アデライドと即興劇
ついにこのときが。
リュシエンヌが静かに顔を上げれば窓の外では盛りを過ぎた花が散っている。
――――
グランドヴァローム王国で最高の名誉と、栄華を誇っていたオベールの名は地に落ちた。
調べるほどに、なぜ今までこれほどうまく隠せていたのか疑うほどだ。
それでも建国の英雄の名誉を守るため取り調べは密やかに行われることとなった。
グランドヴァローム王国国王オレリアンは彼らを密室で直接聴取する。
「説明せよ、ジェルマン・オベール」
「ですからわたしはやっていません! すべては娘が、気狂い姫であるオデットが悪いのです!」
「ええそう、すべてはオデットの散財が原因なのです! あの愚かな娘のためにお父様は悪いこととは知りながら収支報告書を誤魔化した。わたしも彼女に騙されただけなのです!」
「ああわたしの娘オデット、愚かな気狂い姫がオベール家をメチャクチャにしてしまった……」
「先ほどからオデットが騙したと言っているがその証拠はないし、実行したのはおまえ達自身である。違うか?」
「いいえ、違うのです。信じてください!」
「……また、堂々巡りか」
嘘か、真実か判断がつかない。オレリアンは頭を抱える。
取り調べは遅々として進まない一方で、証言や証拠から各々の罪が明らかになっていった。
現当主であるジェルマン・オベールは執事長ヨハンと結託し、脱税および虚偽の申告を行った罪。
次期当主であるリュシエンヌ・オベールは領地が水害により被害を受けているにも関わらず、贅沢品を購入して散財し、オベール家の財政を悪化させた罪。
そしてリュシエンヌの義母である後妻、メラニーは当初一連の罪には無関係と思われていたが、リュシエンヌが購入したと思われていた贅沢品や高価な装飾品の一部は、彼女が買ったものだということが判明したのだ。
彼女の罪が発覚したきっかけは、前商会長クレマン・フルニエが商会に損害を与えた責任を負って引退したことにより、事業を引き継いだリオネル・フルニエ新商会長がオベール家の行為を悪質と国に訴えたことだった。
訴状によるとオベール家の人間がオデット・フルニエの名を騙って詐欺を働いたという。
通常なら平民の訴えなど一蹴されるところだが脱税のこともあり国の上層部は訴えを退けることはしなかった。
そして調べてみると、思いもよらないことが発覚したのだ。王命を受けた調査員は、この結果をどのように伝えるか頭を悩ませる。
「実はリュシエンヌ嬢の部屋から変装に使うかつらが見つかった」
「どうしてそんなものが。栄誉あるオベールの黄金に、かつらなんて無粋なものは必要ないだろう」
「髪色は赤茶色だった。義妹オデット・オベールと、その母メラニー・オベールと同じ色だ」
「それでは、まさか……!」
「侍女が言うにはリュシエンヌは散財するときや羽目を外したいときはかつらを着用してオデットに成りすましていたらしい。しかも調べたらオデットに成りすましたのは彼女だけではなかった」
「どういうことだ?」
「母親のメラニーもまたオデットの名を使って散財していたらしい。複数の商会から証言が取れた」
「まさか娘の名を騙ったということか。母親なのに?」
「髪の色が同じ赤茶色だし、娘の悪評に紛れ込ませればバレないとでも思ったのだろうな。メラニーは若い男の役者にずいぶんと入れ上げていたそうだ。その男に高価な贅沢品を買い与えていた」
「請求書に紛れ込んでいた男性物の装飾品や酒などの嗜好品はそれか!」
「そうらしい。自分の娘に罪を押し付けるなんて、いくら出来の悪い娘でもこれはかわいそうだ」
「よくそれだけの悪事を隠し通してきたものだな!」
「ああ、まったくだ。調べるほどオベール家を取り巻く闇が深くなる。そしてこれだけの罪がありながらオデット・オベールの関与を疑わせるものは何も出てこないんだ。彼女の存在がどんどん薄くなっていくのはなぜだろうな」
