第21章 続・異世界生活
カミラの宿り木での日常が戻ってきた。
朝は朝食の準備をして、洗濯をして、管理人の仕事が終わったら、リゼッタさんの仕事の手伝いをして……。
平穏な日常とは本当にありがたいことだと感謝しながら、生活している。
エリュオスさんに攫われたあと、レグルスさんが私を連れ戻しに島に来ていた間、カミラの宿り木の人達や喫茶店の人達まで心配していたとミルカさんが教えてくれた。
いつもの日常に戻ってきたのは良いのだけど、私の勘違いでなければ一つ変わったことがある。
「おはよう。スミ」
——あの日からレグルスさんが明らかに変わった。
ティアキスさんがくれた欠片を受け取ってから、何というか、すごく感情が出るようになった気がする。
目の奥に感情を感じるようになったというか……。
「手が空いたんだ。何か手伝えることはあるか?」
「こっちは特に大丈夫です。すみません。気遣ってくださって。ありがとうございます」
「そうか……」
何か考え込んだあと、ふとレグルスさんがこちらを見つめる。
この見つめる行為も、あの日からやたらと増えたような気がする。感情を感じるようになった彼の目に見つめられると、なんだか落ち着かない。
思わず、目を逸らすとレグルスさんがそっと手を伸ばしてコツンと私のおでこに自分のおでこをくっつけた。
この行動も今までと違う妙にくすぐったい雰囲気があって、彼を意識してドキドキしてしまう。
「あの……」
意識してる気持ちを悟られたくなくて離れようとすると、レグルスさんがそっと離してくれた。
「何か言えないことがあるかもしれないと思ったんだ。すまない。急に触れるのはいけないことだったな」
「いえ……」
私が彼を意識してることに気づいているんじゃないだろうか。ちょっと、気まずい。
「何かあったら、遠慮せずに言ってくれ」
「わかりました」
そう言うとレグルスさんは、水汲みの場所に行ってしまった。もっと何か言えばよかっただろうか。顔が熱い。胸がまだドキドキしている。
その日、珍しいお客さんがカミラの宿り木にやってきた。
「ポピンさん!」
禿頭に赤ら顔の小柄で明るいおじさんである。
「佐倉さーん!こんにちは!朗報があってやってきましたよー!」
ポピンさんが元気良く手をふりながら丘を上ってきた。
「朗報ですか」
「そうですよ!佐倉さん!なんと、帰れる方法が見つかったんですよ!」
「ええ!本当ですか?!」
「いやー!魔法の進歩ってすごいですね!異世界への移動時間が大幅短縮ですよ!今まで赤色でダメだったところもついに橙!もしくは黄色までいくほどに時間の影響を受けずに帰れるようになったんです!いやはや、ついこの間のことなのにすごいですねえ!」
ポピンさんがうんうんと感心したように頷く。
とはいえ、それでも黄色か橙かあ……どちらにしろ、元の世界に帰ったときには歳をとって浦島太郎状態ではあるのか……。
「どうします?元の世界に帰るの少し検討してみます?」
「う〜ん……歳をとるのは変わらないですからね……でも、少し検討してみます……」
「そうですか、そうですか!気が変わったら教えてくださいね!いつでも帰れるように手配しますので!お気軽にどうぞ!」
そう言って用件を伝えるだけ伝えると、ポピンさんはそそくさと帰って行った。やっぱり、カミラの宿り木は彼にとってはまだ怖い場所みたいだ。
——元の世界に帰る……か。
自室に戻り、ベッドに寝転がって天井を見つめる。この世界に来たのも突然だったけど、帰れるようになるのも突然で気持ちが追いつかない。
こちらの世界に来てから、本当に色々なことがあった。初めは生きていけるか不安だったけど、ルミナさんとセレナさんに運良く出会えたおかげで、カミラの宿り木で暮らしていけることになった。
メリアさんにクロードさんに、ミルカさんにリゼッタさん。みんなの優しさには本当に感謝している。
——このまま帰ってもいいの?私はまだみんなに分けてもらった優しさを返せていない気がする。
ドアを誰かがトントンっと叩いた。
「はーい!今開けます」
ドアを開けるとそこに立っていたのは……。
「スミ」
「レグルスさん」
彼にしては珍しくしょんぼりした顔をしていた。
「どうしたんですか?!何かありました?」
「どこかに行くのか?」
「えっ……?」
「さっき、外で男と話していただろう」
——ポピンさんのことか!
