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天宮の煌騎士〈ルキフェリオン〉  作者: 真先
【EpisodeⅢ. 神の迷宮】
79/104

7. パーティー編成

 エルメラとの会見の後、リドレックは自室に戻った。

 桃兎騎士団寮の五階、エレベーターを降りてすぐの場所にリドレックの自室はあった。

 明日に備えていろいろやらなければならないのだが、ひとまず風呂に入って落ち着くことにした。


 シャワーを浴びた後、ビールを一杯――と行きたいところだが、生憎と冷蔵庫には買い置きが無い。

 留守中はハウスメイドたちが掃除からベッドメイキングまで全てやってくれているのだが、さすがに酒まで用意してはくれなかったようだ。

 仕方が無いのでバックの中からとっておきの一本を取り出すことにした。

 貴賓席に並んだ贈答品の山から失敬してきたスパークリングワインは、口当たりがよく飲みやすい。


 一杯飲んだら眠くなってきた。

 本格的に寝込む前に、一仕事片付けなければならない。

 やるべきことは解っている。

 明日の試合に向けてメンバーの選抜を行うのだ。勿論。

 

 出場できるメンバーは総勢六名。

 六つある空欄の内、一つは既に自分の名前で埋まっている。

 残るメンバーは五名。

 どうやって選んだものかと思案していると、ドアを叩く音が聞こえた。


『リドレック、リドレック! 居るか!?』

「ライゼさん?」


 ドアの前には、ライゼ・セルウェイが立っていた。

 突然の訪問に面食らうリドレックに、ライゼは気安い調子で右手を上げる。


「よお、リドレック」

「どうしたんですか、こんな時間に?」

「お前に話があって来た。入っていいか?」


 返事を待つことなくライゼは部屋の中にずかずかと上がり込むと、やはり勧めもしないのにソファーに腰掛ける。

 遠慮ない監督生に、今更腹を立てても始まらない。

 あきらめたように溜息を一つつくと、ライゼの対面に座った。


「くつろいでいる所、邪魔して悪いな」

「いいえ。で、何の用です?」

「話と言うのは他でもない。明日の試合についてだ。寮長に聞いたのだが、お前がリーダーを務めるそうだな」

「ええ」

「そうか。大役だな」


 何故かは知らないが、感慨深げにうなずいた。


「こうして兵を従えて指揮する立場になるのは初めての経験なのではないのか?」

「ええ。まあ」

「ましてや迷宮探索は、きわめて特殊な試合だ。お前も、勝手がわからず難儀しているのではないか?」

「ええ、まあ」


 さすがは監督生。

 リドレックの心理を良く見抜いている。

 普段は思いやりのかけらもない性格なのに、試合の事となると相手を思いやれるのだから不思議だ。


「そこでだ。僭越ながら、お前に迷宮攻略戦の秘訣を教授してやろうではないか」

「はあ?」

「私は迷宮攻略戦の経験者だ。三年前、最後に開かれた試合に参加している。経験者としての立場から、色々とアドバイスができると思って、こうして足を運んだと言うわけだ」

「……いや! しかしそれは、どうでしょうか」


 上ずった声で答えるリドレック。

 兎に角ライゼは説教が長い。

 実直な性格が災いして要点をかいつまんで話すことが出来ないらしく、同じようなことを何度も繰り返すので話が長くなる。

 気遣いは嬉しいのだが正直な話、有難迷惑だった。


「何分、試合は明日です。この期に及んで泥縄と言うものでしょう。ご指導いただいてもお気持ちはありがたいのですが……」

「うむ。貴様が言うのも尤もだ。余計なおせっかいだったようだな。いや、申し訳ない」


 意外とあっさりとライゼは引き下がった。


「余計な情報を与えて下手に策を立てても、混乱させるだけになってしまうだろう。いや、すまなかったリドレック」

「いいえ、決してそのようなことは……」

