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始 あなたの隣で紡いで

最終回です。

長い、長いです。すみません。


「何故、相談しなかった…っ」

 イレフレートの感情は激していた。

 それもその筈、特別な存在だった彼女が、帝都不在の間にいなくなってしまったのだから。

 弟よりも先に使用人に事情を聴きだしたイレフレートは、迅速に行動した。猛然と部下に指令を下し、この家の当主たる父親に、弟の所業を報告したのだった。


「何故、僕の帰りを待たず彼女を追い出した、サージェットっ」

 車椅子から無理に立ち上がり、弟の頬に右の拳をがつんとめり込ませれば、当然不自由な身体はそのまま弟と床に転がる破目になる。

 だが構わない、この書斎には厚めの絨毯が敷かれているし、父によって人払いされている。組み伏せた弟の喉元を締め上げて何も問題ない。

 彼女を追い出す際、弟は酷い言葉を浴びせていた。手の平を返された彼女の辛さを、何分の一でも味わわせて何が悪い。

「…あいつを本来の世界に返しただけだ」

 苦し気に目を伏せる弟。

 髪は乱れ、窪む両眼窩に酒の臭い。自暴自棄は明白で、だからこそ苛立ちが更に募る。

「質問には正確に答えろ、僕は何故と聞いた」

「…奴が、メネリックが生きていた。だから」

「だから?」

 サージェットの言い訳が余りにも馬鹿馬鹿しくて、イレフレートは嗤うしかない。

「彼女の幸せを願い、だから、君は嫌われ役に徹し傷心の彼女を一人で放り出した?」

 彼女、セシカ アサツキを攫うようにこの家に連れて来たのは弟自身であったのに、だのに、今更だろう。彼女の幸せを願うなど笑止。


「僕の弟がこんなにも愚かだったとは」

 心と同様に凍り付いた声。

「その情報は北がもたらしたものだな?」

「…そうだ」

「君は騙された、サージェット。北は敵だ」


 〈貴〉のニルスス家。通称、北。

 かの家は〈武〉を統率する立場にあり、現当主は光護国軍部の第一責任者である。

 〈武〉である彼女の情報を得ようとするなら、確かに間違いではない。だが中立と見せかけながら、イレフレートを貶めようと以前から機会を伺っていた。

 更に、心の隙をついて、イレフレートを戦場まで送り込んだ相手でもある。

 北が関係したことは誰にも話さなかった。自分の失態を晒す趣味はないし、騙し合いが常である〈貴〉にとって、親兄弟であっても全ての手の内を明かさないものだから。

 まさか、それが仇となるとは。

 弟は賢明だ、北の正体に気づくだろう。そう思った自分が甘かった。

 かの家の狙いは明白だ。現帝が後継者にと望むサージェット、その彼には細心の注意を払い接触していたであろう。

 見ろ、首尾よく弟を騙した。

 まして、父親を超える酷薄さを持つ姫君が関わっていては、弟に望まれた彼女が無事に済む筈もない。

 

「確認中だが、メネリックの生存は偽りだろうね。そして彼女が乗った馬車だけど」

 闇を飲み込んだ心地でイレフレートは告げた。

「多分ニルスス家が手を回している。彼女の行方は…現在捜索中だ」


「あの娘を取り戻せ、イレフレート」

 成り行きを静観していた父が、重い声を発して命じた。

 ようやく事態を把握した弟が、真っ青になり掠れた声で、俺が彼女を探すと言った。だがもう遅い。容赦のない言葉が降り注ぐのみ。

「情報は常に真実であるか多角的に判断しなければならない。冷静を失い、誤った判断を下し、慈しむべき女性を悲しませたお前は〈貴〉に非ざる」

「ま、待ってくれ…っ」

「南区で謹慎を命ず。サージェット、この件に関する権利は、お前にない」

 非常な光を湛えた瞳で、父は兄の罪も責めた。

「女の扱いに不慣れな弟の管理と指導は兄の務め。イレフレート、監督不行き届きとしてお前にも非がある。罰として次期当主に任命する、心せよ」



 当然、サージェットは暴れた。

「放せっ、俺を行かせろ…っ」

 大声で彼女の捜索を願ったが、父の部下たちはサージェットを捕縛し、手荒く馬車へ押し込めた。大男を取り押さえるには更に厳つい筋肉の壁が必要で、馬車内は密着し、高い不快指数のまま南区へと向かった。


