アデライドの暗躍4
部屋を守るようにリュシエンヌは扉を背にして顔を上げた。真っ直ぐにお義父様と視線を合わせる。
「お義父様、エリック様の素晴らしいお仕事ぶりについてはまたの機会に話し合いましょう。それよりも、今は手元の請求書をどうにかされるほうが先ではありませんか?」
「話をそらしたな、やはりこの部屋に都合の悪いものがあるからだろう!」
「違いますよ、あなた方はどうして人の話を最後まで聞かないのでしょうね」
人としての価値を見定めるような眼差し。リュシエンヌの突然変わった空気にクレマンはたじろいだ。
「は、何だいきなり」
「どこに買った商品があるかなど瑣末なこと、問題点は別にある。ですからもっと大胆に問題の根を断てばいいのではありませんか?」
なんだ、この娘は。これが身分が高いだけで愚かなわがままの気狂い姫だと?
クレマンは触れてはならないものに触れてしまったような不安に襲われる。
商会長である自分がちっぽけな娘の醸し出す異様な空気に呑まれるなんて、あってはならないことなのに。
「フルニエ商会はオデット・フルニエの請求書の後払いを今後一切受け付けないと通達すればよいだけのこと。商会長であるお義父様には造作のないことでしょう?」
クレマンは呆然とした。そんなバカな、そんなことをすれば。
「後払いは信用と同じだ。この国でオデット・フルニエに商品を売ってくれる商人は誰もいなくなるぞ⁉︎」
「かまいません、そもそもオデット・フルニエの名で商品を買ったことはありませんもの」
「嘘をつくな、それならなぜ贅沢好きで金遣いが荒いと言われる!」
「期待に添えず申し訳ありませんが、わたしはオベール家でも嘘をついたことがありませんの。それに自分が困ることを提案はしませんよ。それでも提案したということは、わたしは困らないからです」
これがこの問題の答え、リュシエンヌは真面目な表情で答えた。
そしてリュシエンヌの言葉の趣旨を理解したお義父様は顔色を悪くする。
「では、この請求書にあるオデット・フルニエは」
「偽者です。オデット・フルニエを騙る第三者が買い物をし、請求書をフルニエ商会に回した」
つまり詐欺に引っかかってしまったということだ。商会長である、お義父様が!
「贅沢好きで、金遣いが荒いオデット。そんな悪評に惑わされて精査する手間を惜しんだのですね」
さらっと皮肉ってリュシエンヌは請求書を手際よく整理する。
テーブルの上に日付順に並べて、そこからさらに食品、日用品などの大まかな品目別。
手慣れた仕草に、お義父様は目を見張った。
「ずいぶんと慣れているな」
「オベール家では日々同じようなことをしていましたので」
最近、領地の経営が順調に回復して、ようやく月末一括払いができるようになった。それまではこうして日々の領収書を整理して切り詰めるところを精査していたから。
リュシエンヌはこれまたさらっと事実を暴露して、日付順の最初にある請求書を手に取った。
「最初のころは日用品、食品などの小さな買い物でした。この時点で気がついて支払いを止めていれば、問題はここまで大きくはならなかったでしょう。ところが一向にバレる気配がないので味を占めたのでしょうね。徐々に金額が上がって、ドレスや靴などの贅沢品や酒などの嗜好品を購入するようになった。男性物が含まれるようになるのもこのころからなので交際相手への贈り物かもしれません。そうだ、でしたら簡単ですわ。エリック様がこの請求書にある商品と同じ物を身につけているか確認するだけで済みますもの」
お義父様の顔色がどんどん悪くなっていく。
やはりね、気がついていなかったのか。さらにリュシエンヌは別の請求書の束をつかんだ。
「それからここまでの二週間は、オベール家で負った怪我の療養のために自宅に引きこもっていました。ですので一切買い物はしていませんわ。怪我の状態や経過は医師が証言してくださるでしょう。エリック様からはフルニエ家が懇意にしているお医者様だとうかがっています」
「何だと……ベン先生に診てもらったか」
第三者の名が出ることで、一気に情報の信憑性が上がる。
「溜まった疲れと怪我のせいで熱が出て、寝たり起きたりを繰り返していました。ですから店に足を運び、採寸してドレスを作るなんてまず無理ですわね。食事すらエリック様に手伝っていただくほどでしたから。そうそう、わたしのために医師を呼び、オベール家に連絡を入れて、お礼の手紙まで出してくださったのはエリック様です。本当に気遣いのできる優しい旦那様ですわ!」
エリック様の株が上がるほど、お義父様の株が下がっていく。
それがわかっているからこそリュシエンヌは、じわじわと追い込みつつ決して手はゆるめない。
「わたしとエリック様は結婚式を挙げていません。書類上だけのことなので、わたしがオデット・オベールからオデット・フルニエに姓が変わったことを知っている者は本人以外にはいない。そう思ったからこそ、お義父様はわたしが買ったと思い込み、支払い続けてくださった。その寛大さと懐の大きさには感服いたしますが、こうして拗れるくらいならもっと前に聞いてくださればいいのです。こんな買い物をしたのか、と。そうすれば間違いなくしていませんとご説明できたのに」
とはいえ嘘つきと評判の気狂い姫の言い分をすんなり信じたてくれたとは思えないけれどね。
自宅療養の期間と買い物が重なったのは運が良かった。
「お義父様。商品の行き先を探す前に、もう一度フルニエに姓が変わったことを知る人物はわたし以外にいないのかお考えいただいてはいかがでしょう。探せば意外といるものなんですよ」
リュシエンヌは指折り数える。