「ならばこうしてはどうだろう? わたしが迷宮攻略戦に参加すると言うのは?」

「は?」


 突然な申し出に、リドレックは唖然とする。


「メンバーの選抜はリーダーであるお前に決定権がある。もうメンバーは決めてしまったのか?」

「いいえ。まだ白紙の状態です」

「ならば問題なかろう。私をサブリーダーに任命し、お前を傍でサポートする。役に立つことはあっても、邪魔になるようなことは無いはずだ」

「それは、そうですが……」


 確かに、ライゼの言う事にも一理ある。

 迷宮攻略戦のような変則的な試合では何より経験が物を言う。

 経験者が付き添ってくれると言うのならば心強い。


 しかし、相手はライゼ・セルウェイである。

 最古参の監督生にむかって、ああしろこうしろと指図するのはどうにも躊躇われる。

 逆に、ライゼの方からあれこれ指図してくるだろう。

 そうなれば指揮系統に支障をきたすことになりかねない。

 監督生の存在は心強い反面、うっとおしくもあった。

 折角の厚意をむげに断ることも出来ず、かといって受け入れることも出来ず、

 どう答えていいものかと困り果てていると、


『リドレック、居るか? リドレック!』


 再びドアをノックする音が聞こえてきた。


「……ヤンセンさんですか?」

『そうだ。明日の試合の事で相談があるんだ』

 

 ドアの向こうから聞こえてくるその声は、まぎれもなくヤンセン・バーグであった。


『迷宮の資料を持ってきた。入っていいか!?』

「あ、はい。どうぞ……」

「ちょ、ちょっと待て!」


 返事をするリドレックを、なぜか慌てた様子でライゼが引き止める。


「まずい! 俺がここに居ることがバレたらまずい!」

「何でです?」

「だってお前。俺は監督生なんだぞ? 立場を利用して取り入ったと思われては、他の寮生達に示しがつかん! とにかく、俺はどっかに隠れる。今話したことは、ヤンセンには内密にな」

『おい、リドレック! いいのか? 入るぞ!?』 


 間一髪、ライゼが寝室に退避した所でドアが開いた。

 入れ違いにリビングに入って来たヤンセンは、不思議そうな顔で部屋の中を見渡す。


「……話し声が聞こえたようだが、誰か居るのか?」

「いえ、気のせいでしょう。……さ、どうぞ。座ってください」


 怪訝な表情で部屋の中を見渡していたが、やがて納得したのかヤンセンはソファーに腰掛けた。


「それで、どんな御用件です?」

「おお、そうだ。迷宮攻略に必要だと思ってな、資料を持ってきた」


 記憶型錬光石を差し出すと、ホロ・モニターを展開した。

 テーブルの上に浮かぶ《パンドラ・ボックス》の立体映像は、詳細で緻密であった。


「これがあれば攻略が随分助かります」

「だが問題がある」


 感謝するリドレックに、ヤンセンは注釈を加える


「これは三年前の状態のものだ。その後、大規模な改装が行われ、中の様子は随分と変わってしまっているようだ」

「でも、大まかな構造までは変わっていないはずでしょう? これで十分、役に立ちますよ。ありがとうございま……」


 ヤンセンの手から記憶型錬光石を受け取ろうとした瞬間、


「……何です?」

「お前、まさかタダ働きさせるつもりじゃあるまいな?」


 嬲るように、ヤンセンはリドレックの眼前で錬光石を弄ぶ。


「こいつを見つけるには随分と手間がかかった。ありがとうの一言で済まそうだなんて虫が良すぎるぞ」

「……何が望みです?」

「なに、大したことでは無い。迷宮攻略のパーティーに加えてくれ」

「ヤンセンさんを?」


 意外な申し出に、リドレックは目を丸くする。

 技術者のヤンセンは裏方専門。

 表に出るようなタイプでは無い。


「難しい話では無いだろう? パーティー・リーダーはお前だ。それに、俺がいると何かと役に立つぞ。迷宮探索には戦闘以外のスキルが必要だ。トラップを見つけたり、錠を解除したり、役に立つと思うぞ?」