 俺が馬鹿だった。

 偽りの情報を信じ、今頃自分がつけた傷はあの男の指で払われているのだろうと想像した。アサツキは幸せになったと思っていた。

 アサツキ。

 悔やんでも、今の彼には動きようがない。窓にも扉にも大勢の監視がつけられた。それでも飛び出したが、すかさず父に報告され、身分を剥奪された。

 兄からの報告書を読む他ない。

 筈であった、が、白いそれをくしゃりと握りつぶした。足で扉を蹴り開けて、潔く正面を突破した。


 書面に綴られるのは、彼が知りもしなかった事実ばかり。大切な存在を守れなかった後悔が火のように、サージェットの身を燃やす。

 アサツキ。

 良く似合っていた海色のドレスを引き裂き、お前に血を流させた相手はキティル ニルススだった。

 安全だと信じたあの家で、母と結託し、一部の侍女と手酷い扱いをしたと。

 あの女。

 帰りたいと言っていたアサツキ、辛さを気付いてやれなかった俺。どうしようもない馬鹿だ。離れようとする言葉だけに囚われた。

 まして今日の報告には、彼女の乗った馬車が故意に何度も交換されたとあった。そして行方不明と綴られた文字。


 守れなかった。お前を守れなかった。

 もう遅いのか、いや、どうか間に合ってくれ。

 きっと彼女ならどうにかして南区に向かう筈だ。今度こそお前を守るから。どうか。

 祈りながら南区をさ迷ったが、果たして、絶望だけがもたらされた。


「はぁあ?あの子はあなた様が大事に保護しているんじゃなかったのかい。ここにゃ帰っていないよ」

「アサツキさん?いえ、ここにはいません」

 長屋ではおタキに子ども等、今は南版元と名を変えた職場では、マルタ、スチェリにソロ。誰も彼女の姿を見ていなかった。

 ウィア版元があった場所は今や更地となり、ただ風が吹くばかり。

 サージェットは彼女と歩いた街並みを、取引先を、港を探した。彼女が隣に居たあの頃は何処も眩く輝いていたのに、今や世界は色を失くした。

 梅ヶ枝との名の料亭にも足を向けたが、勿論、そこにもいない。いない。

 何処だ、何処にいる。アサツキ。

「わ、私はあなたのお傍に」

 健気な彼女の思い出だけが思い浮かんで消えて行く。鉛よりも重い脚を引き摺って邸に帰れば、顔色を失くした兄が待っていて、悪い未来を予感させた。


「最悪だ、サージェット」

 そう始まり、次いで人身売買と続く会話に、サージェットの喉はひゅっと鳴った。

「彼女は西国を経由し、異国へと売られた」

 ばん。

 激情のまま手近にあった机に拳を叩きつけた。爪が食い込んだサージェットの手の平から、鮮血が飛び散った。

 何故、そんなことになった。

 永遠の幸せを願った筈なのに、何故。

「軍用船を利用し、我が国の女性が売買されていた。彼女もその中に…こんな事件に行き当たるとは僕も思ってみなかったよ」

「背後には北か」

 兄の返事がなくとも軍が絡んでいるとなれば、ニルスス家の関与は明らかだった。大罪だ。

「間一髪のところで西国で摘発された…秘密裏に捜査していた者がいたらしい。聞いたら驚くよ、その英雄は彼女の兄だ」

 ではアサツキは救出されたのか。

 神の采配に感謝した、だが、兄の表情は硬く緩まない。

「彼は帝都に戻って来ている」

「アサツキも一緒か」

「…彼の話では、妹は亡くなった、と」


 耳を疑う言葉に、言葉は出て来なかった。

 軍部に乗り込み、詳細をすぐ聞き出そうと踵を返したサージェットに、イレフレートが制する。

「彼は面会に応じない。僕も何度も足を運んだが、ウィアヌス家が妹を殺したと激しく拒否された」


 死?

