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ファンタズマの長い午後 02


01



 ~~カニの王国おうこく~~



 むかしむかし にんげんやりゅうがうまれるよりも ずっとむかし。


 うみのそこに カニの王国おうこくが ありました。


 そこにいるカニさんたちは みんなとってもかしこいカニでした。


 それから なんでもつくれる きような


 まえにも うしろにも よこにもうごける じゆうなあしをもっていました。


 カニさんたちは せかいをつくった女神めがみさまに あいされていて


 女神めがみさまに みんながたのしくへいわにすごせるやりかたを


 いろいろおしえてもらいながら しあわせにくらしていました。



 でも ながいがたつと カニさんたちは いらいら。


 女神めがみさまに あれこれわれるのが うるさくなってきたのです。


「ぼくたちには なんでもつくれる きようながあるのに

 なんで そんなに おせわをやくの! すきにさせて!」


 カニさんたちは 女神めがみさまに わがままをってしまいました。


 女神めがみさまは 「わかりました」と なにもわなくなりました。



 女神めがみさまが なにもわなくなると カニさんたちは すきかって。


 けんかをしたり おたがいのものをったり わるいことばかり。


 王国おうこくは ぐちゃぐちゃになって カニさんたちは こまってしまいました。


女神めがみさま! おねがい! またいろいろおしえて!」


 カニさんたちは あわてて たすけをもとめました。


 女神めがみさまは 「わかりました」と みんながへいわにくらせるように やさしくおしえてくれました。



 また ながいがたつと カニさんたちは また いらいら。


 カニさんたちは またわがままをいます。


「ぼくたちには まえにも うしろにも よこにもうごける じゆうなあしがあるんだから

 なんで そんなに おせわをやくの! すきにさせて!」


 女神めがみさまは 「わかりました」と なにもわなくなりました。



 また すきかってが はじまって 王国おうこくは ぐちゃぐちゃ。


女神めがみさま! おねがい! またまた いろいろおしえて!」


 女神めがみさまは また「わかりました」と みんながへいわにくらせるように やさしくおしえてくれました。



 またまた ながいがたつと カニさんたちは またまた いらいら。


 そして カニさんたちは 3かいめの わがままをいます。


「ぼくたちには どんないきものよりもかしこい あたまがあるのだから

 なんで そんなに おせわをやくの! すきにさせて!」


 女神めがみさまは 「わかりました」と なにもわなくなりました。



 3かいめも すきかってが はじまって 王国おうこくは ぐちゃぐちゃ。


 カニさんたちは もういちど 女神めがみさまに たすけをもとめました。


 でも 女神めがみさまは いました。


「カニさん わたしは なんどでも たすけてあげられるよ」

「でもね カニさんには なんでもつくれる きようなと」

まえにも うしろにも よこにもうごける じゆうなあしと」

「どんないきものよりもかしこい あたまがあるのでしょう?」

「どうして わたしのおしえが ひつようなの?」


 カニさんたちは なにもえませんでした。




 ――そこからの展開と結末は、時代や地域によって異なっている。

『己を恥じたかにみずから高度な知性や器用な手足を捨てた結果、今の平凡な生き物になった』

 あるいは

『それでも我儘わがままを言い続けた蟹が、ラミュルト神に見捨てられて自滅した結果、現状に落ちぶれた』

 などが典型的なパターンだ。



 上記の物語は“カニの王国”と呼称される、ファンタズマ全土で普遍的に語られる子供向けの童話である。

 作者不明だが制作時期はかなり古く、一億年前の『竜の時代』には、既に似通った話が語られていたという。

 一般的には自立の重要性や、いわゆる“仏の顔も三度まで”的な意味合いの、教訓を含む寓話として認識されている。ファンタズマの住民なら誰もが知っている定番の昔話といえるだろう。


