地球から来た男女 02
01
現在より50年以上過去の時代――大陸東方地域に戦乱の嵐が吹き荒れていた。
元々、東方地域はその大半が峨峨たる山脈と麓の樹海で占められており、人間種族が住める領域は限られている。その僅かな土地を巡って人間同士の争いが絶えなかった。
無限に続くかに見えた戦乱の時代――それに終止符が打たれたのは、小国の1つに過ぎなかった『アルバイン王国』に、1人の軍事的天才が出現した瞬間からだ。
その男は常に黒い鎧を着ていた事から“黒将軍”と呼ばれていた。
黒将軍はその強さで瞬く間に周辺国家を併呑していき、民衆は英雄の誕生に歓喜した。
しかし歓喜はすぐに絶望に変わった。アルバイン王国が東方世界統一を果たした直後、黒将軍がアルバイン国王を弑逆して王位を簒奪したのである。
王国は帝国に名を変え、黒将軍は黒皇帝となった。
そして、圧制が始まった。
過酷な労役、厳格過ぎる法律、今日の食料すら徴収する重税……帝国民たちは地獄の日々を過ごす事になる。この時期の年間死亡者数は、なんと戦乱時代よりも多かったのである。
旧王国の血筋を引く者は徹底的に弾圧された。男子は老人から赤子まで皆殺しにあい、女子は全員が最下級の奴隷に落とされた。
永遠に続くかに思われた圧制と弾圧――人々は新たな救世主の出現を望んだ。
慈愛と慈悲の神ラミュルトに、民間信仰や新興宗教のあらゆる神に救世を願った。
……その願いをかなえたのは、はたしてどの神だったのだろうか。
02
冬の晴天――冷たい大気。乾いた空気。濁った瘴気。
「さあさあ、金のある御仁は寄って見ておくれ! 金のない奴も賑やかしにおいで!」
奴隷商人のだみ声が薄汚れたスラム街に虚ろに響いた。
この浮浪者とゴミだらけの街に、かつて絢爛たる都と呼ばれたアルバイン王国首都の面影はどこにもなかった。
通りの端に設置された雛壇。野次馬を見下ろすでっぷり太った奴隷商人。
その後方に並んだ全裸の男女――全員が飢えと傷病で痩せ細り、絶望と諦念を全身に纏っている。
「今日おいでになった皆さんは運がいい。今回の目玉商品は、なんと旧王国のお姫様だ!」
旧アルバイン王国の王女――枯れ枝のような奴隷たちの中に、確かにその少女はいた。
少女は4歳の時に父と兄を殺され、母や姉と共に奴隷に落とされた。
それから10年間、虐待と陵辱の限りを尽くされた身体は、栄養失調による発育不全で8歳程度にしか見えない。よく見れば美少女の面影はあるが、今は人型に組んだ棒切れの如き無残な風体だ。
少女は天を仰いだ。
空を見るのは好きだった。こうして競売にかけられる時にしか、外の光を浴びる事ができないけど。
おそらく少女は今回も売れ残るのだろう。旧アルバイン王国唯一の王位継承権を持つ身とはいえ、こんな餓鬼同然の死にかけた奴隷を買う物好きはいない。
残酷な奴隷商人は売れ残りの奴隷には罰として最低3日は食事を与えないが、しかし少女にはそれで良かった。
餓死寸前に衰弱した今の体なら、確実に天の国にいる家族に会う事ができるだろうから……
(……ぁぁぁぁぁ)
「……?」
突然、少女が見上げる何も無い青空に、黒い点がぽつんと浮かんだ。死に際の幻覚だろうか。
(ぁぁぁぁぁあああああ)
いや、幻覚ではない。黒い点はみるみる大きくなり、遥か高みから落下する人の形を取った。
位置はほぼ真上。そう、少女のすぐ目の前に落ちてくる!
(あああああああああああああ――!!!」
ドド―――ン!!!
