第6話 別のスキルの可能性
日は沈み、辺りが宵闇に呑まれ始めた頃、オルタンシアに肩を貸りたロゼは、冒険者ギルド『ローズドゥノエル』に戻って来た。
ギルドの中は相変わらず人は多いが、そのほとんどは、ロビーの席で酒を飲んだりして談笑しているだけで、受付に並んでいる人は数人しかいない。そして、やはり受付にはアン=マリーがいた。相変わらずロビーからは他の職員は見当たらない。
オルタンシアはロゼを連れアン=マリーのもとへ向かった。
「すみません、アン=マリーさん! ロゼが街で変な男に襲われました! お医者さんいませんか!? 怪我してるんです!!」
「え……! 大変! ちょっと待ってて!」
頭から血を流しているロゼとオルタンシアを見たアン=マリーは対応中の冒険者を一旦待たせると、急いでカウンターから飛び出しギルドの奥の部屋へ走って行き、そしてすぐに1人の白衣を着た女を引っ張って来た。
「ジゼルさん、この2人怪我してるみたいなんです。すぐ手当してあげてもらえますか?」
「分かりました……うわ……血出てるじゃないですか」
ジゼルと呼ばれた華奢な身体付きの黒髪の女は、ロゼの頭の傷を診ると、続けてオルタンシアの頬の傷も診た。
「では手当しますのでこちらへ」
そう言って踵を返しジゼルは先に歩いて行ってしまったので、ロゼとオルタンシアは急いで彼女の後を追った。
♢
案内された部屋は医務室のようで、カーテンで仕切られたベッドがいくつかあった。ただ、カーテンはどれも開いていて誰かが休んでいる様子はない。
それよりも気になったのは、美味しそうなコーヒーの香り。まるでカフェに来たかのような、医務室とは似つかわしくない香りが漂っていた。散らかった作業机の上にコーヒーカップが置いてある。
「そこに座ってください」
ジゼルの指示に従い、オルタンシアはロゼを手前のベッドに座らせた。
ジゼルは棚の中の道具を見繕うと、ロゼの頭の傷の様子を診始めた。
「これ、誰かに殴られたりしました?」
額の傷口を診ると、ジゼルは用意した脱脂綿に消毒液を染み込ませ、それをピンセットで摘んでロゼの額に当て、同時に血や泥で汚れた顔をタオルで拭き取ってくれた。
消毒液が傷口に滲み、ロゼは片目を瞑る。オルタンシアはそばで治療の様子を心配そうに見つめている。
「痛っ……は、はい、街でクラウディオっていう男に絡まれて……お金を盗られました……」
「ああ……それはお気の毒に……最近近くの街で新人冒険者狩りが起きているようで、冒険者ギルド連盟が犯人を捜索しているところなんですよ。ついにこのエデルヴィスの街にも来たかぁ……」
「新人冒険者狩り??」
「ええ。あなた達のような冒険者になりたてのまだ右も左も分からないような人を狙って金銭や装備を奪うらしいです」
傷口を消毒し終えると、今度は綺麗な真っ白い包帯を取り出しロゼの頭に巻いていく。
「いや、でも、俺たちまだ冒険者じゃないですよ?」
「え? そうなんですか? アン=マリーが連れて来たからてっきり冒険者かと……。なら、尚更お気の毒です。一般の方に手を出す暴漢なんて早く捕まっちゃえばいいのに」
か細い声でブツブツ言うジゼルだが、話しながらもロゼの額の怪我の治療を終えた。オルタンシアと同じくらいか少し歳上か。そんな女の子だが治療の手際はとても良い。白衣を着ているのだからもしかしたら医者なのかもしれない。
「はい、治療は終わりました。幸い傷口は浅いので縫う必要はありません。でもしばらくは大人しくしていてくださいね。では次、そちらの女の子」
呼ばれたオルタンシアはロゼの隣に座った。
「お願いします」
「はい。まあ、可哀想に、女の子の顔をこんな腫れるまで殴るなんて……でも貴女の怪我も大した事ないから大丈夫ですよ」
ジゼルはオルタンシアの腫れた両頬を触ると、ロゼ同様に消毒液の染み込んだ脱脂綿で消毒し、傷口には絆創膏を貼った。そしておもむろに立ち上がると部屋の奥へ行ってしまった。
「腫れには濡らした冷たいタオルをしばらく当てておいてください。数時間冷やしていれば腫れは引きますよ」
奥から戻って来たジゼルは小さく畳んだ濡れタオルをオルタンシアに渡した。
オルタンシアは腫れた頬にそれをそっと当てる。
