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月をみるひと 02


01


 止まらない呻き声と断末魔の叫び――

 生臭い鮮血と腐りかけた臓物の匂い――


 アルバイン帝国皇都アジャーハ・皇宮の広大な中庭を埋め尽くしているのは、簡易ベッドに横たわる負傷者と、そのうめき声。シーツに広がる血と膿。そして死臭。

 それはもはや名誉の負傷では片付けられない凄惨な光景だった。


 アルバイン帝国軍はラングレード武帝国からの5回に及ぶ侵攻をかろうじて食い止めていた。

 敵は無謀なガルガ山脈越えで軍勢の大半を失い、わずかな生き残りも疲弊しきっている――にもかかわらず、アルバイン軍側の被害は甚大だった。

 純粋に兵と装備の質が違うのである。ラングレードの勇猛果敢な戦士を1人倒すのに、迎撃側は最低3人の犠牲を強いられた。

 ラングレード武帝国が大陸最強の軍事大国と呼ばれるのは伊達ではないのだ。


 結果としてアルバイン帝国軍は想定を遥かに超える数の負傷兵を出すことになった。

 国内の治療院は瞬く間に満室となり、こうして皇宮の中庭を臨時の治療場として開放する事態にまで追い込まれているのである。

 そして不足しているのはベッドの数だけではない。

 高度な医学知識を持つ治療師や奇跡の力で傷を癒せるラミュルト教徒の頭数もまるで足りておらず、彼らは患者の治療に寝る間も惜しんで激務をこなす事態となっていた。


 だから皇宮の臨時治療場の監督を務めていた治療師長は、皇帝陛下が直々に助っ人を派遣されたと報を受けた時は大いに喜び、それが田舎のラミュルト教徒がたった4人と知った際は内心落胆した。

 しかもその面子は、温厚そうな美女司祭が1人に年端もいかない子供が2人、そして正体不明な銀色の怪人物が1人という、わけのわからない組み合わせだ。失望も当然だろう。

 だが、その認識はすぐに改められる事になった。

 この頼りなさ気な田舎のラミュルト教徒たちは、まさに八面六臂の大活躍を見せたのである。


「ラミュルト神の御慈悲です。さぁ、私に身も心もゆだねて下さいね……」


 まずはマザーウィル司祭。

 彼女は慈悲と慈愛を司るラミュルト教の司祭に相応しく、確かな医療技術と無尽蔵な奇跡の力で数多くの負傷を見事に治療して見せた。

 夜になればサキュバスの本領を発揮して、負傷兵たちのメンタル面を癒してくれやがったのも、ある意味実用的な治療行為だったと言えるかもしれない。


「この負傷兵はカテゴリーAに回してください。包帯関係は第五倉庫に。その消毒薬品は○○社に発注済みよ…です」


 次にアニス修道士。

 万能の天才少女は主に事務仕事で天才の本領を見せつけた。

 患者の効率的なベッドの割り当て、医薬品の流通ルート確保、治療師やラミュルト教徒のシフト製作……臨時の治療場ゆえにあまり効率的とはいえなかった運営システムを、様々なアイデアで劇的に改善させたのである。

 実は彼女が裏方の仕事に回されたのは、凄惨な負傷兵の姿をあまり見せたくなかった大人側の配慮だったのだが、結果的に怪我の功名となった。


『治療を開始します。終わりました。次どうぞ』


 そしてレミュータ修道士見習い。

 生命を殺戮し万物を破壊するために製造された戦闘用アンドロイドだが、その電子頭脳には地球最高レベルの医学知識もインプットされている。

 白銀の機械人形は文字通り機械の正確さとスピードで、人間の限界を遥かに超える効率で次々と負傷者を治療していった(ただしあまりにも動作が機械的過ぎて患者からは怖がられた)。

 また重傷患者に使用する光る粒子――治療用ナノマシンは、死を待つだけの負傷もたちまち快癒かいゆさせて、治療師たちを驚かせた。


 しかし、先任の治療師や負傷者から最も評価されたのは、意外なことにショータであった。

 まだ初歩的な癒しの奇跡しか使えない10歳の子供であったが、それを補って余りあるほど誰よりも精力的に働いて結果を残したのだ。

 凄惨な負傷兵の姿を恐れることもなく、血膿や糞尿で汚れたシーツも何の躊躇とまどいもなく清掃し、何よりも患者の体と心の治療に寝る間も惜しんで懸命に立ち動く姿は、たとえ技術的に未熟であっても、治療場の誰からも尊敬と感動の念を抱かせた。