「ぐえっ!?」
落下した人間――いや『少年』は、少女の眼前2m、ちょうど奴隷商人の真上に落下した。
奇妙な少年だった。
年齢は15歳くらい。少女が見た事のない不思議な服――現代日本で言う学生服――を着ている。
不思議な事にあれほどの高空から落下したのに、少年は怪我ひとつ負っていなかった。下敷きになった奴隷商人は悲惨な事になっているが。
「あ痛ててて……酷いよ女神様! いきなり空のど真ん中にワープなんてさぁ……」
少年は痛そうに尻をさすりながら立ち上がり、そして、目の前で唖然としている奴隷少女と目が合った。
ボーイ・ミーツ・ガール
それはいつだって素敵な冒険の始まりを意味する。
少年の名は“タケル”――これが数々の冒険の末に黒皇帝を打倒し、少女と結ばれてアルバイン帝国新皇帝となる男の、異世界転移デビューであった。
03
「……そっかぁ……そっちの地球と余の地球では別の歴史を辿っていたのか……」
『はい、タケルの地球と私の地球はパラレルワールドであると推測します』
正確には空間距離的パラレルワールドであり、双方の地球は――そしてファンタズマも――同じ宇宙に存在している可能性が高いが、そこまで解説するとややこしくなるので、レミュータは言及を避けた。
石床の上に直接腰を下ろし、がっくりうなだれるアルバイン帝国皇帝“タケル”のしょぼくれた様子は、見た目が『眉1つ動かさずに臣下を処罰する冷酷非情な王様』にしか見えないため、逆に奇妙なギャップとコミカルさがあった。
「あわよくば、余の親父やお袋の様子を知りたかったんだが……」
『私の製造年月は西暦換算で10万年以降であるため、同一世界であっても該当情報の把握は困難であると予想』
「だよなぁ……どうもこの歳になると、過去に未練ができちまう」
アルバイン帝国皇帝タケルは、おどけた様子で頭をかいた。黄金の王冠がずり落ちるが、気にする様子はない。
レミュータが製造された地球とタケル皇帝が生まれ育った地球には決定的な違いがあった。
タケル側の地球では、西暦1960年代に勃発するはずだった第三次世界大戦は回避されて、人類文明の一時的滅亡は発生しなかったのである――
第二の危機『全面核戦争』が起こらなかった地球――西暦2010年、日本国にタケルは産まれた。
ごく普通の健康優良児に育ったタケルは、しかし15歳の誕生日に、信号無視のトラックから老人をかばおうとして、自分が轢かれてしまったのだ。
即死必至の衝撃、暗転――ふと目を覚ましたタケルは、自分がいわゆるあの世にいるのだと思った。
真っ白な空。真っ白な大地。
周囲には赤い霧が漂っている。
どこまでも果てしなく、それだけが広がる世界。
そして、目の前に『女神』がいた。
『女神』はタケルに“チート”と呼ばれる不思議な力を与えて、異世界ファンタズマに転送してくれた。その間『女神』は理由を一切明かさなかった。
あまりにも唐突で不条理な状況を、しかしタケルはわりとすんなり受け入れた。
この年頃の少年には珍しい話ではないが、彼もいわゆる“異世界転生もの”に対する造詣はそれなりに深かったのである。
そしてタケルはそうした異世界転移者の例に漏れず、ファンタズマで数多くの大冒険を繰り広げた。
やがて彼は1人のサキュバスを相棒とし、亡国の奴隷王女と恋に落ちて、ついに邪悪な黒皇帝を倒してアルバイン帝国の皇帝の地位まで昇り詰めたのであった。
ライトノベルの物語なら、これで『めでたしめでたし』と本を閉じて終わりだが、当然ながら現実のタケル皇帝の人生はまだまだ続く。
それから40年間、彼は慣れない国家運営に悪戦苦闘しつつも、皇后となった奴隷王女や家臣の力を借りて何とか皇帝の勤めを果たしていった。黒皇帝を打倒した英雄の名声も手伝って、現在の臣民からの支持はおおむね好評である。
唯一の懸念は子宝に恵まれなかった事だが、それも10年前に皇后との間に長子が生まれて解決した。
ちなみに、なかなか子供が生まれなかった件で、宰相たちから遠回しに愛人や後宮を作ることを提案された事もあった。専制国家にとって後継者の有無は死活問題だからだ。
