6. 食堂にて
驚くべきことに、ここ桃兎騎士団寮では食堂が二つもあるらしい。
「そんなに驚くことでもないでしょう?」
リドレック大げさな態度に、メルクレアは呆れたような表情を浮かべる。
「普通、学生寮には一つしか食堂はないものなんだよ」
食堂へと向かう道すがら、リドレックは少女達に説明する。
「本来、騎士見習いっていうのは自分達で食事を用意するものなんだ。食堂がない学生寮もあるんだ。戦場では自給自足、食糧調達は軍隊生活の基本だ。料理をするのも騎士修行の一環とされているんだ。いざというとき困るのは自分自身なんだぞ?」
「時代遅れの古臭い考えね」
リドレックが諭すと、ミューレは鼻で笑った。
「私たちは騎士の修業をするためにここに居るのよ。花嫁修業をしに来たわけじゃない。料理の腕を磨いている時間があるのならば、その分を武芸や勉学に振り向けるべきよ。それに料理人達の仕事を奪うなど、高貴な者としてむしろ恥ずべき行為よ」
そもそも騎士というものが時代遅れの古臭い生き物なのだが、言わずに置いた。
ここは桃兎騎士団寮だ。寮が違えば考え方も違う。
桃兎騎士団のやり方に合わせなければならないのは、新参者のリドレックの方だ。
「大体、何で二つも食堂が必要なんだ?」
「新入生用と上級生用とで、食べる場所もメニューも違うんです」
リドレックの疑問にシルフィが答える。
「新入生は一階の大広間でケータリングの料理を食べるんです。出来合いの料理なのであまり美味しくありません。対して、上級生は二階の食堂でお抱えシェフのフルコース。食事の内容だけでなく、上級生用食堂で食事をすることには特別な意味があるんです」
「特別な意味?」
「上級生の皆さんは、言ってみればこの学校の名士です。そういった方々と食事を共にできるのは、私達新入生にとってこの上なく名誉なことなのです」
「……成程」
おおらかな寮風だと思ったがなかなかどうして、エルメラ寮長はけじめをつけるべきところを心得ているらしい。
「あんたとの同居生活なんて正直、うんざりだけど……」
うんざり、という言葉に思い切り感情をこめてメルクレアは言った。
「上級生食堂でご飯が食べられるならば、なんとか我慢できるわよ」
「そうですね」
「同感」
三人揃って頷く。
共同生活を言い渡されたときはあんなに嫌がっていたのに、御馳走一つで今はすっかりご機嫌だ。
結局の所、彼女たちのリドレックに対する嫌悪感などその程度なのだ。そう思うとリドレックはなんとなく悲しくなってきた。
そんなことを話しながら歩いているうちに、件の上級生用食堂にたどり着いた。
話に聞いた通り、上級生用食堂は豪勢な造りをしていた。
柔らかい色使いの照明が奥行きのある空間を照らす。白いシーツをかぶせたテーブルには、淡い光を放つキャンドルが置かれている。奥の厨房から料理を運ぶのは、前掛けをかけた給仕達だ。
食事時だったため食堂は生徒たちの姿で賑わっていた。室内を見渡すが空いている席が見当たらない。
「ねえ、リドレック」
出会ってまだ間もないというのに、すっかり呼び捨てが定着してしまったようだ。メルクレアが袖を引っ張り耳打ちする。
「せっかくだから、上級生の人と相席してもらいましょうよ。できれば有名人と同席したいな」
「……なんだよ、有名人って」
「例えばさっき部屋で会った、ミナリエ・ファーファリス先輩とか」
「無茶いうな」
ミナリエはさっき怒らせたまま、まだ誤解も解いていない。
そこへ三人の少女を侍らせて食事をしているのを見られたらどんなことになるか――想像もしたくない。
「何をしている」
出入り口で言い争っていると、通りがかった生徒に声をかけられる。
喫茶室でスコーンを頬張っていた生徒――サイベル・ドーネンはリドレックたちに向かって鋭い調子で言い放つ。
「ここは上級生用の食堂だ。関係ない人間は出ていけ」
「彼女達は特別にここで食事をすることを認められているんだ。寮長の許可も……」
「そいつらのことなんかどうでもいい!」
言い訳をさえぎると、挑発するようにリドレックの鼻先に指を突きつける。
「俺が言っているのはお前だ、リドレック・クロスト」
「僕は上級生だよ、三回生だ。サイベル・ドーネン。君よりも先輩だよ?」
「ハッ! 先輩風吹かしてんじゃねぇよ」
鼻で笑うとサイベルは腰の剣帯に手をやった。
「実力もねぇくせに上級生面するんじゃねぇ。メシが喰いたきゃ新入生用の食堂に行……」
「サイベル・ドーネン先輩ですよね!?」
リドレックとサイベルの間に突如、メルクレアが割って入る。
「元、黄猿騎士団所属で去年の新人王の?」
「……あ、ああ。そうだけど」
顔を輝かせて詰め寄るメルクレアに、他の二人が続く。
「ほんとだ!」
「画面で見るより大きい」
三人でサイベルを取り囲み一斉に囃し立てる。
「去年の試合見ました! すごかったです!」
「……え、あ、そう? そうなんだ?」
「確か長剣術の試合で優勝したんですよね? 」
「そう、そうだよ。うん」
「その長剣の柄紐、初伝の証では?」
「そうなんだ。ベイマンの道場でもらったんだ」
