18. スベイレンの鏡
ゼリエス帰還の一報は、瞬く間に広まった。
着陸上で行われた残虐極まる決闘は既に忘却の彼方へと消えて行ってしまっていた。
スベイレン中の生徒達の話題は、ゼリエスの事でもちきりになった。
各騎士団寮では早速対応に追われることとなった。
スベイレン最強の剣士が復帰するとなれば、闘技大会にも影響を及ぼすことになるだろう。
近い将来、彼と対戦することになるであろう騎士団寮は、今後の対策を協議すると同時に、情報集めに奔走していた。
ここ、桃兎騎士団寮でも同様。
騎士団寮の中核を担う主力選手達は、いつもの談話室に集合していた。
「……とんでもないことになったな」
重苦しい口調でライゼが呟いた。
「ああ、リドドレックだけでも頭が痛いのに」
ラルクが答えると、その後をさらにミナリエが続く。
「何を考えているんだ総督は! よりにもよってゼリエスを引っ張り出してくるなんて!」
「何も考えていないんだろうよ。あの人の頭の中は闘技大会の事だけだ。リドレックの対戦相手に丁度いいと思って連れて来たんだ」
「どっちが勝つかな?」
こんな時でも勝敗が気になるらしい。
探るような目つきで尋ねるサイベルに、ライゼは思案するようなそぶりを見せた。
「わからんな。だが、二人とも実力は相当なものだし、手加減ができるような器用な奴らじゃない。どっちが勝つにしろ、ただでは済まんだろうな」
深刻な表情を浮かべると一同は口をつぐむ。
「……あの、ちょっといいですか?」
神妙な面持ちの上級生達に、メルクレアが恐る恐る声をかける。
「あのゼリエスって人、一体何者なんですか?」
「ああ、お前達は知らないんだっけ」
話についていけない新入生に、ライゼが苦笑する。
入学して間もない彼女達はゼリエスの事を知らない。
あわてふためく上級生たちを不思議そうに見つめる彼女達に、ライゼは説明を始める。
「奴はゼリエス・エト。黒鴉騎士団寮に所属していた騎士学校の生徒、だった……」
過去形で答えるとライゼはそれきり黙り込んでしまった。
あまり多くの事を語りたくないらしいことは分かるが、これでは事情がさっぱりわからない。
「どういう人なんです?」
シルフィが先をうながすと、ラルクとミナリエが口を開いた。
「まあ、愛想のない男だよ。剣一筋、っていうか剣術バカだな。いつも剣術の事ばかり考えていて、他の事には一切興味を示さなかった。そのストイックなところがいいのか、意外と女にはモテてたな」
「私とラルク、そしてリドレックとは同期だ。よく四人で連れ立って遊びに出かけたものだ。特にリドレックとは同じ黒鴉騎士団寮ということもあって仲が良かった」
本当に仲が良かったらしく、二人は懐かしそうに語った。
「強いの?」
「強いなんてもんじゃねぇよ」
メルクレアの率直な質問に答えたのはサイベルだった。
「真耀流の使い手で、腕は免許皆伝。道場じゃ負け知らず。剣を持たせれば右に出るものはいない。名実共にスベイレン最強の剣士だ。門下生の間じゃ《無明》を会得しているんじゃないかって噂されているくらいだ」
「《無明》?」
聞き覚えのない単語に、メルクレアが疑問符を浮かべる。
剣術に無知な後輩の為に、ライゼが説明を始める。
「活人剣である真耀流の中にあって、殺人のみを追求した技の体系がある。それが《無明》だ。真耀流の秘奥とされ、皆伝者のなかでも特に選ばれた者のみが体得することを許されると言われている」
「そして、その殺人剣を体得した者のみで構成された暗殺集団が、真耀流に存在すると言われている」
苦笑交じりに真耀流の秘奥を語るライゼに、ラルクがおどけた調子で割り込んでくる。
「この隠密集団は皇室剣術指南役である真耀流の地位を脅かすあらゆるものを密かに抹殺するべく、帝国の裏社会で暗躍を続けている――って言う根も葉もない噂だよ、うわさ」
「所謂、陰謀論と言う奴だ。暗殺、政変、戦争――大きな事件が出てくると必ず《暗剣》の名が出てくる。例のあの事件の時も、裏で暗躍していたという話だ」
ライゼが言う『例のあの事件』とは、三年前に起きた皇太子暗殺事件の事である。
