27. そして、試合が始まる
闘技会当日。
寮別対抗リーグ『桃兎騎士団寮対黒鴉騎士団寮』戦が始まった。
場所は中央闘技場。午後の部の第一試合である。
昼休憩のすぐ後に行われるこの試合は、闘技大会で最も注目を集める試合――本日のメインイベントであることを意味している。
寮別対抗リーグでは、まず試合形式の発表から始まる。
電光掲示板に試合形式が表示されると、会場から歓声が沸き起こった。
その歓声は控室に居るゼリエスの元まで聞こえて来た。
遠くから聞こえてくる喧噪に耳を傾け、ゼリエスは自分が緊張していることに気が付いた。
周囲の物音に神経が過敏に反応している。
試合を前に緊張するなど初めての体験だ。
その理由は、これから始まるのが試合などでは無く、命を懸けた真剣勝負だからだ。
ゼリエスはすでに試合の準備を終えている。
控室のベンチに腰掛け、あとは試合開始を待つだけだ。
「『旗取り』のようだな」
そうつぶやいたのはシシノ教官であった。
控室に居るのはゼリエスと彼の二人だけだ。
他の選手たちは既に準備を終え、入場門で待機している。
「可能な限り戦闘を避け、フラッグを獲りに向かうのが桃兎騎士団の戦略なのだろう。お前を警戒しておるのだろう。正面からぶつかり合うのを避けているのだろうな。……と、なるといささか厄介なことになる」
先攻側である桃兎騎士団が提示した試合形式は『旗取り』。
相手側陣営に置かれたフラッグを奪った側の勝利となる。
敵を全滅するまで戦う『殲滅戦』や、敵の大将を狙う『大将首』と違い、高度な戦術とチームの連携が要求される試合である。
反面、選手個人の戦闘力が発揮しにくい試合でもあった。
「リドレックが逃げの一手を取れば。試合が長引けば、貴様の体力では追いつくことはできまい」
総督の前で豪語したにも関わらず、ゼリエスの体調を回復させることはできなかった。
三か月にわたる刑務所暮らしで鈍った体を、わずか四日間で回復させることなど出来るはずはない。
それでも新人王を一方的に叩きのめせる程度には回復している。
完調とは程遠い状況ではあるが、普通に戦う事はできるはずだ。
「問題ない」
剣技教官を安心させるため、ゼリエスは愛想のかけらもない返事を返す。
「リドレックごときは一撃で倒して見せる」
「大口を叩いてくれるではないか、ゼリエス?」
その態度が癪に障ったようだ。
シシノ教官は苛立ちを露わにして、ゼリエスに噛みついた。
「しかし、勘違いしてくれるなよ? 貴様の私怨を晴らすために、わざわざ刑務所から引っ張ってきたわけでは無い。《白羽》はあくまでも前座。本命は《無銘皇女》だと言う事を忘れるな」
「承知している」
ゼリエスがスベイレンに呼び戻された理由は二つ。
一つは、リドレック・クロストの抹殺。
ゼリエスが刑務所に居る間、リドレックは十字軍の手先となって密輸組織の摘発に力を貸していた。
シシノにとってリドレックは目障りな存在であった。
密輸組織の再編の為にも一刻も早く始末しなければならない。
もう一つは、スベイレンに居ると噂されている《無銘皇女》の抹殺。
嘘か真か、今年の新入生の中に皇太子殿下のご落胤が居ると言う噂がある。
その真偽を確かめた上、速やかに抹殺せよというのがベイマンの指示であった。
真耀流も堕ちたものだ。
いるかどうかも判らない小娘一人を殺す為、わざわざゼリエスを刑務所から引きずり出さねばならないとは。
「殺しの現場を目撃されるとは、何という失態。本来ならば抹殺される所を、貴様の腕を惜しんだ宗主様の特別な計らいで生かしておいてくださっているのだ。宗主様の温情に報いるためにも、一層の奉公に励め。殺ししか能のない貴様をこうして使ってやっているのだ、感謝しろ!」
「…………」
おとなしく聞いていると思って、シシノ教官はますますつけあがる。
ベンチに腰掛けているゼリエスに顔を近づけ、シシノは嘲るように笑った。
「ついでに私に対する感謝も忘れてくれるなよ? 私が居なければお前は今だに塀の中だったのだからな」
