フルニエ家と影の病
別れたばかりの人物と同じ顔の人に別の場所で会った。
想像したエリックの背筋が一瞬凍ったけれど明るく笑い飛ばす。
「お茶会の途中で席を立ったリオネルが、別の場所でリュシエンヌ様に会えるわけがない。それこそ詐欺じゃないのか、詐欺師が高貴な方の身分を詐称するなんてよくある話じゃないか」
「僕もそう思った。だってお茶会で見たリュシエンヌ様は煌びやかで自慢の金髪を飾り立てて本当に豪華だったから。すれ違った貴族令嬢のように地味で流行遅れのドレスを着ているなんてありえない。だからね、さりげなく注意を促したんだよ。詐欺じゃないかって。それでも相手は彼女をリュシエンヌ様本人だと疑っていなかった。何でだと思う?」
まったく想像がつかなかったエリックは沈黙した。
容姿以外で、本人と他人を見分けるものなんてあるだろうか?
すると書類のとある一箇所をリオネルが指した。
「直筆の署名だよ」
「ああそうか契約書の署名は基本、直筆だからな!」
容姿以外で、本人と見分けるもの。たしかに商談ではよく使われる有効な本人確認の手段だった。
「でもそれこそ筆跡を上手く真似ただけじゃないのか?」
「得意先の夫人はね、もともと亡くなられた前当主カルロッタ様と懇意にされていたそうだ。カルロッタ様は小さいころのリュシエンヌ様を連れてよく遊びにきていたそうだよ。そのときに手習いの勉強を兼ねていらない紙に文字を書く練習をさせていたそうだ。そこには署名もあってね、次期当主となったときに必要だからということらしい」
当時を懐かしく思い出したのか、夫人は笑いながらこう答えた。
歳とともに上達するけれど癖は変わらないものよ、だから本人の証明に使われるの。
「わざわざ昔に書いたリュシエンヌ様の署名まで見せてくれたよ」
「どうだった?」
「間違いなく、同一人物だ。癖だけでなく、上達していく課程まで見せられたのだから間違いないよ」
かもしれないと濁すことなくリオネルはきっぱりと言い切った。
エリックはリオネルが商品の本物と偽物を見分ける確かな目を持つことを知っている。商人向きの資質だと父と母が当てつけのように話していたからだ。
「二人はカルロッタ様との思い出話にずいぶんと花が咲いたらしい。夫人が言うには、うれしそうに母娘の思い出をいろいろ話してくれたそうだ」
それこそ夫人を除けばカルロッタ様とリュシエンヌ様の二人しか知らないようなことで会話が盛り上がった。
だが、そうなると一つ大きな疑問が残ってしまう。
周囲を警戒するようにリオネルは声をひそめた。
「リュシエンヌ・オベール様が、この世に二人存在することになるんだ」
「まるでドッペルゲンガーだな、影の病か」
分身と出会ってしまえば、本物が死に至るという影の病。
そんな恐ろしいことを大きな声では言えない。
エリックはこの密室であってもリオネルが言いにくそうな顔で話す気持ちがわかった。
「可能性として高いのは誰かが成りすましたということだけれど、オベール家でリュシエンヌ様と同じ年頃の娘は一人しかいない」
「それがオデット嬢か」
「少なくともカルロッタ様と近い場所にいた人物でなければ夫人と話を合わせるなんてことはできないよ。調べたらオベール家の侍女は最近入れ替えたばかりだった。となると現状、可能性があるのはオデット嬢だけだ」
父を同じくする妾の娘だ、周囲は知らなかっただけでカルロッタ様との接点はあったかもしれない。
「それでね、兄さん。二人の行動を考えたときにもう一つ、さらに気づいたことがあったんだ」
もう一段、リオネルの音量が下がる。
「思えばリュシエンヌ様とオデット嬢が揃って公の場に姿を表したことが一度もないんだ。公爵と公爵夫人、リュシエンヌ様の三人で社交することはあっても、そこにはいつもオデット嬢の姿はない」
