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シュガー・シュガー・シュガー(!)  作者: 助供珠樹
大学二年:4~7月まで(エピソード4)
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32/90

第十七章『ぽよぽよ堀内の-2さじ目』(2)

「それじゃあかんぱーい」


 全く見知らぬ目の前の先輩とジョッキグラスをぶつけあって、成司はビールに口をつけた。


 結局、月子のイラストの完成を待たずにスキー部の新歓に出てきてしまった。

 阿古屋の方はというと、「このまま絵が完成するのを先輩と一緒に待つっス!」とかなんとか言って、こちらの新歓に顔を出すことを早々に諦めて春日と共に行ってしまった。

 正直なところ、自分も月子のイラストに興味があった。あんな可愛い子が描く絵とは一体どのようなものなのか。


 だが、まぁその事については明日にでもわかることだろう。

 というわけで今日のところはこっちを優先することにしたのだった。


「与那城」


 その声で顔を上げると、千佐都がジョッキグラス片手に仁王立ちで成司を見つめていた。

 千佐都はそのままどっかりと成司の向かいに腰を下ろす。


「なーんかつまんなさそうね。スキー部の連中に片っ端から声かけまくってた数週間前とは大違い」

「そう見えますか?」


 とりとめてそこまで暗い顔をしていたわけではないつもりなのだが、この千佐都という女は成司の顔を見ながらそう感じたようだった。


「あの、スキー部ってホントにスキーしてるんですか?」


 前々から聞いてみたかった質問を千佐都にぶつけてみる。


「あたしはしてないよ」


 なんとまぁあっさりと。

 千佐都はごくごくと手に持っているビールを飲んでから、


「でもまぁ、やってた人はやってたみたいだけどね。うちってかなり大所帯だから、そもそも全員で決まって行動することが稀なんさ。だからあんたもスキーしたくなったら、同じようにスキー目的で入った連中を誘えば出来るんじゃない?」

「えらく適当なサークルなんすね」

「メインはこれだから」


 けらけら笑いながら千佐都がジョッキを指さした。


「そういえば樫枝先輩は、」

「千佐都でいいよ。皆そう呼んでるし」

「……千佐都先輩は、どうして軽音サークルの方にも顔出してるんですか?」

「どうしてって」

「楽器、出来ないんでしょ」


 じっと目の前に置かれた枝豆を眺めながら、成司はいっそストレートに尋ねてみることにした。


「……なんか、千佐都先輩があの春日先輩と仲良しなのが俺にはよくわかんないっす。鷲里先輩なんかは特に。最初は、ここやテニスサークルみたいに、適当なノリでやってるサークルなのかなって勝手に思ってて、だから千佐都先輩とか楽器が出来ない人も所属してるのかなとか思ってたんすけど、春日さん見てるとそういうわけでもなさそうだし」

「へぇ。あんたつっきーにも会ったんだ」


 あまり驚いてない風に、目の前の枝豆をひょいっとつまむ千佐都。


「まぁ一応去年あった軽音サークルも、学祭に関しては結構真面目にやってたよ。ただあたしは去年のサークルの方には入ってなかったんだけどさ」

「それはさっき春日さんから聞きました。鷲里先輩も、そうだったんですよね」


 千佐都に倣うように成司も枝豆を手にとった。


「ぶっちゃけ、お二人は春日さんとどういう繋がりなんですか?」

「音楽仲間よ」


 実に当たり前のように千佐都が即答する。

 いや確かにそれは普通に考えれば、その通りなのかもしれないが。


「でもあなた、楽器出来ないんでしょ?」


 問題はそこだった。


「出来ないよ?」

「それなのに音楽仲間?」

「うん」


 全く意味がわからない。


「楽器出来ないのに、音楽仲間なんですか」

「与那城ってさ、もしかして楽器出来なきゃ音楽出来ないと思ってる?」

「あ、当たり前じゃないですか。なにかで鳴らさなきゃ、音なんて作れないでしょ」

「鳴らしてはいるんだよ、ただ楽器は出来ないってだけで」

「はぁ?」


 ますます混乱する成司の顔を見て、千佐都はとうとう我慢できなくなったようにくすくすと笑い出した。


「ふふ。なんか禅問答みたいな話になってきてゴメンね。答えはわりかしシンプルなんよ。与那城ってDTMのこと知ってる?」

「DTM、ですか」


 聞いたことが、あるようなないような。

 確か、パソコンの音楽ソフトか何かの総称だった気がする。


「あたしさ、一応去年の今頃くらいに、本当に少しだけ軽くそれをネットで調べて適当にいじったことがあるんだ。だから今でもちょっとした音を入れるくらいなら出来るのね。もちろん、かすがとか悟司から使っちゃいけない音とかはあらかじめ教えてもらうんだけどさ。じゃないと不協和音になっちゃうらしいし」