彼らの脳裏に浮かぶのはただ一つの名前。
華麗なるオベール家の汚点、気狂い姫と呼ばれたオデット・オベール。
オベール家の人間に諸悪の根源とされた彼女は、今一体何をしているのだろう。
――――
「さあ、今日は忙しいわ」
何しろ本日、セレスタン様がオベール家に婿入りされるのだから。
王家は結婚式を待たずして、セレスタン様を当主代行としてオベール家に送り込むことを決めた。建国の英雄リュドヴィック・オベールの血を受け継ぐ器であるオベール家を存続させるために。
結婚式は予定どおりに行われるが当主は血を繋ぐだけのお飾り。
領地経営を当主代行であるセレスタン様が行い、家政を侍女長であるマルグリット・バルトロ伯爵夫人が取り仕切ることになっている。
彼らに課せられた使命はオベール家の立て直しだ。
水害で被害を受けた領地の復興と散財により食い潰された資産をかつての水準まで戻すこと。
害となる存在は取り除かれたとしても、長く険しい道のりになるだろう。
リュシエンヌにはついぞ成し得なかったが、優秀で有能と評判の二人ならきっと時間をかければできるはずだ。
「お母様、こんなやり方でしかオベール家を取り戻せませんでした。不甲斐ない娘で申し訳ありません」
母……カルロッタ・オベールに哀悼の意を捧げ、リュシエンヌは瞳を伏せる。
今思うと母と暮らした十年がリュシエンヌとオベール家を繋ぐもののすべてだった。裏を返せば、母が失われたときにリュシエンヌとオベール家を繋ぐ絆が切れたに等しい。
それでもお母様の愛した領地と家は何とか残せた。リュシエンヌがオベール家に返せるものはこれがすべて。
暗く寂しい廊下を歩きながら、リュシエンヌは色を失ってしまった思い出の場所をたどる。
執務室、食堂、応接室、歓談室に大広間。そして奪われた自分の部屋。
今はオデットの部屋となり、彼女好みの派手な装飾品で彩られた部屋の扉を閉める。
最後に目的地である侍女長室の扉をリュシエンヌはノックした。当然、応答はない。
不在なのはセレスタン様を迎え入れる準備で大忙しのはずだから。
入室したリュシエンヌは郵便入れに退職願を置いた。
今の状況では確認するのは早くても昼過ぎになるでしょうね。
当初は雇用契約書がないので、元からいない者のように消え失せるつもりだった。
けれど、エリック様に手当が不払いであった証明があったほうがいいと言われたのであえて雇用契約書を作ったから対となるこの退職願が必要になる。
さすがエリック様だわ、アデライドが存在したという証明になる。
彼の柔らかな笑顔を思い浮かべて、リュシエンヌはふわりと口元をゆるめた。
そして、郵便入れにもう一通。
これはいつもの課題の返事、そこに今までのお礼を添えた。
「おせわになりました、侍女長……マルグリット・バルトロ伯爵夫人」
彼女は手紙の書き方だけでなく、機会あるごとに礼儀作法などの知識を惜しみなく与えてくれた。
厳しい人だったけれど孤立無援のオベール家で唯一リュシエンヌを気にかけてくれた人だから。
あとはお任せしますね。
瞳を閉じ、願いを込めて。
再び顔を上げたリュシエンヌは、もうしたたかに立ち回る貴婦人の顔だ。
「そろそろセレスタン様が到着するはず。急いで迎えに上がらなければいけないわね」
彼と会うのもこれが最後になるかもしれない。
侍女長室の扉を閉めてリュシエンヌは軽やかな足取りで表玄関へと向かった。
表玄関に到着するとちょうど使用人達が集まるところだった。
下級侍女であるリュシエンヌは自然と彼らの列に紛れて入り口に近い場所へと並んだ。
しばらく待機していると音を立てて、王家の紋章が入った馬車が到着する。
「セレスタン第二王子殿下の到着である!」
先ぶれの声に使用人が一斉に頭を下げた。
満を持して侍従が扉を開ける。降りてきたのはいつもと同じ微笑みを浮かべるセレスタン様だった。
あら、少し痩せたかしら?