恩着せがましい事を言っているが、実際に刑務所から出られるように手配したのは総督であって、シシノ教官自体は何もしていない。
他人の成果を自分の手柄であるかのように吹聴するのは彼の特技であった。
剣技教官の地位につけたのも、彼の巧みな処世術の賜物である。
「道楽貴族をたきつけて、ここまで舞台を整えるのは大変だったのだぞ? せめて礼の一つでも言って欲しいものだな?」
「感謝しているさ、いるからこそ……」
光子剣を展開。
一挙動で抜剣すると、シシノの喉元目がけて突き出した。
「こうして、お前を殺さないでおいてやっている」
「……なっ!」
突き付けられた剣先を見つめ、シシノは絶句する。
スベイレンの剣技教官などこの程度だ。
病み上がりの鈍った体のゼリエスの動きに、反応することすらできないほど鈍い。
「いつから『師範』に向かって偉そうなことを言えるようになった? シシノ『教官』?」
ゼリエスは真耀流の免許皆伝。
真耀流の全てを納めたゼリエスは、師範として門下生たちを指導する立場にある。
対して、シシノ教官は中伝目録。ゼリエスよりも二階級下の位置にある。
学校では教師と生徒であったが、真耀流の中では師範と門弟と立場が逆転する。
武芸の世界において、師弟関係は絶対である。
「立場をわきまえろよ、シシノ」
「……は、はい。師範!」
首筋から剣を離すと、剣先でシシノ教官の腰に巻かれている剣帯を指し示す。
彼らの複雑な関係は持っている剣にも如実に表れている。
ゼリエスの持つ剣には、皆伝を示す緋色の柄紐が巻かれている。
対して、シシノ教官の剣に巻かれている柄紐の色は中伝を示す浅黄色である。
「心配せずとも仕事はきっちりやってやる。先ずはリドレック。次に《無銘皇女》だ」
おとなしくなった所で、剣を収める。
頃合いよろしく、試合が始まる時間になった。
「時間だ、選手以外は出て行ってくれ!」
控室に試ゼリエスを呼びにやってきたのは、トイル・レナクランであった。
この試合で主将を務めるトイルは、控室に押しかけて来た剣技教官を快く思ってはいなかったようだ。
教官が一人の選手に肩入れするのは本来ならばルール違反だ。
こうして控室で二人きりで密談できるのは、ゼリエスが囚人であり、シシノは監視役であるからだ。
「貴賓席で見ている。お手並み拝見だ、師範」
そう言い残すと、シシノ教官は控室を出て行った。
控室から教官を追い払うと、トイルはゼリエスに視線を向ける。
トイルが快く思っていないのは教官だけでは無い。
ゼリエスを見下ろすその視線は、冷ややかであった。
「いいか、勝手な真似はするんじゃねぇぞ。ゼリエス」
ゼリエスの眼前に人差し指を突き立て、トイル主将は言った。
「お前が何故スベイレンに戻って来たのか、この試合にどんな意図があるのかなんて今更訊きはしない」
荒くれ集団の黒鴉騎士団の中でもトイル・レナクランはとびっきりの荒くれ者である。
おおよそ指揮官向きでない彼が主将を務めている事を見ても、今回の試合が勝敗を考慮しない遺恨試合であることを示していた。
「少しでも妙な動きを見せたら、黒鴉騎士団全員でお前を叩きのめす。人殺しが出来るのがお前だけだと思うなよ?」
センスのかけらもない脅し文句を無視して、ゼリエスは立ち上がる。
控室を出ればすぐそこに入場門に出る。
他の出場選手たちは、入場門前で既に整列していた。
チームメイトたちは遅れてやってきたゼリエスを一斉に振り返る。
その視線はトイル同様、冷ややかであった。
敵意に満ちた彼らの視線を、ゼリエスは気にも留めない。
彼らに関わっている余裕は、今のゼリエスには無い。
ゼリエスが戦うべき真の敵は、闘技場の向こう側に居る。
◇◆◇
試合方式が発表されると、次は陣地構築が始まる。
陣地構築は後攻側の権利である。
罠を仕掛ける、防壁を設置する等、これから戦うフィールドを自軍に有利なように設定できるのである。
審判の合図で陣地構築開始されるはずなのだが、黒鴉騎士団寮側に動きは無い。
「……出てこないな」
グラウンドの様子を窺がいながら、ライゼが呟いた。