 殺した?

 アサツキを?


「…事件関係者に会った。女性が一人、西国の海に落ちて死亡したらしい。それが彼女」

「馬鹿を言うな、あいつが死ぬ訳がないっ」

 怒鳴り声がびりびりと震えた。いや、彼自身も。

 がくりと両膝を床に着き、車椅子に座るイレフレートの胸元を掴んだ。滑らかな服の感触だけが、これは悪夢ではなく現実だと訴える。

 嘘だ嘘だ嘘だ。

「…次の手がない、サージェット」


 サージェットの脳裏で激しい電気信号が行き交う。

 頑固な軍人の意志を撤回させるには?

 父の権限を上回るには?

 思い当たる手もあるが、普段の彼ならば決して助力を頼まない相手だ。その見返りに求められるものは、頭痛がするものだから。

 だがしかし。


 アサツキに代えられるものなど、この世にない。


「〈貴〉のニルスス家が裏で糸を引いていた証拠書類だ」

 光護国軍部にある素っ気ない一室。

 ようやく面会に応じた〈武〉のセーリク アサツキは、話し合い開始時より随分と脱力していた。それも仕方ないだろう、不当な左遷も卑劣な大罪も、全てウィアヌス家によると彼は考えていたのだから。

 だが真実は。

 ウィアヌス家ではなくニルスス家によるものだった。

 更なる余罪も判明した。

 西国調整外交高官、つまりメネリック家当主とその子息も死に追いやっていた。人身売買の事実を嗅ぎつけられたから、らしい。

 今や世間は大騒ぎである。

 ニルスス家当主を始め、娘にも国家反逆罪が言い渡され、一族郎党厳しい詮議を受けている。

「私情に駆られ、真実を見抜けず、高貴な方々を疑いました。お許しください」

 粗末な椅子から降りたセーリクは、冷たい床に額を押し付けた。

「…妹を亡くしたのも当然の報いです」


 サージェットが手に入れた御印は、セーリクのみならず、リンという名の被害者の少女や犯罪に加担した男たちとも面会可能にした。

 彼等にも何度も聞き返した。

 男を倒し、身代わりとなって女性を助けるなど、誰がいる?

 犯罪者に向かい誇りとは何かを語り、生きろと諭すなど、誰がする?


 アサツキ以外に誰が?


