28. 《白き不死鳥》と《黒き狂戦士》
試合開始と同時に、リドレックは動いた。
ネックレスに意識を這わせ〈翼盾〉を展開。
同時に〈飛行〉を発動する。
「リドレック!」
ライゼの静止も聞かず、リドレックは開始点から飛翔した。
低空飛行でそのまま敵陣に向かって突進する。
高速で迫りくるリドレックを迎え撃つように、敵陣からも一人の選手が飛び出してきた。
ゼリエス・エトだ。
錬光技で加速しつつ、闘技場を疾走する。
一直線に闘技場を横切った二人は、闘技場中央で激しくぶつかり合う。
「うおおおおおおおっ!!」
「ああああああああっ!!」
勢いをつけて振り下ろされた剣と剣が激しくぶつかり合う。
高速移動の助走をつけた剣の一撃は相当なものだ。
光子剣を握るその腕が、衝撃に悲鳴を上げる。
剣を挟んで二人は睨み合う。
バイザー越しに殺意に満ちた視線が交錯する。
「……久しいな、ゼル!」
「……会いたかったぞ、リド!」
かつて友と呼び合った二人の再会。
しかし、多くを語ることは無い。
今の二人は敵同士。
そして今は試合中だ。
鍔迫り合いから、剣を弾いて二人は離れる。
「ハァッ!」
間をあけることなく、リドレックに向けてゼリエスは追撃の剣を振るう。
上段からの牽制から、右胴へ向けての薙ぎ払い、さらに左からの切り上げと、流れるような三連撃を放つ。
「クッ!」
剣術の打ち合いでは、リドレックには分が悪い。二枚の〈翼盾〉を前方に展開、三連撃を凌ぎ切る。
ゼリエスにとって〈翼盾〉は、始めて見る錬光技だった。鉄壁防御を誇る 二枚の羽を警戒して、それ以上の攻撃はしなかった。
深追いをせず、一歩下がる。
再び間合いが開いたその瞬間を狙って、リドレックが動いた。
「ハッ!」
その場で片膝をつくと、地面目がけて左手に持った短剣――〈茨の剣〉を突き立てる。
同時に光子の刃から、錬光の茨が噴出する。
間欠泉のように噴出した茨は、リドレックの思考によって完全に制御されていた。
リドレックの頭の中で思い描いた通りに、円を描き、伸び、交錯する。
茨が動きを止めた時、リドレックのイメージした物は現実となって完成する。
〈茨の剣〉が作り出した物――それは光子の檻だ。
円形闘技場の中央部。直径約10ヤード。
ドーム状に模られた茨の檻は、リドレックとゼリエスの二人を取りこんでいた。
「何だこれは!?」
「リドレック、これはどういうことだ!?」
格子の向こう側で、トイルとライゼが叫ぶ
桃兎、黒鴉、両騎士団の主将は、光子の檻を前にして立ち往生していた。
籠の中は茨で出来た格子によって外界から完全に途絶していた。
光子の檻によって隔たれたこの世界は、リドレックとゼリエス、二人だけの戦場だ。
形状を固定すると、リドレックは〈茨の剣〉から手を離した。
立ち上がり、ゼリエスに告げる。
「これで、邪魔者抜きで存分に戦える」
「上等だ!」
気色に満ち溢れた顔で、ゼリエスは剣を構えた。
脇に構え剣先を後ろに下げた型は、最も実戦的な構えである。
ゼリエスが本気になった証だ。
先程のような挨拶代りの打ち込みでは無く、リドレックを殺す気で剣を振るって来た。
「ハァッ!」
中段からの胴を狙った横薙ぎの一撃。
殺意が込められた一撃も、鉄壁の防御を誇る〈翼盾〉の前では意味を成さない。
激しい打ち込みを耐え抜き、逆に振り上げた剣に向けて〈翼盾〉を叩きつける。
ゼリエスは剣を取り落とした。
無手となったゼリエスに向かって、リドレックが反撃に移る。
「フッ!」
低い姿勢から胴を狙った片手突きを放つ。
ゼリエスはリドレックの攻撃を難なく躱すと、剣を握る腕を掴んだ。
そして肩越しに担ぎ上げると、リドレックの体を投げ飛ばした。
「うわぁ!」
ゼリエスの背負い投げに、リドレックの体は弧を描いて背中から倒れた。