 さらに自分を売り込みにかかる。

 確かにヤンセンの言う通り、迷宮攻略には技術者の存在が不可欠である。

 スベイレン最高の技術者、ヤンセン・バーグがパーティーに加わってくれれば、これほど頼りになる人物はいない。


「私も騎士の端くれだ。一通りの戦闘訓練は受けている。自分の身ぐらい自分で守れる。足手まといにはならんだろう。どうだ? メンバーに加えてくれんか?」

「……何が狙いです?」


 自信たっぷりな様子のヤンセンに、疑惑の眼差しを向ける

 

 そもそも、自分から率先して協力を申し出ていること自体、ありえない事だった。

 彼は徹底した利己主義者である。

 自分の得にならない事は絶対にしない。


「狙いなど何もないさ。ただ、技術者として迷宮の中をこの目で見たかった。それだけだ。特に深い意味など無い」


 その言葉を鵜呑みにするほど、リドレックは甘くなかった。

 身を乗り出し詳しく問い詰めようとしたその時、

 三度、ドアを叩く音が聞こえた。


『先輩! リドレック先輩!』

「サイベルか?」

『ええ。先輩、中に入っていいですか?』


 声の主はサイベル・ドーネンであった。

 新人王の声を聴いた途端、ヤンセンの顔色が変わった。


「いかん! いかんぞ、リドレック!」

「何ですか、いきなり?」

「だって、後輩に試合に出してくれなんて頼みに来たなんてことを他人に知られたら、お前。体裁が悪いではないか!」


 傍若無人を地で行くヤンセンが今更、体裁を気にするような事でもないだろうと思うのだが、まあそう言うものなのだろう。


「とにかく、何処か隠れる所を……。リドレック、俺がここに来たことはくれぐれも内密にな!」


 そう言い残し、ヤンセンがリビングの隣にあるキッチンに飛び込んだと入れ替わりに、サイベルがリビングにやってきた。


「……いま、誰か居なかった?」

「いや、誰もいないよ。それよりもサイベル、何か用かい?」

「……まあ、いいや。実はね、先輩! 今日は美味しいお菓子を持ってきたんですよ!!」

「お菓子?」

「《クエンティー・ベル》のチョコレートです! 先輩のためにわざわざ下層階まで行って買ってきました!」


 恩着せがましいことを言いながら、こちらに向かってチョコレート箱を突き出した。

《クエンティー・ベル》と言えば、リドレックでも知っているような有名店である。

 酒飲みのリドレックではあったが、甘いものがまんざら嫌いと言うわけでは無い。


「それはどうもありがとう……ん?」


 受け取ったチョコレート箱はずっしりと重かった。

 あり得ない不自然な重さに、ひとまずテーブルの上に置いて、ふたを開ける。

 箱の中には、可愛くデコレーションされたチョコレートが詰められていた。

 升目状の仕切りに納められたさチョコレートを、リドレックは底蓋ごと持ち上げる。


 二重底になっていたチョコレート箱の下にあるものは――金塊だった。


 合計四本。

 重さにして約8オンス。

 黄金色に輝くインゴットを、リドレックは半眼で見つめる。


「……何のつもりだ、サイベル?」

 

 問い詰めると、途端にサイベルの態度が豹変する。


「いいから、いいから。ここは一つ、黙って受け取っておいてくださいよ。ねえ、旦那」


 呼び名が先輩から旦那に代わり、態度が横柄になる。

 ソファーに深々とふんぞり返り、足を組む。


「使わねぇってんだったら、その辺にほかしておけばいいんですよ。なあに、置いといて腐るってもんじゃないんだ。役に立つことはあれ、持っていて邪魔になるってもんじゃないでしょう、旦那?」