「え、と。じゃあ千佐都先輩も鷲里先輩も、そのDTMが扱えるから春日さんと一緒に音楽を?」

「いやいや。あたしは扱えるってほど扱えないし、つっきーなんか、きっと触ったこともないんじゃないかな。あたしのメインは作詞。つっきーはあの通り、イラスト担当」

「イラスト?」


 ますますわからん。どんどん頭がこんがらがってくる成司の顔を見て、千佐都もそれを察したようにビールの泡を拭いながらジョッキを置いた。


「まぁホントはもっとシンプルに説明することも出来たんだけど、それじゃ面白くないかなーって思ってさ。だからこんな面倒くさい話し方になっちゃったんだけど。でも、これ以上は与那城の頭がフットーしそうだから、ネタばらしさせていただきますか」


 ごとん、とジョッキを机の上に置いて、千佐都は言った。


「あたしら、実はボカロで音楽作ってアップロードしてんのよ」

「ボカロ?」


 それなら成司にも聞いたことがある。ボーカロイドというものの略称だ。

 確か高校の時にもやたらとハマっている連中が何人かいたし、コンビニでそのボーカロイドというもののキャラクター商品が並んでいたりすることもあるので、存在くらいは認識出来る程度には知っていた。


 だが、具体的にどういうものかについてはさっぱりわからない。

 機械音声で歌を歌わせるということ以外の知識は、成司にはほぼ皆無であった。


「ボカロで曲を作ってそれを公表する場所が動画サイトだから、動画である以上イラストは必要でしょ? だからその絵をつっきーに描いてもらってるのさ」

「それを、四人でやってるってことですか?」

「そそ。あたしとつっきー、悟司のかすがの四人よ」


 なるほど。そういう縁だったのか。

 ようやく謎が解けた気がするが、ここで新たな疑問が沸いてくる。


「悟司って、樫枝悟司先輩のことですよね」

「ほーだよ」


 知らず知らずのうちに、どこかから引っ張ってきた焼き鳥を頬張る千佐都。よく食べる人だなぁと内心呆れつつ、


「悟司先輩って、あのネトゲやってる先輩ですよね?」


 そう成司が告げると、ぴたりと千佐都の手が止まった。


「……そんなことしてるのアイツ? 最近ずっと忙しい忙しい言ってて、学校でもなかなか顔あわさないからずっと何してんだろーとは思ってたけど……」


ぶすっとしたまま千佐都はねぎまを口に入れると、そのまま口の中で一気に引き抜いた。

 千佐都は串のみになってしまったそれを見つめながら、


「最悪ね。こんど喝を入れにいこうかしら」

「その方がいいっすよ。なんだか、えらくやばいハマり方してるんで」


 成司の言葉を聞きながら千佐都は口の中のねぎまを一気にビールで流し込んだ。


「まぁ……でも、気持ちはわからないでもないんだけどね。色々あったから」


 ほとんど残っていないビールをテーブルに置いて、ぽつりとそう漏らす。


「色々?」


 千佐都はくしゃりと前髪を掴んで机に両肘を乗せた。


「ただ……正直なところね、今の悟司には他の皆もあまり強くは言えないんさ。だから今のあたしらの活動って、半ば放置状態というか、下手すれば空中分解しちゃうんじゃないかなーって状態なの」

「はぁ……」


 詳しいことは話してくれないからわからないが、とりあえず今の彼は、皆が腫れ物に触るような扱いなのだろうか。


「……結局、悟司のやる気次第なんだあたしらのやってることって。あいつがもう曲が作れないって言うならそれでもう終わりになっちゃうし。かすがはあんまりそれを認めたくないのか、悟司がいなくても自分でどうにか出来るよう奮闘してるみたいだけど」