結局、黒鴉騎士団寮の技術者たちが姿を現すことなく、陣地構築は終了した。
入場門から先に広がるのは、初期設定のままの緩衝材を敷き詰めただけのグラウンドであった。
「どうやら黒鴉騎士団側は陣地構築権を放棄するつもりらしい」
「相変わらずの貧乏所帯だな」
グラウンドを見つめながらラルクが苦笑する。
貧乏所帯で黒鴉騎士団寮は陣地構築に回せるだけの予算も無ければ、罠を仕掛ける技量を持った技術者もいない。
仕掛け無しのオープン・フィールドで正面から殴り合に持ち込むつもりなのだろう。武闘派集団の黒鴉騎士団寮らしい、潔い戦術だ。
「だが油断はできないな」
闘技場から視線をそらすと主将を務めるライゼは、選手たちに向き直る。
「黒鴉騎士団は腕利き揃いだ。ゼリエスは勿論だが、主将のトイル・レナクランをはじめ他の選手たちの実力も確かだ。正面から戦ったらこっちがやられる。序盤はこちらから仕掛けずに、相手の出方を見守るとしよう」
ライゼは相手の出方に関わらず慎重策をとるつもりらしい。
「今回の試合は《旗取り》だ。相手の旗を奪い取れば俺達の勝ちだ。そこで、チームを二手に分ける。旗を取りに行く攻撃チームは俺とラルクとリドレック。そして、自軍の旗を守る守備チームはお前達三人だ!」
隅に居る三人の少女達に向かって、声を張り上げる。
「お前達は旗の守備に専念しろ。開始点の旗の位置から一歩も動くんじゃないぞ。……って聞いてるのか、お前らは!?」
「うんっ。聞いてる、聞いてるよ」
準備運動をしながらメルクレアが答える。
ライゼの説明に耳を傾けながらも、ストレッチに余念がない。
「私たちは守備に専念、ですよね。聞いてますよ」
武器の手入れをしながらシルフィが答える。
新しく用意した重量級の武器、薙刀の攻撃力は抜群である。
「旗の守備に専念しろ、でしょう? わかりました」
フィールドを窺がいながらミューレが答える。
彼女が見つめているのは相手陣地にはためくフラッグである。
端から作戦に従うつもりなど無いのだろう。三人そろってライゼの説明を聞いていなかった。
隙あらば命令を無視して攻撃に加わるつもりなのだ。
「命令を無視したら、寮長に頼んで厳罰に処すからそのつもりで居ろ!」
血気盛んな少女達に、無駄だと知りながらも、釘をさしておく。
さらに、説明を続ける。
「攻撃チームは相手陣地に踏み込んで旗を取りに行く。戦闘は可能な限り避け、相手のスキを窺がって旗を取りに行く――わかったな?」
最後の一言は、リドレックに向けたものだ。
その『姑息』な戦術に、リドレックが否定的であることはライゼも承知しているはず。
それにもかかわらず、ライゼがこの戦術を選択したのは――他でもない、リドレックのせいだった。
弱体化したリドレックは戦力としてあてにはならない。『姑息』な戦術でも使わない限り、ゼリエス率いる黒鴉騎士団を相手に戦う事はできない。
「……ああ」
不満げな口ぶりでリドレックが頷くと、ライゼは話を締めくくる。
「よし! そろそろ試合開始だ。全員、闘技場に出ろ!」
ライゼが命じると、選手たちは闘技場へと向かった。
入場門へと向かう途中、リドレックとメルクレアとすれ違った。
メルクレアは何か言いたげな視線をこちらに向けるが、
「…………」
結局、何も言わなかった。
小脇に抱えていたヘルメットをかぶり闘技場へと出る。
彼女がリドレックに失望しているであろうことは、口に出さずともわかっていた。
メルクレアの指摘通りリドレックは衰えていた。
原因は他でもない、このスベイレンでの生活だ。
リドレックを鍛え上げたのは、戦場での過酷な日々だ。
生と死が錯綜する、極限の緊張感が彼の内に眠る才能を開花させた。
しかし今のリドレックに、その命を脅かす敵は存在しない。
保障された日常が、リドレックの戦士としての資質を堕落させたのだ。
スベイレンに帰還してからリドレックは、務めて戦場での緊張感を忘れないよう心掛けていた。
生徒達や、同寮の仲間達――特にメルクレア達新入生三人とは接触しないようにしていた。
たった、一月。
一月戦場を離れただけで、ここまで鈍った。