「だがそれはオデット嬢が初めに社交の場でいろいろやらかしたからだろう。公爵家で隔離されているから表には出てこられないだけで」
「でもね、やらかしたときも公爵と公爵夫人、オデット嬢の三人だけだった。今の状況を考えると、その場にリュシエンヌ様がいないほうがおかしい。派閥のご令嬢はリュシエンヌ様は運が良いだけだと言っていたけれど、社交に慣れているあの方が近くにいればもっと上手く切り抜けられたかもしれない。連れてきていないから、余計悪目立ちしたということでもある」
こう考えると、リュシエンヌ様とオデット嬢が同じ場所に並ぶことがないように避けているかようだ。
「そもそもの話、もしその場にリュシエンヌ様がいないのなら責任を持って両親が止めるべきだろう。勉強嫌いでわがままで、マナーの勉強が足りていないのなら社交界にデビューさせるほうを見合わせるべきだ。それを連れてきておきながら、失敗したのは娘のせいっていうのはどうなんだろうね。むしろ世間のほうが責任を問う矛先を間違えている気がする」
「それでも第二王子殿下とリュシエンヌ様のお茶会にオデット嬢が突撃したのはまずいだろう。あれが隔離される決定打だった」
「そうだね。そしてそれが第三者の前でリュシエンヌ様とオデット嬢が一緒にいる姿を見た、最初で最後の機会になったわけだ」
それ以降、オデット嬢は人前に一度も姿を現していない。
「いくら正当な後継者ではないにしても、公爵令嬢なのに家人以外でオデット嬢の顔を知る人間がいないという状況はどう考えてもおかしいと思わないか?」
リオネルの顔色は悪いままだ。
珍しい、ずいぶんと思考が偏っている。
エリックは肩の力を抜いて、軽口を叩いた。
「どうした、ずいぶんとそのご令嬢に肩入れするじゃないか。まさかアリスがいるのに惚れたか?」
「それこそまさかだよ、アリス以上に素敵な女性はいない!」
幼馴染で同じ商家の娘であるアリスはリオネルの婚約者だ。
相思相愛で、二人の仲を邪魔するような人間は間違いなく馬に蹴られる前にリオネルが排除する。そういう冷徹さも持ち合わせた弟だった。
ちなみに互いしか見えていない二人は来年、結婚する。
両親がエリックの結婚を急いだのは、次男よりも長男の結婚が遅れるのは外聞が悪いという理由もあった。
「ならどうしてだ、普段冷静なおまえらしくない」
「たぶん二人を比べてしまったからだろうね」
商品の本物と偽物を見比べるときのように、思わず癖で。
リオネルは暗い表情でそう答えた。
「一人ずつだったらわからなかったと思うよ。でもなんの因果か、同じ日に、近い時間帯で似た顔をした二人に会ったから思わず比べてしまった」
二人のリュシエンヌ・オベール、どちらが公爵令嬢に相応しいかを。
「オベールの黄金、気合いの入った豪奢なドレスに装飾品。たしかに一人目のリュシエンヌ様は公爵令嬢らしく美しかった。立ち回りも上手いし、軽妙な会話もさすがだと思った。でもね、それだけだ」
リオネルは今でも思い出す。
髪を帽子で隠し、装飾のない地味な格好をしていたもう一人のリュシエンヌ・オベール。言葉を交わしたわけでもなく、視線が合って会釈したそれだけなのに。
「比べたらわかる、あちらが本物だ。自分の商人としてのすべてを賭けてもいい」
壮絶な気品とでもいうべきか。気を抜けば思わず首を垂れてしまうような威厳。
たとえ上辺だけ上手く取り繕ったとしても醸し出す品格までは偽れない。署名のことがなくても夫人が疑うことなく彼女をリュシエンヌ本人と受け入れたのはそれも大きな理由だというのが今ならわかる。