「それは軽音サークルの――活動のことを言ってるんですか?」

「そうよ。多分かすがは、悟司のようになんでも出来る天才になりたいんだと思う」


 一瞬聞き間違いかと思ったが、千佐都はなおも言った。


「悟司はさ、天才だから」

「天……才……?」


 嘘だろと思った。聞き間違いじゃないかと耳を疑った。

 だって、あれだけどうしようもないダメ人間の見本みたいな人間なのに。


 そう思って成司が千佐都の顔を見ると、彼女の顔がほんのりと赤らんでいるのがわかった。そうだ。きっと酔いが回って千佐都はおかしなことを言い出しているだけだ。

 そう思っている成司をよそに、千佐都はぼんやりと続ける。


「でもきっと、かすがは悟司みたいにはなれないんだ……。今まで悟司がしてきたことをかすががやろうとしても、前の二の舞を踏むだけなのよ結局のところ」

「前って――以前はかすが先輩が曲を作っていたってことですか?」

「うん。でもその時は動画サイトのコメントでぶっ叩かれまくっちゃってさ。それで、今度は悟司が作ってみたら、高評価だったって流れさ」

「へぇぇ……」


 思わず感心するような息を漏らしてしまったことに気付いて、慌てて口を手で押さえる。

 あれだけ軽蔑しきっていた人間なのに、実はそんなすごい人だったなんて。いや、もちろん今の話には、多少千佐都個人の脚色も入っているかもしれないが、それでもだ。


 少なくともこの目の前にいる先輩の期待を、樫枝悟司が得ているのは間違いなかった。

 樫枝千佐都は間違いなく、今後も樫枝悟司の活躍を期待し続けているのだ。


「ま、そんな感じで今のあたしらは、活動休止中。ヒマだったら大学のパソコンでも使ってうちらの曲でも聴いてみてよ。大学の中でもあたしらのこと知ってる人って、それなりにいるんよ」

「わかりました」


 言われなくてもとっくに興味を惹かれまくっていた。

 あのネトゲ廃人がどのくらいすごかったのか、確かめてみなくてはならないと思い始めている自分がいた。


 そんな時、


「――遅れちゃってすみませーん」


 ハイトーンな声が、スキー部新歓の席一帯に響き渡る。

 成司と千佐都がそちらの方を振りかえると、


「「あ」」


 二人同時に、そんな間抜けな声が漏れた。


「あ、よなっちー」



 遅れてやってきたのは、堀内だった。


「な、なんで堀内ちゃんがスキー部に?」


 動揺しているのは成司だけじゃない。千佐都も目をまんまるくさせて堀内を凝視していた。一方の堀内はというと、成司を見るなりずっと嬉しそうに手を振り続けている。


「ちょいと与那城っ」


 そう千佐都に襟首を引っつかまれて、ぐえっと間抜けな声を上げてしまう。


「あの子って、今日あんたがデレデレしてた一年でしょ。どういうことよ、こら」

「お、俺が知るわけないじゃないすか! スキー部に顔出したのも久しぶりだってのに」

「おじゃましまーす」


 二人でそんな風に揉めている姿も気にせず、堀内が成司の隣にちょこんと座った。ちょうど、成司を挟んだ逆側に千佐都が座っているので、二人が会話するときは必然的に成司を乗り越えて話さなければならない。


「えへへ。よなっち、その先輩だあれ?」


 甘えた声を出してそんな風に尋ねる堀内に、周囲の男連中の鼻の下が一気に伸びた。

 着替えてきたのだろうか、今朝会った時と堀内の服が違っていた。より一層おっぱいがはだける感じの露出が激しいやつである。ぽよんぽよんの谷間が艶めかしい。


 そんな堀内の姿を見て、なおもいっそう不機嫌な顔になる千佐都。


「あ、ああ。この人はスキー部の先輩で、かしえ――」

「わぁ、すっごい美人さんですね。かわいぃぃ」


 聞いちゃいねぇ。


「あなたさ、」


 千佐都は誉められた割に不機嫌そうな顔をして、堀内を見る。


「はい?」

「あなたいつスキー部に入ったのさ」

「え? ああ今日ですよぉ」


 やたらと間延びした調子で堀内が答える。いつもそんな喋り方なので、成司の方はすっかり慣れっこであったが、千佐都からすればことさら媚びているように思えたようで、眉間をぴくぴくさせながら、


「今日って、あたしはなんも聞いちゃいないわよ」

「先輩はぁ、部長さんかなにかなんですかぁ?」

「違うけど……」

「じゃあぜったいぜったいしらないですよぉ。アタシ、今日男のひとに入部届けだしたら、さっそく飲み会があるって聞いたからぁ、少しだけ遅くなるけどぜったいぜったい参加しますぅって、言ったばかりですもぉん」


「コイツ……喋り方うっぜぇ……」


 ぼそりと、堀内には聞こえないボリュームで千佐都が悪態をついた。真隣の成司にはばっちり聞こえてしまっている。表情を伺うに、かなりおかんむりなご様子であった。


「それよりもよなっちひどぉーい」

「ふぁっ!?」


 再び腕にぽよんぽよんのおっぱいの感触がして、成司は間抜けな声をあげながら堀内の方へ振り返った。堀内は腕に巻き付くように身体をあずけ、そのままぐりぐりと人差し指を成司の肩の辺りに押し当てる。


