8. 埠頭にて
桃兎騎士団の一行が集合場所に到着したのは、試合開始十分前であった。
集合場所は下層階港湾地区中央第二埠頭である。
試合会場となる《パンドラ・ボックス》は、昨晩のうちに移動して今はスベイレンの真下に停泊している。
眼下に移動要塞を臨む中央第二埠頭では、出場選手たちが待機していた。
埠頭には迷宮へ乗り込むためのホバーランチが駐機していた。
港湾作業用ホバーランチの数は十二。
パーティーの数と同じである。
ホバーランチには既にバックアップ要員が乗り込んでおり、試合開始時刻を前にして最後の調整を行っていた。
桃兎騎士団寮のバックアップ要員である、エルメラ、アネット、ジョシュアの三人も、ホバーランチに乗り込んで整備を行っていた。
当然のことだが、他の出場選手たちはすでに到着している。
すでに準備を終えた出場選手たちは、これから戦う対戦相手となごやかに歓談していた。
失格ぎりぎりのタイミングでやってきたリドレックの元にも、出場選手たちが挨拶にやって来る。
「おお、来たか。リドレック!」
「トイルさん」
親しげな様子で話しかけてくるのは黒鴉騎士団寮所属のトイル・レナクランである。
桃兎騎士団に来る以前、リドレックは黒鴉騎士団に所属していた。
トイルとは先輩後輩の間柄であり、新人のリドレックを指導したのは彼である。
「遅かったじゃねぇか。なんかあったのか?」
「いえ、別に。黒鴉のリーダーはトイルさんですか?」
「ああ。何しろ急な事だったし、他に人もいないしな」
荒事に慣れている彼は、迷宮攻略戦にうってつけの人材だった。
経験豊富で後輩からの人望も篤い。
酒癖が悪い事を除けば、頼りになる先輩である。
黒鴉騎士団のリーダーとして申し分ない人選と言えた。
「まったく、次から次へと面倒を引き起こしてくれるよ。新総督殿は。ゼリエスの件が片付いたと思ったら、今度は《パンドラ・ボックス》ときたもんだ」
ひとしきりぼやくと、
唐突に、リドレックに向けて顔を寄せる。
「……何かあるのか?」
神妙な顔つきで、囁くような声で、リドレックに訊ねる。
「何かって、何を?」
「何がってわけじゃないが、今回の試合はどうにもきな臭い。事前の予告も無く、急に開催が決定したのも妙だし。おまけにカイリス先輩も来ているって言うじゃないか」
「カイリス先輩が?」
「知らんのか? 上層階の発着場に十字軍の飛光船が停泊している」
「それは知りませんでした」
「お前は地上で、カイリス先輩の部下だったんだろう? だったら、今回の試合について何か聞いているのではないかと思ってな」
「いいえ何も」
「ふうん……」
ほんのわずか、リドレックを疑わしそうな目で見るが、
「……まあ、いいさ。考えるのは性に合わん。じゃあな、リドレック。《パンドラ・ボックス》で会おう」
そう言って、トイルはその場を立ち去った。
入れ替わりに、一人の男が近づいてくる。
ターコイズブルーのアンダースーツに身を包んだ、丸刈り頭の筋肉質の男は、リドレックの姿を見つけると、気さくな様子で話しかけてきた。
「よお、リドレック!」
「おや、グッスさん。生きてたんですか?」
碧鯆騎士団寮のグッス・ぺぺである。
毒の効いた挨拶に、グッスは破顔する。
「いきなりきっつい冗談かますじゃねぇか。笑えねぇよ、マジで」
「冗談で言ったつもりはありませんよ。良く生きていましたね」
リドレックとグッスが決闘をしたのは先々週の事である。
決闘にかこつけて《毒蛇の大槍》の実験台にされた彼は、一週間近く中層階の総合病院に入院することとなった。
退院して間もないのに試合に出場するところを見ても、経過は良好のようである。
「おかげさまでな。あ、お見舞いありがとうな」
「気に入っていただけましたか? カメリアの鉢植え」
