21. 聖遺物
迷宮攻略戦は佳境を迎えていた。
同時に《パンドラ・ボックス》の周囲がにわかに騒がしくなる。
交易港と《パンドラ・ボックス》の間を、ホバーランチが慌ただしく行き交う。
ホバーランチに乗せられているのは、《パンドラ・ボックス》から持ち出された戦利品や、戦闘によって負傷者した騎士学生達である。
回収作業の様子は管制室にいる総督の元に逐一、報告される。
騎士学生たちが《パンドラ・ボックス》から持ち帰った戦利品は、どれもガラクタばかり。
負傷者達の怪我も大したことはないようだ。
ここまでは懸念されていた問題も無く、順調に迷宮攻略戦は進行している。
「ガフ総督の悪行については、私も存じております」
試合の様子を監督しつつ、総督はカイリスに話しかける。
「私がスベイレンに派遣されたのは、腐敗の温床を断つことにあります。帝国貴族の中にも、官僚の腐敗を憂える者が少なからずいる。私はこの天空島を――スベイレン騎士訓練校を、健全で、安全な場所へ作り変えたいのです」
「できますかな?」
嘲弄するように、カイリスは言い放つ。
「騎士学校の関係者達の中には未だ、ガフ総督に従う者達が大勢いると聞く。彼らを一掃しない限り、スベイレンを健全化することはできないでしょう」
「そのための、迷宮攻略戦ですよ」
総督は不敵な笑みを浮かべる。
「《パンドラ・ボックス》にはガフ総督の残した置き土産がある。彼らの動向を探るには良い機会です」
「……財宝を餌に、先代総督派をいぶり出すおつもりか?」
既に、カイリスの顔にはあざけりの笑みは消えていた。
「やろうとしていることはわかりますが、あまりにも危険すぎる。問題は迷宮の最奥に隠された秘宝。リドレックから何も聞いておりませんか?」
「《聖遺物》だとだけ、聞いております。しかし、詳細までは存じません。あの頑固者絶対に口を割ろうとしないのです」
「ただの《聖遺物》ではありません。存在が明るみになれば、帝国そのものを揺るがしかねない代物です」
◇◆◇
「《聖遺物》?」
メルクレアは、小首をかしげる。
「《聖遺物》って何?」
「簡単に言うと、聖者のゆかりある品のことよ」
説明するのはシルフィだった。
「地上には〈聖地〉と呼ばれる旧世界の遺跡が点在しているの。それらの遺跡から発掘された品々を《聖遺物》って呼んでいるの」
「でもまあ、実際はろくでもないガラクタばかりなんだけどね」
シルフィの背後で、ミューレが苦笑する。
「聖者の靴下とか、聖者のブラとか、聖者の飲み残したワインとか、聖者様、十四歳のみぎりのしゃれこうべとか――そういった怪しげな品物が高額で取引されているのよ。ようするに、教会が信者からお布施を搾り取るための口実ってわけ」
「今回は本物らしいわよ」
穿った意見を口にするミューレとは対照的に、ソフィーは真剣な表情を浮かべる。
「何しろ、《聖遺物》回収に本山が動いているんだから」
「本山って、法王庁が?」
「そうよ。あの業突く張りの坊主共が動くなんて、相当なものなのでしょうよ。その上、十字軍でリドレックの上司でもあるカイリス・クーゼルまでスベイレンに乗り込んできているのよ。総督府じゃちょっとした騒ぎになっているわ」
「具体的にどんなものなんですか? その《聖遺物》って」
シルフィが訊ねるが、ソフィーは頭を振る。
「私も知らないわ。リドレックは知っているみたいだけど。頑として口を割らないのよ。それで総督と喧嘩になっちゃって……」
「喧嘩? 総督とリドレックが?」
メルクレアが目を見張る。