「今日テニスサークルの方に行くときは、メールちょうだいって言ったじゃなぁい。マジでアタシ、激おこだよぉ」

「あ、ああっ! え、と。それはですねぇ……実は軽音のサークルの方に、」

「――あたし、樹里のところ行ってくる」


 すっくと千佐都がジョッキ片手に立ち上がる。


「あれぇ先輩、まだアタシぃ、名前聞いてないんですけどぉ」


 さっき俺が言いかけただろうが。


「樫枝千佐都です。んじゃ」


 そう言って、千佐都は実に素っ気ない様子で去って行った。

 ものすごーくわかりやすい態度である。ここまであからさまに正直な反応する女子もかなり珍しい。裏表などまるで皆無だ。

 手品のタネのように、どちらを向いても表しかないコインさながら、当事者に面と向かって「あたし、あんたが大嫌い」とはっきり口にされるよりもわかりやすい、それはもう見事なまでの拒絶っぷりであった。


「お、おい与那城。その子と知り合いなのか?」


 そして入れ替わるように鼻息を荒くしてやってくるスキー部男子。

 堀内はたった今去って行った千佐都の様子など気にも留めていないのか、それともわかっていてあえて何も言わないのか、そのまま表情を崩さずに男子連中に愛想を振りまき始める。


「アタシぃ、堀内みすずって言いまぁす。よなっちとは、テニス部で一緒でぇ」

「テニスの子だったのか」

「マジかよ、敵対勢力じゃねぇか」

「も、もしかしてスパイか。ハニートラップってやつか」


 堀内の言葉を聞いて、少しだけ警戒心を露わにする男子一同。

 だが、堀内はそんな男子連中に向かってしゅんとした顔で、


「えぇースキー部って、テニス部と仲悪いんですかぁ? アタシぃ、そんなの初めて聞きましたぁ! ……なんだかショック。二つとも、とっても大きいサークルだからぁ、てっきり仲がいいものだとばかり思ってたのにぃ」

「い、いや。別にそんなに表立って戦争しているわけじゃないんだが……」


 慌てふためく男子連中。

 そこで、ようやく成司の腕に巻き付いていた堀内が離れた。

 と思いきや即、別の男子の腕へと巻き付くと、


「ホントですかぁ? アタシぃ、そういうギスギスしたの嫌いですぅ。仲良くしましょうよぉ」

「う。うむ。仲良く。仲良くだな。うん」

「はは、そうだな。確かにそうだ。喧嘩はよくない」


 とまぁ、実にあっさりと懐柔されてしまった。文字通りの秒殺、である。


「お、おい堀内ちゃん」


 成司が、そっと耳打ちする。


「本当のところはどうなんだよこれ」

「本当のところぉ?」


 わからないといった様子で堀内がぽかんとする。


「だから! ……テニス部の方から何か言われてやってきたワケ?」

「違うよぉ」


 ふるふると首をふる。


「よなっちがスキー部にいるって聞いたからぁ、ついてきちゃった。それだけだよぉ」

「本当に?」

「本当だよぉ」


 ……だとすれば、これは。


 いわゆる脈アリ――って、ことになるのか?


「よなっちいっぱいサークル入ってるでしょぉ。アタシ、出来ればよなっちみたいに、たーくさんお友達が欲しいんだぁ」


 そう言って、人懐っこい笑みを浮かべて堀内が笑う。


 再び成司は黙考した。


 これは……どう受け取っていいものだろうか?


 彼女は本当にただ、お友達を欲しいがためにスキー部に入ったのだろうか?

 テニス部とスキー部は暗黙の敵対勢力であることは、二つをかけもちした早々に気付いた事実であった。どちらかに入っていれば、その手の話題は男女分け隔てなく嫌でも耳に入る。なによりも今朝と今の千佐都の態度で、それは明らかだ。


 ただ成司は、あろうことかそれらの関係を把握する前、つまり最初のオリエンテーションの時点でかけもちを決めてしまった。本来ならば、どちらかのサークルの代表に折檻を食らってもおかしくない立場なのだが、それを免れたのはひとえにそのことを知る前に二つのサークルに同時入部したからである。


 どちらの方にも決してよくは思われていないが、特別例外措置として居座っているのだ。その事を、堀内が知らないはずはない。


 おそらく、自分についてきたという言葉は本心に違いない。


 だが、わからない。

 そんなことをすれば、男子連中はともかく双方の女子連中からは総スカンものに違いないのだ。


 スパイ、という線が一番しっくりくる。というかそれ以外考えられない。

 でも、なぜスパイをここに? しかも堀内みたいな、よりにもよってこれだけぽわんとした女をわざわざ?


