 調子が良すぎるとはっきり自覚していたが、もう後には引けなかった。


「……とにかくさ、堀内ちゃんはもうこういうことをやめにしなよ。今はまだ入学したばっかだし噂もそれほど広がっちゃいないけど、直に拡散すればみんなそう判断するようになってくる。今までは優しくしてくれた人ばかりだったとしても、今後は本当にただそういう目的でしか寄ってこない連中ばかりになるって、絶対」


「どこの誰かわからない自分も、そう思うっスよ」


 成司の後に阿古屋が皮肉っぽく続くと、堀内はしばらく俯いてから、


「じゃあ……寂しいときはどうすればいいんですか……」


 と、暗い表情で呟いた。


「実家から離れてすぐに……こんな寂しくなるなんて思わなかったんだもん。一緒に寝てくれる人がいないとぉ……夜は……すっごく寂しい……」


 成司と阿古屋が顔を見合わせて、それからため息をついた。

 当たり前だが、そんなの我慢しろとしか言えない。

 誰だって一人暮らしを始めたら必ず最初にぶち当たる問題で、誰しもがそれを当たり前のように我慢してやっているのだから。


「……ホントは、うさぎちゃんなのアタシ」

「ああ、もはやヒトですらないんスね……」


 あの阿古屋ですらそんな風に呆れる中、成司は昨夜の飲み会で千佐都が口にした気持ちが今ようやくここに来て理解出来た気がした。


 確かにこれはウザい。犯罪レベルのウザさだ。



 そうしてそのまま二人は堀内を囲み、これ以上どうすればいいのか考えあぐねている最中だった。


「――なにしてるんだ、こんなところで」


 春日が談話室にいる二人を見つけてやってきた。


「……阿古屋がメールでチラシを配るっていうからずっと探し回っていたというのに、こんなところで何を油売ってるんだ」


 あまり虫の居所が良くなさそうな春日に、成司は慌てて言い訳しようと両手を振った。


「え、いや。あの。これにはちょっとふかーい事情が」

「深い事情だと?」


 春日は先ほどの珍騒動について何も知らないようであった。成司の言葉を聞いて、そこでようやく堀内の存在に気付いた春日は、


「入部希望者か?」


 と、若干鋭い目つきで堀内を見つめる。


「ひっ」


 そんな春日の目に、思わず堀内が背筋を強張らせる。


「こ、怖いよぉ。よなっちぃ」

「……なにぃ?」

「ひゃあっ。ひゃああ……」


 片眉を吊り上げた春日に、堀内は成司の袖を引っ張ってその後ろへ隠れてしまった。確かに高身長だしやや無愛想なところはあるが、そこまで恐れなくてもと思う。

 対する春日の方もいくらかバツの悪そうな顔で俯いてしまった。そして、そのまま頭を掻きながら春日はソファーに置きっぱなしになっていたチラシの原本に目が止まる。


「おい。原本をこんなところに放りだしておくなよ」


 やや怒りのこもった口調でそれを拾い上げながら、春日はよりいっそう不機嫌な顔になる。


「まだコピーすらしていない……全く呆れてしまうな。人を呼びつけておいてその場所に行ってみれば一向に顔を見せない。気になって探しに回ると、こんなところでぐだぐだとお喋りとか」

「ち、違うっス! そこの……堀内さんを慰めていたんスよ……」

「慰め? なんだそれは」

「泣いていたので……」


 阿古屋がしゅんとしながら俯く。

 春日が不機嫌なのがショックだったのだろう。確かに阿古屋にしてみれば今回の件は全くの部外者で、言ってしまえば成司のわがままに無理矢理付き合わされた形になる。


 真面目にやることを為そうと思っていた彼女からすれば、春日の態度は誠に不本意なことに違いなかった。見ていて、すごく居たたまれない気持ちになる。


「あの、先輩」


 だからこそ自分がどうにかしないと、と成司は慌てて口を開いた。


「……すみません。阿古屋、本当は真面目にコピーしに行くつもりだったんです。俺が、余計なことを言って引き留めてしまったから」

「そんなことはわかっている」


 ぴしゃりと春日が成司にそう言い切った。


「阿古屋はお前と違って真面目だからな。大方そんなことだろうとは思っていたよ」


 そうして大きくため息をついてから、春日は成司の方へと振り返る。


「あのな、与那城。現状サークルとしての活動が困難な今、僕は何も出来ないなりに今しなければならないことを真剣に考えている。だから昨日は無理を言って、鷲里にチラシのラフを、ネットの知り合いに彩色を頼みこんだんだ。遊びでやってるわけじゃない」


