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シュガー・シュガー・シュガー(!)  作者: 助供珠樹
大学一年:3月(エピソード3)
20/90

ティー・ブレイクⅤ『過去と現在と雑踏の中で』

プロフィールNo.6


名前:岩倉美早紀

年齢(誕生日):20歳(4/19)

身長(体重):168.9cm(54kg)

血液型:B(RH+)

好きな飲み物:ジンライム、ロゼ、トマトジュース

苦手な物:“彼”との大切な思い出



 ――それじゃ、先輩の音楽ってどこにあるんですか?


 ……どこにいっちゃったんだろうな、本当に。


 美早紀はタバコをくわえながら、ぼうっと窓の外を眺める。

 場所は、新宿にある小さな喫茶店。白石から手渡されたセットリストを手に携え、高校最後の冬を思い返しながら、美早紀はふと、後輩の言ったこの言葉を突然思い出した。


 ――あたしの音楽がどこにあるか、なんて今はどうでもいい。


 無責任な言い訳で逃れるように、頭から彼の記憶を追い払った。甘酸っぱくも辛い、彼との思い出。そんな郷愁にのんびりと耽っていられるほど、時間は多くない。

 窓の景色からセットリストへと目を映す。そろそろリハの準備だというのに、白石はどこへ行ったのだろう。他のメンバーは既に現地入りしており、後は自分と彼が向かうだけだった。美早紀は携帯電話を取り出すと、アドレス帳から白石を探して耳に当てた。


「――おう、美早紀か」

「どこにいるの」


 自分でも驚くほど不機嫌な声になっていることに気付き、美早紀は携帯から少し口を離す。例の後輩――樫枝悟司のことを思い出してしまったからだろうか。


 忘れろ。彼は今もきっと名古屋に留まり続けているはずだから。


 きっと彼は、そういうひとだから――タバコをもみ消しながら、美早紀は深く息を吐いてそう思った。


「お台場だけど、もう用事は済んだ。今からそっちに向かうぜ」

「遅刻だって自覚、ある?」


 電話の向こうでけけっと嫌らしい笑い声が漏れる。


「んだよ、テメーまで俺に説教か? おぉ?」

「あたしまで?」


 美早紀が立ち上がり、伝票を持ってレジへと向かう。今からお台場を離れるならば、ここに居る必要もない。さっさと自分もライブハウスへ向かおうと思った。


「ああ、つい一時間前くらいのことだけどよ。ちびっこい生意気そうなクソ女が、俺に説教しようとしてきたんだよ」

「説教されるようなことしたからじゃないの?」


 肩と頭で電話を固定しながら支払いを済ませると、美早紀は外へと出る。


「……まぁいいや、その話は後で。俺がわざわざお台場にまで足を向けた理由も、その時に説明するわ。じゃーな」


 そう言って電話が切れるのと、溢れる雑踏の中に足を踏み入れるのは同時だった。携帯を閉じると、すぐさま美早紀は歌舞伎町の方へ足を速める。


 辺りはすっかり日が暮れ始めていた。また対バンの相手方と、箱のオーナーに向かって、自分が頭を下げるのかと思うとうんざりしてくる。どうせその事を白石に強く言ったところで聴く耳など持たないだろう。

 ため息をつきながら、靖国通りの歩道を歩く。



「――いやいや。ホントは行きたいくせに」


 前から歩いてくる集団から、そんな声が聞こえた。騒々しいほどにデカい声だった。


「『自分が行きたい』の間違いでしょう。僕らはそんな場所に興味など――」


 ちらりと目を向けると、長身の男が先ほどのデカい声の男に向かってそう告げる。長身の男の背にもう一人男性がいるようだが、美早紀がいる方向からは、彼の姿がよく見えなかった。


