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エリック・フルニエの誤算


「エリック、結婚相手は公爵令嬢だ。商会にとっても悪くない条件だったから婚姻届にサインした」

「……は、ちょっと言っている意味がわからないのだけれど?」

「公爵家の希望で結婚式はなし、その代わり住む家は買ってある。ヘネストン通りの角にある新築物件だ。一通り家具も揃えておいたし、文句はないだろう」

「親父、だから人の話を聞けって!」

「仕事のときは商会長と呼べ。毎回言っているのに、どうしておまえは理解できないのだろうな。それに意味がわからないとはなんだ、商会にとっては願ってもない話じゃないか。公爵家を足掛かりに販路が増やせる」

「そうではなく、そういう話があるのならどうして俺に事前に言わないのか聞いているんだ!」


 激昂するエリックに父は心底不思議そうな顔で首をかしげた。


「言ってどうする。受けるに決まっていることをわざわざ言う必要があるのか?」


 だからそうではなくて。なんでこんなに噛み合わないのだろうと頭を抱える。


「おまえは昔から飲み込みが悪かったからな、すぐには理解できないかもしれないが。商家の息子なら商人の機微くらい汲み取れ。そうでないと商売なんてできない」

「商売をしたいなんて一度も思ったことはないと言ったはずだけれど?」

「将来の夢はデザイナーだったか。子供じゃないんだ、いい加減夢を見るのはやめておけ。どうせこの国に戻ってきたのはあちらの国で事業がうまくいかなかったからだろう? だったらちょうどいいじゃないか、結婚してうちの商会を手伝えばいい」

「いや、だから人の話を最後まで聞けって!」

「聞かなくともわかるさ。若いころは無茶して失敗することもある、俺もそうだったからな!」


 父は苦笑いを浮かべるとエリックの肩を軽く叩いた。

 何だその全部わかっているという顔は。どうしてそう自分の都合のいいように話を進めるのだろう。

 エリックはもはやどこか突っ込んだらいいかわからなくなっていた。


「だからね、全然違うんだ! 今回戻ってきたのは」

「それに問題児のおまえを結婚相手に指名するなんて奇特な方はオベール家の御当主くらいだ」

「人の話を……って、オベール公爵家⁉︎ なんでそんなすごい名家の娘が商人の息子に嫁ぐんだよ。そうだ、たしかお嬢様には婚約者がいたはずだ」


 まさか親父が騙された⁉︎

 エリックの顔色が悪くなると父は鼻で笑った。


「騙されたわけじゃない。ちゃんとオベール家で、直接当主ジェルマン様に会って契約を交わしたのだからな。たしかに次期当主となるリュシエンヌ様にはすでに王族の婚約者がいる。だからおまえの相手はもう一人のほうだ」

「……まさか気狂い姫?」

「そうだ、おまえの相手はオデット・オベールだ」


 身内だけの場ではあるが、父はさらっと公爵令嬢を呼び捨てにした。

 その傲慢な態度にむしろエリックは驚愕する。

 誰が聞いているかわからないからと、どんなときでもどんな相手でも敬称を外さない主義の人がね。

 もはや生粋の商人ですら取り繕うこともしないくらい、この国ではオデット・オベール嬢の評判は地に落ちているという証だ。


 オデット・オベール嬢のことはたしかにエリックも噂には聞いていた。

 淑女の鑑である義理の姉、リュシエンヌ様を困らせる愚かな義妹。勉強もマナーの授業もサボり、礼儀知らずでリュシエンヌ様と婚約者のお茶会に突撃したというのはこちらの社交界でも有名な話だ。

 恋愛小説のヒロインを貶める悪い義妹のように、いじめだの嘘つきだのとありもしない悪評を広めようとしてうまくいかず、ついには妄想に取り憑かれて「自分がリュシエンヌだ」とまで言い出す始末。

 リュシエンヌ様を自分と思い込んで、愛さないでなどと婚約者である第二王子殿下に言い放ったとか何とか。

 王族相手にやらかしたらダメだろう、完全に頭がおかしい。

 結果、ついたあだ名が()()()()

 次期当主であり慈悲深いリュシエンヌ様が必死で懇願するから隔離程度で済んでいるが、即刻修道院に追放されてもおかしくないような娘だった。

 いくら公爵家と縁続きになれるとはいえ、そんな娘と誰が望んで結婚したいと思うのか。

 当然のことながら婚約者はおらず少し歳上だが独身だったエリックに白羽の矢が立った、と。


 よりにもよってそんな相手が妻だとは。どうして誰も止めてくれなかったんだ!