「……まさかとは思うが、サイベル。僕を買収するつもりなんじゃないだろうね?」

「ちょいちょい! 物騒なことを言っちゃいけませんぜ、旦那。そんなつもりはこれっぽちも御座いませんよ」

「嘘つけ。他にないだろう。明日の試合に出してくれっていうんだろう?」

「いやだな、旦那! そんな事は一言だって言っちゃいないじゃないですか――ただねぇ、旦那。魚心あれば水心って言うじゃあござんせんか?」


 ぐい、と身を乗り出し、上目遣いで笑う。


「貰いっぱなし、あげっぱなしってのはいけねぇよ。そいつは道理が通らねぇ。旦那に向かって、ああしろ、こうしろなんて指図するつもりは毛頭ござんせんよ? ただね、こちらの事情もちょっとは察していただきてぇんで……」

「……そういう話し方、何処で覚えて来たんだよ? 自分の顔、鏡で見てごらん。悪い顔してるよ」


 邪悪な笑みを浮かべる下級生に、どうしたものかと考えあぐねていると、

 四度、ドアを叩く音が聞こえた。


『リドレック! おーい、リドレック!』


 扉の向こうからラルク・イシューの声が聞こえてきた。


『居るんだろ、リドレック? 話がある。開けてくれ』


 どんどんと扉を叩くラルクに、サイベルは慌てふためく。


「しまった! こんなところ見られたら大変なことに!」

「うん。そうだよね。贈収賄の現行犯だもんね。バレたらそりゃあ大変なことになるよね」

「先輩! 今の話は……」

「わかっているよ。わかっているから、とっとと隠れろ! ……それと、その山吹色のモノも持って帰れ!」


 大慌てでテーブルの上にあるチョコレートの箱と金塊を抱えると、サイベルはベランダへと飛び出した。

 入れ違いにラルクがリビングにやって来る。


「いま、この部屋に誰か……」

「いないよ!」

「……そうか? ならいいんだが」


 元々、細かい事を気にする性格でないラルクは、リドレックの嘘にあっさりと納得すると、さっきまで サイベルが座っていたソファーに腰掛ける。

 今日のラルクは正装姿であった。

 小脇にケースを抱えている所を見ると、何か商談でもあったのかもしれない。


「で、何の用だ?」

「明日の試合の件だ。俺をメンバーに加えてくれ」


 前置きなど一切なく、いきなり要件を切り出した。


「……お前もか」

「うん? ってことは、他にも誰か来たのか?」

「……いいや。別に。しかし意外だな、ラルク? お前が迷宮攻略戦に出たいだなんて思わなかったよ」

「そうか?」

「そうだ。お前向きの競技じゃ無いだろう」


《パンドラ・ボックス》の中とは交信不能であるため、リアルタイムでの中継はできない。

 常に観客の声援を受けて無ければ気が済まない、目立ちたがりのラルクが出たがるような競技では無かった。


「目立ちたがりのお前が出たがるような競技じゃないだろう。どういう風の吹き回しだ?」

「まあ、いいじゃないか。無論、タダとは言わん。さっきまで接待でパニラントに居たんだ。こいつはお土産だ」


 小脇に抱えたケースの中から、一本のワインを取り出した。

 澱を散らさぬように恭しくテーブルの上に置かれたワインボトルに、リドレックは飛びついた。


「シャトー・ブリュレ! それも赤じゃないか!?」

「ああ、それも二十二年物だ」

「当たり年じゃないか!? まだ残っていたのか、信じられん!」


 地上で昔ながらの製法で醸造されたワインは品質が均一では無いかわりに、温室物では作ることができない高品質のワインが生まれることがある。

 当たり年に収穫された物となれば、その価値は計り知れない。


「金を出せば買えると言うものでは無ぇぞ。」

「いや、しかしな、こういうのはやっぱりまずいんじゃないのか? だってこれって完全に買収じゃないか」


 と言いつつも、リドレックはワインボトルから目を離そうとはしない。

 付き合いが長い事もあって、リドレックの性格を熟知している。

 酒飲みのリドレックを買収するには、金塊などよりも余程効果的であった。


「公平性に欠けるじゃないか。寮の皆にバレたらタダじゃ済まないぞ」

「なあに、問題は無いさ。酒なんて飲んじまえばバレやしないって」

「いや、バレると思うぞ、絶対」


 この部屋には、ライゼとヤンセンとサイベルが居るのだが、


「固いこと言わないで承知してくれよ。俺とお前との仲じゃないか。難しい事じゃないだろう」


 ラルクの術中にはまりかけたその時、ドアをノックする音が聞こえた。


『リドレック。ミナリエだ。ちょっと話があるんだが』

「げっ! ミナリエ!!」


 天敵の登場にラルクの顔が一瞬で青ざめる。

 リドレック達と同期であるミナリエは、不正や不実を人一倍嫌う堅物だ。

 酒瓶で買収したと知れば、大騒ぎになるだろう。


「やばい、やばいぞ! ミナリエにこんな所を見られたら何を言われるか!」

「隠れるのか?」

「ああ! それと、今の話はくれぐれも内密にな?」

「わかってる。いいからとっとと隠れろ!」


 酒瓶を抱えクローゼットへ飛び込んだところに、

 入れ違いにミナリエがやってきた。


「誰か……」

「誰もいないよ」

「……そうか?」


 首をかしげるが、ミナリエはそれ以上の詮索はしてこなかった。


「いいから座れよ。話があるんだろう?」

「うん。では、失礼して……」


 促されて、ミナリエはソファーに腰掛ける。

 リドレックの対面――では無く、


「……何で隣に座るの?」

「いいじゃないか、別に。何処に座ろうと私の勝手だ」


 ぴったりと寄り添うように、ミナリエはリドレックの横に座る。

 いつもは凛とした態度のミナリエだったが、今日は何処かよそよそしい。


「それで何の用……」

「あー、あーっ! この部屋は何だか暑いなぁ!」


 要件を訊ねようとすると、唐突に声をあげる。

 上ずった、妙に空々しい話し方に、リドレックは訝しげな表情を浮かべる。


「……? そんなことは無いだろう。空調はちゃんと動いているし、むしろ涼しいんじゃないか?」

「そうか? 失礼して、上着を脱がしてもらうぞ」


 言うや否や、上着を脱ぎ始めた。

 脱いだ制服をソファーの上に放り投げると、再び声をあげる。


「ああ、まだ暑いなー、これは一体、どうした事であろうか?」


 棒読みで言うと、シャツのボタンを外し始めた。

 見せつけるように上から順番に一つ一つ、ゆっくりと外してゆく。

 大きくはだけた胸元から下着が見えるが、ミナリエに気にした様子はない。

 