 しかし、考古学の世界では事情が異なっている。

 つい数年前、現在より5億年ほど過去の地層――当時は海の底だった場所から、非常に進歩的な文明の痕跡と、巨大な甲殻類の化石が発見されたのである。

 その甲殻類は強靭な肉体と複雑な神経組織を持ち、高度に進化した知的生命体だと推測された。


 果たしてこの発見は、あの寓話が歴史上の事実であったと証明するものなのか。

 あるいは単なる偶然の一致なのか。

 それを証明する手段は、今のファンタズマ世界には存在しない――

 ――ただ1つを除いて。



02


「痛い目に会いたくなければ大人しくしてろ。いいな?」


 150cmの身長と150cmのバストを持つ12歳の勝ち気そうな赤髪ツインテール美少女に、“バイケン”はそれだけで人を殺せそうな視線を向ける。


「やれるもんならやってみなさいよ! この悪党!」


 逆立てた髪に痩せて筋肉質の身体。レザースリムジーンズのパンツと銀のアクセサリー。黒いマスクで鼻先から胸元まで覆い隠す怪人を、しかし“アニス”は正面から睨みつけた――



 アルバイン帝国皇帝タケルと護衛であるレミュータ&二柱の魔王が、ラングレードの蛮族たちと同盟条約を結ぶ為に“黒鉄城”に向かった翌日――残されたミルゴ村の面子、ショータ司祭(見習い)とアニス修道士も、それぞれ別の馬車に乗って異なる目的地に移動していた。

 二人が治療師の手伝いとしてあちこちの治療院を回るのは、この地に来てからは珍しい事ではない。


 ただし今回は普段とは違う点があった。

 護衛任務に就いていても緊急事態にはすぐにショータを守れる距離を死守していたレミュータが、ショータ自身の指示もあって、タケル皇帝に付き従って彼の元から遠く離れる事になったのである。

 白銀のアンドロイドは少年の身の安全を心配したが、いざとなったら超光速移動で一瞬にして彼の元に戻る事もできるのだ。今のショータ達がいる蛮族領は治安も良く、ガルタークとの戦線からも遠く離れているので、杞憂なのは誰の目にも明らかだった。


 それが甘い楽観論であると少年少女が気付いたのは、ショータが東の治療院へ、アニスは西の臨時診療所に向かって、他の治療師たちと共に馬車に揺られて移動している最中だった。


 ガガッ!


「っ!?」


 それはアニスがあまり広いとは言えない箱馬車の中で、他の治療師たちと何気ない雑談を交わしている時に起こった。

 突然、凄まじい振動が馬車を揺らした瞬間――それを引く亜竜のいななきと共に、胃の底を持ち上げるような浮遊感が乗員を襲った。座席から投げ出されそうな振動は断続的で止まる事を知らない。


「どっどうした!? 何が起こった!?」

「おい、外を見てみろ!」


 たまたま窓の近くで倒れていたアニスが反射的に窓の外に顔を出して、


「ななな、なっ、何よこれ!?!?」


 驚愕の叫び声が飛び出した。

 凍結した灰色の大地が遥か下方に遠ざかっている。視界の大半を占めるのは、粉雪が舞う曇天と馬車ではありえない凄まじい速度の突風だった。ながえの先では宙吊りになった亜竜がジタバタもがいている。

 そして箱馬車本体は、なんとセミを思わせる形状の巨大な魔法ゴーレムの触腕に捕えられて、そのまま半透明な羽根の羽ばたき移動で遥か高空を高速飛行しているのだ。

 アニスは口をあんぐりと開けた。

 何これ? あたしたち空を飛んでる? もしかしなくても魔物に襲われちゃった!? でもアレはなんか作り物っぽいし……まさかゴーレムってやつ? つまり、これ、魔導帝国の――


「どけ」

「えっ」


 ――深紅の衝撃がアニスを襲った。全身が痺れるような感覚に襲われながら馬車の中に転げ落ち、しかしすぐに頭を押さえながら体を起こす。

 そして、“それ”と至近距離で遭遇した。

 赤い放電を周囲に放ちながら窓際に浮かぶ、反権威という概念の化身たるパンクロッカー姿の男――バイケン。

 バイケンは動揺と恐怖の視線を浴びながら、懐から真偽判定魔法が込められた呪符を取り出すと、


「質問に答えろ」


 灼熱を放つ雷球の如き外見とは裏腹の、凍結したいわおのような声を漏らした。


「ショータとかいうガキはどいつだ?」

「!!」


 顔を強張こわばらせる少女以外の乗員が、困惑して顔を見合わせる。


 バチィ!