「先代総督がどういった経緯で聖遺物を取得し、《パンドラ・ボックス》に封印したのかは知らないけど、先代総督の不正を告発する証拠である事に違いないわ。存在を公表して世間一般に。それに対してリドレックは、公表を差し控えるべきだと主張したの。『《聖遺物》が公表されるような事になれば帝国は大混乱に陥る』と言って、十字軍に引き渡すべきだと主張したの――彼のあんな真剣な表情、初めて見たわ。そこまで言っておきながら、それでも《聖遺物》に関する情報だけは口にしなかった。怒った総督が今回のダンジョンマッチを企画したと言うわけ。『そんなに欲しけりゃ、自分の手で取って来い!』って言ってね」
「総督とリドレックが喧嘩するなんて……」
昨日、貴賓席で会った時も、様子がおかしかった。
「まあ元々、あの二人は以前から仲が悪かったからね」
「え? そうなの?」
「そりゃそうよ。ランドルフ総督は直参の帝国貴族。リドレックは神学校出の十字軍兵士。仲がいいわけないわ」
当然、といった調子でソフィーは肩をすくめる。
「〈叙任権闘争〉以後、皇室と錬光教会は断絶状態になっているからね。帝国貴族としては、教会勢力の拡大は快く思わないでしょう」
「……???」
「錬光教会の敬虔な信者であるリドレックも、神の威光に逆らう帝国貴族の存在は気に食わないでしょうし……」
「それ程、敬虔な信者ではないがな」
苦笑と共に、ゼリエスが話に加わる。
「あいつだって、元々は帝国貴族だからな。異端審問や免罪符にも批判的な事を口にしていた。教会内部では異端派に属するんじゃないか?」
「でも、わざわざ十字軍に参加したということは〈レコンキスタ〉は支持していると言う事でしょう? 《聖遺物》に対しても、かなり執着しているようだったし」
「奴が《聖遺物》を欲しがっているのは、知的好奇心からだ――『真理の探究』とか子難しい事を言っていたな。聖者にまつわる伝承から、神性を廃し、科学的側面から再構築するとかなんとか言っていた」
「冗談でしょう? 無神論者の十字軍兵士なんて聞いたことないわ」
「それを言うなら、ランドルフ総督だって十分、おかしいじゃないか。帝国直参貴族だっっていうのに、腐敗した官僚システムの改革に取り組んでいる訳だろう? っていうことは、元老院支持の共和派ってことになる。一方で、皇太子殿下の御落胤である無銘皇女を匿っているんだぞ? やってることが一々、矛盾しているじゃないか」
「……言われてみればそうね。成り行きで総督の部下になったわけだけど、よくよく考えたらわたし達、総督の事を全く知らないのよね」
「まあ、俺は総督が何を考えていようと関係ないがな。俺の仕事は人斬りだ。総督の敵が多ければ多い程、人を斬る機会が増える」
「あんたみたいな人斬りと一緒にしないで頂戴。何も知らないで巻き込まれるなんてわたしは御免よ。……メルクレア、そもそもあなた、何でスベイレンに……って、ええっ!?」
メルクレアの方を振り返り、ソフィーは絶句する。
「……きゅう」
顔を真っ赤にして、メルクレアは佇んでいた。
額から滝のような汗を流し、頭からは白い湯気が立ち上っている。
「ちょ、ちょっと! この娘、どうしちゃったの!?」
「あ、心配しないでください。ただの知恵熱ですから」
慌てるソフィーに、事も無げな様子でシルフィが言った。
「ち、知恵熱!? あれって、赤ん坊にしかかからないんじゃ」
「歴史とか、政治とか、宗教とか。難しい話を聞くと、メルクレアは知恵熱が出るんです」
ミューレは慣れた手つきで介護する。
「あー、はいはい。大丈夫だからねー。はーい、上向いてー」
「……きゅー、おつむが、おつむが痛いよおう」
「まさか、無銘皇女がこんなおバカだったなんて……」
複雑な表情で見つめる。
「こんな娘を、本気で殺すつもりでいたかと思うと……やりきれないわ」
「まだいいじゃないか」
その横で、ソフィーと同じような顔をしたゼリエスが呟く。
「俺はこのおバカに殺されかけたんだ」