「まだ、検討中の話ですし、まだ、どこかに行くとも決めてるわけでは……」
「……そうなのか。でも、どこかに行く可能性もまだあるということか?」
「まあ、そうですね……」
「行かないでくれ」
レグルスさんに肩をぎゅっと掴まれた。こんなに感情的な態度を見るのは初めてだ。
「えっ……ええ?!」
「何でも言ってくれ。いや、できないことでも叶えてみせる。だから、どこにも行かないでくれ……お願いだ……」
「どうしてそこまで……」
「君は」
——スミさーん!シーツ飛んじゃってるわ!
……外からメリアさんの呼ぶ声が聞こえた。
「ごっ!ごめんなさい!今、行きます!レグルスさん、またあとで話ましょう、ね」
「わかった……」
肩を掴んでいた手が離される。聞いてあげたほうがよかったかな……。でも……。
感情的なレグルスさんに驚いてしまって、そのまま返事をしてしまいそうだったから丁度よかった。
私にとっては大切なことだし、一時的な感情で決めたくなかった。
それにしても、なんで急にそんなことを言い出したんだろう?
飛んでいったシーツは見事に地面に着地して洗い直しをしないといけなかった。
午後、メリアさんとお茶を飲んでいた。
今のメリアさんは十二歳ぐらいの少女で、額縁に入れて飾りたいと思うほど絵に描いたような美少女だった。
お茶を飲む姿も、焼き菓子を食べる姿もどこを切り取っても絵になる。本当にずっと見ていられる美しさだった。
「私は今、猛烈にヴェルミラさんの気持ちを理解しています……あんまり、理解したくないですけど……」
「どういうこと?」
小首を傾げてこちらを見つめる姿まで愛らしい。
「メリアさん、初めてお会いしたときから上品で素敵だなって思ってたんですけど、本当にお美しいですね……。ヴェルミラさんが昔、メリアさんのこと攫おうとしたことがあるってセレナさんから聞いて、能力的な理由だと思っていました」
「ああ……ふふっ懐かしいわね。そんなこともあったわ。あのときは、クロードが怒って大変だったのよ?」
メリアさんの足元で静かにしているクロードさんをメリアさんがそっと撫でた。
「スミさんもこちらに来てから色々大変だったわね。でもきっとこれからは大丈夫だと思うわ。私にクロードがいてくれるように、今のスミさんにはレグルスさんがいるでしょう?」
唐突にレグルスさんとのやりとりを思い出して、胸がどきりとする。あとで話そうとは言ったものの、何を話せばいいのか。
まだ帰ることも決めていないし、でも、帰らないと約束することもできない。
「ど、どうでしょうね……?そ、そういえば、クロードさんとはいつから一緒にいるんですか?」
話題を一旦自分から逸らすことにした。
「いつからだったかしら。でも確かそんなに昔じゃないのよ。ルミナがお客さんからおかしな卵をもらったって言ってね。お菓子に使おうかと思ったんだけど、叩いても魔法を使っても割れないしどうしようって話してたのを聞いて、興味本位でその卵をもらったのよね。中身をどうやって確認しようかと思ってテーブルの上に置いていたら、急に卵が割れてクロードが生まれたの」
「へえ……」
「怖い生き物になったらどうしようと思ったんだけど、生まれてからはずっと私の側にいてくれて、この家を守ってくれる存在になったのよね。いまだにこの子が何者なのかはよくわかってないんだけど」
「えっ、そうなんですか?」
ふふふっとメリアさんが笑った。
「ええ。私の家で仲良く一緒に暮らせるならそれでいいと思って」
とはいえ、そもそもメリアさん自体が恐らく強い力を持った魔女だからこそ言えることなのかもしれないと思った。戦うメリアさんを見たことは無いけれど、誰にも壊されないこの家での平穏で静かな生活を考えると、きっとそうなんだろう。
「だからね、スミさん」
「はい?」
「レグルスさんとのこと大事にしてあげて欲しいの」
「えっ!」
なんで、急にその話……。もしかして、さっきのやり取り聞かれてた?!