「そもそも、あいつは出自を含めて経歴に謎が多い。免許皆伝を得た経緯についても不明だからな。いくら腕が良くても、あの若さで皆伝を与えられるなんてありえんからな。そんな噂も信じたくなるのさ」
「それで、何で退学になったんですか?」
シルフィが核心に触れる質問をすると、再び上級生達は黙り込んでしまった。
やがて、ライゼが重い口を開く。
「辻斬りをやらかしたのさ」
「辻斬りっ、て……」
「人を斬ったんだよ。それも相手は一般市民、セイア・エミエールっていう交易商人だ。他にも複数の人間を殺害している。犯行が行われた港湾地区では、ここ一年ばかり失踪者が相次いでいる。おそらく、ゼリエスの仕業だろう」
無辜の市民を手にかける非道な犯罪に、新入生達は絶句する。
「何でそんなことを?」
メルクレアの問いに、ライゼは肩をすくめる。
「辻斬りに理由なんてあるものか。腕試しか、試し切りか……。いずれにしろ碌な理由じゃないだろう」
「剣術の世界じゃ、人を斬った数だけ強くなれると考えられている。一人斬れば初伝の腕前、ってな。辻斬りも剣術修行の一環だったんだろうな」
ライゼの後を、サイベルが補足する。
サイベルもまた真耀流の門下生である。先輩の引き起こした犯罪に思う所があるらしく、その表情は固い。
「……でも、ちょっとおかしくありませんか?」
今まで黙って聞いていたミューレが、疑問を口にする。
「騎士学校の生徒は騎士と同格の扱いを受けることになっているはず。貴族特権により、一般人の法によって裁かれることなどないはずです」
特権階級にある貴族は法の裁きを受けることは無い。それは、法の庇護を受けることが出来ないことを意味している。
責任ある貴族達は、平民を無差別に殺害する非道を看過することはない。 度を越した流血貴族には貴族社会による制裁が待ち受けている。
大抵の場合は周囲の圧力により自死に追いやられる。
それすらも拒絶した場合は、速やかに暗殺される。
「確かにミューレの言う通りだが、今回の場合は例外だ。まず、物的証拠が見つかっていない。ゼリエスが殺したと言われている被害者たちの遺体は見つかっていない。ゼリエスがうまく処分したんだろうが、遺体が見つからない以上、殺人として立件はできない」
釈然としない様子のミューレに向かって、ライゼは説明を続ける。
「今回の事件が発覚したのは、辻斬りを目撃した騎士学校の生徒からの告発があったからだ。同じく貴族特権を持つ騎士学校の生徒からの告発では、裁判所も認めないわけにはいかない。ゼリエスは逮捕され、一般人と同様に裁判行われることになった。その前に、精神鑑定が行われることになって、奴は医療刑務所に放り込まれたというわけだ」
そこまで説明すると、ライゼは深くため息を吐いた。
口下手なライゼにこのような気が滅入る話をさせるのは、とてつもない負担をかけることになる。
疲れた表情のライゼの後を引き継いで説明を始めたのはラルクだった。
「その告発した生徒と言うのが、リドレックなんだよ」
「え? それじゃあ……」
「そう、リドレックは親友の犯罪を告発したんだ」
衝撃の告白に、再び新入生達は息を飲む。
「……リドレックは何でそんなことを?」
かすれた声でメルクレアが訊ねると、ラルクは悲しそうに頭を振った。
「それは俺にもわからない。リドレックに事件の詳細を問いただそうとしたんだが、ゼリエスが逮捕されたのが今から三か月前、夏休みに入る直前だ。新学期が初まってからも、色々と騒ぎがあってあいつとは落ち着いて話が出来なかった。その矢先に、突然コレだよ。俺達も何が何だかさっぱりわからん」
そう言ってラルクは首をかしげた。
結局のところ、ゼリエスについて詳しい事情を知っているものは誰もいないと言う事だ。
発言する者がいなくなり、談話室が静寂に包まれると、
「あー、やっと終わった」
談話室の対面。
寮長室の中から、くたびれた様子のヤンセンが出てきた。
「それで、どうだったんだ?」
「寮長に滅茶苦茶怒られた」