 その足元に深紅の放電が突き刺さった。


「「「ひぃっ!?」」」

「もう一度だけ聞いてやる」


 魔法にうとい者達でも理解できた。

 あの赤い電撃を一瞬でも浴びれば、人間の体など灰も残さず焼き尽くされる、と。


「ショータはどいつだ?」

「……ここには、いないわよ」


 しかし、ラミュルト村の見習い修道士――アニスは、真っ直ぐな視線を向けて、正面から最強の戦闘術師に対峙たいじしたのだ。


「誰だテメェは?」

「あんたから先に名乗るのが礼儀でしょ」

「そうだな。で、誰だテメェは?

「…………」

「…………」


 先に男の方が溜息を吐いた。


「ガルターク魔導帝国“五本指”が一指、バイケンだ」

「ミルゴ村のラミュルト教会修道士、アニスよ」

「ほぉ……テメェがアニスだったのか」

「あっ」


 アニスは慌てて口を押えたが、遅かった。

 相手がショータの名前を出した時点で、自分がその関係者だと名乗る事は極めてリスクの高い行為だったのである。まんまと男の誘導に乗ってしまったのだ。


「こっちはハズレだったか……まぁいい」


 音もなく伸びたバイケンの手がアニスの襟首を掴んだ。


「きゃっ」


 次の瞬間、アニスの視界がぐるりと回転して――直後、彼女が気づいた時には、自分と男は蝉型ゴーレムの背中の上に移動していた。

 これは体術で窓から馬車の外へ放り出されたのか、それとも何らかの魔法を使われたのか――アニスには全く分からなかった。


 真上には異様にまばゆい太陽。パノラマな視界全てに透明な青空が広がっている。眼下は灰色の雲海がラングレードの大地を地平線まで覆い隠していた。

 いつのまにか、馬車は1万mを超える高度まで上昇していたのである。

 そして――


「……荷を軽くするか」


 男の言葉に少女が何か不吉なものを感じた――次の瞬間、


「えっ」


 蝉型ゴーレムの馬車を抱えていた触腕が、ぱっと左右に開いた。ゴミでも捨てるようなあっさりとした動作だった。

 音も無く落下した馬車はたちまち雲海の中に消えて――静かな風の音だけが残された。


「あぁああああああ!!!」


 アニスは怒りを込めてバイケンに頭から体当たりした。相手もろとも空中に飛び出すほどの勢いだった。が、あの非情なる男は少女の特攻にびくともしない。


「なんて事するのよ!! 信じられない!!」

「必要なのはお前だけだ。後はいらねぇんだよ」


 バイケンは怒れるアニスの首根っこを掴むと、ゴーレムの背中の中央部分に投げ捨てた。

 派手に尻餅をついたアニスは、しかしバイケンを正面から睨みつける。


「痛い目に会いたくなければ大人しくしてろ。いいな?」

「やれるもんならやってみなさいよ! この悪党!」


 ぎぃ


 生物的な鳴き声を漏らした蝉型ゴーレムは、背中で吹き上がる怒りの波動に反応するように羽根を大きく羽ばたかせると、己が製造された遥か西方の地――ガルターク魔導帝国へと音速を超える速度で飛翔して行った。



03


 幾何学的なデザインの塔を結ぶ透明チューブの通路。

 列を成して空を飛ぶ方舟の群れ。

 天へと伸びる魔法ライトの閃光。

 皮肉にもファンタジー世界で再現された、かつて20世紀の地球人が夢想した近未来都市――ガルターク魔導帝国首都“ガルタニカ”。

 この魔導帝国人民の実に6割以上が居住しているという超巨大都市を代表する建造物といえば、高さ数千mを超える漆黒の塔“星振塔本部”だが、それに匹敵するのが都市の中央に鎮座する直径千mを超える巨大な半球ドーム――ガルターク皇城だ。

 磨き抜かれた石膏アラバスターを思わせる純白の壁面には染みやヒビが1つも無い。帝都の空を行き交う方舟や飛行ゴーレムも、不敬に当たるためか皇城の上空を飛ぶ機体は1つも存在しなかった――東方から飛来した黒い蝉型ゴーレムを除いて。

 蝉型ゴーレムは飛行速度を落とす事なく、正面から皇城の白い外壁に突撃した――が、衝突すると同時に、壁面は水面のように波紋を立ててゴーレムを内部に吸い込むと、すぐに元の静かな姿に戻った。