「私達の話聞いてたんですか?!」
「ごめんね。でも窓開けっ放しだから、風に乗って聞こえてきちゃって……」
めちゃくちゃ恥ずかしい!
「でも、レグルスさん。私よりずっと生き物としては優秀だと思うし、私がいなくても全然その……生きて行けると思うんですよね」
気恥ずかしさから思わずレグルスさんに思っていたことが零れる。そうなのだ。様々な生き物に変身できる彼は別に私がいなくても生きていける強さを持った存在なのだ。たぶん。
「そんなことないわ」
メリアさんのはっきりとした言葉に思わず言葉が詰まる。
「この世界はあなたが思っているより、みんなずっと自分勝手で仲良く生きていないの。他人にだってちっとも優しくないわ」
「……でも、メリアさんやミエル・エ・フラムの皆さんは優しかったです」
「それは、私達がそういうことをわかっているから、あなたにそうしただけ。スミさんは誰かを傷つけたりしない優しい人だったから、今も私達と上手くやっていけているだけよ」
——そのとき、思わず私ははっとした。
レグルスさんは私がここに招き入れた住人だ。一緒に住ませて欲しいとメリアさんにお願いして、彼はここで生きていく努力もしているけれど、考えてみれば私が勝手に彼を招き入れたくせに、私の都合で勝手に彼にあとは自由に生きていって欲しいと言って突き放すのはあまりにも……無責任に思えた。
「ごめんなさい。私がレグルスさんをこの家に招き入れたんでしたね……それなのに、自分の都合で勝手にここに置いていなくなるのは……無責任ですね。メリアさんにもお願いして許してもらったのに……」
「スミさんが彼を置いて元の世界に帰ったとしても、彼を追い出したりなんてしないわ。彼はもうここの良き住人だと私は思っているし、ここに住んでいる子達も同じように思っていると思う。でもね、スミさん」
メリアさんの目は真剣だった。
「あなたが思っているよりもずっと、みんなスミさんにここにいて欲しいと思っているし、レグルスさんもそう思っているはずよ。だから、ちゃんとレグルスさんと話してね……帰るときは相談して欲しいわ」
メリアさんが寂しそうに笑った。
「もちろんです」
私が思っているより、ずっとちゃんとここは私の帰る場所になっていた。
メリアさんとのお茶会を終えたあと、レグルスさんの部屋の前にきた。
……とはいえ、何を話せば。まだ、帰るかは考え中だし……そんな曖昧な答えをもらっても納得しないんじゃないだろうか。しかし、いつか私がいなくなるかもしれないという不安を彼に持たせていいんだろうか。
——う~ん……。
ドアの前であれこれとごちゃごちゃ考えていると、扉が開いてレグルスさんが現れた。
「スミ?」
流石にレグルスさんも驚いている。
「あの……さっきの話なんですけど……、今ってお時間あったりします?」
「ああ、構わない。私も君を待っていたんだ。……どうぞ、入ってくれ」
「お邪魔します……」
レグルスさんの部屋にはほとんど何も置かれていない。彼自身がそもそもあんまり物欲がないので、生活に必要な最低限の物しか置いていないようだった。本は好きなようで本棚だけは埋まっている。
「それで、答えは出たのか?」
レグルスさんが単刀直入にずばっと聞いてきた。
「帰ることにしたのか?残ることにしたのか?」
「まだ……決めてないんですが、その、レグルスさんはもし私が帰ってしまったら、そのあとはどうやって生きていくんですか?」
自分のことを聞かれるとは思っていなかったのか、レグルスさんはぽかんとしたあと、少し考えこんだ。
「……姉弟達のいる島に戻ると思う。ティアキスに欠片を返して、それから……私も樹にでもなって過ごすと思う」
「カミラの宿り木にいるつもりはないんですか?」