今のリドレックには、戦場で研ぎ澄まされた感覚を失っている。
それでも、行かねばならない。
闘技場にはゼリエスが居る。
かつて友と呼んだ――人殺しが、リドレックを待っている。
◇◆◇
「斯くして、彼らは還って来た! 共に学んだこの学び舎、共に戦ったこの闘技場。そう、ここスベイレンに還って来たのです」
総督の声に一層力がこもる。
長々と続いたこの前説も、ようやく佳境に近づいていた。
メインイベントを前にして闘技大会の主催者であるランドルフ総督は、この試合に至るまでの経緯を聴衆に向けて語って聞かせた。
虚実織り交ぜて語る物語の中では、ゼリエスは剣一筋の好青年であり、リドレックは正義感溢れる熱血漢として描かれていた。
その一途さ故に辻斬りという凶行へと走ったゼリエスを、友情と板挟みに悩みつつもリドレックが告発する――と言うのが大まかなあらすじである。
話しぶりも板についたもので、特にリドレックが心の傷を癒すために巡礼の旅へと赴くくだりには、観客席のそこかしこからすすり泣く声すら聞こえて来た。
「運命か、はたまた宿命か!? 咎人として外道に堕ちた狂戦士、ゼリエス・エト。騎士として正道を歩む、英雄リドレック・クロスト。かつて友と呼んだ二人の騎士は、このスベイレンの地にて敵同士として刃を交えるのです!」
講釈師、見てきたような嘘をつき。
次から次へと飛び出る嘘八百を、横で聞いていた校長はあきれ顔で聞いていた。
「臣民よ、括目せよ! 若き騎士たちの戦いを! スベイレン万歳!!」
『スベイレン万歳!』
「ハイランドに栄光あれ!!」
『ハイランドに栄光あれ!』
いつもの唱和が終ると、観客達はランドルフ総督に向けて一斉に拍手を送る。
闘技場の盛り上がりは最高潮へと達した。
あとは試合が始まるのを待つだけだ。
「遅くなりまして、申し訳ありません総督」
「おお、来たか! シシノ教官」
丁度その時、シシノ教官が貴賓席へ到着した。
控室から駆けつけてきたシシノ教官を、総督は笑顔で出迎える。
「して、人斬り殿の様子はどうだ?」
「万全であります」
「そうか、そうか。ならば良い。ご苦労だったな、シシノ教官。もうすぐ試合が始まる。それまで、一杯飲んで落ち着くがよい。そこに食い物もあるから、好きな物をつまんでくれ」
「では遠慮なく」
勤務中にもかかわらず酒を飲むシシノ教官を、忌々しそうに校長が見つめる。
この一週間の間で、騎士学校内の勢力地図は大きく様変わりした。
先週の闘技大会が終わるまで、総督と校長は良好な関係を築いていたが、 ゼリエスの復学の件で二人の間には深い溝ができていた。
代わりに総督に接近したのがシシノ教官である。ゼリエスの帰還を支持すると同時に総督に取り入った。
先代の総督の時もシシノ教官は周囲から腰巾着と揶揄されていた。
世渡り上手のシシノは総督に取り入り、後ろ暗い事に手を染めていた。羽振りの良い生活は、それが唯の噂でないことの証であった。
「どうだ、校長。見事なものでは無いか」
会場を見渡し、校長に声をかける。
客の入りは上々であった。前売り券はすべて完売。当日券も満員札止め。中に入れなかった観客と係員とで、場外ではちょっとした騒ぎが起きていた。
全て総督の読み通りであった。観客達は皆『残虐な殺人鬼と、地上帰りの英雄』の戦いを見に来ていた。
「前売りはすべて完売。当日券も満員札止めだ。笑いが止まらんな」
「……はあ」
「これでスベイレンもテロ事件以前の活気を取り戻した。やはりゼリエスを呼び戻したのは正解であった。私の読み通りよ」
自らの差配を得意満面で自賛する。
それは同時に、ゼリエスの復学に最後まで反対した校長に対する当て擦りでもあった。
「そろそろ時間だな」
時計を見て頷く。
就任から一か月、総督も闘技会の主催者という立場がすっかり板についてきた。
今では対戦カードの手配から司会進行までの一切を、一人で取り仕切れるほどになっていた。
「試合を始めよう。さあ、鐘を鳴らせ!」
審判席に向かって手を振った。
それは、試合開始の合図であった。




