9. 箱は開かれた
試合開始時刻。
ランドルフ総督はスベイレン上層階にある指令室に居た。
この指令室は、かつてスベイレンが軍事要塞であった時の名残である。
指令室と言っても、特別なものは何もない。
決して広くは無い部屋に、いくつかの反重力チェアが浮かんでいるだけで、他には何もない。
照明は落とされ、周囲に浮かぶホロ・モニターが放つ淡い輝きだけが部屋の中を照らす。
床一面にホロ・モニターが展開されており、スベイレンの底面に設置されたカメラから送られてくる映像をそのまま映し出している。
ここに立っていると、まるで大空の上に立っているような錯覚にとらわれる。
十字軍遠征の最盛期には、スベイレン総督はここに立ち、兵士たちの出兵を見送ったとされている。
十字軍兵士たちが飛光船に乗って地上へと降下していく眺めは、さぞ勇壮であったろう。
ランドルフ総督は部屋の真ん中に立ち、足元の《パンドラ・ボックス》を見つめ続けいた。
正十二角形の移動要塞は、どれだけ眺めていても飽きることは無い。
ランドルフ総督にとって《パンドラ・ボックス》は最高のおもちゃ箱だった。
あの中に何があるのか、そして騎士たちがどのような戦いを繰り広げるのか、想像するだけで胸が熱くなる。
出来る事ならば自ら《パンドラ・ボックス》の中に乗り込み、迷宮探索に乗り出したいところだが、総督の立場ではそれもかなわない。
浮きたつ心を押さえつけつつ、試合開始時刻を待ちつづけていると、
指令室にイライア・バーンズ校長がやってきた。
「総督閣下」
「なんだね、校長」
「カイリス・クーゼルが来ております」
「十字軍の?」
「はい。総督に面会を申し込んでおります」
「待たせておけ」
すげなく言い返す。
「十字軍なんぞに関わっている暇はない。もうすぐ試合が始まる」
「その試合の事について大至急、お話ししたいことがあるということです。如何なさいますか?」
「待たせておけと言っている」
しつこく食い下がる校長を睨み付ける。
「ここはスベイレンで、私は総督だ。騎士ごときに指図される謂れはない」
「いや、でも、クーゼル卿はこの学校の卒業生なのですよ? 無下に断れば後々、面倒なことに……」
「…………ふむ」
相手が唯の騎士ならばともかく、ここの卒業生と言うならば話は別であった。
スベイレン総督と言えども、卒業生は無視できない存在だった
騎士学校の卒業生の大半は、当然のことだが騎士団である。
彼らの不興を買う事にでもなれば、現役の学生騎士の就職活動に支障をきたすことになる。
唯ですらスベイレンの就職率は低下傾向にある。
膨らみ続ける就職浪人の数は、総督の管理責任問題まで発展しかねない。
「今どこにいる?」
「上層階の発着場です」
「よし、では総督府にお通しろ。丁重にな」
「私が、お相手しろと?」
「私の執務室に酒が置いてある。適当に飲ませて酔わせておけ。何でもいいから、理由をつけて試合が終わるまで足止めしておくんだ。頼んだぞ」
「……は、はあ」
頼りない返事を残して、バーンズ校長は立ち去った。
頼りない男ではあるが、足止めくらいはできるだろう。
再び、床面のモニターに目を向ける。
天空に浮かぶ《パンドラ・ボックス》でこれからどのような戦いが繰り広げられるのだろうか――抑えきれない興奮に胸を高鳴らせる。
◇◆◇
試合開始の時刻になった
埠頭からホバーランチが一斉に飛び立った。
港湾作業用のホバーランチは、反重力ユニットの上に長方形の架台を乗せただけのシンプルな乗り物だった。
架台の上には屋根も椅子も無く、手すりがあるだけの吹きさらしである。
汎用性が高い分、扱いの難しい乗り物だが、オートクルーズ機能が搭載されており、初心者でも問題なく乗りこなせる
