31. 二人の剣士
「その後が、大変だった……」
それからの出来事を振り返り、リドレックはしみじみとつぶやいた。
「十字軍に通報する際、僕は取引を持ち掛けた。密輸組織の摘発に協力する代わりに、お前の殺人罪を取り下げるように要求した。僕自身も巡礼者として地上に降りて、証拠集めに奔走した。証人である《黒豚》を追いかけてガーメンにまで行ったが結局、空振りに終わった。スベイレンに戻ってきたところをようやく捕まえようと思ったら、気の短い監督生にぶった切られちまって……」
思い出しているうちに腹が立ってきたのだろう。
リドレックはわなわなと肩を震わせて俯いた。
「総督に頼んで試合を名目にお前を刑務所から出してもらったと言うわけだ。まったく、滅茶苦茶苦労したんだぞ。感謝しろよ」
「……この有様で、感謝しろと?」
二人が居る場所は病院の集中治療室だ。
迅速かつ的確な処置のお蔭で一命をとりとめることができたゼリエスであったが、未だ予断が許さない状態であった。
本来ならば面会謝絶なのだが、リドレックは無理を言って集中治療室の中まで押しかけて来た。
ベッドに括り付けられたゼリエスの姿は酷い有様であった。
首は完全に固定され、寝返りはおろか身動き一つすることが出来ない。
これでは刑務所に居るのと変わらない――首をへし折られなかった分だけ刑務所の方がまだましのような気がする。
「この借りは高くつくぞ。怪我が治り次第、いろいろと働いてもらうからな」
「何をやらせるつもりだ?」
リドレックを胡乱な眼差しで見つめる。
ベッドに横たわる人間に向かって恩着せがましい事を言う場合、大抵碌な要件では無い事をゼリエスは経験から知っていた。
リドレックは辺りを憚るようにゼリエスに顔を近づけた。
そして声を潜めて言う。
「お前、《無銘皇女》を知っているか」
「知っている。三年前、暗殺されたアーリク・ノイ・ヴェルシュタイン皇太子殿下のご落胤だろう? それが、どうしたと言うのだ?」
「お前の首をへし折った彼女――メルクレア・セシエがそうだ」
「……ふうん?」
真相を知らされても、取り立てて驚きはしなかった。
闘技場で対峙した時に感じたあの気迫、只者では無い事は一目見て分かった。
自分を地にはわせた相手が皇族であることに、むしろ安堵した。
唯の少女にやられたとあっては、ゼリエスの立場が無い。
「彼女は帝国における最重要人物だ。そこで、だ。彼女の護衛をお前に頼みたい」
「……たった今、あの女に殺されかけた俺に、それを頼むのか?」
「知るか! 止めたのにメルクレアに襲い掛かったのはお前じゃないか」
「つか、守る必要なんか無いだろ! 何なんだよ! あの女、メッチャ強ぇじゃねぇか!?」
折れた首より心に負った傷の方がむしろ大きかった。
駄々をこねるように、ベッドの上で身をよじらせるが、拘束された状態ではそれもままならない。
「落ち着け、ゼル! 暴れるな、傷に障るぞ!」
「やだぁ、もう帰るぅ! こんなんだったら刑務所の方がましだ! 密輸組織だの御落胤だの陰謀はもうたくさんだ!」
「だから、落ち着けって! ……いいか、これはお前にとっても悪い話ではないんだ」
どうどう、と宥めると、リドレックは囁くようにやさしくゼリエスに語り掛けた。
「彼女は帝国を揺るがす火種だ。無銘皇女の存在を巡って既に各勢力が動いている。一月前は楡御前っていうテロリストがスベイレンを半壊に追いやった。これからも彼女を狙って続々と危ない連中がスベイレンに集まってくるだろう――何が言いたいかわかるか?」
ゼリエスの脳裏にテロリスト達の姿が思い浮かぶ。
反帝国派、親帝国派、教会に元老院、そして帝国からの独立をもくろむ各王家――帝国に散在する様々な勢力が、彼女を狙って押し寄せてくるだろう。
それはつまり、
「……彼女の傍に居れば、好きなだけ人が斬れるというわけか?」
「そう言う事だ」
不敵に笑うリドレックに、ゼリエスもまた笑っていた。
長き太平の世は終わりを告げ、《無銘皇女》を中心に時代の歯車が動き始めようとしている。
血で血を洗う、戦乱の時代、
それはゼリエスの望んだ剣の時代であった。
「悪くない、悪くない取引だ。いいぞ、リド。その仕事、引き受けよう」
「期待してるぞ、お前の剣に」
「それで、さしあたって俺は何をすればいいんだ?」
リドレックは懐から一枚の紙片を取り出した。
「取り敢えず、この書類にサインしろ」
早速、無理難題を言ってくる。
ベッドに括り付けられ身動き一つとれないこの状態で――一体、どうやってサインしろと言うのだ?