強かに背中を打ち付け、仰向けに倒れたリドレックにゼリエスは覆いかぶさると、そのまま馬乗りになる。
両脚で胴を挟み込みリドレックの体の自由を奪った所で、頭部目がけて掌底を放つ。
撫でるようにヘルメットの表面に手を置くと、ゼリエスは気息を吐いた。
「ハァッ!」
ゼリエスの手のひらから練光の迸りが広がる。
その輝きに反応したかのように、リドレックの頭部を覆う光子の兜が激しく明滅する。
光子の輝きが臨界を示す白光へと変わった瞬間、ヘルメットが内部から破裂した。
「……っ!」
頬に外気を感じた瞬間、リドレックが声にならない悲鳴を上げる。
一撃必殺の錬光技が飛び交う闘技会において、身の安全を保障してくれる防具を失う事は死を意味していた。
殺人鬼、ゼリエス・エトはこの絶好の機会を逃さない。
ゼリエスの手中に武器は無い。
取り落としてしまった剣の代わりに拳を振るう。
硬いグラブが露わになったリドレックの顔面に突き刺さる。
「ブッ!」
鼻骨が折れたリドレックがくぐもった悲鳴を上げる。
それでもゼリエスは攻撃の手を緩めることは無かった。
一発、二発、三発と短いストロークのパンチを連続して打ち付ける。
身動きの取れないリドレックは、マウントポジションからの連打を為す術もなく受け続ける他無かった。
「……調子に、のるなっ!」
怒りの叫びと共に、リドレックは羽飾りについた錬光石に思考を流す。
両脇に滞空していた二枚の〈翼盾〉を操りゼリエスの背中に叩きつける。
「グッ!」
背後からの攻撃に胸に跨っていたゼリエスは叩き落とされる。
マウントポジションを外したリドレックは素早く立ち上がる。
立ち上がったリドレックの顔面は血で真っ赤に濡れていた。
鼻は折れ、頬骨も砕かれ、リドレックの顔は判別不可能なくらいに崩れていた。
その凄惨な有様に、観客席の女性たちが悲鳴を上げる。
リドレックは顔面を覆うように掌を当てた。光子甲冑内にある錬光石を媒介し錬光技を発動させる。
回復系錬光技〈治癒〉。
体内の細胞を活性化。
傷口を塞ぐと同時に、骨を元通りの位置に戻し癒着させる。
掌で血をぬぐうと、リドレックの顔は元通りの形を取り戻していた。
リドレックが治療に集中している間に、ゼリエスも立ち上がる。
取り落とした剣を拾いあげると、リドレックの治療が終わるのを待った。
負傷こそしていなかったが彼の疲労は相当なものだ。
荒療治のお蔭で筋力と瞬発力は回復できたが、持久力まで元通りにすることはできなかった。
長丁場に備えて、今のうちに体力を回復させておく腹積もりだった。
勝負は一先ず水入りとなった。
それまで息をのんで彼らの戦いを見守っていた観客が、健闘を称え一斉に拍手を送る。
目まぐるしく籠の中を動き回る彼らの姿は、まさに闘鶏場を飛び回る軍鶏のようであった。
◇◆◇
「見たか、今の!?」
観客達と一緒に拍手をしながら、傍らにいる校長に向かってランドルフ総督が叫んだ。
「……は? いや、何をですか?」
「試合に決まっておるだろう! 他に何を見ると言うのだ、馬鹿者!」
察しの悪い校長を罵倒する。
憮然とする校長を捨て置いて総督は説明を続ける。
「ゼリエスの使ったあの技――リドレックのヘルメットを叩き割ったあの技! あれぞまさしく真耀流奥義〈兜割り〉だ。防具の上から練光の波動を送り込むことにより光子甲冑をオーバーロードさせ内部から破壊する技だ。完全防御を誇る光子甲冑を無効化する、まさしく必殺の技よ!」
全貌を顕わした真耀流の秘奥に、総督は驚愕する。
しかし校長は、その技の正体を完全に見切った総督にこそ驚愕していた。
真耀流の門下生だとは聞いていたが、奥義にまで精通していたとは思わなかった。
道楽貴族と思って侮っていたが、その博識ぶりだけは認めないわけにはいかない。