「……ちょ、ちょっと、ミナリエ!」

「ああー、熱くて死にそうだー。なんか眩暈がしてきたぞー。……きゅー、ばたん」


 みょうちくりんな擬音を口にして、こちらに向かってしなだれかかってきた。

 さらにミナリエは煽情的な動きで、豊かな胸をリドレックに押し付けてくる。


 朴念仁のリドレックでも、ここまでされればさすがにわかる。

 リドレックを誘惑しようとしているのだろう、という事はわかるのだが――どうしよう、全然色っぽくない。


 彼女は魅力的な女性であることは、リドレックも重々承知している。

 長身でモデル体型の彼女の肢体は、十分に魅力的なはずなのだが――なぜだろう、欲望リビドーに訴えかけるものが微塵も感じられない。

 こうしてあからさまに誘惑されればなおさらであった。


 どんな意図があるにせよ、このまま放置しておくわけにも行かない。

 とりあえず、しなだれかかるミナリエの体を突き放し、ちゃんとした姿勢で座らせる。


「……どうした? リドレック」

「何の真似だ? ミナリエ」


 冷ややかな視線に見つめられ、ミナリエは狼狽える。


「べっ、別に。ただ、ちょっと熱が……」

「嘘つけ。目的はわかっている。明日の試合に出せって言うんだろう? 見え透いた色仕掛けなんか使いやがって。慣れないことすんな」

「なっ! なんだそれは!? それではまるで私が女の武器を使って取り入ろうとしているように聞こえるではないか!」

「違うって言うのか?」

「見損なうな! 私はただ、持て余した性欲をお前の体で慰めてもらいたいだけだ!」

「見損なったわ! 心の底から見損なったわ!」

「ええい! 女の私がここまでしているのだぞ!? 男だったら何かするのが礼儀と言うものでは無いのか!?」

「いやだって、ミナリエってば全然色っぽく無いんだもの。なんつーか、色々残念だわ」

「むっきーっ! かくなる上は力ずくで……!」

「きゃーっ! たーすけーてーっ! 犯さーれーるーっ!」

 

 逆上したミナリエに押し倒されて、リドレックが貞操の危機を迎えていたその時、

 救いの手を差し伸べるがごとく、ドアを叩く音が聞こえた。


『リドレック! リドレック居るーっ?』


 ドアの向こうから聞こえてくるのは、メルクレアの声だ。

 さらに、シルフィとミューレの声が続く。


『リドレックさん。お話があります』

『ここ開けて頂戴』


 元気な後輩たちの声に、ミナリエの動きが止まる。

 ようやく正気を取り戻したミナリエは、半裸でリドレックに覆いかぶさる自分の姿に赤面する。


「い、いかん! こんな所を見られたら……」

「まずいよね! そりゃまずいよね!!」

「とりあえず何処かに……」

「隠れろよ! 今すぐ隠れろ!! ……その前に服を着ろ!」


 身づくろいもそこそこに、テーブルの下に飛び込んだところで、リビングにメルクレアが入って来た。


「ねえ……」

「いないよ! 誰もいないよ! この部屋に居るのは僕一人だよ!」

「いや? 何も聞いてないけど? ……まあいいや」


 リドレックの奇行に不信を抱きつつも気を取り直したメルクレアは、ニコニコと笑いながらリドレックの背後に回り込んだ。

 ソファーの背もたれ越しに首筋に抱き付くと、おねだりをするような猫なで声でリドレックの耳元にささやく。


「んーとね。リドレックにちょっと、お願いがあるんだけど……」

「そのお願いとやらが何かは見当つくけど、……あらかじめ言っておく。駄目だ」


 さらにシルフィが、リドレックの右隣に座り腕を掴む。


「明日の試合の件なんですけど……」

「だから、駄目だって」


 反対側の左隣からは、ミューレが腕を引っ張る


「あたし達をメンバーに入れて欲しい……」

「駄目だと言っているだろうが!」


 まとわりつく少女達を振り払うように、リドレックは叫んだ。

 