◇◆◇
「お待ちください、総督!」
足早に専用通路を歩く総督の後を、バーンズ校長が追いかける。
総督たちが歩いているのは貴賓席専用通路だ。
試合が終了した今、観客達は既に闘技場を後にしている。
周囲の目を気にせずに、校長は声を荒らげる。
「話はまだ終わっておりませんぞ!」
「お止しなさい、校長」
試合中に起きた諍いを蒸し返そうとする校長を、シシノが引き止める。
「スベイレン総督に対して無礼ですぞ。お控えなさい」
「黙れ、シシノ教官! この追従者!! 貴様も教師ならば、生徒の事を考えてはどうか!?」
「総督の御心に従うのが我らの務め。君臣の義を守ってこその騎士道でありましょう」
言い争う二人を従えながら歩いていた総督が、突如、その足を止める。
総督の視線の先にはリドレックの姿があった。
行く手をふさぐリドレックに向かって、総督は怒鳴りつける。
「遅いぞ、リドレック!」
「無茶を言わないで下さい」
病院から蜻蛉返りしてきたリドレックは疲れた様子で答える。
「これでも急いだんですよ。集中治療室に無理やり押しかけたんで、医者にすっげー睨まれました」
「御託はいい。それで、預けた物は?」
総督が言うと、リドレックは一枚の紙片を差し出した。
ひったくるように受け取ると、総督は素早く紙片に目を走らせる。
「……何だよ、このミミズがのたくったような字は?」
「口にペン咥えさせて無理やり書かせたんです。しょうがないでしょ。首から下が動かないんだから」
「サインになってないだろ! これじゃ裁判所も受理しないぞ!?」
「大丈夫。サインなんてものは何か書いてあればいいんですよ。今時、紙の書類に目を通す奴なんていやしないんだから」
「ホントかよ? ……ったく、いい加減だな」
ブツブツと文句を言う総督に、校長が恐る恐る声をかける。
「……あの、何の話ですか?」
総督は校長に向けて持っていた紙片を突き出した。
「……告発状?」
戸惑いつつも校長は、きれいに印刷された文面を読み上げてゆく。
「告発人、ゼリエス・エトは、スベイレン港湾地区において行われている交易品の組織的違法取引、及びその隠蔽工作の為に多数の殺人が行われたことをここに告発する――って、何ですか、これ?」
怪訝な表情を浮かべる校長に向かって総督が説明する。
「そこに書いてある通りだ。ゼリエス・エトは密輸組織を告発した。そして自身の犯した殺人も、密輸組織からの依頼であることを明かした」
文末に――ミミズがのたくったような字ではあるが、ゼリエスのサインもある。
法律的に機能する、体裁の整った立派な公式文書である。
「この告発状を使って司法取引を行う。ゼリエスは実刑を免れるはずだ。裁判所は必ず取引に応じるだろう。下っぱの殺し屋一人を死刑台に送るよりも、大規模な密輸組織を揚げるほうが重要だからな」
「何を考えているのですか? 総督!?」
真っ青な顔で総督に詰め寄ったのはシシノ教官であった。
「こんなことをしたらどうなるか、あなたはわかっているのですか!?」
「まあ、大騒ぎになるだろうな」
食い入るようにもを乗り出すシシノ教官に、気のない様子で総督は言い返す。
「密輸組織には中央の偉いさんも関与していると聞く。告発状が公表されれば、帝国を揺るがす一大スキャンダルになるだろうな」
「……貴方は何も解っておられない」
呆れたように、シシノは頭を振る。
「密輸組織には多くの人々が関わっている。帝都に居る帝国貴族。中央の役人。大手商会の交易商人――そして真耀流宗家。これだけの人々が関わっている。告発すると言う事は、関係者すべてを敵に回すと言うことになるのですよ!? 告発なんてしたところで、どうせ揉み消される。それどころか、あなたの命すら危うくなるのです」
それは、総督に対する脅迫であった。
「告発なんてしたところで、誰も得をしない――だったら、むしろ積極的に活用した方が得策ではありませんか?」
「私に密輸組織の一員になれと言うのか?」
「そんな大げさな事ではありません。ただ見て見ぬふりをしていただけるだけでいいんです。そうやって得た資金と人脈を使って、先代総督は中央へ栄転したのですよ」
そしてシシノ教官は声の調子を変えると、今度は総督を懐柔しにかかった。
「密輸なんてどこの天空島でもやっている。いってみれば地方役人の役得みたいなものです。目くじら立てて摘発するものじゃないでしょう?」
狡猾な笑みと共に取引を持ち掛けるシシノを、ランドルフは撥ねつける。
「綺麗ごとだけで世の中渡っていけないことぐらい判っているし、人並みに出世欲もある――だがな、非合法な手段に頼るつもりはない。密輸なんぞに頼らんでも、このスベイレンには価値ある財産がある」