 無論、患者の誰もが素直な者とは限らず、時には罵声を浴びせられる事もあるが、ショータは少しもへこたれる事はなかった。

 彼は患者を癒す行為に天与の才を発揮し、生き甲斐すらも感じていたのである。



「いやぁ、こうして何とか現場を回せるのも皆さんのおかげです。本当にありがとうございます!」


 数日後、負傷兵の治療が一段落ついたころ、ミルゴ村の一同は食堂で夕食を兼ねたささやかな歓待を受けていた。

 普段は神経質な頑固親父である治療師長も、人が変わったように豪快な笑顔を浮かべている。

(ちなみに夕餉ゆうげのメニューは当番だったレミュータが作ったマグロの兜焼きとチョコレートパフェである。本来のメニューは麦粥とだらだったが、彼女が料理したらなぜかこうなった)


「いえいえ、非才な身としては皆様方の足を引っ張るばかりで」

「いやいや、ご謙遜を。現に大勢の尊い命が救われております」


 マザーウィルの柔和な微笑に、治療師長は上機嫌な破顔でこたえた。


「特にショータくん。君は本当に頑張った。さすがは“奇跡の子”だ!」



『マスター、質問したい事案が1件存在します』


 夕食の後、あてがわれた自室に戻ろうとしたショータは、相変わらず回りくどい言い方でレミュータに呼び止められた。


「はい、なんですか?」

『先程の会話に出た“奇跡の子”という単語は、如何なる意味を持つのでしょうか』


 “奇跡の子”――その言葉が治療師長の口から出た一瞬、夕餉の席に流れた気まずい空気。それはマスターを第一に考えるレミュータにとって見過ごせるものではなかった。


「……ああ、その話ですか」


 ショータは小さく肩をすくめて笑った。

 10歳の少年が浮かべる笑みではなかった。

 10歳の少年が浮かべてはいけない笑みだった。


「あまり面白い話ではないですよ――」



 『降臨の奇跡』――それはラミュルト教において、慈悲と慈愛の神ラミュルトが人々の前に御尊顔を見せるか、何らかの言葉を伝え残す奇跡を意味している。

 大陸最大の魔術師ギルドにして世界最高の英知の殿堂である“星振塔”の研究によると、ファンタズマ世界が誕生したのは現在から10億年前、地上に生命があふれたのは5億年前にさかのぼるが、その頃は比較的頻繁にラミュルト神の降臨が当時の知的生命体に目撃されていたという。


 しかし、なぜか時代が下るにつれて降臨の頻度は徐々に減少していった。


 ラミュルト神が最後に御姿を見せたのは今から約百万年前の魔界大戦時。声の記録は2千年前が最新である。

 偉大なるラミュルト様が人々の前に姿を見せなくなった――これはラミュルト教会にとって深刻な問題だった。

 戦乱が続く世相も相まって、人間がラミュルト神に見捨てられたという終末思想に捕らわれる信者が続出したのだ。

 また、歴史学や考古学上の証拠が数多くあるにもかかわらず、ラミュルト神自体が実在しないのではないかと疑う一般人も無視できない割合で数を増し、民間信仰や新興宗教が台頭する遠因となった。


 ラミュルト信者の信仰心が揺らぎつつある――憂慮する教皇庁の元に、アルバイン帝国の田舎の村にラミュルト神が御降臨なされたという報告がなされたのは、まさに天啓だった。


 新帝国暦33年・黄昏の月・18の日・アルバイン帝国シュレイカ領ミルゴ村の診療所で赤子が産まれた際に、ラミュルト神が直接姿を見せて、その赤子に接吻した――これが事実なら実に2千年ぶりの『降臨の奇跡』であり、そして周囲の証言や調査はそれが事実である事を示している!

