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天宮の煌騎士〈ルキフェリオン〉  作者: 真先
【EpisodeⅢ. 神の迷宮】
73/104

1. 教会の下

 ここに来るのは半年ぶり――弟の葬式以来だ。


 スベイレン上層階。

 金融街のはずれにある緑地帯に隠れるように、錬光教団スベイレン教会はひっそりとたたずんでいた。


 錬光教団はハイランド帝国において唯一にして無二の宗教団体である。

 学生騎士と交易商人の街であるスベイレンでは、教会に足しげく通うような信心深い信徒はあまり多くない。


 平日の昼間。

 静寂に包まれた参道を抜け教会へと向かう。

 前を歩くのは枯葉色の髪の少年。

 

 リドレック・クロスト。


《白羽》と呼ばれる騎士学校始まって以来の落ちこぼれ。

 地上帰りの英雄。

 巨人殺しの勇者。

 様々な二つ名で呼ばれる彼と死闘を演じたのはつい一月前のことだ。

 それが今、無防備な背中をさらして前を歩いている。

 その迂闊な態度に、邪な感情が鎌首をもたげる。


(今なら、殺せるかしらね?)


 そんな事を考えた瞬間、


「どうしました?」


 こちらを振り向くことなく訊ねるリドレックに、心の底から驚嘆する。


(後ろに目がついているっていうの?)

 

 内心の動揺を悟られないよう、彼の背中に向かって全く関係ない話題を振った。


「そんな服、持っていたのね?」


 今日のリドレックは、騎士学校の制服では無く僧衣を身に纏っていた。

 長い間愛用している物らしく、大分くたびれている。

 聞くところによると、彼は神学校の出身らしい。

 くたびれた僧衣はその頃から身に着けている物だろう。


「教会に来るときはいつもその恰好を?」

「いいえ。今日はたまたまです。たまには虫干ししませんと」


 どうやらただの気まぐれだったらしい。

 宗教関係者の考えることは理解できない。

 それ以降は一切口を聞かず、おとなしく彼の後をついてゆくことにした。


 教会の中庭には菜園があった。

 教会の生活は自給自足が建前になっている。

 わざわざ外から見えるような場所に畑をしつらえ、早朝では無く真っ昼間に農作業に従事しているのは、清貧さを外部にアピールするためである。


 菜園では修道服姿の男が一人、畑を耕していた。

 蓬髪に長い顎鬚。

 雲をつくような大入道である。

 いかにも修道士といった出で立ちの男は参道を行くリドレックを見つけると、鍬を振るう手を休めて駆け寄ってきた。


「おお、リドレックよ! 我が兄よ!!」


 この男の名は、ボルクス・チァリーニ。

 こんな風体であるが、れっきとしたスベイレン騎士学校の生徒である。

 所属は白羊騎士団寮。

 錬光教会を後ろ盾に持つこの騎士団寮には敬虔な信者が多い。

 ボルクスもまた――学校の授業をサボって教会で奉仕活動に励むほどの――敬虔な信者であった。


「おお、神よ! 我が兄、リドレック・クロストをここに使わしてくださったことを感謝します!」

「神よ感謝します。我が弟、ボルクス・チァリーニと再会させてくださったことを」


 大仰なしぐさで祈りを捧げるボルクスに、慣れた様子でリドレックが応じる

 年下のリドレックを兄と呼び、年長のボルクスを弟と呼び合う彼らの姿は、滑稽に見える。

 

 教会内の階梯は、入信歴とお布施の額によって決まる。

 敬虔な信者であるボルクスだったが、入信歴はまだ二年と短い。

 対して神学校出身のリドレックは入信歴が長い。

 また、リドレックは闘技大会で稼いだ報奨金の一部をお布施として教会に上納している。

 平日の昼間、授業をすっぽかしてまで奉仕活動に励んでいるボルクスより、大して熱心な信者でもないリドレックが、階梯が上なのは釈然としないものを感じるが、当の本人たちが気にしてないのだから外野がとやかく言う事では無い。


「我が兄よ、汝の盃に水が満たされんことを」

「我が弟よ、汝の燭台から灯が消えぬように」


 宗教家の挨拶は面倒な上に回りくどい。

 お互いの健康と繁栄を祈り終えた後に、ようやく話題に入った。

 

「元気そうではないか、リドレック!」

「ボルクスさんも、お変わりないようで。相変わらずでかい声ですね」

「はっはっはっ! 中に入って茶でも一杯、と行きたい所だが、今ちょっと、法王庁から客が来ていてな……」

「客?」

 

