21. 新人王の涙
負傷したサイベルは訓練場内にある控室に運び込まれた。
幸いなことに、サイベルの怪我は大したものでは無かった。
医務室に行くほどの負傷では無いため、サイベルは一先ず控室のベンチに寝かされ様子を見ることにした。
「大丈夫か?」
傍らには付き添い役のマクサンがいた。
控室に他に人はいない。
ゼリエスに貫かれた喉元もようやく落ち着いてきた。
控室の天井を見上げ、サイベルは呟いた。
「……一年前」
「うん?」
「覚えていますか? 俺のデビュー戦」
「ああ、そりゃあ覚えているさ」
「ちょうど今から、一年くらい前ですよね。あの時もあなたは反対した『新人にはまだ、早すぎる』って」
「……ああ、そうだったな」
「そして、あなたの反対を押し切って俺は試合に出た。その相手というのが……」
「リドレックだ」
マクサンは笑った。
初めて闘技大会に出場したサイベルだったが、相手が前年度成績最下位の《白羽》だと知って緊張することなく全力で戦う事ができた。
「試合結果は、俺の勝ちでした」
デビュー戦を勝ち星で飾ったサイベルはそれ以降も順調に勝利を重ね、とうとう新人王の地位にまで上り詰めた。
平民出身の新人王はスベイレンのみならず、天空島中の話題になった。
あの時が、サイベルにとって人生の頂点であった。
「あれから一年。たった、一年しか経っていないのに……」
あのデビュー戦から一年。
対戦相手のリドレックは英雄としてスベイレンの頂に立ち、一方、サイベルは無様に控室で寝転んでいる。
何でこんなことになったのか、自分でもわからない。
一体、どこで道を間違えたのか――
「お前がこの学校に来た時のことは良く覚えているよ」
遠い目をしながら、マクサンは優しく語り掛けて来た。
「ドーネン商会の若旦那が来るって、大騒ぎだったんだぜ? そんで、いざ来てみたらこんなクッソ生意気なガキときたもんだ。おまけに腕がたちやがるから始末に負えない。ホント、お前ほど手のかかる新人はいなかったぜ」
入学したての頃を思い出し、サイベルは赤面する。
商家の出であるサイベルは、なめられないように気を張っていた。
他の貴族出身の新入生達といざこざを起こすのは日常であり、マクサンに
「万年下位クラスの黄猿騎士団寮には過ぎた人材だよ。寮長はお前に新人王取らせるんだって大張り切りだった。デビュー戦の相手も慎重に選んだ。新人のお前でも勝てそうな相手で、それでいて注目が集められそうな相手とういう理由でリドレックを選んだ。対戦にこぎつけるのに、随分と金がかかったんだぜ」
「……え?」
「最下位とはいえ相手は上級生だ。新人が戦えるわけないだろう? 黒鴉騎士団寮に多額のファイトマネーを振り込んで、最後は俺がリドレックの所に出向いて直接交渉したんだ。まあ、あいつは酒瓶一本であっさりと引き受けてくれたがな」
「それじゃ、八百長……」
「それはない。リドレックに勝ったのは掛け値なし、お前の自身の実力だ」
サイベルの疑惑を、マクサンはきっぱりと否定する。
「リドレックだってスベイレンの学生騎士だ。わざと負けたりなんかするものか。考えたことあるか? 下級生にやられる屈辱が? 負けるとわかっていて、それでも闘わねばならない虚しさが」
「…………」
強大な敵を前にした時の恐怖。
向けられる憐みの眼差し。
勝てないと知った時の絶望。
それらは敗北を知らないサイベルにとって、今まで味わったことの無い感情であった。
「世の中にはな、勝ち続ける強さもあるが、負け続けてなお戦い続ける強さっていうのもあるのさ――今のお前ならば、それがわかるはずだ」
突き放す様に言い残すと、マクサンは控室から出て行った。
それは、マクサンの気遣いであった。
そう、マクサンは常にサイベルを気遣ってくれていた。
今にして思えばデビュー戦を反対したのも、打たれ弱いサイベルの性格を見抜いていたからだ。
敗北によって落伍者にならないようにと、気遣ってくれていたのだ。
黄猿騎士団寮を飛び出したときも、最後まで引き止めてくれたのは彼だった。
マクサンだけでは無い。
寮長をはじめ黄猿騎士団寮のみんながサイベルを気遣ってくれていた。
新人王を獲得できたのは、彼らの影ながらの尽力があったからだ。
レギュラーを外されたのも、サイベルの為を思っての事だった。
裏工作の対戦カードを組まれてきたサイベルは、今まで自分より弱い相手としか戦ってこなかった。上級生になって成績が伸び悩んだのはそのためだ。
そんなことも判らず、レギュラーを外された事を不服としたサイベルは桃兎騎士団寮への移籍を決めてしまった。
そして、リドレック。
彼はサイベルの咬ませ犬と知りながら、デビュー戦の相手をしてくれた。
負け犬の気持ちが、負け犬でありながらも戦うリドレックの気持ちが、今のサイベルには良く分かる。
何もわかっていなかったのだ。
自分がこんなにも多くの人に支えられて生きてきた事に、
そして、そのことに気が付かないほどに慢心していたのだ。
ベンチに横たわったまま、サイベルは泣いた。
誰もいない控室で、その嗚咽を耳にする者はいない。




