プロローグ「雨宮真司の朝」
雨宮 真司
【認定番号 11205389】 【年齢】 31歳 【性別】男性
【備考】大阪府大阪市北区に生まれ、縁緑小学校→難破中央中学校→大阪府立凰高校→大阪公立大学卒業、鑑定資格を取得後独立。大阪市北区にて雨宮鑑定事務所を設立し活動----------
『評価認定値』 0点
「おはようございます。」
無機質な声で目が覚めた。
誰かの声を模して作られたその発話は、どれだけ精度を増したところで、ついに体温を持たない。
けれど、不快ではなかった。
「おはよう」
意識の外側に向かって、反射的に僕も声を出した。
「本日のスケジュールを読み上げますか?」
「お願い。」
「わかりました。本日の起床時間 7時25分 からの予定を読み上げます。 本日の出勤時間は 9時45分………………」
声は、昨日とまったく同じ抑揚で、今日をなぞっていく。繰り返される予定が、今日という一日を薄い糊で壁に貼りつけていく。
その声を生活音の底へ沈めて、自分を慰めるように、そっと、ぬるく甘いコーヒーへ手を伸ばした。
安いインスタントコーヒーに大量の砂糖と牛乳。もはやコーヒーと呼べるものか怪しいが、僕にとってはこれがささやかな世界への抵抗だった。
「甘すぎるな」
口の端が、ひとりでにゆるむ。
この一口から、ようやく一日が始まる。ここでやっと、自分がここに在ると思える。
「もう大丈夫。」
声が耳障りになってきた頃合いに、読み上げを止めさせ、代わりにクラシックの音量を上げた。
洗面所で顔を洗い、髭を剃り、寝癖を直す。髪を乾かし、スーツに袖を通す。
いつもと変わらぬ日常をなぞるうち、時間はいつのまにか等間隔に刻むのをやめ、僕へと歩幅を合わせはじめる。
世界と自分が同期しているような感覚を覚えながら、家を出て職場へと向かう。
いつもの景色。歩く人々はみな、なにかに操られているかのように足早に進んでいる。
それに少しの優越感を覚えながら、いつもの事務所へたどり着く。
扉を開けると、化粧梁の木の匂いが、僕の心を少しだけ深く沈めた。
天井の縁の間接照明をつける。淡い橙色の光が、壁際の硝子戸の書棚を照らす。革表紙の背の金文字が、ぼんやりと浮かんで見えた。窓辺には大きな木製のデスク。主のいない革張りの椅子が、ぽつりと背を向けている。部屋の中央では黒革のソファと椅子が向かい合い、その間のテーブルに、赤い造花が一束、咲き誇っていた。
この部屋でただひとつ、その生々しい色だけが、脈を打っている。
窓際の椅子に腰を下ろし、今日の来客名簿へ目を落とす。4名。いずれも、何度も足を運んだ顔ぶれだ。胸の底がわずかに濁ったように感じたが、やることは同じ。
PCを起こし、国営の鑑定ソフトを開く。来客は11時から。
それまでに、更新された数値を目で読み取るように追っていく。
職業適性。定量、定性。健康、身体―。
―人ひとりが、いくつもの数字に切り分けられて、昨日よりわずかに目盛りを動かしている。
その評価値の総合値こそがこの世界における絶対的な指標である『人間評価値』だ。
その人間が、他者にとってどう在るか。鑑定人にだけは、その曖昧なシステム領域へ書き込める権限が与えられている。
とはいえ、書いたところで数値はびくともしない。
せいぜいが備考欄、欄外の落書きほどのものでしかないのだ。
本来は自身でしか見られないはずの評価を、鑑定人は、承認された相手のデータに限り閲覧することができる。
それによって適正に評価し、企業などに紹介データを発行し、紹介する。
今日もまた、来客たちの数値を呼び出し、準備し待つ。
ひとりきりの事務所では、さっきまで僕に歩調を合わせていた世界が、ふいに手を離した。
時間はまた、誰のためでもない等間隔へと戻り、淡々と過ぎていった。
10時50分——部屋に、ためらうような細い呼び鈴の音が流れ込み、来客の訪れを後ろめたく告げた。
今夜20時に最新話を更新いたします。
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この作品は連載作品となっておりますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。