「それはわかってます。けど――」


「別に、お前のような『ヒマだから顔を出すといった感じの人間』のことに関して、僕はとりとめてどうこういったりはしない。去年あったサークルもそんなノリだったし、そうでなくても現状、ちっとも人員はいないのだからな。しかしそれでもだ。せめてそういったノリは、真剣に取り組んでいる他の部員――つまり阿古屋にまで迷惑を掛けない程度にしてくれ」


「はい……」


 かねがね、そう思われてるのは仕方がないと思っていた。


 だが、成司はどうにも釈然としなかった。

 春日の言葉のニュアンスを客観的にとらえると、つまり与那城成司という人間は、物凄くいい加減でちゃらんぽらんなヤツだってことになる。

 だが、あくまで成司自身はそんなつもりなど毛頭なかった。


 少なくとも、そんなつもりでここに入り続けていたわけではない。一応成司なりにこのサークルのことはきちんと考えているつもりであった。

 おざなりにしていたつもりは、これまでもこれからも一切ない。現に今日だって、堀内に掴まりさえしなければ真面目にチラシ配りをしようと思っていたのだ。


 とことんついてないなと思う。

 至るところから誤解をされっぱなしで、正直限界であった。

 どうしてこう、うまく周りの人間と噛み合わないのだろうか。


「与那城くん……」


 阿古屋が心配そうに口を開いた。

 悪気はないのだろうがそんな阿古屋のせいで、とりわけ自分が惨めに思えてくる。


 ……阿古屋に同情されるわけにはいかない。


 いつも強がって接していたからこそ、そこだけは一切譲れないプライドがあった。


 スキー部やテニス部の連中からどう思われようが、構わない。

 少なくとも春日にだけは――阿古屋の所属しているこのサークルだけは自分の意思をはっきりと示しておくべきだ。


「春日先輩。チラシ配り、俺もしっかりやるんで」


 そう声をかけると、春日は何も言わずチラシから顔をあげて成司の方を向いた。


「だからもう……さっき言ったような風に、俺の事を思わないでください。俺は……俺は別にそんなつもりなんてなくて。真面目に、やろうと」


 しばらく考え込むように黙った後、春日は静かに、


「わかったよ。与那城」


 と、頷きながら言った。


「お前のことに関しては認識を改めよう。と、いうよりもだな、僕は阿古屋ほどお前のことをよくは知らんのだ。はっきりいって、これまでろくに顔を見せなかったからな」


 紛れもない事実に、成司はがくりと肩を落とす。

 そこに対しては、今更言い訳するつもりもなかった。あくまで成司としては「それでも――」という意図で口を開いただけで、これまでの態度で全てを判断されていたのは明らかだったからだ。


「まぁ与那城は楽器のことに関して言っても、阿古屋みたいな経験者じゃないからな。演奏の楽しさもまだよくわかっていないだろう」


 そこまで言うと春日は、少しだけ恥ずかしそうに成司から顔を背け、


「結局僕とお前の相互で、理解が大きく不足している部分があるんだよな。その点に関しては努力の足らなかった僕も謝罪しよう。すまなかったな、与那城」


 と、成司からすれば思ってもみない言葉が返ってきた。


「……僕はどうも変に凝り固まって人を見てしまうくせがあるんだ。でもまぁ、これでも去年に比べればまだいくらかマシだがな。去年一年色々あったおかげで、近頃は随分とこなれてきたと思うよ」