それに対する皇帝陛下の返事は――
「浮気なんかしたら皇后に殺されちまうよ!!!」
――であったという。
やがて月日は流れて、新帝国暦43年の初冬――かつての相棒であったサキュバスから、同じ地球から異世界転生者が来たという連絡が入った。
歓喜したタケル皇帝は、こうして当事者のアンドロイドと同僚たちを招集したわけなのだが――
「故郷の話に花を咲かせたかったが……ま、世の中そう都合良くはいかないよな」
がっくりと落ち込みながらも、タケルはどこかサバサバした様子だった。
「あのぅ……お聞きしたいことが……」
おずおずと片手を挙げるショータ。だが、
「ん? どうしたボウヤ」
「ひっ……な、なんでもないです」
皇帝陛下の眼差し1つで、手と頭を引っ込めてしまった。
「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ」
マザーウィルは苦笑しながら、タケル皇帝の肩を気安く叩いた。
「見た目は怖いですが、中身はチャランポランなおっさんですから」
「あのな……で、何が聞きたいのかね」
「その……陛下がお会いになった『女神』様とは……ラミュルト様だったのですか?」
ショータの疑問はある意味子供らしく、そして実に司祭らしかった。
「うーん、そいつは何とも言えないなぁ……余はラミュルト神の事はよく知らないからなぁ」
タケルはわざとらしく腕を組みながらわざとらしい悩み顔を作ってみせた。
強面の地顔に罪は無いとは言え、子供を怖がらせるのは彼にとっても本意ではない。
「ただ、個人的にはラミュルト神ではないと思う」
王冠の位置を戻しつつ、初老の皇帝は自分の白髪頭を指先で摘んで見せた。
「その女神様は真っ赤な髪だった。そこの女の子みたいにな。たしかラミュルト神って銀髪なんだろ? そのロボットみたいにさ」
各種経典や伝承に残っているラミュルト神の容姿は、時代や宗派による多少の差異はあれど、長い銀髪という点は共通している。ちなみに爆乳も。
「ついでに言うなら、その女神様はずっと余に背中を向けたままだった。後で思い返すと不思議なんだが、その時はなぜか違和感を感じなかったな」
「ず、ずっと背中だけしか見せなかったのですか?」
「そうだ。きっと恥ずかしがり屋な女神様だったんだろうな。ちなみに美人だったと思うぞ」
「なんで後姿しか見てないのに、女神とか美人とか分かるんですか」
アニスの呆れ口調は無遠慮だった。今までの態度でタケル皇帝の気さくな本質を見抜いたようだ。
「後姿だけでも美女と分かるのが、大人の男というもんだぜ。お嬢ちゃん」
「なーにを気取っているのやら……」
マザーウィルは魔族の瞳でタケルに流し目を送った。
「……あーしで童貞捨てたくせに」
「ぶっ!……おいおいおい!? 子供の前だぞ!?」
タケルは慌てて誤魔化そうとしたが、当人たちは(何をそんなに恥ずかしがっているのだろうか?)と平然としている。
偉大なる皇帝陛下は深い溜息を吐いた。普段、臣下には絶対に見せない姿だ。
「……40年経った今でも、この世界の貞操観念には慣れないぜ……」
ショータとアニスは顔を見合わせた。
この異世界から来たおじさん皇帝陛下は、どうやら悪い御方ではないらしい。
「……さて、前置きはこれくらいにして……」
マザーウィルの瞳が優しく綻び――
「……そろそろ本題に入りませんか」
――スッと、鋭くなった。
「ただ昔話をするためだけに、レミュータ修道士を呼んだわけではないのでしょう?」
「……そうだな」
タケルはゆっくりと立ち上がった。
レミュータに正面から向き直った時には、もう『チャランポランなおっさん』から『アルバイン帝国皇帝』の顔に戻っていた。
「レミュータ殿、アルバイン帝国皇帝として勅命を下す。我が国を危機から救うため、その力を貸してほしい」『拒否します』
あまりに即答過ぎる即答に、タケル皇帝はシリアス顔のままガクっと体を傾けた。