 別の誰かであってくれ

 こんなにも願っていたのに。


「…妹が残した手紙です」

 セーリクのシャツから取り出された紙片が、彼等の希望を打ち砕いた。ゆっくり開くと、兄様、とあった。

 彼女の綺麗な手跡で。


 兄様。

 ごめんなさい、私は彼の方々を信じます。

 どうかもう一度お調べください。

 兄を疑う私には妹の資格はございません。

 命をもって贖います。お許しください。セシカ。


「…止めらなかった。僕の目の前で妹は暗い水面に吸い込まれた」

 その瞬間を思い出したセーリクは、ぎゅっと瞳を閉じた。

「あの子は笑っていたのです…とても幸せそうに」


 アサツキ、アサツキ、アサツキ。

 お前はもう、この世の何処にもいない。


 海の泡となって、消えてしまった。


「あなたが好きです。どうかお傍に」




 泡となって消えてしまった人魚の姫君。

 物語ならばそう終わるだろう。

 けれども。

 ここは遠い異国ではない。

 ここは光護国。

 俺の傍で生きて、ほほ笑んだ俺だけの人魚の物語を。

 新しい物語を。

 ここから始めよう。




 どうかもう一度だけ奇跡を。




 岩ばかりの悪路に、男はくっと口角を上げた。

 差し出した手を素気無く拒否されたことを思い出したのだ。そう言えばこの小さな村で、前回も有益な情報を得たのだった。

 どくどくどく。

 鼓動が早く強く脈打つのは、休みなく急峻な坂を登ったためか。それとも地の底まで裂けた断崖のためか。いや。

 予感がするからだ。

 この先に待つ、予感に。


 風が吹く。


 空にかかる薄い雲を押し流す。

 天と地を繋ぐ幾つもの光の階が現れて、神の啓示だと男は思った。

 ほら、証拠に。

 金色の毛並みをした大鹿、その隣には小さな影が寄り添っている。

 小さな青い魚のような女が。


 ああ、奇跡だ。


「…お前は鹿までも手懐けるのか」

 ここに辿り着くまでに様々な言葉を考えていた。裾野に残して来た一団にはお節介が多くいたし、特に男の兄は口酸っぱく助言した。

 なのに。

 どうでもいいこと以外、何も出て来ない。

 熱く震える胸を、詰まってしまった喉をどうしたらいいのだろう。慎重に距離を詰めると、にこり、女は困ったように微笑んだ。

「…アサツキ」


 男は女を諦めきれなかった。

 探して探して。

 捜索区域からかなり離れた浜辺に、真珠色の肌の女が打ち上げられたと耳にしたのだ。回復した女は西国のある山に向かったと。

 それを追って、とうとうここまでやって来た。


「こちらにはお仕事でいらしたのですか?」

 男の、サージェットの肩はびくりと固まった。夢に聞いたその声で、そう、アサツキは時に莫迦莫迦しい受け答えを真剣にする。

「…そんな訳あるか」

「では、どうしてこのような処に?」

 小さな頭をこてんと傾げる様子は本当に愛らしく、これ以上お前を好きにさせてどうすると、彼は思った。

「お前を迎えに来たに決まっているだろう」


 失敗だった。


 後悔したが遅かった。アサツキはびくりと身を縮めて、傍にいた大鹿と共に崖下に去ろうとしたのだ。くそ。馬鹿だ、俺は。

「行くな。何処にも行くな、アサツキ」

 立ち塞がれば、いやと小さく拒否が聞こえた。本気の拒絶に、サージェットの胸の大穴は凍てついた風が吹き抜けた。

 がくん。

 片膝をついて、項垂れるしかなかった。

「…許してくれ」


 その柔らかな身体を抱きしめたくとも、彼女を傷つけた彼に、もはやその資格はない。

 分かっている。

 分かっている、だが。


「あの、お立ちください。ゆ、許しますので」

 でも、何をお許ししたらいいのでしょうか?


 思うより近くで囁く声が聞こえて、瞼を上げると、両膝を地に付けた彼女がサージェットを覗きこんでいた。労わるように。

 長い睫毛はすぐそこにある。

 白い頬も、細い喉も。

 甘い吐息も、朱色の唇も。

「…簡単に許すな、この莫迦」

「は?」


「アサツキ、アサツキ、アサツキ」


 どうしてその熱を懇願せずにいられるだろう。


「名を呼べ。サージェットと」

「で、できません」

「抱きしめさせろ」

「だっ、だめですっ」

 じりじりと近づけば、対応を心得た大鹿はきゅうと一鳴きして離れて行く。くそ、許可が下りない。ならば触らなければいいのだろう?