 ボルクスに促され、教会の入り口に目をやる。

 そこに、数人の僧侶が佇んでいた。

 こちらに背を向けているので顔はわからないが、着ている物から察するに高位の司祭であることは間違いないようだ。

 複雑な文様が刺繍された朱色のストールは、素人目にも手が込んでいた。


 ボルクスが言っていた法王庁から来た客人なのだろう。

 彼らの姿を見るなり、リドレックの態度が豹変した。


「……あいつら、異端審問官ですね」

「わかるか?」

「ええ。……法王庁の犬共め」


 忌々しげに毒づくリドレックを、ボルクスが窘める。


「そう言うな。あんな奴らでも我らの兄弟であることは違いないのだぞ」

「僕の所属は十字軍です。異端審問官なんぞと一緒にしないでください」


 いつも飄々とした態度のリドレックがここまで感情を露わにするのは珍しい事だ。

 博愛の精神を訴える教会の中にも、どうやら複雑な派閥闘争があるらしい。


「連中、スベイレンに何しに来たんです?」

「知らん。知りたくも無い。どうせ碌でもない事だろうからな」

「それもそうですね。僕も関わりたくありません。……じゃあ、ボルクスさん僕はこれで――行きますよ」


 足早に立ち去るリドレックを慌てて追いかける。

 菜園のある中庭を抜け、リドレックは納骨堂へと向かう。


 納骨堂は教会の裏手にあった。

 教会の規模と同じく納骨堂もまた非常にこじんまりとしている。


 リドレックと共に香の匂いが立ち込める納骨堂に足を踏み入れる。

 納骨堂を入ってすぐの場所に、祭壇があった。


 墓参者用の祭壇の上には聖印と香炉。

 そしてたくさんの燭台が並んでいた。

 リドレックは祭壇に歩み寄り、燭台の一つを掴むと複雑な動作で前後左右に揺らした。

 やがて、祭壇がゆっくりと動き出す。

 音を立てて五フィートほど移動すると、祭壇の下から地下室へと続く階段が姿を現した。


「……まるで秘密基地ね」


 大仰な仕掛けに呆れ半分で嘆息する。

 よくもまあ、こんなくだらない仕掛けを思いつくものだ。

 やはり、宗教関係者の考えることは理解できない。


「秘密基地なんかじゃありませんよ」


 そう言い訳しながら、リドレックは地下へと続く階段を下りる。

 

「元々、地下納骨堂カタコンベだったのを改装したんです。いまは倉庫として使っています」


 リドレックに続いて階段を下り、周囲を見渡す。


 地下納骨堂カタコンベを改装したと言う地下室は明るく、そして清潔であった。

 自動掃除機オートクリーナーが稼働しているらしく、床には塵一つ落ちていない。

 倉庫として使っていると聞いていたが、要するに武器庫として使っているらしい。

 決して広くない地下室には、夥しい数の武器が収められていた。


 光子武器が収められた棚。

 光子甲冑を纏った人型。

 使い古された錬光騎ナイトメア


 それら全ての武器は整備済みであるらしく、いつでも使える状態にある。


 そして、壁には旗が掲げられている。

 白地に赤い十字架。

 十字軍の旗だ。


「……どう見たって秘密基地じゃない」

「だから『秘密』になどしていませんし、そもそも『基地』なんかじゃありません」


 そんな詭弁が通用するほど、世の中は甘く無い。

 スベイレン領内で他国の軍隊が活動することは、自治権の侵害に当たる。

 ただの倉庫とは言えスベイレンの中に十字軍の活動拠点があるなんて知られたら大問題だ。


「総督にはこの場所の事を知っているの?」

「当然でしょう。でも、表向きには知らないことになっています。その方がお互いにとって利益になりますので」


 つまり、総督はこの秘密基地の存在を知りながら見て見ぬふりをしていて、リドレックはそれを知りながらも秘密基地を使用し続けていると――なんともややこしい話であった。


「十字軍の重要性は、総督だってわかっているんです。持ちつ持たれつって奴ですよ。杓子定規にやっていたんじゃ、この業界はやっていけませんから」


 話ながらも、リドレックは壁にかかっていた旗に手をかける。

 壁から旗を引きはがすと、下から扉が現れた――いよいよもって秘密基地だ。

 隠し扉に取り付けられた監視カメラに向かって、リドレックは呟く。


「連れて来たぞ。開けろ、ゼル」


 一拍置いて、エアロックが音も無く開いた。

 開け放たれた扉の前には、一人の男が立っていた。


 長身で痩身。

 血色の悪い肌に鋭い目つきのこの男は、黒鴉騎士団寮所属ゼリエス・エトだ。


 彼は総督が超法規的措置を使って刑務所から連れ出した殺人犯である。

 司法取引で無罪放免となった今、恩義に報いるため彼はリドレックと共に総督の元で働いているという話だ。

 目下の所、この『秘密基地』の留守番が彼の仕事らしい。


「変わりはあるか?」

「ない。何もしゃべらないし、死んでも居ない」


 ゼリエスの返事に、リドレックがうなずく。


「ご苦労だった――どうぞ、中へ」

 