「なーんか、よなっち怖い顔してるぅー」


 その言葉ではっと我に返ると、堀内がおびえるような目で成司を見ていた。


「本当に、お友達が欲しいだけだよぉ。嘘じゃないもぉん」

「い、いや。別に疑ってたわけじゃ」


 そうやって誤魔化そうとした矢先に、周囲のスキー部男子連中が堀内を取り囲んだ。


「そうだぞ与那城。こんな可愛い子を疑うなんてどうかしてる」


 えー。


「な、なぁ堀内ちゃん。こんな男は放って置いて、俺たちと楽しくお喋りしようぜ」


 うそーん。


「そうだそうだ。怖い顔の与那城は、とっととあっちいけよなー」


 しっしと追い立てられるように手を向けられ、元々陣取っていた成司の席はあっという間に奪われてしまう。


 一方の堀内は男子連中に取り囲まれて、いつの間にかやってきていたカクテルを楽しそうに煽っていた。


「きゃは、センパイおもしろーい」

「だろだろ? 面白いだろ? 続きましての物まねは――」

「あ、堀内ちゃん。俺の上腕二頭筋見てみる? 見てみる?」


 そうして、一気にやってくる疎外感。

 堀内はもはや、成司が隣にいたことすら忘れてしまっているようだった。


「な、なぜ俺がこんな目に……」


 仕方なく席を移動しようと立ち上がると、そこで成司は身の毛もよだつ程の強烈な視線を背後に感じた。

 振りかえると、先ほど堀内が来るまで楽しそうに飲んでいたはずの女子連中が、物凄い殺気をみなぎらせながら堀内を中心に出来上がった輪を睨みつけていた。


「……なにあの子」

「なんなのマジで……ブリッ子も大概にしなさいよ」


 どの子も皆一様にグラスがぷるぷると震えている。

 戦場だった。ここぞまさに、戦火飛び交う死地の最前線。


「に、逃げ場所を探さないと」


 被弾しないように、慌てて防空壕を探し求める成司。

 男連中の輪はなおも増殖を続けており、女子達のヘイトが悟空の元気玉のように溜まり続けているのがありありと伝わった。


 何はともあれ、そのことに敏感に気付けたことは幸いだ。明日スキー部女子に会った際に無視されないためにも、即刻この場から逃げ出さないと。


 そう思っていた時、


「与那城ー」


 その声は、まさに天から伸びた一本の蜘蛛の糸であった。声のした方を見ると、先ほどよりもさらに表情を険しくさせた千佐都と、松前が手招きをしている姿が目に映った。


 転がり込むように松前の元へと向かう成司。


「た、助かりました。松前先輩」

「こりゃあ、明日はやっばい事になりそうだねぇ」


 実にのんびりと、まるで他人事のように松前はそう言ってライムサワーに口をつけた。

 そんな松前とは対照的に、むっつり顔の千佐都は淡々とビールを飲み続けていた。何も言わないが、身体の周りからそこはかとない邪気を感じとれる。


「あの子連れてきたのあんたでしょ、与那城」

「ちょっと待ってくださいよ! 俺は別に堀内ちゃんを誘ったりなんか――」

「いやいやわかってるよ。勝手にやってきたのは雰囲気でわかる」


 でも、と松前は付け加えるように続ける。


「あんたがいたからやってきたってのは間違いないでしょ? まぁ与那城はさ、どちらのサークルから見ても特別害がないと思われていたから。だからこれまでに前例がなくても、与那城だけは特例として二つの部のかけもちを許されてきたわけよ。でも、あの子までってなるとちょっと話が違ってくる」

「な、なんでですか? 俺が許されてるなら、この際一人や二人増えたところで――」

「あの子じゃなかったらそれもアリだったけど、それはちょっと無理な話よね」

「だからなんで――」


 話の先が見えないでいる成司に向かって、松前は左手の指を開いて言った。


「――五人。これは、これまであの堀内って子がテニス部で肉体関係を持った数ね」


 その言葉を聞いた千佐都が、ぶっとビールを吹き出した。


「はぁ!? まだ五月じゃないのさっ! あの子一年でしょ。いくらなんでも――」

「そう、いくらなんでも早すぎ」


 対する松前の口調は、実に淡々としすぎていた。


「あの子、とんだサークルクラッシャーよ。きっと、無自覚で場を引っかき回すタイプだ」



 ※ ※ ※



 翌日から、スキー部内の空気が一変した。


 それまでは特に内部での派閥のようなものが一切ない、全員が全員仲良しといった、大所帯のサークルにしては珍しいほどに一貫した空気に支配されていたのだが、それが物の見事に分断してしまった。