「赤茶色の髪だったけれど、もしオベールの黄金が人型をとればああいう人になるんだとまで思ったよ」
「おまえにそこまで言わせるのが逆にすごいな!」
「他人事のような顔をしているけれど、兄さんの奥様になる人のことだからね」
だから困っているんだ。そうつぶやいて真剣な顔をする。
「兄さんの目で直接確認してほしい、オデット嬢がリュシエンヌ・オベール様なのかというところを」
「出来の悪いほうの息子に無茶言うな」
「でも人を見る目は兄さんのほうがある。商会を狙って巧妙に罠を仕掛けた詐欺師を見破ったのは兄さんじゃないか。しかも三回もだ。一回、二回は偶然でも、三回目は本物の証明だ」
あいつは怪しいと、そう言っただけだがな。
フルニエ商会も常に順風満帆というわけではない。
表には出ないだけで、何度か危機に晒されることもあったのだ。
「物を比べる目を僕が、人を見る目を兄さんが受け継いだ。兄さんだってちゃんと商人としての資質があるのに、父さんや母さんはどうして理解できないのだろうね」
「あのときは、さんざん父さんや母さんに食ってかかってたものな」
「気がついたのは僕じゃないって言っているのに信じないのだもの。兄さんが怪しいって言ったのがキッカケで僕が裏付けを取ったのだって、兄さんの言葉を疑って詐欺師の言葉を信じた父さん達が調べないからじゃないか。いつの世に息子の言葉を疑って詐欺師の言葉を信じる親がいるんだよ!」
血の繋がりがあろうと相性のようなものはあるからな。むしろ血が繋がっているからこそ拗れる。
かろうじて実家と繋がっていられるのはリオネルがいるからだ。少なくとも弟だけは自分を信じてくれる。
「それに兄さんだって商会が潰れてしまえば困るでしょう? 服飾で使う布や糸、ビーズやレースや宝石は商会の伝手を使って安価で質の良い物を優先的に手に入れているでしょう?」
「お、おまえ、どうしてそれを!」
「ふふふ、父さん達には黙っていてあげるから協力してよね」
こういうところが年々親父に似てくるな、大丈夫か。
「商会は僕が継ぐ。できる限り負担はかけないようにするから今回だけは協力してほしい」
ここまで言われてしまえば長男でありながら早々に家を飛び出してリオネルに丸投げしたという負い目のあるエリックは、否応もなくうなずくしかなかった。
「ならば交換条件として一つ協力してほしい」
「もちろん、できることならなんでも協力するよ」
交換条件を提示して、今後の方針を話し合って。別れ際にリオネルはささやいた。
「兄さん、僕がもっとも恐ろしいと思っているのはね。お茶会でオデット嬢が叫んだという言葉だ」
――――やめて、リュシエンヌは私よ!
そうだった、エリックは思わず自らの口を押さえた。
あまりの恐ろしさにそれ以上は声が出せない。
だってそうだろう、もし虚言と思われていた言葉が本当ならその意味するところは。
「リオネル、いくらなんでもそんな!」
「大丈夫、こんなおそろしいことを他の誰にも言っていないよ。そんな神をも恐れぬことを口にしたら、僕のほうが気が狂っていると言われてしまう。だから余計にこわいんだ、これはもうフルニエ家だけの問題じゃない。王家も、この国も……関わる者はすべてを失ってしまうような気がして」
暗い顔をしてリオネルはエリックの手を握った。
「鍵は兄さんの手に握られている。お願いだ、全員を救えとは言わないからフルニエ商会とアリスを守るためだけに力を貸してくれ」
エリックは呆然とした。最悪の場合、リオネルは元凶である両親を切り捨て、国を捨てる気でいるらしい。
そこまでしなければ次期商会長である自分の命すら危ういと。
我が弟にここまで言わせるのか、オデット・オベールとは一体。
「オベール家は何かがおかしい。気をつけてね、兄さん」