 エリックにすれば迷惑な話だと思ったが父はどういうわけか至極満足そうだった。


「頭のおかしい娘でも身分は間違いなく公爵令嬢だ。貴族の娘が妻になるなんて最高の名誉じゃないか。だいたいおまえにだって瑕疵はあるんだぞ? いつまでも浮き名を流して独身だから目をつけられる。あきらめて現実を受け入れてしまえ。それに将来的には決して悪いことにはならないはずだ」

「どうしてそう言える?」

「オデット・オベールの散財は有名な話だ。あれだけ散財しても現状維持できているのは公爵の経営手腕がすばらしいからに違いない。領地経営も順調、新規事業が軌道に乗って売り上げも伸びているというし、我々が販路を開拓して利益を還元してやればもっと潤うだろう。おまえがしっかり監督してオデット・オベールの散財をやめさせれば、オベール家には利益しか残らないはずだ。おまえはオベール家から感謝されるし、世間や社交界での評価も挽回できるだろう。さらに我々も公爵家の潤沢な人脈を使わせてもらえば商会にも利益がある。つまり、この結婚は誰にとっても利益しかない」


 エリックは父の言葉に眉をひそめる。商会って、勝手に俺を頭数に入れやがって。

 この人はいつもそうだ、自分の考えが正しくて、家族の意見は聞く価値もないと思っている。

 商売人としては優秀かもしれないが、エリックにとっては最悪の父親だ。そして母も同じような考え方の人間だった。商売だけでなく私生活でも父の言うことに従っておけば正しいのだと、反抗的なエリックを出来の悪い息子だと嘆いている。

 長男だけれど、この家はエリックにとって柵しかない。

 だから周囲を説得して、ようやく家を出たというのに!


「暴れ馬の手綱をしっかり握れ。それが商会員としての初仕事だ」


 結局、こちらの話を一言も聞くことなく父は笑顔で部屋を出て行った。

 呆然としていたエリックは我に返ると痛む頭を押さえる。


「俺は……滞在資格の延長手続きのために戻ってきただけなんだよ」


 帰国したのは申請に必要な書類を取りに来ただけ、書類を手に入れたらすぐに元いた場所へと戻る気だった。

 それがまさか結婚させられてしまうとは!

 父が出て行って程なく、遠慮がちなノックの音が響き扉が開いた。

 苦笑いを浮かべながら顔を出したのは弟のリオネルだ。


「タイミングが良いのか悪いのか、昔から兄さんはそういうところがあるよね」

「リオネル、何で親父を止めてくれなかった!」

「言って止まるような人なら、こういう騒ぎにはならないよ」

 

 三歳年下の弟はエリックと違い、両親の自慢の息子で商会の跡継ぎでもある。

 仕入れで忙しい父だけでなく、最近は商談を任されるようになったことで不在にすることが増えたリオネルまで家にいるなんて珍しいこともあるものだ。


「普段忙しい人間が全員家に揃っているなんてどういう風の吹き回しだ?」

「皆それだけ兄さんに会いたかったんだよ、もちろん僕もね」


 リオネルは苦笑いを浮かべる。弟は母に似た柔らかい物腰に、父の強引さを程よく受け継いだ。

 顔立ちも父の堅実で誠実そうな雰囲気を受け継いでいるし、商人にはうってつけ、まさにいいとこ取りだ。

 小さいころから周囲に比べられることが多かったため思うところはあるけれど、決してリオネルとの仲は悪くなかった。少なくとも思うことをそのまま口に出せるくらいには信頼しているつもりだ。


「突然オベール家から呼び出しがあって、父さんが帰ってきたときには婚姻届にサインした後だって言うから、僕も驚いちゃって。近くにいたのに止めきれなくてごめんね」

「いや、すまない。こっちこそ完全に八つ当たりだ。これなら帰ってこないほうがマシだったか」

「そっちの方が悪手だと思うよ。もし兄さんが結婚したい相手ができたときには詐欺で訴えられる」

「そもそも結婚する気はなかったのだが……どっちもどっちか」


 もはやエリックは笑うしかなかった。

 さて、どうしよう。視線が合ったリオネルは真面目な顔をした。


「実は僕、今回の件も含めてオベール家のことで兄さんに相談があったんだ」

「俺にか?」


 リオネルはうなずいて、仕事用のカバンから書類を取り出した。


「このところ父さんは仕入れ、商談は僕の担当になっていることを兄さんも知っているだろう?」

「そうらしいな、それで?」

「商談でたまたま得意先の邸宅に伺ったらそこでお茶会を開催していてね。特別にと得意先の方が顔つなぎの機会を与えてくれて、高位貴族の何人かに僕を紹介してくれた。そのうちの一人がリュシエンヌ・オベール様だったんだよ。昼のお茶会にしては派手な色のドレスだったし、装飾品もずいぶんとお金をかけているなとは思っていたけれど、公爵家ならばそんなものかなと思ってよく覚えていたんだ。挨拶は問題なく済ませて、その帰りに別の得意先に寄った。そこで質素な身なりの貴族のご令嬢らしき方とすれ違ったんだよ。軽く会釈して、通り過ぎた後に気がついた」


 どこかで見た顔だな、って。


「しばらく経ってから思い出した。痩せて顔色も悪いから気が付きにくかったけれど、その方はリュシエンヌ様と顔立ちがとてもよく似ていたんだ。しかも似ているなんてもんじゃない、まさに瓜二つ。だからそれとなく得意先の方に聞いたんだよ。今すれ違ったご令嬢はどなたか、と。そしたら相手はリュシエンヌ・オベール様だと言うんだよ」


 まるで怪奇談を聞いた後のように青ざめたリオネルは身を震わせる。

 

「いるはずのない人物が、つい今しがたまでここにいたと聞いたら兄さんはどう思う?」



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