リュシエンヌ・オベールの事情
建国の英雄の血を受け継ぐとされるオベール公爵家。
当主の執務室で、リュシエンヌは書類の束を握りしめた。
「リュシエンヌ、この子がおまえの義妹だ。仲良くするように」
義妹は母が違うとは思えないくらいにリュシエンヌと顔立ちのよく似た娘だった。
顔の輪郭からアーモンドのような色と形をした目、鼻の高さに赤く色づいた唇の大きさや形まで。双子と呼んでいいような、もしくはそれ以上に似ているかもしれない。
共に父の血を引いているからか、まさに瓜二つ。
ただ唯一、髪の色だけはリュシエンヌがオベール公爵家の正当な血筋を受け継ぐ金色であるのに対して彼女、オデットは母親譲りの赤みを帯びた茶色という違いだけだった。
今日からこの家で一緒に暮らすですって!
リュシエンヌは仰天する。普段から思慮深く、口数の少ない娘であったけれど言葉を選びながら精一杯反論した。
「どういうことでしょう、お母様が先日亡くなられたばかりです。それなのに喪が明けないうちに後妻を娶るとは、世間からどう思われるか」
新しい母親と紹介された女性、メラニーは男爵家の娘でかつてはオベール公爵家に勤めていた侍女だった。結婚するために辞めたと聞いたが、まさか妾として密かに父親が囲っていたとは。
リュシエンヌが反論すると父の表情がたちまち険しくなる。
「父であり、当主代行でもある私の言うことに逆らう気か?」
「そういうつもりではありませんが……」
「おまえは昔から可愛げのないことばかり言う。私のすることに文句ばかりで母親にそっくりだな!」
そう吐き捨てて、顔色の悪い娘に冷ややかな視線を向けた。
「おまえの母が死んだ今、これからは私が当主。私の決めたことは絶対なのだ。おいそこのおまえ、この娘を部屋に閉じ込めておきなさい。罰として夕飯も抜きだ」
「はい、かしこまりました」
「お、お父様!」
するとメラニーは父に縋りつくようにして身を震わせた。
「こんな性根の悪い娘が私の義娘になるなんて……愛おしい旦那様、ジェルマン様。私とオデットを守ってくださいましね」
「ああもちろんだ、我々三人は家族だからな!」
「うれしいわ、お父様大好き!」
何の茶番か、呆然と言葉を失ったリュシエンヌは使用人の男にきつく腕を掴まれる。
「さあ来い!」
「い、痛い。やめてちょうだい!」
「ご当主の命令だ、何か文句はあるのか!」
ニヤニヤと意地悪く笑う三人を執務室に残し、リュシエンヌは怖い顔をした使用人に無理やり連れ出されて部屋に軟禁された。かつての公爵家にはこんな乱暴者で不躾な使用人はいなかったのに。
当主のである母が病床にいることを良い事に、父がすべて使用人を入れ替えたのだ。だから今の使用人は新参者しかいない。それでもなんとか公爵家の体面を保ってこれたのはすべてリュシエンヌが上手く回るように手を尽くしてきたから。
そう思うと、今の公爵家には母の死を悼む者も、メラニーが元使用人である過去も知る者がいなかった。
「どうしてこんなことに」
リュシエンヌは冷たいベッドに伏してさめざめと泣き崩れる。
その日から、リュシエンヌを取り巻く環境は悪いほうへと一変した。
まずリュシエンヌの部屋はドレスや装飾品も含めてすべてオデットに奪われた。代わりに与えられたのは使用人部屋、しかも陽当たりが悪く誰も使いたがらない部屋だった。そしてドレスの代わりに与えられたのは使用人の服。
勉学の機会も奪われて、その日からリュシエンヌは最下層の下級侍女として働くことになった。
毎日毎日、朝早くから夜遅くまで働かされて、疲れ切った体を引きずって部屋に戻ると、そこには母から引き継いだ当主の仕事が山と積み上がっていた。
闘病のあいだ、見舞いにもこない当主代行の父の代わりに母が自ら教えてくれた当主としての仕事。前任の執事長がいたころは、彼を筆頭に侍女長である妻と使用人の男の子がいていろいろ手伝ってくれたのだが、母が亡くなってすぐにありもしない横領の罪を着せて父が無理やり辞めさせたのだ。
どうか、お心を強く持ってください。
祈るような執事長の言葉と、抱きしめてくれた侍女長の腕の温もりだけが今のリュシエンヌの支えだった。
そしてリュシエンヌが仕事に追われているあいだ、父は一切領地経営にも関わらず、義母を連れて遊び歩いてばかり。やがてそこにオデットが加わった。無知で礼儀作法のなっていないオデットは、至るところで問題を起こしているらしい。
そして次に奪われたのは、なんとリュシエンヌの髪だった。
珍しく父に執務室へ呼ばれたと思ったら、部屋に入った途端、使用人の男に部屋の真ん中へと突き飛ばされた。いつかと同じ乱暴者の使用人だった。
使用人の隣には嘲るような笑みを浮かべた父と義母とオデットがいて、リュシエンヌの斜め向かいには薄汚れた魔女の服にひしゃげた鼻をした醜い老婆がいた。
リュシエンヌは老婆の姿を見て、息を呑んだ。
呪われた樹海に棲むという悪い魔女だわ。なんでこんな人が、オベール家に?