『私はマスターの所有物です。全ての行動指示はマスターの命令にのみ従います』
自然に視線が集まるのを意識したショータは、レミュータの自由意志に任せる的な返答しようとしたが、アニスに睨まれているのに気付いて口をつぐんだ。
レミュータを修道士にした夜の不毛な会話を思い出したらしい。
代わりにショータが口に出したのは――
「れ、レミュータさんの力を、その、借りたい理由は…な、なんなのでしょう…か?」
タケルは顎鬚を摘むように撫でた。考え事をする時の癖である。
「……そうだな、事の起こりから全てを説明するべきか」
くるりと踵を返して、手招きする。マントの宝石が煌びやかに輝いた。
「会議室に行こう、この国の未来を決めるために」
04
会議室――そこは謁見の間と同じく殺風景な部屋だった。
ただしそれは、謁見の間のような心理的圧力をかけるための構造ではなく、単に実用性を重視した結果である。
調度品や装飾品は少なく、窓もない。部屋の中央には飾り気のない円卓が置かれて、その上に一枚の地図が敷かれている。
「適当に座ってくれ。この席も無礼講だ」
タケル皇帝は壁際の席に腰を下ろし、マザーウィルはその近くに座った。ショータは皇帝の正面に、アニスは彼の隣に着席する。レミュータはショータの背後に立ったままだ。
「みんな、この大陸地図に注目だ。これを見ながら解説しよう」
少し芝居がかった仕草で、タケルは円卓上の地図に指を走らせた。
「なんだか寺子屋の先生みたい、です」
「そいつは嬉しいね。お嬢ちゃんぐらいの歳の頃は、学校の先生になりたかったんだ」
くすりと笑うアニスにシニカルな微笑を返して、タケル先生の授業が始まった――
『大陸』――地球でいうユーラシアとアフリカを足した以上の面積を持つ、ファンタズマ世界最大の陸塊。
他の小大陸や島々の面積を合計しても、大陸の10分の1にも満たないという。事実上、この大陸こそが人間という種族の生存領域だと断言してもいいだろう。
形状は大雑把に言えば東西南北に角を持つ菱形をしている。
巨大大陸に相応しく地形は様々だが、北部は草原と荒野、西部は大河と沼地、南部は入り江と島々、東部は山岳と森林が比較的目立つ。
数十年前までは様々な小国が群雄割拠していたが、今は4つの『帝国』に統一されて、大陸も4つに分割統治している状態にあった。
「さて子供たち諸君、その帝国の名前は分かるかな?」
「ええと……た、たしか図鑑には……」
「はーい。北の“ラングレード武帝国”、西の“ガルターク魔導帝国”、南の“シューレント自由帝国”、そして東の“アルバイン帝国”です」
「正解だ。よく勉強しているな」
フフン、と得意げに笑おうとして、アニスは慌てて口元を押さえた。
そんな高慢な態度はもうやらないと、先日誓ったばかりなのだ。
「さて、これらの帝国は『四大帝国』と、そのまんまの名前で呼ばれている。それぞれの帝国は――」
ラングレード武帝国――大陸北部を支配する軍事国家。
元々、北部地域は『蛮族』と呼ばれる勇猛果敢な戦士たちが部族単位で暮らしていたが、約30年前に“武帝ガイ”という男に統一されて、大陸最大の巨大帝国に生まれ変わった。
国家としては新興だが、その勢力は四大帝国最強と評されている。
ガルターク魔導帝国――百万年前にラミュルト神から魔法を授けられた『最初の魔法使い』の血統を受け継ぐ、世界最大の魔術師ギルド『星振塔』を中心に結成された魔法帝国。
その歴史も大陸最古であり、極めて高度に洗練された魔法文明を誇る。
この大陸西部の支配者は“魔女帝フロラレス”。彼女は世界最強の魔法使いでもあるという。
シューレント自由帝国――その前身は『シューレント自由連合』という名の、大陸南部の都市国家群を支配する商人ギルドであった。
かつては数多くの有力商人が財を競う商業国家として大いに発展していたのだが……
今の国家元首は“混沌帝コーミン”。自由という名の混沌が支配する無法地帯。