「またまたー。素直に、『エッチなお店に興味があります』って言ってくれたら、オレだって明日のイベント次第では、色々おごっちゃったりする気だったのよ?」

「イベント次第って、それじゃ、今行くのは僕らの自腹になるわけでしょうが。大体ですね、僕らはそんなことしに、わざわざ北海道から東京に来たわけじゃないんですよ」


 なるほど。東京観光の団体か、と美早紀は思う。あれだけ馬鹿でかい声で、恥ずかしげもなく喋っている時点でそう気付けば良かった。

 美早紀は足を速めて、その場を通り過ぎようとした。


 そうして、その集団の横を素通りしたその時、


「千佐都ちゃん達には黙っとくからさー。『悟司』くんもどうだい? エッチなお店」


 思わず、ぴくんと肩が揺れる。

 同名の誰か、だろう。そうに違いな――


「――お、俺も興味ないっすよ、そんな場所」


 たまらず振りかえった。

 何度も耳の中にこびりついた、その声。


 弱々しくも、それでいていつも自分に正直だった彼の声。


 自分の――以前、愛した人の声。


「ちぇ。なんだなんだ。二人して。つまんないの」


 そう言いながら両手を後頭部へ回す騒がしい男の横、長身の大男の背後には、あの頃よりも少しだけ大人になった彼の後ろ姿。

 びっくりして、歩道のど真ん中で立ち止まる。


 どうして。


 どうして、彼が――ここへ。


「悟司くん!」


 その声に、三人がぴたりと足を止めて一斉に振りかえった。

 騒がしかった男は、かなり整った顔立ちをしていた。こうして振りかえられるまで気付かなかったが、顔の造りだけでは白石よりもずっと男前だ。


 その横には神経質そうな大柄の男がいる。

 そんな彼は、ちらちらと目のやり場に困るといった風に二度見、三度見しながら怪訝そうに眉をしかめて美早紀を見ていた。その様子から察するに、きっと見た目の年齢よりも女性経験が少ないのだろうと結論づける。