「ありがとうございます。ジゼルさん。私……ロゼが怪我した時、怖くて……どうしたらいいのか分からなくて……とりあえず昼間も来たここに来ちゃったんです」
「そうですよね。怖かったですよね……え? 昼間も来てくれてたんですか?」
「はい。お恥ずかしい話、私たち、ここ、ローズドゥノエルで冒険者登録したんですけど……面接で落とされちゃって……」
「おい、オルタンシア、そんな事いちいち言わなくていいよ、恥ずかしいから」
「ちょっと待って……ロゼ……オルタンシア……?」
ジゼルは急に顔色を変えて立ち上がると自分の作業机へと向かい何やら机の上の資料を凝視する。
「ジゼルさん? どうしましたか?」
オルタンシアが様子のおかしいジゼルに問う。
「ロゼ=ブルークーレル君とオルタンシア=ルージュガーランスさん?」
「「はい」」
ロゼとオルタンシアは同時に返事をする。
すると、ゆっくりとジゼルは2人を見てニヤリと笑う。
「良かった……戻って来てくれて……」
「え? どういう事ですか?」
嬉しそうに微笑むジゼルはまた2人の目の前に戻ると、膝に手をついて視線を合わせた。
「2人とも、もう少し血をください」
「え!? 血を!?」
ロゼは顔をしかめて隣のオルタンシアを見る。オルタンシアも同じ顔をしている。
「あの……こんな事、普通はないんですけどね、あなた達2人の血は特殊みたいでね……えっと、多分マノンさんからロゼ君は『無痛脱毛』、オルタンシアさんは『花粉無効』っていうスキルを言い渡されたと思うんですけど、実は2人にはもう1個ずつスキルがありそうなんです」
「え!? うそ!? 本当ですか!?」
「よっしゃあ! 来たぞコレ!!
2人が同時に騒ぎ始めると、ジゼルは慌てて2人の口を押さえた。
「や〜! ダメです騒いじゃ! マノンさんに見付かったら私怒られちゃいます」
「え? 怒られる?」
「はい、冒険者ギルドで無料でできる採血は1回だけ。2回目以降は有料。しかも今度は精密検査なので採血の量も多いし、検査技術もそれなりに必要な特別プランなので金貨50枚頂くものなんです」
「金貨50枚!? ……じゃあ、俺たちの所持金じゃ無理だ……」
「今回は私の興味本位でやるので無料でやらせてもらいたいんですよ。だからこの事は秘密にしておいて欲しいんです。再検査を無料で、しかも、一度マノンさんが落とした人達の検査だなんて、見付かったら絶対怒られちゃうんです」
「な、何でそこまでして無料でやってくれるんですか? 俺たち冒険者でもないのに」
ロゼは声を潜めて訊く。
「多分、ここを落とされた理由って、役に立たないスキルだったからだと思うんですよね。マノンさんの事だから……。でも、本当はもっと凄いスキルがあるかもしれない。そのスキルが冒険者として役に立つものなら、落とされる理由はないですよね? 私は、あなた達のような冒険者に憧れる人達の夢を潰したくはないんです……ただ、それだけです」
ジゼルはどこか悲しげな目で自分の行動の理由を語った。
「ジゼルさん……」
「ありがとうございます!! ジゼルさん大好きです!!」
ロゼはあまりの嬉しさにジゼルに飛び付いた。
その突然の出来事にジゼルはもちろん、オルタンシアも固まってしまった。
「これで俺とオルタンシアの夢も潰えずに済むかもしれない! 是非俺たちの血を調べてください!」
「このっ……! セクハラだろロゼぇぇ!! 離れなさい!! バカ!! ボケナス!! 変態!!」
怒りに燃えるオルタンシアに罵声を浴びせながらロゼの襟を掴んで固まってしまったままのジゼルから引き離す。
「ジゼルさんごめんなさい、この猿……まだ孤児院から出て来たばかりで女の人への接し方を知らないんです。ちゃんと私が躾ますのでどうか許してください」
平謝りするオルタンシア。引き離されたロゼは自分のやらかした事にようやく気が付き目を泳がせる。
「あ、はい、別に……大丈夫です。それより、採血は……」
「もちろん、お願いします! ロゼもお願いしなさい!」
オルタンシアは頭を下げながら、挙動不審になっているロゼの頭を無理やり下げさせた。
「お、お願いします」
「良かった……じゃあ、お言葉に甘えて。あ、今日泊まるところなければ、ここにこっそり泊まっていっていいですよ。私も残るので」
嬉しそうにそう言ったジゼルの手には、既に注射器が握られていた。