「そして、余とそなたたちが暮らす、大陸東部の『アルバイン帝国』。これが今の大陸を支配する四大帝国というわけだ」
ここでタケルは一息ついて、いつのまにかマザーウィルが用意していたお茶を一口すすった。
「……で、これらの帝国同士は、残念ながら非常に仲が悪い……」
皇帝は深い溜息を吐いた。一気に十歳は老けて見えた。
古来より、北部地域の蛮族の間では、ガルターク魔導帝国を始めとした周辺諸国への襲撃や略奪が横行していた。
しかしこれは、ガルタークの星振塔が魔法実験の材料として密かに蛮族への人間狩りを行っていた事に対する、報復行為も兼ねていたらしい。
双方の遺恨はラングレード武帝国が成立してからも消える事はなく、明確な宣戦布告こそ無いものの、ラングレードとガルタークの二大帝国は事実上の全面戦争状態にあった。
そしてこの戦争を煽っているのが、シューレント自由帝国である。
シューレントは巧みに敵と味方の仮面を使い分けて、ラングレードとガルタークの共倒れによる漁夫の利を狙っていた。
しかし両帝国もその思惑には気付いており、隙を見て逆にシューレントを返り討ちにしようと動いていた。
こうして三つの帝国が泥沼の戦乱状態へと移行しつつあるのが、今の大陸情勢なのだ。
「どうしてそんな事に……」
ショータの呟きは暗かった。
「みんなケンカしないで、仲良くする方が絶対にいいじゃないですか……」
「……そうだな。喧嘩しない方が正しいに決まってるよな」
皇帝は少年の理想論を笑わなかった。
人はそれを捨てた瞬間から腐り始める――40年以上に及ぶ異世界世路で、タケルはその事を知っていた。
「あの、ちょっといいかしら……ですか?」
小首を傾げながら片手を挙げるアニス。
「今の四大帝国の戦争の話で、アルバイン帝国の名前が出てなかった気がするんですけど……ひょっとして、蚊帳の外にいるって事ですか?」
「理解が早いねお嬢ちゃん。その通り、余の国は他の帝国の戦火から免れている……というよりハブられている。その理由が分かるかね?」
「「うーん……」」
「ヒントはこの地図だ。よく見てみなさい」
子供組2人は目を皿にして地図を睨んだ。
大陸東部を支配するアルバイン帝国の領地。その大部分はガルガ山脈と麓の大森林で占められている……
「あっ!……分かったわ」
「僕も分かったかも……」
聡明な2人は一瞬目を輝かせて、すぐに困惑した。
まさか皇帝陛下を前に『この国は征服する価値があまり無いから』とは言い難い。
その表情で内心を察したタケルは苦笑を浮かべた。
アルバイン帝国の大部分を占めるガルガ山脈は、標高数千mの山々が連なる大陸最大の大山岳地帯だ。麓に広がる樹海は魔獣の巣窟と化し、共に大部分が前人未到の秘境といってもいい。
人間が生息できる事実上の帝国領土は、海沿いの僅かな部分しかないのが実情だった。
つまり、アルバイン帝国は領土それ自体が侵攻困難な天然要塞であり、苦労して征服しても手に入る人間の土地は少ないという、侵略者側としては全く魅力の無い獲物なのだ。
「……そうだ。余が言うのも何だが、この国は侵略する理由が乏しかったのだ」
スッと会議室の空気が冷たくなった。
タケルの瞳が、冷徹な皇帝のそれに転じていた。
「先月“これ”が採掘されるまでは、な」
皇帝はマントの内側から取り出した“それ”を、眼前にかかげた。
妖しい光沢を放つ、黒ずんだ真紅の鉱石――紅石を。
それからの展開は劇的だった。
レミュータが瞬時に戦闘モードに換装するや、円卓を跳ね除けてショータとアニスを守るように前に立つ。
同時にマザーウィルもサキュバス・エンプレスの姿に変身して、戦闘アンドロイドからタケル皇帝をかばった。
鋼の戦乙女の手には巨大な多目的戦闘ライフルが握られ、その銃口は真っ直ぐタケルへと向けられていた。
いや、タケルの持つ紅石に照準が合わせられていた。
『マスター、ただちにこの場から離脱して下さい』
無機質無感情なレミュータの声に、明らかな殺意の響きがあった。
『あれは――“ビジター”です』
つづく