 超巨大都市の姿は普段と何も変わらない。そこに住む帝国民も、今日も昨日と同じような時間が過ぎるのだろうと思っていた。

 ……その日常が、わずか半日後には脆くも崩れ去る事を知らずに。



 ――古今東西、尋問室といえばその構造は相場が決まっている。妙に薄暗く、どこか血生臭く、椅子とテーブルだけの殺風景な内装。

 それはガルターク皇城も例外ではなかった。

 何の装飾も無い灰色の壁面は圧迫感を覚えるほど無機質だ。光源はテーブル台の魔法ランプのみ。

 このどこか陰鬱な空気が流れる部屋の中にいるのは2人の男女だけ。

 椅子にふんぞり返って両足をテーブルの上に投げ出した尋問官――バイケン。

 その向かいの席で両手を組みながら正面の相手を睨みつける捕虜――アニス。

 捕虜は拘束されておらず、護衛兵もいない。最強の戦闘術師であるバイケンにはどちらも不要だからだ。

 それだけで気弱な者なら気絶しそうな鋭いガン付けが、アニスの気丈な顔を正面から射貫く。


「……テメェの命が惜しけりゃ指示に従ってもらうぜ。まずは――」

「あたしを脅してもレミュータには命令できないわよ」


 ぴくり、とバイケンの剣呑な視線が揺らいだ。


「なぜそう思う?」

「自分で言うのもなんだけど、あたしみたいな普通の修道士を――」

「資料には『成績は優秀だが社交性に欠けるぼっち修道士』って書いてあったぜ」

「う、うるさいわね……とにかく、普通のラミュルト教徒なあたしを、わざわざガルターク魔導帝国の首都のお城に誘拐するなんて、それしか考えられないわ」

「待て、なぜここがガルタニカ皇城だと分かる?」

「へ~、やっぱりそうだったんだ。教えてくれてありがと」

「テメェ」


 ガン付けを超えて殺気がこもった眼光を、しかしアニスは不敵な笑みで迎え撃った。


 ――アニスの推測は的中していた。

 バイケン達“五本指”にとって、アルバイン帝国皇帝タケルの抹殺における最大の障害は、あの異世界から来訪した最強のアンドロイド――レミュータである。

 サキュバスの女帝マザーウィルと金狼シグナスも脅威には違いないが、魔女帝フロラレスから無限の魔力供給を得られる黒ベルトさえあれば、二柱の魔王級魔族を排除するのはそう難しくはない。それは今は亡き五本指“平凡”が証明している。

 だが、かの『サイレンス・フィールド』――あらゆる魔法や超常能力を完全に無効化する超科学兵器を駆使する、恐るべき鋼の戦乙女がタケル皇帝の護衛に就いている限り、無限の魔力を持つ戦闘術師でも皇帝抹殺は難しいだろう。その事実も世界最強の暗殺者“平凡”の敗北が証明していた。


 そこでショータという、若干10歳のラミュルト教司祭(見習い)の存在が重要となる。

 アルバイン帝国の中枢にいる“内通者スパイ”の情報によれば、レミュータは己の主人であるショータ少年に絶対服従しているという。

 つまり、ショータを支配下に置いて傀儡にするなり人質に取って脅迫すれば、タケル皇帝抹殺における最大の障害を取り除けるばかりか、武帝ガイをも倒す最強の戦力を手中に収める事ができるのである。

 そして例の“内通者スパイ”を通して、レミュータが皇帝護衛のためにショータの元から一時的に離れるという絶好の機会を知り得たのだ。


 この情報を入手した“五本指”は、すぐにショータ誘拐作戦を実行した。

 まずヴォイド卿とムメイがタケル皇帝を襲撃する。

 これはレミュータと魔王級魔族たちを次元門ポータル結界に閉じ込めて足止めするための囮役だが、状況次第ではその場で皇帝を始末する機会も十分にあるだろう。

 その隙にバイケンとムシヒメが、馬車で移動中のショータを襲撃、誘拐する。

 襲撃者が2人必要なのは、その時刻にミルゴ村一同が滞在している治療院から東西に出発する馬車が二台存在していて、どちらに少年が乗っているのかの情報までは分からなかったので、いっそ両方をまとめて拉致する事にしたからである。

 後はショータを魔法か魔薬で操り人形にすればいい……


 女帝直属のエリート部隊とは思えない拙速な作戦だが、巧遅にこだわって機会を逃すよりはましだろう。

 最強の戦闘機械が少年司祭の元から離れるタイミングは今しかなく、綿密な作戦を立てる時間は無いのだ。


 結果――ショータではなくアニスという“外れ”を引いたバイケンは、しかしそのまま魔導帝国首都ガルタニカに少女を拉致していった。いざとなれば、アニスの身柄をショータへの脅迫材料に使えるからだ。