「あれこそがまさしく真耀流の秘奥《無明》よ! あったのだよ、《無明》は伝説などではなかったのだ! 活人剣の裏に隠された殺人剣が。長き沈黙を破り、今こうして我らの前にその姿をさらしておるのだ! ……ああ、素晴らしい。なんて素晴らしいんだ!」
感極まったかのように、絶叫する。
総督のその瞳には涙すら浮かんでいた。
「しかし、真に恐るべきはリドレック・クロストよ。見たか? あの再生力を。奴は回復系錬光技の達人だ。どんな重傷でもたちどころに回復してしまう。地獄のような戦場にあって無事生還してきたのも、あの桁外れの再生力があったればこそだ。十字軍の間では《白き不死鳥》と渾名されておるそうだ」
饒舌に語る総督の姿は、実に楽しげであった。
ゼリエスの、リドレックの、命を懸けた戦いぶりに総督は大いに満足しているようだった。
「此方にあるは《白き不死鳥》、彼方にあるは《黒き狂戦士》。最高だよ。まったく、最高の見世物だ。これは間違いなく、スベイレンに名を残す一戦となるだろう。そうは思わぬか、校長?」
「…………」
バーンズ校長は答えない。
ただ静かに、ランドルフ総督に軽蔑に満ちた視線を向ける。
総督が来る以前、闘技大会の運営を取り仕切るのは校長の役目だった。
より多くの観客達を呼び集める為に対戦カードを決定し、時には危険な競技を催すこともあった。
闘技大会は学校の運営資金を集めるだけでなく、騎士という存在を一般市民に広める交流の場である。
そして、学生騎士たちに活躍の機会を与えることは、彼らの卒業後の進路に大いに役立つことである。
全ては騎士社会の発展のため――引いては生徒達の為であった。
生徒達の命がけの戦いを『見世物』だと思ったことは、ただの一度も無い。
◇◆◇
「……腕をあげたな、リド」
拾い上げた剣で肩を叩きながら、ゼリエスが語りかけてきた。
「お前は腕が落ちたな、ゼル」
憎まれ口をかえしながらも、リドレックは体の治療に専念する。
顔面の傷は塞いだ。
しかし、壊れたヘルメットは元通りにはできない。
今後は頭部への一撃を警戒しながら戦わなければならない。
「鈍っているのさ。誰かさんのせいで檻の中にぶち込まれていたんでな」
ゼリエスもまた皮肉を返してきた。
苦笑まじりのその声には、わずかに乱れが感じられる。
彼の疲労は相当なものであるはずだ。
「地上にいたそうだな? 何人斬った?」
「数えきれないくらいさ。人間以外も随分斬ったしな」
「だろうな。一人二人斬ったくらいじゃそこまでにはなれまい」
久々の友との語らい。
しかし、そこには何の感慨も無い。
これは単なる時間稼ぎに過ぎない。
疲労を回復するための、治療をするための時間を稼ぐため、二人は無駄話を引き延ばそうとしていた。
「……そろそろ、始めようか」
そう言うと、ゼリエスは剣を掲げた。
疲労はあらかた回復しているようだ、気息の乱れは既にない。
「これ以上、試合を引き延ばすのも興ざめだ。そろそろ本気で行くぞ」
「こっちは手加減してやるよ。安心してかかって来な」
「ほざけぇっ!」
ゼリエスが吠えると同時、リドレックが動いた。
「ハッ!」
〈翼盾〉を展開、檻の天蓋に取りつく。
蝙よろしく逆さまにぶら下がるリドレックをゼリエスが見上げ、歯噛みする。
いかに剣の達人であろうと、間合いの外に居る敵には手も足も出ない。
「終わりだ! ゼリエス!」
為す術もなく立ちすくむゼリエスに向けて、リドレックは攻撃を仕掛ける。
手に掴んだ光子の茨に思考を流し込む。
再びリドレックと〈茨の剣〉が一体化すると同時に、檻を構成する茨が一斉に動き出す。
ゼリエスの背後から、上から、足元から――触手のように蠢きながら茨が伸びる。
「クソッ!」
ゼリエスを捕えようとする茨を華麗な体さばきで躱す。