 男子群と、女子群である。


 いやはや、なんともわかりやすい構図だと成司も思う。


 そんな成司は、松前と千佐都という「スキー部二大美女」にかくまわれ、かろうじて女子連中にハミゴにされずに済んだ。


 とりあえず現状は、打てば響く程度に会話をかわすことは可能である。


 だがそんな状況でも、成司は決して女子連中から快くは思われていなかった。

 なぜならどれだけ松前と千佐都が女子連中を説得しようが、女子からすれば成司は堀内を連れてきた張本人であり、言い換えれば成司という人間が双方のサークルに所属さえしていなければこんなことにはならなかったというわけである。


 一方のテニスサークルの方も、散々な状況であった。

 成司の知らぬ間に、堀内の悪評はとっくにテニスサークルの女子連中の中で広く伝播していたようだった。

 今までずっと水面下で伝わり続けていたものだったので、成司が知らなくても当然であった。

 堀内が、テニス部の女子と一緒にいることがなかった理由もこれで頷ける。


 松前はその女子連中から、既にこの事実を聞いていたらしい。

 そんな彼女が言った、堀内の餌食にあった五人の男の中でも特にヒドいエピソードが一つある。


 それは三年の先輩カップルの仲を堀内が引き裂いてしまったといったもので、寝取られてしまったその三年の女子の先輩(※名は米田香奈子という)は、その事実を知るや、その男子の先輩に向かって包丁を突きつけたとかなんとか。

 幸いにもその場にいた友達連中が、全員で彼女をなだめたおかげで事なきを得たらしいが、もし仮にエスカレートしていたらどうなっていたことやら。


 全く、昼ドラも真っ青な超ドロドロ愛憎劇である。


 そんな渦中に、意図せずして巻き込まれてしまった成司は無意識のうちにため息の数が増えてしまっていた。昨日の今日で、気分は急転直下。物凄く気が重い。罪悪感もひどい。


「どうしたんスかー?」


 暗い顔をして喫煙所で煙草を吸っていると、阿古屋はいつものように屈託のないへらへら笑みを浮かべながらこちらにやってきた。


「お前はいいよな……人間関係に悩みがなさそうで」

「なんスかやぶからぼうに。あ、それはそうとイラストが完成したんスよー」


 あははと軽そうに笑う阿古屋の横で、成司はもくもくと口の中から紫煙を吐き出した。


「そんな気分じゃねぇよ……こっちは今大変だってーのに」

「こっちだって大変すよ。これから忙しくなるっスよー、もちろん与那城くんも手伝ってくれるっスよね?」


 阿古屋のそんな楽観的な喋りは、意図せずして成司の心を沈ませた。

 友達がたくさん増えてリア充生活まっしぐらだったはずなのに、気付けば二つのかけもちサークルの連中に顔を合わすのが、とんでもなくおっくうだった。


 みんな口には出さないが、きっと疎んでいるに違いない。

 松前も千佐都も、心の奥底では自分のことを厄介払いしたいはずなのだ。


 そうしないのは自分が――やっぱりこの軽音サークルのメンバーでもあるからなのかもしれない。

 昨日の千佐都の話を振りかえるに、この軽音サークルはある種彼女にとっての最終防衛ラインのようだ。春日のことをやたら気に掛けていたことからもそれは十二分にうかがえた。


 彼女は、スキー部よりもおそらく“こちら”のコミュニティの方を大事にしている。

 おそらく、自分が思っている以上に強く。

 だからこそ、そんなコミュニティに新しく入った成司と阿古屋のことを、非常に懇意にしてくれているのだ。会えば、彼女はいつだってたくさん絡んできてくれる。

 それはもう、うっとうしく思えるほどに。

 スキー部には他にも新入生がたくさん入っているにも関わらず、なのである。


 きっと松前の方は、そんな千佐都の思いを汲んで成司に付き合っているだけで、もし自分がこの虹山ロックに入っていなくて、千佐都とろくに会話などしていなかったら、間違いなく昨夜の飲み会で成司に助け船を出すことなんてなかったはずだ。

 一見して松前は人懐っこい雰囲気だけれども、ある意味では千佐都以上にドライな性格である。おしゃべりな性格だけれども、それはあくまで信頼をおいている人物のみだけだ。 

 千佐都が懇意にしている相手だからこそ、成司のこともそれなりには気に置いている。

 松前にとっての成司とは、あくまでそれだけの存在で、それ以上ではない。


 ……今まで自分は、真面目にやることよりもいかに楽して遊べるかの方が重要だった。

 でもそんな自分の判断は――はたして本当に正しかったのだろうか?