 歓喜した教皇庁は、ラミュルト神の寵愛を受けた奇跡の子の元に大勢の高位司祭や神学者を派遣した。

 数多くの聖職者に祝福されて、すくすくと成長していく“奇跡の子”――しかし、1年、2年と時が経つにつれて、その数は少しずつ減っていき、5年の月日が流れた頃には、そばにいるのは母親代わりの司祭1人だけになった。


 赤子は利発で可愛らしい美少年に成長したが、他に何も特別な力を持たない平凡な子供であることが判明したからである。


 『降臨の奇跡』の認定も保留となった。

 過去の降臨では必ず何らかの人類に利する言葉や奇跡をラミュルト神は残していたのだが、今回はそれが無い点が問題視されたのだ。

(接吻というファンタズマの倫理では破廉恥な行為を見せた件は、出産の直後に母親が愛しさあまって赤子にキスをするのは、この世界でもそれほど珍しい話ではないので、その類だろうと少々強引に解釈された)


 ラミュルト教会教皇庁と、村興しを期待した当時のミルゴ村村長に、立て続けに期待と失望を与えた“奇跡の子”――その子はショータと名付けられていた。



「どうです、あまり面白い話ではなかったでしょう?」


 あの笑いを浮かべる少年が語ったように、傍目はためには馬鹿馬鹿しい内容だった。

 周囲が勝手に盛り上がって一方的に失望しただけの話である。ジョークにもならない。

 しかし、子供の純真無垢な心に細かい引っ掻き傷をつけるには、そんな些末な事で十分なのだ。


「――それでは、おやすみなさい。レミュータさん」


 少年の小さな後姿が部屋の中に消えていく。

 その背中に何か声をかけなければならない事はレミュータにもわかった。

 しかし、どんなに言語アーカイヴを検索しても、適切な言葉が見つからない。

 静かに閉じられたドアの前で、初めてレミュータは自分が人間ではなくアンドロイドである事を知った。



02


 それはミルゴ村一行が治療院で働き始めた7日後――新月の日、真昼時の事件だった。

 この日、アルバイン帝国皇宮では、タケル皇帝直々の命によって奇妙な人員配置が行われていた。

 文官や使用人などの非戦闘員を皇宮から遠ざけて、代わりに近衛兵や宮廷魔術師の数を倍以上に増員したのである。これはあからさまな襲撃への警戒態勢だ。

 しかし、今のところラングレードを始めとした敵対勢力の撃退にはかろうじて成功している。暗殺者やテロリストが侵入したという情報もない。家臣たちは疑念を抱いた。


 皇帝陛下は何を恐れておいでなのか?