 そして、同じように女性経験の少なそうな男が、ゆっくりとこちらへ振り返った。


 樫枝、悟司である。


 ……間違いない。

 自信のなさそうな表情。少しだけ垂れた目の、いかにも不健康そうな白い肌。

 猫背気味に歩きながら、ズボンのポケットに両手をつっこんでいる様も、何もかもが昔のままだった。


 変わってしまっているのは――きっとあたしだけ。


 髪をかなり明るく染め、派手なメイクに胸元を強調して見せたその服で、心の奥をごまかし続けていた自分だけだ。


「し、知り合いなのか樫枝? こんな、こんなに“派手な女性”と、お前が?」


 大柄の男が美早紀を指さして尋ねる。

 直球にもほどがあった。


 しかし自分でも、どうして声をかけてしまったのだろうと思う。

 つい先ほどの喫茶店で、彼のことを思い出してしまったからだろうか。


 どんどん醜く心が歪んでいく自分を、どうして彼に見せてしまったのだろう。

 誓った――はずなのに。

 これ以上、彼を自分のために巻き添えにするのは、もう辞めようと誓ったはずなのに。


「美早紀、さん?」


 悟司がぽつりと口を開く。


「美早紀さん、ですよね? そんな……まさか。こんなとこで会えるなんて」


 いつの間にか伏せてしまっていた顔を、静かに上げる。

 悟司は、自分を見ながらひどく嬉しそうに声を上げて言った。


「美早紀さん、本当に東京にいたんだ!」

「久しぶりね……本当に」


 まぶしすぎて、まともに直視することが出来なかった。

 本当に、何も変わっていない。


 それどころか、以前にも増してピュアに自分を認識している気がした。

 そんな様子が見て取れて、言い様のない吐き気が襲ってくる。

 自己嫌悪の塊が、マグマのように心の深層で沸々と煮えたぎってくるのがわかった。


「え、マジで悟司くんの知り合い?」


 鵜飼、と呼ばれていた騒々しい男が鼻の下を伸ばしながらこちらを眺める。正直、ものすごく不快だった。そういう格好をしていることは自覚していたが、それでも。


 腕時計を見る。既に遅刻している白石がいるため、のんびり話し込んでいる暇はない。


「ごめんね。本当ならもう少し話していたかったんだけど、この後ライブが――」

「ライブ? やっぱり今でもバンドを?」


 悟司の言葉に黙って頷く。


「ごめん。もし時間があるなら明日でも……」


 バカをいうな。

 自分で自分をそう戒める。


 これ以上、彼と何を話すと言うのだ。

 自分は、彼を捨ててきた。彼との思い出は、全て心の隅っこにまで押し込んで厳重に鍵をかけたはずだ。

 葛藤が胸をかき乱す。また――同じ事を繰り返すつもりなのか。自分は。


 だが、そんな美早紀の心の内など知る由もなく悟司は、


「鵜飼さん。明日、イベント終わったら、俺またここに来ます」

「え? ああ。そりゃ構わないけど……」


 悟司の勢いに押されるように鵜飼が頭を掻く。


「じゃあ、明日の夜七時くらいに、場所は――」

「悟司くん、電話番号変わってないよね?」

「え、ああ。はい」


 美早紀はもどかしそうに携帯を取り出すと、そのままアドレス帳に残っていた悟司の携帯番号にかけた。コール音が一回したところで消すと、


「これが、あたしの新しい番号だから」


 自分でも、自分が何をやっているのかわからなかった。

 一体何をしているのだろうと、その行動が信じられなかった。


「着いたらかけてきて。それじゃ――」


 逃げるように悟司から背を向けると、美早紀はそのまま急いでライブハウスに向かおうとした。その時――


「あ、あの。『シュガー・シュガー・シュガー(!)』っていう――」

「えっ?」


 悟司の声で、再び振りかえる。

 悟司は顔を少しだけ赤らめながら、もう一度、その名前を言った。


「シュガー・シュガー・シュガー(!)です。俺の、今俺のやってる音楽で、ボーカロイドで、集まったメンバー皆で作ってるんです。もし良かったら、ぜひ聴いてください!」

「さ、最後に必ず、括弧とビックリマークの方も忘れないでくださいね?」


 付け加えるように、横の大男が告げる。


「わかったわ。後で聴いてみる」


 お決まりの愛想笑いを浮かべて、美早紀は角を曲がった。

 曲がると同時に、吐き気とめまいが同時に襲ってきた。


「なんで…………なんで」


 壁に手をついて、何度もそう呟く。

 どうして、彼がここにいるのだ。

 もう忘れたはずなのに。


 あの音楽室での密会は、楽しかった記憶として、押し込めておこうと誓ったはずなのに。


「シュガー……」


 そこで、はっとする。


 音楽を始めた?

 彼が? そんなまさか。


 ギターを教えたのは、他でもない自分だ。だが、以前の彼には、そんなことを実行できるほどのコミュニティ能力などなかった。美早紀に触発されたようにバンドを組みたいと言い出した時も、早々に挫折してしまったはずだ。その後も何回か楽器屋のメンバー募集を眺めに行っていたことまでは知っているが、どうなったかなど想像にも難くない。


 ボーカロイド、とも言っていた。


 当然、美早紀にだってその存在くらい知ってはいる。白石から初めてその存在を知った時は物好きなものもいるもんだと思っていたが。


 そのボーカロイド音楽を、彼が今やっていると?


 気になる。


 でも、今はそのことよりもこれからのライブのことだ。

 ライブが終わってから一度、“彼”の家でネット検索をかけてみようと美早紀は思った。


 白石の家で、“いつものように互いの愛を確かめてから”ゆっくりと。

 まだ少しだけ具合が悪かったが、それでも美早紀は足を動かすことにした。


 明日のために。


 これからの自分のために――




 その歩みを止めてしまうなんて、絶対に出来なかった。







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