「お前達が何と言おうと明日の試合には絶対に出さないぞ」

「どうしてーっ!?」


 メルクレアは不服そうに口を尖らすが、リドレックは取り合わない。


「どうしてもこうしてもない! お前達、自分の立場をわかっているのか?」


 公表されてはいないが、メルクレアは皇室の血を受け継いでいる。

 迷宮攻略戦などといった危険な競技に出場して、何かあったら帝国を揺るがす大問題に発展する。


「絶対にお前達を出すわけには行かない。エルメラ寮長にもお前達を出すなと厳命されている」

『……うっ!』


 寮長の名前を出した途端に、少女達はおとなしくなった。

 エルメラ寮長は彼女たちの後見人にあたる。彼女たちにとってエルメラの言葉は絶対である。

 それでも諦めきれないらしく、メルクレアはおねだりを続ける。


「どーしてもダメ?」

「どーしてもダメ!」

「そう、じゃあしょうがない……」


 ようやく諦める気配を見せたかと思うと、メルクレアは両脇に居る仲間たちに目くばせした。

 仲間たちがうなずいたのを確認すると、メルクレアはリドレックの首に回した腕を締め上げた。


「なっ、何を……!」


 首を絞めつける腕を振りほどこうと、身をよじるリドレックを、両脇からシルフィとミューレが押さえつける。


「おとなしくしてください! リドレックさん」

「抵抗すると苦しむだけだよ」


 両腕を掴まれ身動きの取れないリドレックに為す術は無い。

 頸動脈を締め付けられたリドレックは、やがて意識を失った。


「よし! これで朝まで起きないはずよ!」


 白目をむいて横たわるリドレックを見おろし、メルクレアは満足そうにうなずいた。

 そして、傍らに居るミューレに訊ねる。


「……で、これからどうすればいいの?」

「あとはメンバー表にあたし達の名前を書いて、受付に提出するだけよ」

「それで、あたし達は試合に出場できるのね?」


 と言って、シルフィが瞳を輝かせる。


「ええ。明日の朝一番で提出すれば受付完了。メンバー登録してしまえばこっちのも……」


 少女達が悪だくみを着々と進めていると、


『そうは行くかぁ~っ!!』

 

