23. 帝国の歴史
その頃、おバカ皇女のメルクレアは、帝国史の講義を受けていた。
「現在、天空島は二つの勢力によって支配されているの。皇帝と法王――即ち、ハイランド帝国と錬光教会よ」
講師を務めるのはソフィー・レンク。
機関部の冷たい床に座らされてテロリスト相手に歴史の講義を聞かされるのはどうかと思うが、仕方がない。
二人の友人も、助け舟を出してはくれなかった。
「この二大勢力は表向き協調関係にあるのだけれど、根本的な部分で対立関係にあるのよ。対立の根本にあるのは歴史的宗教解釈なんだけど、そこに様々な利権が絡んで複雑化していいるわけ。聖者ノイシスの建国神話は知っているわよね?」
「そのくらいは知っているよ」
メルクレアは口を尖らせる。
救いようのないおバカであっても、おバカ扱いされればそれなりに腹も立つ。
「聖者様が神様に頼んで人類を救ってくれたんでしょ?」
「……ざっくりしてるけど、概ねそんな感じよね」
生徒の理解力に一抹の不安を感じながら、ソフィーは講義を続ける。
「その昔、人類は滅亡の危機に瀕していた――異常気象だとか戦争だとか、原因は今だに不明なんだけどね。全ての文明を失った人類は、死滅した大地の上で動物同然の生活を送っていた。滅亡寸前の人類にやがて救世主が現れた。それが聖者、ノイシスだったってわけ。聖者は神に祈った。その祈りに応え、神は人類に奇跡の力を与えた――人間の意志を具現化させる力、錬光石よ」
この辺の事は帝国国民ならば誰でも知っている一般教養である。
あえて学校で教えるような事でもなく、絵本や昔話などを通じて子供でも知っている事だ。
「錬光石を手に入れ人類初の錬光術師となったノイシスは、強大な錬光術でもって天空島を作り上げた。穢れた大地を捨て、。しかし、聖者ノイシスの教えに反対する者達が現れた。神の力を母なる大地の再生につかうべきだと主張する一派が現れたの。彼らは汚染された地上の環境に適応するため、錬光の力で自らの肉体を改造したの。こうして人類は天空と地上。天空島人と源地上人の二種類に分かれることになったの――この分裂は後に泥沼の宗教戦争を引き起こすことになるんだけど、この辺の説明は後回しにしましょう」
後回し、はメルクレアも大好きだ。
面倒な説明はなるべく後にしておきたい。
「聖者ノイシスは天空島に人々を導いた後、忽然と姿を消した。死んだとか、いと高き場所におわす神の元へと赴いたとか、錬光の力で自ら神になったとか、不老不死の力を得て今も天空島のどこかに隠れ住んでいるとか、色々言われているけど、定かではないわ――ここまでが創世神話。碌な記述が無いものだから、後世の創作で色々脚色されて信憑性はかなり低いんだけれどもね。で、これからがようやく帝国の歴史が始まるわけよ」
「……まだ始まっていなかったの?」
長すぎる前置きに、メルクレアは既にうんざりとしていた。
「天空島に移り住んだ人類は、新たな国づくりに着手したの。だけど、上手くいかなかった。何しろ言葉も満足にしゃべれず、文字もかけないまでに文化レベルが落ち込んでいたからね。そのくせ錬光技なんていう強大な力を持っているから手におえない。無法地帯となった天空島は、暴力が支配する戦国時代へと突入した。折角生き残ったわずかな人類も、戦乱と疫病によって次々と死に絶えていったの。再び滅亡の危機に瀕する人類を救うべく立ち上がったのが、聖者の末裔であるヴィルシュタインの一族よ」
「ヴィルシュタイン?」
「そう、後の皇帝ヴィルシュタイン。メルクレア、あなたのご先祖様よ。当時、乱立する地方豪族の一つに過ぎなかったヴィルシュタイン一族が、皇帝に即位するまでに至ったのは、錬光教会の支援があったからよ。聖者の血統であることを最大限に活用し、人心を集めて行ったの。やがて、ヴィルシュタインは天空島に統一王朝を樹立し、戦国時代を終わらせることに成功した。皇帝を頂点に、四つの大公家を中心とした封建体制を確立。後に四公時代と呼ばれるこの時期に帝国の繁栄は頂点を極めたのだけれど、そこで問題が起きたの」
「何が起きたの?」
「増えすぎちゃったのよ」
「え?」
「だから、人口が増えすぎちゃったのよ。戦争も無くなって、医療技術も発達して、人が死ななくなっちゃったのよ。減らないんだから、そりゃ増えるしかないわよ。あっというまに天上界は人で溢れかえることになったの。何より困ったのが、貴族たちに与える土地が無くなっちゃったってことよ。封建制の基盤は土地よ。皇帝の所有する土地を貴族たちに貸し与える事によって、主従関係は成立する。『御恩と奉公』の関係が成り立たなくなってしまったの」
お手上げとばかりに、ソフィーは両手を広げる。
「貴族たちに新たな土地を分け与えるため、皇帝は地上への再入植を決定したの。〈国土回復運動〉の始まりよ。ここでもまた、皇帝はまた錬光教会の力を利用したのよ。教会は異教徒であるランディアンとの戦いを〈聖戦〉と位置づけ、諸侯に十字軍に参加するように呼びかけたのよ。新たな領地を求める帝国貴族たちは、こぞって十字軍に参戦。ランディアン達から土地を収奪し、持ち帰った戦利品によって帝国は再び繁栄を取り戻したのだけれど、そこでまた問題が起きたの」
「またぁ!?」
「地上に新たな領地を得た貴族たちは〈荘園領主〉となって勢力を蓄え始め、それに比例して帝国は衰退していった。代わりに台頭したのが、錬光教会よ。発言力を増した法王は増長し、とうとう〈王権神授説〉を唱え始めたの」
「……〈王権神授説〉って、何?」
メルクレアの顔が赤く染まる。
知恵熱の兆候を察知したソフィーは――おバカさんにもわかるように、言葉を選びながら説明を続ける。
「簡単に言うと、皇帝を任命する権限は法王にある、と言い始めたのよ。〈王権神授説〉を巡る一連の騒動は〈叙任権闘争〉にまで発展。皇帝と法王の対立は決定的なものとなり、帝国を二分する政争へと発展した。十字軍遠征によって利益を得た〈荘園領主〉たちは、法王支持へと傾き、次々と帝国から独立して、王位を僭称しはじめたの。四公体制は崩壊し、帝国の権威は失墜。とうとう帝国は限定的に共和制に移行し、政治を元老院議会に委任するまでに至った、と言うわけ」
ようやく、帝国史の講義は終わった。
知恵熱を発症することなく、どうにか聞き終えたメルクレアは一声叫ぶ。
「むー! だから嫌なのよ! 歴史って! 戦争だの事件だの、問題ばっかり起きてばかりでさ。何一つ解決しやしないじゃない!」
「……まあ、そういうもんよね。歴史って」
それは全くメルクレアの言う通りだったので、ソフィーもうなずく他無かった。