「ほう、見事な金色じゃ。これがオベールの黄金かい」
「それで、できるのか?」
「もちろん、容易いことだよ」
「高い金を支払ったのだ、失敗するなよ」
「くどいねぇ、魔女にとっては朝飯前だ。失敗する間もなく一瞬のことだよ」
それから魔女はオデットをリュシエンヌの隣に並ばせて呪文を唱える。禍々しい韻律の呪文が終わったとき、誰もが息を呑んで驚愕に目を見開いた。
何事かと思うリュシエンヌの顔のすぐ脇を、赤みを帯びた茶の髪が横切る。
「え」
「やったわ、オベールの黄金よ!」
狂ったような、調子はずれの歓声に驚いて隣を見ると、そこにはリュシエンヌがいた。
自分のものだったはずの豊かな金髪が、なぜか他人の頭の上で揺れている。
そんな、リュシエンヌはわたしなのに!
鏡で見る自分がすぐ隣にいる。呆然としたリュシエンヌを見て父と母は満足げに笑っていた。
まさか髪色を……オベールの黄金を奪われたのか。
崩れるように膝をついたリュシエンヌの頬に赤茶色の髪がかかる。
これはオデットの髪、今のリュシエンヌの見た目は完全にオデットだった。
リュシエンヌ以外の三人が幸せそうに笑う声がする。
「おめでとう、これでおまえがリュシエンヌだ」
「ええそうよ、リュシエンヌ。あなたがオベール家を継ぐの、おめでとう!」
「ありがとう、お父様、お母様! 今までで一番素敵な誕生日プレゼントだわ!」
リュシエンヌの不幸が贈り物なんて。何もかもが狂っている。
「かわいそうにねぇ、お嬢ちゃん」
あまりの衝撃に言葉を失ったリュシエンヌの頭上から老婆のしわがれた声がする。
のろのろと顔をあげれば彼女と視線が合った。
「残念だがその魔法は解けない」
冷ややかな声がリュシエンヌをさらに追い詰める。
「私を恨むのは筋違いだよ。自分の不運を恨みな」
「なぜこんな真似を」
「お金だよ、高額の報酬を払ってくれるというからさ」
醜い顔でニヤリと笑って、興味を失ったように老婆はゆっくりと扉に向かって歩き出した。
だが足が悪いらしく長い絨毯の毛に足をもつれさせる。
あ、転ぶ!
とっさにリュシエンヌは手を伸ばした。
その手を無意識に掴んで、老婆は目を丸くする。それからほんの少しだけ憐れむような顔をした。
「悪いことは言わないよ、そんな優しさは捨ててしまいな。優しさとは愚かさだ、弱さは害にしかならないんだよ。今のおまえさんのようにね」
そう言われてまで、振り払われた老婆の手をもう一度掴む強さをリュシエンヌは持たなかった。
開いた扉の先に広がる闇が老婆を呑み込んで、乾いた音を立てて扉は閉まる。
なんでこんなことに。途方に暮れたリュシエンヌが下を向くと、視線の先に父の靴先が見えた。
「おまえはこれからオデットとして生きてリュシエンヌを支えるのだ。」
「いやよ!」
「自力では何もできない公爵令嬢が一人でどうやって生きていくのだ。せめてもの情けにオベール公爵家の令嬢として認知はしてやる。身分は公爵令嬢のままだ、ありがたく思え。これからは公爵家の情けで引き取られた男爵令嬢の娘として、分をわきまえ、今までのようなわがままな振る舞いは許さない」
それはオデットがした振る舞いだ。そう思ったリュシエンヌは真実に気がついて愕然とする。
オデットはわざと問題を起こしていたのか。入れ替わったリュシエンヌに罪をなすりつけるために。愚かな娘として誰にも疑問を持たれることなく家に閉じ込めるために!
「なぜですか、何でここまで私を痛めつけるのです!」
取り乱したリュシエンヌは叫んだ。私は何も悪いことはしていないのに。
「なぜかって、決まっているじゃないか。おまえが憎いからだ」
妻も、この娘も。正統なオベール家の血を引くからと偉そうに。
初めから愛せるわけがないのだと、皮肉げに嘲笑って父はオデットの肩を引き寄せた。
「愛する娘はこのリュシエンヌ一人だけで十分だ。本当は追い出してやりたいところだが、不都合があっても困るから生かしておいてやろう。我々の慈悲に感謝することだな!」
「ええそうよ、これからはオデットに公爵家の使用人にふさわしい振る舞いを覚えてもらわないとね!」
「そうよ、本当に愚かでわがままな妹で困ってしまうわ!」
先日と同じように乱暴な手つきで連れ出されようとしたリュシエンヌは扉の手前で振り向きざまに叫んだ。
「誰が何と言おうが、わたしがリュシエンヌよ!」
「本当に愚かだな、それを誰が信じる?」
ゆっくりと絶望を味わえばいい。嘲るような三人の笑い声が、扉越しに響いた。
新年を迎えて新しい作品をと思いました。下書きに眠っていたものを息抜きに手直ししたもので、いつもと傾向は違いますし、こういう作品はどういう評価になるのか気になるものでもあるので、お楽しみいただけるとうれしいです。