 寝室からライゼが、

 キッチンからヤンセンが、

 ベランダからサイベルが、

 クローゼットからラルクが、

 テーブルの下からミナリエが、


 絶叫と共に、一斉に飛び出した。


「な、何? なんでみんなここに居るの?」

「そんな事はどうでもいい! それよりも、何してんだお前達!」


 突如姿を現した上級生たちの姿に狼狽えるメルクレアをライゼが一喝する。


「抜け駆けなんてずるいぞ!」

「まったく、先輩を差し置いて出場しようなんて、生意気にもほどがある」


 サイベルとミナリエもライゼに続く。

 自分の事を棚に上げて責め立てる先輩たちに、メルクレアは反論する。


「何よ何よ! 自分達だってズルしようとしていたくせに!」

「うるさい、だまれ! 迷宮攻略戦は経験が物を言うんだ! 実績のない新入生ごときが、出場できるような試合じゃない!」

「実績ならありますぅ! 昨日の試合だって、あたし勝ったもん!!」

「一度や二度勝ったくらいで調子に乗るな! 明日の試合に出てくるのは経験も実績もある猛者ばかりだ。お前達で太刀打ちできるわけがない!」

「そんなことないもん! 少なくとも、ここに居る先輩たちよりもあたしの方が強いもん!!」

『…………!!』


 瞬間、部屋の中の空気が凍り付いた。

 騎士学校では強さが全てである。

 自分の方が強い、と面と向かって主張することは、学生騎士に対する最大級の侮辱でありる。

 ましてや相手は同寮の後輩。

 指導するべき立場にある上級生にとってこれ以上の恥辱は無い。


 上級生たちの逆鱗に触れた事に気が付かず、メルクレアはさらに挑発を続ける。


「大体さぁ、先輩とか言って威張っている割には、みんな大して強く無くない?」

「ああ、それはあたしも思っていたわ」


 メルクレアの言葉にミューレがうなずく。


「元居た騎士団ではエリートだったかも知れないけど、桃兎騎士団寮に来てからは、大して活躍していないものね」

「そう言えば、わたしが誘拐された時は、リドレックさん一人にあっさり負けてましたよね?」


 シルフィに至っては、巨人騒動があった日のことを持ち出した。


「スベイレンは実力主義でしょう。先輩とか後輩とか関係ないじゃん」

「高い金出してスカウトして来たんでしょうに。エルメラ様もとんだハズレを引いてきたわよね」

「こういうの何て言うんでしたっけ? ああ、そうそう確か『老害』とかいうんですよね」


 メルクレアが、ミューレが、シルフィが、聞こえよがしに影口を叩くと、


『……あっはっはっは』


 部屋の中に、上級生たちの乾いた笑いが響き渡る。

 スベイレンの厳しい訓練を潜り抜けて来た猛者である。

 新入生達の生意気な態度も、笑い飛ばせるだけの余裕があった。


 しかし、笑い飛ばせるほど大人でもない。


「……なんというか。どうしたものかな?」

「……どうやら俺達は新人教育に失敗してしまったようだぞ」


 ライゼとヤンセンが顔を見合わせると、やれやれと言った表情で肩をすくめる。


「……新人だと思って甘やかせすぎてしまったようだ」

「……ここは一つ、実力の違いって奴を見せつけてやる必要があるようだな」


 ラルクとサイベルはうんうんとしきりにうなずく。


「……ここでは何だ。トレーニングルームに行こうか?」


 最後にミナリエが、あごをしゃくって表に出るように促した。

 それに応じて、部屋の中に居る全員、扉に向かって歩き出す。