 その疑問の答えが“出現”したのは、きっかり真昼の12時。皇宮は『謁見の間』。タケル皇帝や近衛兵たちの目の前だった。


 ごぉん ごぉん


 正午を臣民に伝える鐘の音が重々しく皇都に響く――


 ごぉん ごぉん


 謁見の間の中央に、突然、ぽつんと光点が生じて、瞬く間に直径3mほどの光のリングと化した。


 ごぉん ごぉん


 甲冑に身を固めた重装近衛兵が素早く皇帝の周りを囲み、残る近衛兵と宮廷魔術師たちが光のリング――ポータルに武器や杖を向けて身構える。


 ごぉん ごぉん


 ポータルの“向こう側”には黒と白の男女がいる。白い女――いや白い狼だけが光輪を潜り抜け、次の瞬間に彼女を残してポータルは消え去った。


 ごぉん ごぉん


 単身で巨竜すらほふる最強の近衛兵たちが、天から星を落とす大魔術師たちが、全員一丸となって白い狼に襲いかかる。


 ごぉん ごぉん


 ニヤリとわらう狼の全身の白毛が逆立った。刹那せつな――


「がっ」

「ぐあっ」

「ぎぇ」


 殺到する近衛兵が、魔法を放とうとした魔術師が、身を挺して皇帝陛下を守る重装兵が、糸の切れたマリオネットのごとく白黒の床石に崩れ落ちた。

 重々しい鐘の残響が止んだ後、謁見の間に立つ者は、恐るべき白い狼――シグナスだけだった。


「殺しちゃいないよ。金にならないからね」


 もしこの場に顕微鏡並みの視力を持つ者がいれば、倒れ伏す近衛兵たちの心臓や額の位置に、極細の白い針――白狼の長い体毛が刺さっている事に気付くかもしれない。


「でもお前さんは殺すつもりだった」


 昏倒した重装近衛兵の巨体と大座の隙間から、必死の面持ちで這い出てきたのは、シグナスのターゲットことアルバイン帝国皇帝タケル陛下。


「…………」


 タケルは無言で豪奢なローブの胸元から紙の束を取り出した。1枚で城が買える価値を持つ特級防御結界呪符の十枚重ね。その九枚目まで白い長針が貫通している。


「攻撃位置まで予測できたのかい。相変わらず厄介さね、その“チート”は」

「……焼け石に水だけどな」


 ヨロヨロと起き上がる初老の異世界人に、美貌の白き獣人が笑顔を向けた。

 上物の獲物を見つけた狩人の笑みだ。


「よぉタケル陛下。会いたかったよ」

「余は会いたくなかった」


 じり、とシグナスが一歩前に出る。

 タケルは後退あとずさろうとしてよろめき、尻もちをついた。


「つれないねぇ……そういえば、あのおっかない奥さんと息子さんはどうしたのさね?」

「とっくに疎開させてるよ」


 じりり。

 白き死神がさらに一歩進む。230cmの爆乳が見せつけるようにブルンと揺れた。


「そいつは良かった。ガキに親の死に目を見せるのは心が痛むからねぇ」

「暗殺の依頼主は誰だ? ラングレードの武帝か? シューレントの奴隷ギルドか? いや、変な転移魔法使っていたからガルタークだろ?」

「察しが悪いね。今ドンパチ殺りあっているのは何処の国さね――」


 シグナスの歩みと笑みが止まった。

 あの皇帝は冷酷そうな見た目に反して陽気でお喋りな奴だったが、この絶体絶命な状況でも口数が多いのは、明らかに時間稼ぎで――


 直前までシグナスがいた空間をディメンションカッターの蒼光が薙いだ。

 背後からの奇襲を跳躍回避したシグナスが空中で身をひねりながら投擲した毛針をレミュータは指先で挟み止める。


 音もなく着地するシグナス。

 毛針を投げ捨てるレミュータ。


 きっかり10mの距離で獣と機械が対峙した。


『遅れて申し訳ありません。マスターの入浴シーンの観察及び録画を実行していました』

「いや護衛を優先してくれよ! その為に依頼したんだからね!?」


 ブーイングしつつ素早く後方の扉に逃げ込んだタケル皇帝は、最後に扉の陰から顔を出して、


「気をつけろレミュータ殿! そいつの名はシグナス。世界最高の傭兵にして世界最強のライカンスロープだ――うぉ!?」


 タケルの顔面に突き刺さる直前の白い毛針をレーザービームが焼き止める。

 慌てて頭を引っ込める皇帝陛下を尻目に、レミュータは身長240cmバスト240cmの待機モードから身長3mバスト3mの戦闘モードに変形した。


「ほう、お前さんも変身するのかい」


 シグナスは変形中のレミュータを襲わなかった。変身物のお約束に従ったわけではない。その方が楽しめそうだからだ。


『状況開始』

「それじゃ、殺りあおうかい。用心棒さん」

『レミュータです。その前にひとつ質問事項があります』

「さっき紹介されたがシグナスだ。何が聞きたいのさね」


 レミュータが敵対相手との戦闘直前の会話という、戦闘兵器らしくない無駄な行動を取ったのは、無論タケルがこの場から離脱するための時間稼ぎが目的だが、純粋に疑問が生じたからでもあった。


『先ほどの奇襲攻撃を回避できた理由が分かりません。ステルス機能は完璧に作動していました』

「勘」


 レミュータの電子の瞳がわずかに揺れた。


「オレからも聞いていいかい」

『俺っ子さんでしたか。どうぞ』

「そん時の毛針をどうやって止めたんだい? 絶対に受けられないタイミングで投擲したはずさね」

『計算と分析です』

「へぇ……」


 シグナスの口元から白い牙が覗いた。


 あとは沈黙。

 もう言葉は不要。


 冷たい静寂の後――ケモノとキカイは同時に跳んだ。




つづく





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