 ここに来て、千佐都の話を深く聞いてしまったのも相まって、成司は冷静にその事を考え始めていた。


「いっそ真面目に……真剣に軽音の方に力を注いでみるのもいいのかもな……」


 無意識のうちに、ぽつりと成司はそんな言葉を吐いていた。


「お、やっとやる気になってくれたんスか?」


 考えてみれば、自分のギターもすっかりホコリを被っていた。友達を増やしてただわいわいと騒ぐことだけが、当初描いていた理想のキャンパスライフであったが、これからは堀内というサークルクラッシャーのおかげでそれも随分と難しくなる。


 いくつものこじれまくった関係を修復するよりは、いっそのこと全てを切り離して別のことに気を向けた方が、精神衛生上いくらか楽だ。


 堀内のことは、そのうちどうにかしよう。


 これまでずっとおっぱいに目がくらんでいた自分を恥じつつも、成司はそう決心した。


「うん。やる気になった。今まで悪かったよ。あんま顔出さなくてさ」

「マジッスか!」


 目を輝かせる阿古屋。興奮してぴょんぴょんとその場を跳ねながら、


「いやぁー。嬉しいッスよー。これで部員がウチら以外にもたくさん集まったら新歓飲み会だって出来るだろーし、学祭に向けて本格的な練習をしたりも出来るっスよーっ!」

「まぁどれだけ集まるかはわからんが、とりあえずやれるだけのことはやろうな」

「すごいッス……ホントに小倉先輩の言ってた通りになったっス……」


 そこでぽつりと、阿古屋がよくわからない名前を出した。


「なに? 誰の話だ?」

「いやいや! なんでもないっス。それにしても与那城くん、嬉しいっス! 自分、マジで嬉しいんスよぉ!」


 わかったわかったと宥めながら、成司は灰皿の中に吸い殻を押し込んだ。


「とりあえずチラシの原本が部室に置きっぱなんで、それをコピーしに行くッス。あ、春日先輩に一応メールしといた方が良いッスよね?」

「そうだな。アドレスわかるか?」


 そうして、二人でさっそく部室に向かうことにした。



 ※ ※ ※



 部室は昔にあった軽音サークルのものをそのまま使っているようで、多少窮屈ではあったがドラムセット以外の荷物はあんがいさっぱりしたもので、奥のロッカーとマイクがささったままのスタンドの他には何もなかった。


「アンプとかってないのか?」


 成司がこの部室に入るのは初めてである。そもそもこちらのサークルはろくに顔も出していない上に、春日も阿古屋も、喫煙所でだべっているのが恒例だったので足を運ぶ機会がなかったのだ。


 まぁ本格的な練習を始めない限りは、使用する理由もないもんな。

 そう思っていると、先に奥に入っていた阿古屋から声が返ってきた。


「春日先輩の私物でベースアンプとギターアンプが一台ずつあるっスよ。でも、マイクのアンプはないみたいっス」

「え、んじゃ声出す練習はどうすればいいんだよ」

「それは、部員が集まってから皆で割り勘して買えば良いじゃないッスか」


 なんとまぁ軽く言ってくれるものだ。


「お前、その話はこれからやってくる部員には説明するなよ」

「なんでッスか?」


 わざわざ自ら不利な説明をすることもないだろうに。

 そう口を開こうとしたところで、


「あったあった。これっスよー。昨日、ロッカーの中に入れてそのままにしておいたんでっ」


 阿古屋がチラシの原本を持ってこちらに戻ってくる。


「それにしても早かったな。出来上がるの」


 成司は阿古屋から原本を受け取ると、彩色に目を見張った。

 サイケデリックと春日が言っていたように、塗り担当の人は確かに肌や髪の色彩がかなり独特であった。色でまず目を惹くが、ちゃんと見ると元のラフもかなりうまい。

 鷲里月子という人の実力がホンモノであることが、その時ようやく成司にも理解できた。


「春日先輩の知り合いの女の人、仕上げるのがすごい早かったっス。ラフ絵を見てから、三十分もしないで彩色したんスよ」

「三十分!?」


 だが言われてみると確かに、色塗りはグラデーションがかかっているわけでもないベタ塗りで、ところどころテクスチャーを使ってはいるが、やろうと思えばそれほど時間のかかるものではない。だが、それにしても三十分は早すぎる。