「去年――って、ボーカロイドやってたって話のことですか?」

「なに? お前それをどこで聞いたんだ」


 成司の言葉に、春日がびっくりして聞き返してくる。


「い、いや。昨日スキー部の飲み会で千佐都先輩からそんな話を」

「なんだ。千佐都のヤツ、お前にそんなことまで喋ったのか」

「あ、はい……。千佐都先輩と鷲里先輩と春日先輩と。あと、」

「樫枝、だな」


 春日がそう言い切ると、阿古屋が不思議そうに首を傾げた。


「ぼーかろいど? それってアレっスか? 札幌のご当地土産キャラの」


 ひどいと言えばあまりにもな認識であった。


「アタシのぉ、このスマホに入ってるヤツみたいなのですかぁ?」


 成司と阿古屋の会話に割って、堀内が自分のスマートフォンを取り出してみせる。


「これすごいんですよぉ。ボタン長押しすると『ご用件はなんですか?』って出るんですよぉ」

「――さっさと行くぞ」


 そんな堀内のことなど完全スルーの春日は、三人を尻目に原本を持ってさっさとその場から離れていってしまった。

 成司と阿古屋が慌ててその後ろへついていき、


「あぁちょっとぉ、待ってくださぁいー」


 と、何故か堀内もスマートフォンをもって立ち上がった。



 ※ ※ ※



 そうして四人で図書館の扉をくぐる。

 入るなり、成司は受付の人の顔を見ると、今日はいつもの優男先輩ではなく別の女性が座っていることに気付いた。


 そういえば。

 成司は先ほど堀内の珍騒動の場に優男先輩の姿があったことを思いだした。学校には来ているのだろうがこの場にいないとなると、今は講義の方にでも顔を出しているのだろうか。


「あの。いつもここに華奢な感じの眼鏡かけた男の人がいるの知ってますか?」


 ふと同じ学年かもしれないと思い、成司はなんとなく春日にその事を尋ねてみると、


「しらん」


 と、見事に一蹴されてしまった。


「僕は普段こんな場所に来ないしな。樫枝に聞いた方が早いんじゃないか。お前と同じアパートなんだろ? 去年はあいつ、よくここで居眠りしてたぞ」

「去年……ですか」


 成司は結構な頻度でここに通っているが、悟司の姿を見たのはオリエンテーション以降一度もなかった。今年と去年では、もしかしたら随分内部の事情も変わってるかもしれない。


「……樫枝さんって、ひきこもりネットゲーマーだし、多分今年の図書館事情には疎いんじゃないですかね?」

「はぁ? 樫枝がネットゲーマー?」


 ぽつりと漏らした成司の言葉に、春日が素っ頓狂な声をあげて振り返った。


「いや……あの人、俺が最初に会ったときからずっとそうですよ? もしかして千佐都先輩と一緒で、春日先輩もその事を知らなかったんですか?」

「知らんぞ、そんなこと。あいつとは互いに実家からここへ戻ってきた際に顔を合わせただけで、それ以降は全くと言って良いほど顔を合わせてない。千佐都もそうじゃないのか?」

「千佐都先輩は多分、オリエンテーションの時に会ってますよ。俺が最初に千佐都先輩を見かけたとき、彼この図書館にいましたもん」

「なにか言ってたか?」

「えーっと……」


 既に一ヶ月以上前のことだから思い出すのに苦労した。


「確か、『なんなのよ、あいつ』とか『忙しい忙しいって、かすがはあんなに頑張ってるのに』とか言っていたような」

「ふっ」


 思わず笑いが漏れ出てしまったようで、春日はそれを隠すように軽く咳き込んでから、


「……まぁ今の僕は、あいつに無理強いするつもりもないんだ。ただ、ネトゲはちょっとアレだな。近いうちに一度、きちんとその事について文句でも言いにいってやろう」


 と、存外気にも留めていないようにそう振る舞ってみせた。


 だがちらりと見せた寂しそうな春日の顔は、気にしていない態度を装うにしてはあまりにも違和感がありすぎる。


 樫枝悟司――


 成司は、彼の顔を思い出しながら唇をぐっと噛みしめた。


 彼らのメンバー間でどのようなことがあったのか、そんなことは詳しくしらない。

 けれど成司には、千佐都と春日が樫枝悟司という男に多大な期待をかけていると、そうはっきりと感じられるのだ。


 別に彼自身、必ずしもそんな二人に応える必要なんてないのかもしれない。だからこそ、今の樫枝悟司は思い思いのことをやっているのだろうし、その事について成司自身も彼を咎めてやろうだなんて大それた立場にはない。

 それ以前に、そもそも誰からも期待されていない立場なのだから、咎めるなんてお門違いも甚だしい。


 でも――このままではあまりにも二人が不憫だと思う。


 全くの部外者である成司にも、今の樫枝悟司ははっきりいってひどいレベルを通り越している。


 普通はそこに、たとえどんな事情があったにせよ、きっと出来うる限りのことはしてみようともがいてみせるはずだ。現状、何も期待なんてされていない自分だからこそ、余計に強く成司はそう思った。


 なんだか樫枝悟司のことがひどく羨ましくなった。これだけ能動的に動いても自分はちっとも期待なんてかけられないのに、樫枝悟司はこんなにも期待をかけられている。


 その違いとは、一体なんなのだろう。


 そんな風に成司がずっと黙考している横で、春日は受付の女に近付く。


「――久しぶりだな、水谷」


 そう春日が笑うと、水谷と呼ばれた受付の女は髪をかきあげながらめんどくさそうに春日を睨み返した。



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