「価値ある財産?」
「わからぬか? シシノ教官。ここスベイレンは騎士学校を有する学園都市だ。学校において財産とはすなわち生徒をおいて他にはない――そうだな、校長!」
「は、はい!」
慌てて校長は返事をする。
「生徒達の流した血と汗が、密輸などという不正で曇るようなことがあってはならん。徹底的に追及し、スベイレンにはびこる不義非道を一掃してくれるわ!」
天空島を預かる総督として、
若者たちを導く教育者として、
アルムガスト・レニエ・ランドルフ雄々しく宣言する。
「私の心配よりも、自分の心配をした方が良いのではないか? シシノ教官」
そして、シシノを振り返る。
唯の犯罪者へと成り下がった教官に向けられたそのまなざしは、限りなく冷たかった。
「ゼリエスは真耀流の隠密剣士だ。告発により、真耀流がこれまで行ってきた影働きの実態が白日の下にさらされることになる。真耀流宗家は事態の取集を図るべく、密輸組織の関係者、全てを抹殺するだろう。真先に狙われるのはシシノ教官、君だ」
「…………!」
「ベイマンの宗家道場からゼリエスを連れて来たのはシシノ教官、君なのだろう? 総督を介して直接、彼に殺害を指示していたのも君だ。君の財務状況を調べさせてもらったよ。教官にしては随分と良い暮らしをしているようだね。密輸組織に取り入って、随分とおいしい思いをしてきたのだろう?」
「…………」
最早、語ることは無い。
絶句するシシノに背を向けて、総督は再び歩き出す。
「今後の身の振り方については君に一任しよう。君も騎士の端くれならば、身の処し方は心得ているはずだ」
貴族特権により、騎士階級は法による裁きを受けることは無い。
騎士を裁くのは、己の良心のみ。
総督は遠まわしに自決をほのめかした。
「……きっ、貴様ぁっ!」
全てを失い逆上したシシノは総督に襲いかかった。
騎士道にあるまじき背後からの不意打ち。
しかし、それはランドルフの狙い通りの動きであった。
振り向きながら懐から光子剣を取り出し素早く展開。
剣を握るシシノの右手を切り落とした。
「……ひっ、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」
悲鳴を上げてシシノは蹲る。
手首の先から吹き出す血が、上等な絨毯を赤く染める。
剣を一振り。
血糊を落としてから納剣する。
その剣の柄頭にはゼリエスと同じ、免許皆伝を意味する緋色の柄紐が巻き付けられていた。
「取り押さえろ!」
総督の命令を待つまでも無く、リドレックはすぐさまシシノに駆け寄る。
激痛に身動きの取れないシシノの手首を抑えると、手早く止血する。
「そいつの処分はお前に任せる。好きにして構わんが、簡単には殺すなよ? こいつには色々と喋って貰わなければならんからな。たっぷりと拷問して、洗いざらいを吐かせてから、十字軍に引き渡せ」
「……そ・れ・で?」
一字一句に皮肉が込めるリドレックに、総督は目を瞬かせる。
「……それでって、何だよ?」
「それで、この血まみれになったカーペットは誰が掃除してくれるんですって?」
リドリックの指摘に、総督は沈黙する。
真っ赤に染まったカーペットを見つめ、小首を傾げ何やら考えているようなそぶりを見せると、
やがてゆっくりと右手を上げてリドレックを指さした。
「何でですか、何で僕が後始末しなくちゃなんないんですかっ!!」
「えーだってお前、総督府の職員じゃん」
「ぼくは職員として雇われたんです。清掃業務は仕事の範囲外です――まったく、真耀流の連中ってどうしてこうなんだろう。後先考えずにだんびら振り回して、後始末を僕に押し付けるんだから」
既に止血は終わったようだ。
ぶちぶちと言いながら、シシノを立たせる。
「僕は知りませんよ、血の汚れってものすごく面倒なんですから。後始末はご自身でお願いします。機械にやらせても無駄ですよ、染みになっちゃいますからね。上等なカーペットが傷つかないように、ちゃんと手作業でやってください。……だから、人を入れろって言ってたのに。人件費をケチるからこんなことになるんだ」
最後までぶちぶちと愚痴りながら、負傷したシシノを連れてリドレックは立ち去った。
切断された右腕から、血が点々と滴る。
何もしないうちから、汚れはどんどん広まっていく。
片付ける者がいない限り、当然のことだが血だまりは消えてくれない。
「……校長」
「いやです」
そう言い残すと、校長は逃げるようにその場を立ち去った。
一人残された総督は、血だまりの前でただ茫然と立ちすくむ。
せめて、掃除用具がどこにあるのか教えて欲しかった。