「月子先輩の絵だって聞いて、それで自分の作業そっちのけでささーっと仕上げちゃったんスよ。まるで、最初から打ち合わせてたみたいに息ぴったりな出来映えでびっくり」

「ほほぉ……」


 とにもかくにも、十分すぎる。


「よし、コピーしに行くか」

「はいっス」


 成司は原本を持ったまま部室を出た。



 ※ ※ ※




 部室棟を出て、そのまままっすぐ図書館へと向かう。

 そうして、昇降口を入った時だった。



「痛い痛いっ!」

「このっ――っ! ゲス女っっ!!」



 何事かと二人が叫び声のする方へ目を向けると、そこには堀内がテニス部の女子先輩とキャットファイトを繰り広げていた。

 よくよく見ると、先輩の方は包丁を向けたと噂の御仁――米田香奈子先輩である。


「やめろって! おい、香奈子っ!」


 二人の間を割って、今度は渦中の男子先輩が米田先輩の手を引き離そうとする。米田先輩の手は堀内の髪の毛をがっちりと掴んでおり、先ほど悲鳴をあげていたのはこれが原因だったのかと、成司はちっとも場にそぐわない冷静な心持ちでそれを眺めていた。


 程なくして二人を止めに入った数人の先輩たちの手により、堀内と米田先輩の密着していた身体が引き離された。


「あんたがいなけりゃ……っ! あんたがいなけりゃ『たっくん』は……っ!! たっくんはぁ!」


「……うへぇ」


 普段のほほんとしている阿古屋ですら、思わずそんな言葉が飛び出してしまうほどの修羅場であった。誰がどう見ても、こんな状況の関わり合いにはなりたくない。


「返してよっ泥棒! この、あばずれっ! 雌豚っ!!」


 一方的に堀内へ罵詈雑言をぶつけまくる米田先輩を見て、成司はそっと忍び足で図書館に向かうことにした。

 関わったら、間違いなく自分の大学生活は終わる。

 唯一絶対に、それだけは確信的に明らかなことであった。


「そ、それじゃ行こうか阿古屋くん」

「そ、そうっスね。我々には関係のないことですし……」


 残念ながら自分は大いに関係しているわけだが、それを阿古屋に話すわけにもいくまい。

 そうしてそそくさとその場を立ち去ろうとした成司の姿を、


「よなっち!」


 よりにもよって堀内という最悪な人の目に捕らえられてしまった。


 ぎくりと足が立ち止まる。


 ふざけんなっっ!

 なんでここで俺の名前を呼ぶんだ、コイツは!?


 そんな成司の心中などお構いなく、堀内はそのまま成司の方へと駆け寄ると、どんっとぶつかるようにして胸の中に飛び込んできた。


「ひっ!」


 なんとも情けない声が漏れ出てしまう。

 誰が見ても、知らぬ存ぜぬで通せる状況ではなくなってしまった。


「あの女が……あの女がアタシの髪を……うう……っ」


 胸の中で泣く堀内と、それを受け止めている成司にギャラリーの視線が一斉に集まる。

 ふと見ると、香奈子先輩がヒットマンのような目で成司を睨みつけていた。数日前に見た時はサラサラのストレートヘアーだったのが、今では見る影もなく口の中に数本ほど入ってしまっている。


 四谷怪談さながらの迫力だった。


「絶対に……許さない……っ。そこのクソ女狐と……っ、与那城成司っ!」


 名前を呼ばれてしまった。

 それも自分だけフルネームで。


 ギャラリーの中には、スキー部とテニス部の女子も入り交じっている。

 そのどれもが、成司に向かって敵意の視線を向けているのがわかった。


 これまで成司に対してグレーだった処遇が今、間違いなくブラックへと変わった瞬間である。



 なぜだ。


 本当に、なぜこんなことになってしまったのだ。


 がくりと膝をついてしまいたかったが、目の前で泣いている堀内のせいでそれすら不可能だった。


 阿古屋は、口をぱくぱくさせながら成司を見ている。

 よく見ると、図書館のあの優男もやってきていた。


 嗚呼。


 もうダメだ。


 グッバイ、リア充生活……。


 ふと樫枝悟司の顔が浮かび、今からでも『バトル・スプレマシー』の参加を受け入れてもらえるだろうか、と――



 この後に及んでも成司は、そんな脳天気なことを考えていた。



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