 ぐるりと彼女を囲い込んだ。触れていないが、もっと熱を感じたい。

「口づけたい。許すと言え」

「だだだだめですっ」


「そら、お前は俺を許していない」


「ほ、他の女性と結婚なさる、くせして」

 ぎゅっ。

 肩や首を竦める彼女の小さな呟き。彼は聞き逃さなかった。

「お前は、今も俺を好きだと?」


 ひっく。

 子どものような嗚咽。


「…ご、ご迷惑だと分かっています。思いを寄せるだけ、それだけです。ど、どうか許して。決して決して、何も望みませんから」


「…莫迦め」

 胸に開いた大穴が温かな熱で埋まって行く。あんなにも酷い言葉を投げつけたのに、アサツキは健気にも自分を思っていたのだ。

 生涯言うまいと決めていたが、彼女をもう一度得られるならば、矜持も捨てよう。

「俺にはお前だけだ。初恋もお前だ」

「は?」

 ぱちぱちと上下する長い睫毛に、どうか届けと彼は祈る。

「イクノの葬儀で出会い、俺は、お前に堕ちた。会いたいと願った女はお前だけだ」

 サージェットを見つめるアサツキ。

 一、二、三、四、五。ぼふっと音を立てて全身真っ赤になった。

「せ、いたか、さん?」


 背高さん?


 可憐な呼び名を口にしたアサツキは、ぱくぱくと口を開閉する。じっとその時間を耐えた労を、神は報いた。

 彼女が恥ずかし気に小さく言ったのだ、私もです、と。

「もう一度会いたいと、私も」

 お互い、名も知らず、恋におちた。

「私も、あなたが、初恋です」


 運命は何故にこうも皮肉だ?