「君がいるから私はここにいる。……姉弟の問題もなくなったから、他に居場所を求めなくてもよくなったし、あの島に戻るよ」
「そうですか……」
メリアさんに言われて話にきたけれど、なんだ。やっぱり、私がいなくても生きていけるじゃん。
なら、帰る帰らないことをそんなに深刻に考えなくてもよかったな。なんだか、拍子抜けしてしまった。
「それで、君は帰るのか?帰らないのか?どっちなんだ」
「ええっと……その、まだ考え中というか……」
「その答えはいつ出る?」
「どうしてそんなに気にするんですか?」
「君は……私の居場所だからだ」
「えっ……」
そんな重い言葉が返ってくるとは思わなかった。
「……スミは私のことを優秀な生き物のように評価するけど、私自身はそうは思っていない。いつも、いつも……ここにいていい場所というのを持てなかった」
ぽつり、ぽつりとレグルスさんが話し始める。
「島で姉弟たちと暮らしていたときも、姿を変えて他の生き物達と一緒に生活してみても、いつも上手く馴染むことができずに、そこにいることができなかった。初めてだったよ。君が。私にそこにいることを許してくれたのは。仲間に居場所を請うてくれて、一緒にいるために努力してくれたのは。君が初めてだった」
「私、何もしてないですよ……」
「そうなのか?……それでも、嬉しかったんだ。君が側にいてくれれば、どこにいても自分の居場所があると思えた。だから……ここにいて欲しい。お願いだ」
レグルスさんと目が合った。目は雄弁に語ると言うけれど今まさにそれを感じた。懇願とねだるような感情を感じる。いいや、そんな賢い感じじゃない。これは、これは……甘えたような瞳で見つめる雨に濡れたずぶ濡れの子犬の目だ!甘えるようなキューン……という声さえ聞こえてきそうな気がする。
「……ずるい」
「なんだ?」
「ずるいですよ!あなた……いつからそんな目をするようになったんですか?!ちょっと前まではそんな感じじゃなかったじゃないですか!」
「そうか……?」
「そうですよ!そんな顔されたら、私は、私は……」
レグルスさんを見る。相変わらず濡れた子犬の瞳でこちらを見ている。この人はたぶん純粋無垢なのだ。そもそも、人間とか感情のある生き物よりも、もっと少ない感情で生きているのかもしれない。
「君は今、どんなことを考えているんだ……」
レグルスさんがいつものようにコツンと私のおでこにおでこをくっつける。
「ふふっ」
小さく彼が笑う。
「何がおかしいんですか?」
「君が私のことを沢山考えているのを感じられるとき、すごく心地がいいんだ」
幸せそうに目を閉じて笑う彼の姿に、思わずきゅんとしてしまった。
「帰るの……やめようかな……」
「本当か?」
レグルスさんがごつっとおでこをもう一度ぶつける。痛いって……。
「嘘じゃないです。でも、気が変わったら帰るかも……たぶん……」
「曖昧だな。ちゃんと約束してくれ」
「そんなの、わからないですよ。レグルスさんだって私の側が居場所じゃないって思う日が来るかもしれないじゃないですか」
「それは、ないな」
「なんでそんなこと言えるんですか?」
むっとして彼を引き剥がす。
「私の姉弟達の争いに巻き込まれておきながら、それを考えるのか?それはないだろう」
そうだった。この人……。私は愛に固執した姉弟達を思い浮かべた。この人の中にもその欠片がきっと根付いている。私がいなくなったら、この人は私が帰ってくることを信じて何百年とこのカミラの宿り木で私のことを待ち続けるんだろう。
——……帰れないな。
「帰りません。約束します」
彼がじいっと私を見つめる。
「確認していいですよ。本当ですから」
そっと両手で私の頬を包むと、こつんとおでことおでこをくっつけた。私の気持ちを確認できたのか、満足そうに彼は微笑んだ。