右へ、左へ。鞭のようにしなる茨を躱し、それでも避けきれない攻撃は剣で打ち払う。
剣と茨が接触した瞬間、激しい閃光と衝撃がゼリエスを襲った。
「……これは」
雷撃系錬光技〈雷電〉。
〈茨の剣〉の内部で発生した静電気が、ゼリエスの動きを止めた。
そのわずかな隙を逃すことなく、リドレックは攻撃を仕掛ける。
全方位から襲い掛かる無数の茨に、瞬く間にゼリエスは捕えられる。
全身を茨に絡めとられたゼリエスは、身動きが出来ない。
さらにリドレックの操る茨は、ゼリエスの体を格子に向けて放り投げた。
檻の格子は既に〈雷電〉によって帯電している。
衝突と同時、激しい火花と共に電流がゼリエスの体を覆う。
「グァアアアアァッ!」
全身を電流に焼かれゼリエスは倒れる。
横たえた体から焦げた臭いと煙が立ち上る。
一方的な試合展開に会場が静まり返る。
その場に居る全員が、リドレックの圧倒的強さを思い知らされ、恐怖した。
スベイレン最強の剣客、ゼリエス・エト。
彼の力を以てしても、リドレックを倒すことは叶わなかった。
「……これで、終わりだ」
そう宣言すると、リドレックは〈茨の剣〉に思考を這わす。
リドレックと一本の茨がゼリエスの首に絡みつく。
そして、そのままゼリエスの体を吊り上げる。
首を絞められ窒息するか、電撃に焼かれるか、命運が尽きようとしたその時、最後の力を振り絞ってゼリエスが動いた。
「ハァァァッ!」
倒れてもなお手離さなかった長剣を、リドレック目がけて投げつける。
起死回生の一撃は、しかしリドレックの埒内であった。
迫りくる剣を、〈翼盾〉を展開し受け止める。
絶対防御の盾に光子の刃が触れたその時、
まばゆい閃光と共に、剣が爆発した。
「……な!」
真っ白い閃光と圧倒的な爆風が、リドレックの体を包み込む。
◇◆◇
眩い閃光が観客達の目を焼いた。
激しい爆音が観客達の鼓膜を叩く。
最上級の騎士達の戦いに、観客達は悲鳴を上げる。
爆発はすぐに収まった。
閃光が消え、爆音が消え、闘技場に再び目を向けた観客達が見た物は、血まみれになって横たわるリドレックと、その傍らに佇むゼリエスの姿だった。
彼らを覆っていた茨の檻は既に消えていた。
闘技場に転がる〈茨の剣〉は、光子の輝きを失い停止状態にある。
それは〈茨の剣〉の主であるリドレックが意識を失っていると言う事を意味している。
「……何と言う事だ」
明らかに瀕死の重傷であるリドレックの姿に、バーンズ校長が絶句する。
校長の脳裏に開幕戦の悪夢がよみがえる。
「総督! 直ぐに試合を中断してください!」
慌てて総督の元へ駆け寄り、試合を中断するように要請する。
「このままでは危険です。すぐに試合を……」
「続けさせろ」
しかし、総督は校長の請願をにべもなく退ける。
闘技場を見つめたまま、試合を続行するように命じる。
「総督!」
「およしなさい、校長! 総督に対して無礼ですぞ!」
詰め寄る校長をシシノ教官が押しとどめる。
「総督が続けるようにと仰っているのです。ご命令に従いなさい」
「黙れ! シシノ、貴様それでも教官か!?」
その時、校長の怒りが頂点に達した。
生徒達の命を見世物にする総督を、それを見過ごすシシノ教官を、バーンズ校長は教育者として許せなかった。
「生徒が目の前で死にかけているのだぞ!? 教官として何とも思わんのか!?」
「この期に及んで何を言っているのです? これは命を懸けた真剣勝負。死人が出るのは当然でしょう」
「黙れ、黙れ! このスベイレンは生徒達の為にある! 生徒あればこその騎士学校であろう。道楽貴族の無聊を慰めるためではないわ!」
「静まれ!」
辺りを憚らず言い争う二人を、総督が一喝する。
二人が言い争っている間も、総督は闘技場から目を離してはいなかった。
「……動くぞ」