「身の程って奴を教えてやんよ!」

「上等じゃん! 受けて立つわよ!」


 気勢を吐くサイベルに、メルクレアが応じる。


「勝った奴が出場、負けた奴はあきらめる。あとで文句を言うのは無しだからな!」

「その言葉、忘れないでくださいよ!」


 一方的にルールを決めるラルクに、シルフィが念を押す。


 がやがやと騒ぎながら、全員部屋から出て行った。

 あとに残されたのは、気絶した姿勢のままソファーに横たわるリドレックだけであった。


 ◇◆◇


 リドレックが目覚めたのは、それから数時間後の事であった。


「……はっ!」


 意識を取り戻したリドレックは、ソファーから跳ね起きた。

 酸欠で痛む頭を振りながら、部屋の中を見回す。

 すでに部屋の中はもぬけの殻である。

 部屋のそこかしこに隠れていた上級生達の気配はない。

 リドレックを締め落とした三人娘たちの姿も無い。


「……あいつらぁ~っ!!」


 怒りの形相で跳ね起きると、リドレックは部屋から飛び出した。

 跳ね飛ばすようにドアを開けると、


「……うわ! リドレック君!」


 ドアの前にジョシュア・ジョッシュが立っていた。

 危うく跳ね飛ばそうとして、リドレックは正気に戻る。


「ジョシュアさん? 何でここに?」

「何って、呼びに来たんだ。もうすぐ試合が始まるよ」

「…………え?」


 言われて、窓の外を見る。

 寮の廊下に差し込む朝日を見て、蒼ざめる。

 

 ジョシュアの言う通り、もうすぐ試合の始まる時刻であった。

 なのに、まったく準備が終わっていない。

 出場するメンバー選びも全く手を付けていない。


「しっかりしてくれよもう。リーダーの君が遅刻したら、メンバーに示しがつかないじゃないか?」」

「メンバー?」

「メンバーはもう、準備を終えて待っているんだから。トレーニングルームに集合して……って、おい!」


 ジョシュアの制止を振り切って、リドレックは駆け出す。

 エレベーターを使わず階段を転がるように駆け下り、トレーニングルームのある一階にたどり着く。

 その中を覗き込み、絶句する。

 

「…………え?」


 リドレックの視線の先には、折り重なるようにして倒れる少女達の姿があった。


『……きゅう』


 トレーニングルームの中央。

 格闘訓練用のマットの上に横たわる三人の少女達は、目を回したまま動かない。

 相当激しくやり合ったらしく、全身ボロボロであった。


 そして、そのまわりを上級生たちが取り囲むようにして、上級生達が倒れている。

 少女達よりかは幾分マシであったが、それでも満身創痍の様相である。


「……よお、リドレック」


 唖然とするリドレックに、ライゼが声をかける。

 彼だけは辛うじて意識があったようだ。

 這いつくばった姿勢のまま、こちらにむかって顔を上げる。


「ライゼさん? これは一体……」

「メンバーはこっちで決めておいたからな。さあ、《パンドラ・ボックス》に行こう、ぜ……」


 そこまで言って、ライゼは再びマットに倒れ伏す。

 健やかな寝息を立てている所を見ても、まあ死ぬことは無いだろう。


 死屍累々たる有様に、リドレックは唯、途方に暮れる。


「……どうすんだよ、コレ?」


 こうして、桃兎騎士団寮は最悪のコンディションで迷宮探索に挑むことになった。


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