 リドレックにいざなわれ、部屋の中に入る

 

 窓一つない、狭苦しい部屋。

 あるのは中央に置かれた椅子が一つだけ。

 歯科医院で見かけるような可動式の椅子に、一人の男が腰かけていた。


 スベイレン騎士訓練校の元剣技教官、シシノ・モッゼスである。


 シシノ教官は先日、密輸業をはじめとする複数の罪で教職を罷免されていた。

 表向きは依願退職となっているが、事実上の懲戒免職である。

 突然の辞職の後、行方不明となった彼がどういった経緯でこんな所に軟禁されているかは、その姿を見れば一目瞭然であった。


 ひどく殴りつけられたのだろう、顔は判別不能なくらいに腫れ上がっていた。

 わずかに開いた口の奥に歯は一本も見えない。

 むき出しの上半身には鋭利な刃物で切り付けられた傷跡が何か所もあった。


 左手と両脚は拘束具で椅子に括り付けられている。

 右手だけは拘束されていない――何故なら切り落とされているからだ。

 手首の傷口は碌に治療もされておらず、とうに腐り落ちている。


 明らかに拷問を受けたと見える痕跡だ。

 かなり激しい拷問であったらしく、既に半分死にかけている。


 このまま放置すれば、確実に死亡するだろう。

 それでも――


「…………ヒヒィッ、ヒヒヒヒッ」


 それでも彼は、笑っていた。

 シシノはすでに正気を失っている。

 肉体より先に精神があの世に行ってしまったようだ。

 かつて生徒達を厳しく指導していた剣技教官の姿は見る影もない。


 壊れた男を見おろし、リドレックに訊ねる。


「……で、どうしてこんなことになったわけ?」

「結論から言うと、こいつのせいです」


 隣に居るゼリエスを指さし、リドレックは言った。


「総督の計らいでこいつの身柄は十字軍が預かることになったんですよ。それで、この部屋に監禁して密輸取引の詳細を聞き出そうと拷も……、もとい尋問していたのですが、このバカがやり過ぎちまって……」

「あ、きったねぇぞ、リド! 俺のせいにするつもりか!」


 反論するゼリエスを、リドレックが睨み付ける。


「お前のせいだろうが。何も廃人になるまで痛めつけるこたぁ無いだろう」

「俺はちゃんと加減していたぞ。廃人になったのはお前が自白剤を飲ませたからだろうが!?」

「自白剤じゃない。僕が調合した特製の治療薬だ。どんな傷もたちどころに治るし、とっても元気が出てくるお薬だ」


 どうやら、拷問した挙句の果てに麻薬をぶちこんだらしい。

 人斬り剣士に戦場帰り。

 加減知らずのコンビに任せているとこう言う事になる。

 そもそも諜報活動なんて繊細なことが、この二人に出来るはずがないのだ。


「大体、お前は昔っからそうなんだよ!」

「お前だって他人のこと言えねぇだろ!」


 あきれ果てて絶句している合間にも、罵り合いはエスカレートしてゆく。

 このままでは、いっこうに話が進まない。

 不毛な罵り合いを続ける二人の間に割って入る。


「……それで、私にどうしろって言うの?」

「こいつから情報を引き出してほしいんです」


 そう言うと、リドレックはシシノの頭を小突いた。

 廃人となった元剣技教官は最早、何の反応も示さない。


「ご覧の通りの有様なんで最早、尋問も拷問も通用しません。あなたは情報系の錬光技については専門家でしょう? 脳から直接情報を取り出すことが出来るような錬光技はありませんか?」

「あるわよ」


 物言わぬ剣技教官の顔を覗き込みながら答える。


「脳に傷は無いのでしょう? だったら《記憶探査メモリースキャン》を使えば情報を引き出せるはずよ」


 格好をつけて安請け合いしてしまったが、実際には《記憶探査メモリースキャン》は非常に高度で難解な錬光技である。

 人間の記憶は非常に曖昧なものだ。

 映像や音声などと断片的な情報を再編集し、意味ある情報として成立させるには錬光技だけでは無い独自のセンスが必要とされるのである。


「それで、何を知りたいの? 能力には限界があるわ。欲しい情報をなるべく具体的に教えて頂戴」


 人間の脳はデリケートだ。

 気安くひっかきまわして良いものでは無い。

 罪人とは言え本格的に廃人にしてしまっては寝覚めが悪い。

 探査する情報を絞り込み、脳への負担を最小限に留める必要がある。


「知りたいのは《パンドラ・ボックス》の起動コードです」

「《パンドラ・ボックス》?」

「ええ、先代総督が起動コードを隠したまま消えちまいましてね。できますか、ソフィーさん?」


 うなずくと、ソフィー・レンクは早速作業に取り掛かった。


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