薄く化粧で誤魔化しているけれど、やつれて顔色が悪いのは隠せていないし何よりも覇気がない。
オデット達がやらかした後始末が大変なのでしょうね。
しかもこれからは領地運営だけでなく、公爵家としての社交もすべて己が器量を頼りにこなさなくてはならない。
つらいでしょうけれど、オデットを甘やかしてつけあがらせたのだから自業自得よ。
オデットが作り上げたオベール公爵家の派閥は今回の不祥事で完全に瓦解した。皆、手のひらを返したように別の派閥にすり寄っているとか。
沈む船には用がないとは、いかにも貴族らしいわ。
仲の良かった友人や、学校の教師、親戚の顔が脳裏に浮かぶ。
けれど彼らも順風満帆というわけにはいかないだろう。新たな派閥で彼らは新参者。今までのようにオベール公爵家の恩恵で好き勝手ができるわけがない。
まあいいわ、彼らが自分を見捨てた時点でリュシエンヌも見限っている。助けてやる義理もない。
ほんの一部のリュシエンヌとして扱ってくれた人達には事前に手紙で忠告している。リュシエンヌ以上にしたたかな彼らなら国を捨てるか爵位を売るかして、うまく立ち回るだろう。
真面目で公平なセレスタン様は身分に関係なく端から使用人一人一人に声をかけていく。
誰もが自分の名前を覚えてもらっていることに感激していた。
彼が得意とする人心掌握、こういうところは昔と変わっていない。
そしてとうとうリュシエンヌの番になった。
「アデライド、これからよろしく頼む。今までと同様にわたしを支えてほしい」
無言のまま、リュシエンヌは形式どおりに膝を曲げて深々と首を垂れる。
王家に対する正式な礼。相手はまもなく臣籍降下するとはいえ、結婚前だからいまだに王族だ。王族に対して目下の者が許される前に発言するなどあり得ない。
すると彼は目を丸くして、そっと近づくと小声でささやいた。
「本当に不思議だ。君は平民なのに誇り高い。まるで高位貴族のご令嬢のようだ」
感嘆と、その奥に含まれる賞賛。
ここまで気がつかないなんて滑稽だわ、内心で冷ややかに笑いながらリュシエンヌは次の言葉を待つ。
「発言を許そう、君の声で素直な気持ちが聞きたい」
「セレスタン第二王子殿下、オベール家をこれからも末永くよろしくお願いいたします」
……入れ違いでわたしはいなくなるけれど。
似たような言葉を選びながら、二人の道は決して交わることがない。
オベール家で向き合うのは最後かと思うと感慨深いものがあって、リュシエンヌはふわりと笑った。
そしていつかと同じように彼の目が見開かれる。
「リュシエンヌ?」
呆然としたような彼のつぶやく声が聞こえる。その言葉に答えることはなくリュシエンヌは深々と首を垂れた。焦れたように侍従がそっとセレスタン様の腕に触れる。
「セレスタン様、そろそろお時間が」
「っ、すまない。少しぼんやりしてしまった」
離れ際に、セレスタン様はリュシエンヌの耳元でささやいた。
「アデライド、あとで話をしよう。君のことがもっと知りたい」
彼の視線は熱を孕み、わずかな好意をのぞかせる。
リュシエンヌは顔に出すこともなく彼の浅慮を嘲笑った。
そんなもの捧げられたところで、いまさらだ。興味もなければ、好意に応えなければならない義務もない。
次の使用人に視線が移ったことを確認してリュシエンヌは顔を上げた。
すると険しい表情をしたバルトロ伯爵夫人と視線が合う。彼女が何を考えているのか、手に取るようにわかった。
結婚前の醜聞は避けたいものね。
提出した退職願はセレスタン様の目に触れることもなく早急に彼女の手で受理されることだろう。
よかった、ここまでは順調だ。リュシエンヌはそっと息を吐く。
ああ、面白いわ。まるで即興劇のようで。
筋立てだけは決めておいて、その場の雰囲気に応じて台詞を返す。
もしかしたらわたしには本当に悪役の才能があったのかもしれないわね。
そう思うとなんだかおかしくなってリュシエンヌはひっそりと笑った。
挨拶が終わり、セレスタン様と侍従はバルトロ伯爵夫人とともに足早にオベール家の奥へと向かった。
行き先はなんとなく予想がつく。たぶん執務室だろう。
すれ違いざまに耳で拾った会話を思い出した。
……当主の署名が入った届はどこに。
……あれがなければ婚姻は成立しないのに。
「オデットが見境なくぶん投げたからインクに染まって書き損じの箱の中よ。今ごろ焼却炉の灰かしら?」
リュシエンヌは冷ややかな声でつぶやいた。
担当はサボりがちな使用人だから、まだ焼却処分にしていないといいわね。ただ見つかったとしてもインクで署名が塗り潰されているから、どちらにしても使えないけれど。
まあ、どうしても必要なら再発行でも王命でも手段を選ばなければ代わりになるものはいくらでもある。
破棄しても領民の生活に影響はないし、王家とオベール家しか困らないとなれば捨てる一択だ。
すでに破棄された書類を見つけるために、これから執務室の書類を仕分ける作業が始まるのだろう。怒涛の勢いで、あっという間に整理がつくに違いない。
そう思うとむしろ感謝してほしいくらいだわ、リュシエンヌからのささやかな餞別だ。
「さあ、次の相手を待たせてはいけないわね」
解散の声を合図にリュシエンヌは玄関に背を向ける。
即興劇はまだ続く。