 だが――この平凡な修道士少女は、それらの作戦を状況だけで容易く見抜いて見せたのだ。

 アニスは天才なのである。


「……まぁいい。理解わかってるなら話は早ぇ。要は大人しく俺の言う事に従えってワケだ。さもないと――」

「痛い目に会わせるって言いたいわけ? やれるものならやってみなさいよ!」

「たとえぼっち修道士でも、ラミュルト教徒を痛めつけても無意味だろうがよ」

「ぼっちは余計よ!!」


 憤慨するアニスに、バイケンは舌打ちで応じた。


 敬虔なラミュルト教徒のみ使用できる神秘の力“奇跡”――その中に『殉教』とよばれる御業みわざがある。

 これは教徒が祈りを捧げている間、肉体及び精神に与えられる全ての苦痛を完全に無効化するというものだ。

 その為、ラミュルト教徒に対する拷問や脅迫行為は全て無意味とされている。アニスが強気な態度を崩さないのも、この力が理由だろう。

 だが――


「――だがな、ガキ一匹に言う事聞かせる程度の事なら、拷問や脅迫以外にも手段はいくらでもあるんだぜ。ガルターク百万年の闇を甘く見ると――?」


 バイケンは剃り落とした眉をひそめた。


「……大いなる慈悲と慈愛の……ラミュルト様へ日々の感謝と……」


 椅子の上に両膝をつき、150cmの胸の前で手を組み、瞳を静かに閉じて、アニスは真剣な声色で聖句を唱えていた。眼前の男の剣幕など完全に無視するように。

 これはラミュルト信者の日課の祈りだった。基本的にラミュルト教を信仰する者は、目覚め、真昼、夕方、就寝前の1日4回、ラミュルト神に感謝の祈りを捧げる慣習がある。今がちょうどその時間なのだろう。

 ただし、これは緊急時には省略しても構わないと経典にも書かれている。

 そしてアニスにとって今が緊急事態でない筈がない。


 そう――アニスはおちょくっているのだ。

 目の前の恐るべき力を持つ魔人に対して、自分は絶対に従わないという意思表示だ。

 子供っぽい挑発にバイケンは心中で嘆息し、あえてそれに乗ってやることにした。


「ケッ……ラミュルト神に祈ってどうすんだ。あんな奴ただのクソッタレじゃねぇか」


 吐き捨てるような言葉に、アニスの祈りが止まった。


「世界の創造神? 慈悲と慈愛を司る女神? 笑わせてくれるぜ。もしそれが本当なら、どうしてこの世界はこんなにクソッタレなんだ? ああっ?」

「……」

「戦争、虐殺、略奪、偏見、差別、増悪……今の世界はそんな悪徳があふれかえっているじゃねぇか。ラミュルト神が全てを作った創造神なら、そんなクソッタレ要素も作ったって事なのか? 慈悲と慈愛の女神なら、なぜクソッタレな目に会う不幸な連中を助けようとしないんだ?」

「…………」


 バイケンの台詞には一切の容赦がなかった。目の前の無力な少女修道士には、その現実に存在する悲劇に反論できる言葉は何も持ち合わせていないように見えた。

 だから――


「はぁあああああ……」


 ――だから、無力なはずの少女が深い溜息を吐きつつ、ヤレヤレと首を横に振る仕草を見て、バイケンは言いかけた罵倒の言葉を飲み込んだ。

 呪文一言で自分を殺せる最強の戦闘術師を見上げるアニスの瞳には、しかしあざけりと哀れみの光が宿り、口角は嘲笑の形に歪んでいた。今にも「まったく、これだから素人は困る」と言いかねない顔だ。


「まったく……これだから素人は困るのよ」


 本当に言ってのけた。


「あのね……ラミュルト様が悪徳の概念を作ったとか、誰も助けようとしないとか、本当に神様の事を分かってないのね。あんた“カニの王国”の童話を知らないの?」


 “カニの王国”は現代の大陸全土でも普遍的な昔話として伝わっている。ラミュルト教では主に自立の重要さを諭す逸話として、説法にも多く使われていた。


「戦争とか犯罪とか悪い事をしているのは、あんたやあたしと同じ人間でしょ。ラミュルト様の御命令とかじゃなくて、全部人間が自分の意思でやって、全部自分が生み出した事じゃない。ラミュルト様に責任押し付けてんじゃないわよ」

