12. カイリス・クーゼル
「中止、とはどういうことですか?」
「仔細を説明している時間など在りません。迷宮攻略戦を即時中止し、速やかに《パンドラ・ボックス》を十字軍に明け渡していただきたい」
重ねて要請するカイリスに、ランドルフ総督は毅然とした態度ではねつけた。
「聞けませんな」
「よく考えて御返答していただきたいですな、ランドルフ卿。十字軍の要請を断ると言うことが何を意味するか。それがわからないほどに、愚かでは無いでしょう?」
嘲弄するように、微笑を浮かべカイリス・クーゼルは言い放つ。
一介の騎士に過ぎない彼が、帝国貴族であるランドルフに対してここまで強気な態度に出られるのは、彼が錬光教会所属の聖騎士であるからだ。
信仰にその身を捧げる錬光教会は、世俗の権威に縛られることは無い。
帝国直参貴族、ランドルフ男爵であっても、十字軍は無視できない存在であった。
「聞けませんな」
それでも、総督はカイリスの要請をはねつける。
このスベイレンは、皇帝から預かった大事な所領である。
坊主如き好き放題されてたまるものか。
「私はスベイレン総督です。ここスベイレンは騎士学生の街。生徒達に鍛錬の機会を与える事こそが私の使命と心得ております。闘技会は日々の鍛練を内外に示す重要なイベントです。それを中止などと、生徒達に向かってどう申し開きしろというのですか?」
「…………」
さしもの十字軍も、学校の事を持ち出されると弱いらしい。
彼もまた、この学校の生徒だった。
闘技会に臨む生徒達の意気込みも、カイリスも痛いほどにわかるはずだ。
「せめて事情くらいは訊かせていただきたい。その上で、生徒達の安全に危害が及ぶと判断すれば、試合の中止を考慮いたしましょう」
道理を以て諭すと、カイリス・クーゼルは口をつぐむ。
足元のホロ・モニターに目をやり、呟く。
「……《パンドラ・ボックス》」
「うん?」
「総督。あなたは《パンドラ・ボックス》の名前の由来をご存知ですか?」
「ああ、確か旧世界の伝承でしたな。神々からありとあらゆる災厄の詰まった箱を受け取った娘が、決して開けてはならないと言う戒めを破ったがために、世界中に災厄がまき散らされたとか言う……」
「その名前が付けられたのは三年前、ガフ・コレッティが総督に就任してからです。それ以前、私がこの学校に在籍していた時は、ただの迷宮と呼ばれていました」
ホロ・モニターに映し出される移動要塞の姿を見つめ、カイリスは話を続ける。
「ガフ総督が就任してから、毎年行われていた迷宮攻略戦は行われなくなりました。そして迷宮を封鎖し、内部の大改装を行いました――世界中のありとあらゆる災厄を詰め込んだ《パンドラ・ボックス》として作り変える為に」
◇◆◇
それは、古典的なトラップだった。
リドレック達の背後から襲い掛かったのは巨大な鉄球であった。
大きさは通路の幅とほぼ同じ。
それが人間の駆け足とほぼ同じ速度――時速約二十マイルで通路を転がってゆく。
古典的であるが効果的でもあり、同時に致命的でもであった。
リドレック達が歩いてきた通路は一本道。
分かれ道などありはしない。
鉄球から逃げる術は唯一つ。
ひたすら走り続けるしかない。
『……のわぁあああああああああああああっ!』
リドレック達一行は、悲鳴をあげながら走ってゆく。
幸いなことに鉄球の速度はさほど早くない。
鍛えられた騎士の脚力ならばなんとか振り切ることが出来る程度の早さであった。
「ヤンセンさん! 何とかできますか!?」
「何とも出来るか!? こんなもん!!」
走りながらヤンセンが答える。
この中で最も体力が無いはずのヤンセンだが、なかなかの健脚であった。
全力疾走をしているにもかかわらず、息切れすることなくリドレックに言いかえしてくる。
「トラップは任せろって言ってたじゃないですか!?」
「トラップの発見と解除を任せろと言ったんだ! 作動しちまったもんはどうしようもないだろうが!!」
「役立たず!」
不毛な言い争いをしながら走り続けていると、
突如、ライゼが足を止めた。
「任せろ、俺が何とかする」
「……って、ちょっとライゼさん! やめてください!」
錬光技を発動する気配を感じたリドレックが慌てて止めに入る。
その手を掴むと、再び走り出す。
「何するつもりだったんですか!?」
「何って《火炎球》で吹っ飛ばそうと……」
「バカか、あんたは! こんな狭い所で爆発技を使ったらどうなると思ってるんですか!」
火炎系錬光技《火炎球》は、攻撃技の中でも屈指の破壊力を持つ。
ライゼならば鉄球を弾き飛ばすだけの火力を持っているかもしれないが、バックファイアーで通路に居る全員を黒焦げにしかねない。
「じゃあ、どうしろって言うんだよ!」
「黙って走れよ! 誰のせいでこんなことになったと……」
怒鳴り合いながら、しばらく走り続けていると、
「あそこだ!」
先を走るサイベルが叫んだ。
指さす先を見ると、通路の右側面に扉が見えた。
「中に入れ!」
言われるまでも無くサイベルは扉に飛びつく。
電子ロックのコンソールに手をかけるその瞬間、サイベルの顔が青ざめる。
「ロックがかかっている!」
「任せろ!」
サイベルを押しのけると、代わりにライゼが取っ手を掴む。
火炎系錬光技《溶解》。
右手の指輪にはめられた錬光石を媒介。
思念を極限まで絞り込み、扉のロック目がけて叩きつける。
巧みに制御された火炎系錬光技は、扉に取り付けられた電子ロックだけを綺麗にくりぬいた。
「開いたぞ!」
ライゼが叫ぶと同時、力なく開け放たれた扉に向かって、桃兎騎士団の面々は次々と飛び込んでゆく。