お義父様はもちろんのこと、たとえばエリック様のお母様、弟であるリオネル様と義妹になる婚約者様。それから貴族の婚姻は王家の承認が必要なので書類を審査する事務官と決裁された王家の方と。
そして当然のことながら、オベール家は外せない。だって犯人はあの家にいる。しかも今回の犯人は女性でなくてはならない。
脳裏に浮かぶのはリュシエンヌを装うオデット、もしくは義母のメラニーか。
リュシエンヌは日付が直近の請求書を指した。これだけ他の請求書と金額が一桁違っている。それでとうとう腹に据えかねてお義父様は乗り込んできたということらしい。
「この女性物のドレスとそれに付随する小物一式の領収書ですが、まだ昨日注文したばかりです。注文を取り消しされてはいかがでしょう。それともわたしがこちらの店に直接うかがって、注文したのは本人ではないから取り消すと言えばよろしいかしら?」
「い、いやでもそれでは……」
「相手は詐欺を働いた罪人ですよ。遠慮はいりませんわ」
そう、お義父様もだんだんと誰が怪しいか気づき始めている。
ただ考えれば考えるほど、あまりにも相手が途方もなくて、もっと手近に罪を負う相手がほしかった。そこで選ばれたのがリュシエンヌだ。
本当に、いい迷惑だわ。
リュシエンヌは、メラニーとオデットの予定を思い浮かべる。
「そういえば、近々オベール家で他家の皆様をお招きして晩餐会を開く予定がありましたわ」
「晩餐会……」
「ええ、結婚前にセレスタン様共々、次代を担う公爵家の二人をお披露目する大事な宴と聞いております。
オベール家で嫌になるほどドレスや装飾品の請求書を扱ってきたリュシエンヌにはわかる。
日常着と違って晩餐会で着るドレスは宝石やレースが多用されて値段が高くなる。それに靴や装飾品も晩餐会用ならば納得できる値段だった。
でもこんな金額、水害の被害でギリギリの状態であるオベール家には到底支払うことはできない。
「お義父様、いっそこのまま仕立てて差し上げたらいかがですか?」
「バカ言うな。こんな金額、さすがに我が商会でもいきなり出せるか!」
「いいえ、フルニエ商会が払うことはありません。仕立て屋にこう伝えればいいだけです。請求先が間違っている、フルニエ商会ではなく納品先に請求すべきだと。それで納品したときに相手先へ掛かった金額を請求してもらえばいい。普通はそういう流れのはずです。ちなみに納品先はどちらになっていますか?」
「……オベール公爵家だ」
ほらね、そういうことだ。ここまで言えばさすがにお義父様も納得せざるを得ないだろう。
仕立ててもらったとしてオベール公爵家は支払いをどうするかが見ものね。
「では、これでお話は終わりということでよろしいでしょうか」
リュシエンヌは無邪気な顔で微笑む。お義父様は無言のまま、恨めしそうにリュシエンヌを睨みつけていた。
そんな恨まれてもね、筋違いというものよ。
「ちなみにこれはわたしの勘ですが、今までわたしが頼んだことになっているドレスや装飾品などは、全部オベール家の衣装部屋に収まっていることでしょう」
「在処がわかっても回収できないじゃないか!」
お義父様は頭を抱える。
残念ながらフルニエ家は新しい財布として利用されただけだ。
血の繋がった家族でも気を許してはならない、それをわたしはこの身をもって知っている。
お義父様をテーブルに残して立ち上がるとリュシエンヌは作業部屋まで歩いて行って把手を握った。
わかるように何度か把手を回すと、ガチャガチャという鍵のかかった音がする。
お義父様は顔を上げて眉をひそめた。
「同居している人間がいるのにわざわざ鍵をつけたのか?」
「はい、この部屋はエリック様の仕事場なのです。ですからエリック様にお願いして鍵をつけてもらいました。宝石などの貴重品があるので盗難防止の目的もありますが、ここはエリック様の戦場なのです。わたしのような人間が許可もなく立ち入ってはならない聖域。わたしも彼と同様に家族ならば何をしても許されるわけではないと考えます」
血の繋がりがあっても、最低限の線引きとルールは必要。
それを守れない人間は我々にとって家族ではないのよ。
「部屋を無理やり開けさせて、大切な物を奪っていくのは家族ではなく盗人の所業ですわ」
お義父様の顔がカッと赤くなった。
きっと自宅では配慮もなくエリック様の私室へ突撃するような人なのだろう。繊細なエリック様とは根本から合わなそうだ。
そう考えると捨てたほうがお互いに幸せ、たしかにそうかもしれない。
リュシエンヌはにっこりと微笑んだ。
「そうですわ、お会いする機会がなかったのでお伝えできなかったのですが。わたし、お義父様に感謝していることがありますの」
「何だと」
「エリック様と結婚させていただいたことです」
最初はとんでもない人だと思った。
いきなり契約だの、白い結婚だのを持ち出してくるからうまくやっていけるか心配だった。
でも一緒に暮らしてみたら、リュシエンヌのことを真っ先に考えてくれる優しい人で。このところいつも仕事をしながら家にいるし、浮気者との噂とはなんだったのだろう。
あらためて思い知らされる。
気がつけばリュシエンヌにとっては唯一無二の人になっていた。
「わたしはエリック様を尊重します。認めてくださらなくとも、お義父様のぶんまで大切にしますね」
呆気に取られた顔でお義父様は目を丸くする。からかうようにリュシエンヌは笑った。
「ほら、人の話は最後まで聞くべきでしょう?」
リュシエンヌにはもったいないくらいの優しさと情熱を捧げてくれる人だから、夢のような日が終わるまで大切に守ってあげたい。
ふと、老婆の声が脳裏によみがえった。
悪いことは言わないよ、そんな優しさは捨ててしまいな。
愚かでも、間違っていたとしても。
わたしが愛する人は、わたしが決める。