女の子三人に褒めちぎられ、サイベルは相好を崩す。
「すごーい! ぜひお話とか聞きたいです。どうですか、これから一緒にお食事でも?」
「いや、俺はもう済んだから。君たちはゆっくりしていきなさい。それじゃ……」
そう言い残してサイベルはその場を立ち去った。
上機嫌に背中をそらして歩くサイベルの姿が食堂から消えるのを見計らって、三人娘たちが一斉に呟く。
「……はっ、チョロイ」
「随分と安っぽい男ですね。新人王にしては」
「形も小さければ、器も小さい」
上級生を軽くあしらい散々に罵る後輩たちを、リドレックは半眼で見つめる。
「……お前達」
前年度新人王を手玉に取ると、少女達は食堂に居る上級生たちを物色し始めた。
「ねぇ、あんなのじゃなくてもうちょっと大物はいないの?」
「ソフィー・レンク先輩はいないかしら。さっき寮長室の前で見かけたのだけれど……」
「わたしはヤンセン・バーグ先輩がいい」
口々に勝手なことを言う後輩たちに手を焼いていると、
「リド! リドレック! こっちだ!」
奥の席からリドレックを呼ぶ声が聞こえて来た。
声のする方に目をやると、こちらに向かって手招きする青年の姿を見つけた。
「ラルク! ラルク・イシューじゃないか!」
青年の名を呼びながら、リドレックは席に駆け寄る。
「久しぶりだな。リド」
「お前もここに?」
「ああ桃兎騎士団に移籍してきた。そちらのお嬢さんたちは?」
「ああ、ルームメイトだよ。メルクレアと、シルフィ、ミューレだ。みんな、こいつは……」
『ラルク・イシュー様ですよね!?』
三人の少女たちは揃って顔を輝かせる。
「元老院議員イシュー子爵のご子息の!?」
「騎上槍試合で常勝の!?」
「イケメンで女の子にモテモテの!?」
さっきサイベルに見せた笑顔の約三倍増しの笑顔でラルクに詰め寄る。
「ええ、そうですよ。よろしく、お嬢さん方。さ、立ち話もなんだ。取り敢えず座りましょう」
サイベルと違い女慣れしているラルクは三人娘の質問攻めにも動じない。やんわりといなすと席に着くように促した。
憧れの騎士様と同席出来て、少女たちはすっかりご満悦だ。
「やるじゃないリドレック」
隣に座ったメルクレアが、上機嫌で話しかけてくる。
「イシュー様とお知り合いだったなんて、アンタ意外と顔が広いのね」
「別に凄かないさ。こいつとは同期だからな」
「そう。それと、今季からはイシュー卿と呼んでくれ」
「イシュー卿? それじゃ、跡を継ぐことに決まったのか?」
「正式にはまだだ。まあ他に後継者はいないからな。そこで、だ――リド。お前に話しておかなくちゃいけないことがある」
「なんだよラルク、あらたまって」
「今まではお前、俺の間柄だったが、これからはそうもいかなくなった。確かにお前とは同期だが、もう三年目。成績も位も差がついている――だからさ、わかるだろ?」
貴族社会において階級による序列は絶対である。
子爵家の後継者であるラルクはリドレックに対し上級貴族としての接応を求めている――それは友人としての決別を意味していた。
「これからはけじめをつけた関係で行こうじゃないか――リドレック?」
「……かしこまりました、イシュー卿」
頭を垂れるリドレックの姿にラルクは満足そうに頷くと、傍らに座る少女達に微笑みを向ける。
「ああ、君たちはラルクと呼んでくれていいよ。女の子には皆そう呼ぶように言っているんだ」
「いえ、そんな恐れ多い!」
恐縮した様子でシルフィが首を振る。
「イシュー卿は上級生の中でも名士でいらっしゃるから。
ミューレが言うと、笑いながらラルクが答える。
「いやあ、名前だけならそこにいるリドレックだって大したもんさ。何しろ前人未到の二年連続最下位、《白羽》リドレック・クロストと言えば校内で知らぬものは居ないだろうからな」
「何? 《白羽》って?」
「……臆病者って意味さ。ホラ、これだ」
メルクレアが尋ねると、リドレックは首のネックレスを取り出した。
ネックレスの先には白い羽を模った飾りが二つ吊るされていた。
「騎士の間じゃ臆病な振る舞いをする者に対して、侮蔑の意味を込めて白い羽を送る慣習があるんだ。俺はいつも試合中、逃げ回ってばかりいるからな。それでついたあだ名が《白羽》ってわけさ」
「……お前、どうしたんだそれ?」
差し出された羽根飾りを見つめ、ラルクは息をのむ。
ネックレスにぶら下がった羽根飾りは錬光石で出来ていた。それなりに値の張るものらしく細工もしっかりとしている。
「作ったんだ、記念に」
「記念? 何の?」
「最下位を取った記念。二年連続だから二枚」
『…………』
羽根飾りを見つめるリドレックの姿に、一同は呆気にとられる。
騎士の世界では何より誇りを重んじる。侮蔑の象徴を自分で作って、首からぶら下げる神経が理解できない。
「……ところで、さっきこいつがルームメイトだって言ってたけど。どういうことなの?」
「……そうなんです! それがひどい話なんですよ、聞いてください」
無理やりに話題を変えると、丁度良いタイミングで給仕が前菜を運んできた。
この後、美味しい料理とリドレックの悪口とで会食は大いに盛り上がった。