げんなりとした表情で答えながらソファーに腰掛けると、テーブルの上にあるティーポッドに手を伸ばす。
すっかり忘れていたが、彼は着陸上で行われた決闘で人体実験をやらかすと言う暴挙をしでかしていた。
そのせいで、桃兎騎士団寮には関係各所から苦情が殺到。事件の当事者であるヤンセンは、エルメラ寮長にこってりとしぼられることとなった。
「そもそも、今回の実験を言い出したのはリドレックなんだぞ。なんで俺が怒られなくちゃならんのだ?」
「当たり前でしょう」
ぼやきながら茶に口をつけるヤンセンに、ミナリエが咎めるような視線を投げかける。
「決闘のついでに人体実験なんて、いくらなんでも非常識すぎます」
「別にいいではないか」
寮長の説教も無駄だったようだ。
悪びれた様子も無くヤンセンは答える。
「決闘なんて命を弄ぶような行為だ。ならばその安い命、医学の進歩の為に活用したほうがよっぽど有効ではないか?」
「毒を注入された三人は、未だに病院のベッドの上なんですよ!? 彼らが死ぬようなことにでもなれば、どうするんですか!? 」
「その点ならば問題ない」
声を荒らげるミナリエに、ヤンセンは笑いながら手を振る。
「分析結果によると、あの三人に注入したのは毒じゃなかった」
「では何だったんです?」
「解毒剤だよ。〈毒蛇の大槍〉には三種類の毒と、それに対応する三種類の解毒剤が用意されていたのさ。腐食ガスの解毒剤もあったから、三人とも無事だ」
「……良かった」
三人の無事を聞いて、ミナリエが胸をなでおろす。
「実験を行うにあたって、安全性については十分配慮してあった。救急隊も待機させていたし、あらゆる毒に対応できるように血清も大量に用意しておいた。私も現場に赴いて万一の場合に備えていたし、リドレックも相手を死なせないように手加減していたしな」
「……あれで?」
いきなりの毒霧攻撃で、相手の戦闘力を無力化。
無防備となった相手へ容赦なく槍を突き立てた――どう見ても手加減しているようには見えなかった。
疑わしげな表情を浮かべるメルクレアに、ヤンセンは苦笑する。
「人の生き死に対する見切り、っていうものをリドレックは心得ているのさ。どの程度の怪我で死ぬか、どの程度の怪我で殺せるか。そういう見極めがあいつにはできるのさ。闘技大会で何度も死にそうな目にあいながら、体で覚えた技術だ――さて、そろそろ行くか」
カップの中の茶を一気に呷ると、ヤンセンは立ち上がった。
「どこに行くんですか?」
忙しない様子のヤンセンに、シルフィ―が訊ねる。
「決まっているだろう、研究室だ。解毒剤が判明したんだ。早速、量産に取り掛からねばならん」
夜食にするつもりなのだろう、テーブル脇にあるワゴンから、マフィンを二、三個掴むと、白衣のポケットにねじこんだ。
「〈毒蛇の大槍〉の前の持ち主はランディアンの酋長だ。リドレックに倒されるまで、多くの十字軍兵士と民間人が槍の犠牲になった。地上では、今も毒の影響に苦しんでいる人々が大勢いる」
「それじゃ、犠牲者を救うために?」
「まあ、そう言う事だ。ランディアンの文化形態を分析することは、地上での戦いを有利に進める上で重要なことだ、……ってのはリドレックの受け売りだがな」
目を瞬かせるシルフィ―に向かってそう言い残すと、ヤンセンは談話室から立ち去った。
『…………』
談話室に沈黙が降りる。
リドレックの行動は、ここに居る全員の理解を超えるものであった。
三人の命を危険に晒したのも事実ならば、その一方で大勢の命を救ったのも事実である。
冷酷さと慈愛を併せ持つ彼の姿を、どう表現すれば良いのか言葉がみつからない。
「……鏡だな」
ライゼのふとしたつぶやきが、重苦しい沈黙を突き破る。
「あいつは俺達の――この学校の鏡なんだよ。より強く、ただ強く。純粋に力のみを追い求めた結果、完成したのがリドレックなんだ」
スベイレンの歪なシステムが生み出した鬼子。
それはスベイレンの学生たちの姿を映し出した鏡だった。
「リドレックは、この学校の生徒全てが目指している理想の騎士のあるべき姿だったんだ。そして、ゼリエスも……」