「ああ、すぐに散ってしまったけどな。いいものだな、カメリアの花は。花びらがポトリと落ちる様を見ると、……なんとなく死にたくなる」
「それは何より。ホントに死んじゃえばよかったのに」
「あっはっはっは!」
「あっはっはっは!」
和やかな談笑のその裏に毒舌の応酬を繰り広げている二人の元に、
「……お前ら。よくそんな風に仲良く話せるな?」
黄猿騎士団寮所属、マクサン・クショウがやってきた。
「リドレック、お前も去年、グッスに殺されかけただろうに。恨みとか無いのか?」
「過ぎたことをいつまでも引きずっていてもしょうがないでしょ」
「そうだそうだ、お互いこうして生きているんだ。文句は無いだろう」
そう言うと二人は、互いの肩を組んで仲の良さをアピールした。
学生騎士たちは毎週のように闘技会に出場して、刃を交えている。
真剣勝負の世界に生きていれば、心ならずも対戦相手の恨みを買う事もある。
恨み辛みはお互いさま。
闘技場の外で遺恨は持ち込まないようにするのが、学生騎士の習いであった。
「まあ、お前らが納得しているのならば何も言う事は無いがな。所でリドレック、桃兎騎士団のリーダーはお前なのか?」
「ええ、そうですよ」
「ベテランのライゼに、技術者のヤンセンまでメンバーに加えるとはな。バランスのいい編成じゃないか」
「まあ、今回はお祭りみたいなもんですからね。気楽にいきましょうよ」
「おまえはいつだって気楽だろうが。……ウチのサイベルも出場するのか?」
「『ウチの』じゃないでしょう? サイベルはもう、桃兎騎士団寮の人間です」
「……そうだったな」
苦笑しつつ、マクサンは頭を掻く。
「まあ、今日はよろしく頼む。ひとつお手柔らかに」
「じゃあな、《パンドラ・ボックス》で会おう。……俺は手加減しないぞ」
手を振って、二人は立ち去ってゆく。
続いてやってきたのは、白いアンダースーツを着た大男であった。
「おお、リドレックよ! 我が兄弟!」
「やあ、ボルクスさん」
錬光教会の修道士、ボルクス・チァリーニである。
今日はいつもの修道服では無く、戦闘服姿である。
ヘルメットの中でも邪魔にならないように、ぼさぼさの髪も長い髭も整えてある。
普段は教会で勤労奉仕に励んでいるボルクスであったが、試合になれば白羊騎士団寮の選手として出場する。
「やはりあなたも出場されるのですか?」
「うむ。これも神の御許に近づくための試練よ。おおっ! 神よ感謝します、私に修練の場を与えてくださったことを!!」
大声で祈りの言葉を捧げると、人目もはばからずリドレックに抱き付いてきた。
その大きな体でリドレックを抱え込み、耳元に口を寄せる。
「……異端審問官が動いている」
胴間声から一転、囁くようなボルクスの声に、リドレックは身を強張らせる。
「奴らの狙いは最奥に眠る《聖遺物》だ。教会を通じて白羊騎士団に回収するよう依頼があった」
「いいんですか? そんなこと話して」
「構わんさ。俺達は教会の下働きじゃない。いいようにこき使われてたまるもんか――それに、俺だって異端審問官は嫌いだ」
そう言うと、ボルクスは静かに苦笑する
「奴らは俺達がしくじった場合に備え、保険を用意してある」
「保険?」
「《パンドラ・ボックス》ごと《聖遺物》を処分するつもりだ。戦力は機動歩兵一個小隊。お前達の手で阻止してくれ」
「わかりました。ありがとう、ボルクスさん」
そこでようやく、二人は離れた。
「それでは《パンドラ・ボックス》で会おう。兄弟と言えども、手加減はせんぞ」
「まあ、お手柔らかにお願いします」
何事も無かったかのように、平静を取り繕いつつ二人は分かれた。
丁度、試合開始の時刻となった。
埠頭にアナウンスが流れる。
『これより試合を開始します。出場選手はホバーランチに搭乗してください』