自動操縦で動く十二機のホバーランチは、《パンドラ・ボックス》のエアロックに次々と接舷する。
《パンドラ・ボックス》の入り口は合計十二。
正十二角形を構成する面、一つ一つに入り口がある。
桃兎騎士団が接舷するのは北側側面のエアロックである。
開け放たれた五角形のエアロックを前にして、リドレックはパーティー・メンバーに向かって叫んだ。
「全員降機! 乗り込むぞ!」
リドレックの合図と同時に、桃兎騎士団の面々はホバーランチから飛び降り《パンドラ・ボックス》に乗り込んだ。
エアロックの中に入ると同時、重力が切り替わる。
移動要塞である《パンドラ・ボックス》の中には人工重力が設定されている。
おかげで十二角形などという出鱈目な構造物の中でも不自由なく歩き回ることが出来る。
急激な重力の変化に軽い眩暈を覚えるが、桃兎騎士団の面々は足元をふらつかせながらもしっかりと床を踏みしめる。
全員が《パンドラ・ボックス》に乗り込むと、ホバーランチがゆっくりと動き出す。
「じゃあね、みんな! 戦果を期待しているわよ!!」
「武運を祈る! 全員無事、生きて帰って来い!!」
「まあ、頑張ってね!」
バックアップ要員の声援は、エアロックによって遮られた。
これで、リドレック達は外界からは完全に隔離されたことになる。
中にいるパーティーは試合終了、あるいはゴールである最奥部に到達するまで《パンドラ・ボックス》から出て行くことはできない。
「……よーし。みんな聞いてくれ!」
全員、無事であることを確認してから、メンバーに向かってリドレックは声をかける。
リーダーとして精一杯、威厳ある態度で命令する。
「これから、作戦会議を始める!」
「作戦だぁ?」
片眉を吊り上げライゼが言った。
「今更、何言ってんだお前?」と、ヤンセンが、
「作戦なんていつ考えたんだ? 一晩中寝てたくせに」と、サイベルが
「大体お前、作戦なんて立てられるのかよ?」と、ラルクが
「頭悪いのに、余計なことするものでは無いぞ」と、ミナリエが
一斉にリドレックを非難する。
「ええい! うっさいうっさい! だーまーれーっ!」
口々に勝手なことを言うメンバーに向かって、リドレックは絶叫する。
駄々っ子のようにゴネるその姿には、リーダーとしての威厳など微塵も感じられない。
「どいつもこいつも勝手な事ばかり言いやがって! うだうだ言わずに黙って聞け! リーダーは僕なんだぞ!ここから先は僕の指示通りに動いてもらうからな。個人行動は許さないぞ。いいな!」
『りょーかーい!』
気の抜けた返事に若干の不満はあったが、気を取り直して作戦会議を始める。
「僕たちの目標はゴールである迷宮の最奥だ」
「最奥?」
怪訝な表情でミナリエが訊ねる。
「迷宮の入り口から最奥に至るまでの最短距離のコースを進み、他のチームよりも先んじてゴールする。わき目も振らず、ゴールに向かってただ一直線に進むんだ」
「……それだけ?」
「それだけだ」
拍子抜けしたような顔で訊ねるミナリエに、自信たっぷりにリドレックはうなずく。
作戦と呼ぶにはあまりにもシンプルだった。
「何か質問はあるか?」
リドレックが訊ねると、真先にサイベルが手をあげる。
「途中、お宝とか見つけたらどうする?」
「無視しろ」
「回収しないで、放置するのか?」
「そうだ。回収している時間など無い」
サイベルは不満そうに口を尖らせるが、それ以上の抗議をしては来なかった。
続いてライゼが質問する。
「他のパーティーから攻撃を受けた場合の対処は?」
「戦闘は可能な限り避けるように。余計なことに時間を取られている余裕はない。他にも迷宮内のトラップやモンスターなども避けるように。他の連中に先んじて、僕たちが一番乗りで最深部に到達するんだ」