 照明の輝く夜会で、互いに正装して出会っていたなら。現帝に頼まれて訪れたメネリック家で、お互いに目を合わせていたなら。

 違う未来に辿り着いたのか。

 いいや。

 たった今、目の前にいるアサツキが、俺はいい。


「お前はもっと俺を望め。しがみついて離れるな」


 刹那、アサツキは囲った腕の中から泡のように消えてしまう。

「アサツ」

 ぴん。

 上着の裾が軽く引っ張られる。

 ふり向けば、そこにはアサツキが白い指で握りしめていた。

「…お傍にいても、いいですか?背高さん」

「っ」


「セシカは恥ずかしがりです。裾を引っ張るのは、甘えたい合図です」

 そう教えてくれたのは、二度と泣かせないと誓うならば、と不承不承に言った彼女の兄だった。

「大変、非常に、不本意ですが」


 傷ついた彼女には、きっとこれが精一杯。


 十分だ。

 以前のように抱きしめることは叶わなくても、これで十分。

 彼女が傍にいるのならば、彼は幸せなのだから。

「そのままずっと握っていろ。一生だ」


 上着を握りしめた彼女と共に、ゆっくりと道を下り、その間にぽつぽつと事の顛末を話した。彼女は怒りもせずに静かに聞いていた。

「…人は誰でも間違うのでしょう。糺してくださる方の存在なくば、私も、間違ったことさえ気づかなかったかもしれません」

 お願いです、そう綴る。

「あのお方は私に〈貴〉とは何かを示してくださいました」

 〈貴〉とは土台。

 光帝を礎として、光護国に住む誇り高き人々の土台たるが〈貴〉の役割。民よりも上にあってはならない。

「どうか更生の法を」

 自分を異国へ売り払おうとした女に温情を願うとは。くそ。極刑を望むサージェットが舌打ちしても仕方ないであろう。


「…裾を手放さないと約束するなら、いい事を教えてやる」

 頃合いを計っていたサージェットはようやく決心し、言った。

「カン家の薔薇が出産した。俺と国に戻ると約束するならば、見舞いに連れて行こう」

「えっ、や、約束いたします」

「煩い奴らも同行するが、許せ」

「えっ?」

 灌木が途切れ裾野が見渡せた。もう一人一人の顔がはっきり見える。イレフレートに父、彼の部下たち。それと。

「えええ、あっあの御印は」

 風に翻る御旗。

 交差する剣と三又槍に花は、光護国民ならば誰もが知っている御印。我が国最高位に在られる光帝を示すもの。

 十重二十重の錦が揺れる。

 金糸銀糸が輝き、太陽が座す如く。

「お前の父や兄を呼び寄せた、ああ、伯母もちゃんといるぞ。結婚の許可は貰っておいた」

「え、けっこ?そっそれよりも、ああああのお方は…っ」

 ひいぃと悲鳴が聞こえたが、想定内だった。蒼白になることすら。

「何せ、イレフレートと父に身分を剥奪された俺だ。協力者が必要だった」


 彼が助力を頼んだ相手は、現帝だった。

 まだ幼少の頃、気難しいところが嫌いだ、そう宣言した相手だ。

「ではお前が光帝になってみろ、気難しくもなる」

 と返されて以来、サージェットを次の帝にと推していた。おかげでイレフレートに、王子と呼ばれ、からかわれる始末。

 光護国光帝は〈貴〉四家の男子であることを前提に、指名制である。

 心身共に健康が条件でもあり、サージェットの女性嫌いを理由に、議会は承認していなかった。だが、アサツキの存在によって全て覆された。

 周囲も、必ずやサージェット様を帝にと意気込み、ウィアヌス家の当主はイレフレートに決定した。

「助力しても良いが、代わりに何を求められるか、分かっておろうな」

 現帝はニルスス家の醜聞に胸を痛め、近々退位する意向を示していた。

「妃はアサツキ以外、絶対に嫌だからな。あいつが生きて、俺の傍にいるならば帝だろうが身分無しだろうが何でも構わん」


 あの時の帝のにやにや顔は、一生忘れまい。

 これ幸いと喜んで彼に御印を渡し、だからこそ、彼女の兄も強硬な態度を折って面会に応じた。捜索も続けられ、西国の山まで訪れることができた。

「お前が説得できん時には、私が手を握って、誠心誠意頼んでやろう。結婚してやってくれと」


 彼女は、もう泡となって消え去ることはない。


「我サージェット ウィアヌスは求婚する、この世で最も愛しき姫セシカ アサツキに。命尽きるまで共に在れ」

 ぶるぶると震える唇は、このまま奪い尽くそうかと思う程、可愛過ぎる。

「次期光帝の命だ、返事は是だな?」



「こんな卑怯な男を、お前は一生許すな。ずっと許さず傍にいろ」


 肩を亜脱臼されるのは御免だが、まあ、肘打ち位なら甘んじて受けよう。




 これは、光護国に伝わる物語。


 並びなき光帝と、その妃の物語。

 どの帝よりも勇猛果敢で誇り高くあった彼は、統治した長き期間、一度も戦争を許しはしなかった。寧ろ、法の番人として世界から称えられた。

 理由には、妃が望まなかったからと伝えられている。

 しかし妃に関する逸話は、今でも秘されたままである。

 やはり晩年になって、忽然と姿を消したことが関係しているのであろう。深く慈しんだ妃を失くした帝は、失意のままこの世を去ったと記されている。



 それは新年にほど近い、ある夜。

 空には手の届きそうな大きな月。

 闇の中を輝きながら、一つ、また一つと星は流れた。

 不吉な予感を覚えた帝は、妃の元へ駆けこんだ。

 ばたん。

 寝室に続く扉を開けると、月を背にした男が一人立っていた。きちんと伸ばされた姿勢が綺麗だ。腕の中には一人の女性、大事そうに抱きしめて、柔らかくほほ笑んだ。

「お迎えに参りましたよ」

 甘い声。

 にっこりと笑んだ右目の下のほくろ。

「私の婚約者を返してもらいます」

「…俺の妃だ」

「いいえ、違います。さあ、セシカさん。一緒に行きましょう」

 ひらり。

 その姿が窓の外に舞うまで、帝も、多くの側近も、誰も動けなかった。待て、と声を張り上げることしかできなかった。

「連れて行くな。返せ、返してくれ」

 メネリック。

 帝の悲痛な声が空を割ったけれども、空には星が輝くばかり、奇跡は二度と起こらなかった。


 小さな寝台に残されたのは、特殊な折り方をした白いハンカチ。

 土に塗れた挑戦の証。



 これはあなたの隣で紡がれたお話。





星のように無数に煌く作品の中から、見つけて、お付き合いくださった方に。

本当にありがとうございました。

拙い文章をお読み下さり、感謝いたします。

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