「……」

「不幸な人たちを神様が助けないのはおかしい? いい歳した大人が何を情けないこと言ってんのよ。それは同じ人間であるあたし達が自分の力で何とかしなきゃダメな事でしょうが。童話のカニみたいにラミュルト様に頼らないと何もできないわけ? 恥っずかしいわねぇ!」

「…………」


 慈悲と慈愛を司るとされているラミュルト神だが、経典や神話で語られている伝承には、意外な事に神様御自身が直接誰かを助けたというエピソードは驚くほど少ない。

 その代わりに現状の不幸や困難を解決する方法は、惜しみなく教えてくれるとされている。

 実際に百万年前の魔界大戦時にも、ラミュルト神は直接的に魔族を撃退しなかったが、撃退する手段は魔法の伝授や魔族の弱点など事細かく地上種族に伝えていた。

 こうした事実からラミュルト神にとっての慈悲や慈愛とは、甘やかす事ではなく自力で解決できる力と知恵を身に付けさせる事だというのが、神学者たちの見解である。


 ラミュルト教会初代教皇は、こんな言葉を残している――


「ラミュルト様は助けない。しかし助かる方法は無限に授けてくれる」


 ――と。


 そして、アニスの口撃はまだ止まらない。もう高慢な態度はしないと誓っていたが、この男に対しては別だ。


「ついでに言わせてもらうならね、世界がクソッタレなのはあんたのせいよ」

「俺のせい、だと?」

「そうよ。だってあんたにとって世界とは、あんた自身が見て聞いて感じることの全てでしょ。つまりあんた自身がクソッタレだから、世界がクソッタレにしか思えないのよ。現に心が綺麗で素晴らしいあたしにとって、世界は綺麗で素晴らしく思えるもの」

「言ってくれるじゃねぇか。舌引き千切るぞクソガキ」


 物騒な台詞とは裏腹に、バイケンの口調はどこか楽しだった。

 先程からのアニスの反論は、はっきり言って青臭い理想論に過ぎないのだが、反論したという事実が気に入ったのである。

 その時――


「……」

「え?」


 突然、バイケンの眼差しから感情が消えた。

 その無言の迫力に、反射的にアニスは口ごもる。

 しかし男の猛禽類を思わせる視線は、少女ではなくその背後に向けられていた。

 恐る恐る、アニスは後ろを振り向く。

 すぐ背後に、1人の人影があった。

 全身を黒い布で覆い顔をマスクで隠したその姿は、現代の地球人なら“忍者”と呼ばれる存在を想起したかもしれない。


「ッ!!」


 悲鳴を押し殺すアニスを無視して、忍者姿はバイケンに小さく一礼する。


「報告しろ」


 感情を消した態度で促すパンクロッカー男は、しかし今はその真逆の立場を思わせる威厳に満ちていた。

 この忍者はバイケンの私的な諜報員である。主の要請で大陸中を駆け回り、今こうして調査結果を報告に来たのだ。


「――――」

「――――」

「???」


 その後、バイケンと忍者男の間で行われたやり取りを、アニスはさっぱり理解できなかった。ただ数秒間の間、両者が耳障りな重低音を口から発しただけである。

 それから忍者は軽く一礼すると、出現と同じように音も無く闇の中に消え失せた。


「え、なに、今の?」

「……テメェには関係ない」


 マスクの下から漏れる声には、苦渋の響きがあった。

 今の会話は、魔法による超高速圧縮言語で行われていたのだ。諜報員が入手したその内容は、要約すると以下のようになる。


 まずは緊急案件――つい数時間前、ガルターク魔導帝国の正規軍がラングレード武帝国領に向けて進軍を開始したというのだ。それも極わずかな首都守備隊を除く全軍がである。

 武帝ガイが消息を絶ち、目下蛮族最大の勢力であるオルガー氏族が壊滅した今こそが、長年の宿敵であるラングレードを滅ぼす絶好の機会であるという考えは理解できなくもない。

 しかし、ラングレード側も現状が極めて危機的である事は理解していて、今の蛮族連中は強固な対ガルターク同盟を結成している。これはガルターク全戦力でも容易には打ち倒せない大勢力であり、結果として今の両国間は戦略的に膠着状態にあるはずだった――

 ――だがしかし、今こうして、ガルターク正規軍はラングレードに侵攻している。

 この事実を女帝直属の配下であるバイケンは勿論、女帝フロラレスすら把握していなかったのだ。しかも正規軍を勝手に動かしたのは、あの“星振塔”であるという。

 いくら事実上ガルターク皇家が星振塔の傀儡であるとはいえ、これは明らかにライン越えの越権行為だった。もはや実質的なクーデターと断じてもいい。


 次の案件――それは大陸南部を支配する巨大帝国“シューレント自由帝国”に以前から流れていた『ある噂』が、どうやら事実であるらしいと確認された事だ。

 これは緊急的な脅威となる問題ではなかったが、放置すればいずれガルタークどころか大陸全てを震撼させる大事変に成り得る恐れがあった。


 そして最後――バイケンと共にショータ捕獲作戦を実行した“五本指”――ムシヒメが、まだガルターク皇城に帰還していない事だった。

 あの恐るべき蟲使いは“当たり”であるショータが乗っていた方の馬車を襲撃して、現在の時刻ならとっくにこの城に戻っている筈である。

 しかも目撃者の報告によれば、ムシヒメの使役する飛行ゴーレムは捕獲した馬車と共に首都ガルタニカ外縁部のスラム街に降り立ち、その後の消息は不明であるという。


(ただでさえクソ忙しいのにクソッタレな厄介事が矢継ぎ早かよクソが!!)


 どれも早急に対応が必要な重大案件ばかりだった。どうやら“外れ”の小生意気な小娘を相手している場合ではなさそうだ。

 バイケンはイラつきを隠そうともせずに逆立てた髪を掻きむしり、脚を乗せたテーブルを蹴り飛ばすように立ち上がった。


 一方、そんな深刻な事態を知らないアニスは、邪悪な誘拐犯が焦っている様子をどこか楽しげに眺めている。敵に対して挑発的な態度を崩さないのは彼女の性分である。


「さっきのヘンな格好の人、何だったの? ヘンな覆面で顔隠してたし、やっぱり怪しい裏稼業って奴かしら」

「…………」

「ヘンな覆面といえば、あんたのソレも相当ヘンよね。そんなに顔に自信がないの?」


 男は無言で鼻先から胸元まで覆うマスクを一気にずり下げた。皮膚と肉は焼け落ち、骨まで剥き出しになった地肌があらわとなった。


「……前言撤回するわ。結構似合ってるわよ」

「フン」




 ――きっかり5分後。


「きゃっ」


 尋問室から首根っこを掴まれて引きずり出されたアニスは、豪奢だがどこか枯れた空気が漂う廊下を肩を小突かれながら歩かされた挙句、埃っぽい部屋の中に荷物のように放り投げられた。

 10m四方の薄暗い部屋だった。窓はなく、壁際に並んだ本棚には黴臭い古書が詰め込まれている。


「痛いじゃない! お尻打っちゃったわ!!」

「野暮用が入った。しばらく大人しくしてろ、クソガキ」


 抗議の声を上げるアニスの目の前で、頑丈な鉄扉が重々しい音を立てて閉じられた。

 鉄扉に鍵らしいものはないが、いくらアニスが押し引きしてもびくともしない。魔法で施錠しているのだろう。


 この部屋はガルターク皇家のプライベートな図書室だった。

 部屋全体に強固な防護魔法が付与エンチャントされており、外部からのあらゆる破壊的な侵入行為をガードする。

 それは同時に内部からの脱出を防ぐ効果もあった。


 バイケンは部下からの報告に対応するために、一時的にアニスを隔離する事にしたのだった。

 正式な牢屋を使用しないのは、星振塔が勝手に正規軍を動かしている状況では、もうこの城で何も信用できなくなったからだ。

 この図書室は数少ない例外箇所である。本棚に並ぶ古書は特級以上の魔術師でなければ一文も理解できない高位の魔導書であり、田舎の見習い修道士の小娘に利用される恐れもない。

 だからこそバイケンはここを臨時の牢屋代わりに使用したのだ。


 だが、かの最強の戦闘術師にも知らない情報があった。

 そう――


「甘いわね……このあたしが、このまま大人しくしていると思っていたのかしら」


 ――アニスは天才なのである。




つづく





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