表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天宮の煌騎士〈ルキフェリオン〉  作者: 真先
【EpisodeⅡ. 狂戦士の帰還】
52/104

13. 午後の騎士団寮

「お世話になりました」


 深々と頭を下げるトーニを見おろし、言葉少なにライゼがうなずく。


「……ああ。じゃあな」


 余計な言葉はかけたりはしない。下手な慰めや応援は、相手をより一層傷つけてしまうだけだ。


 顔を上げるとトーニは微笑んで見せた。その無理やりな作り笑いには、落伍者の哀愁が感じられた。

 彼の右腕はギプスで固定されていた。空いている左腕で手荷物を拾い上げると、トーニは桃兎騎士団寮を立ち去ってゆく。

 玄関をくぐり中庭へと消えてゆくトーニの後姿を、ライゼは無言で見送った。

 それが監督生として彼にしてやれる、最後の仕事だった。


 新学期が始まって一月が経過した。

 スベイレンでは毎年、騎士になるため多くの新入生達が入学する一方、多くの新入生達がこの学校を去ってゆく。


 所謂『四分の一の法則』と言う奴だ。

 新入生の四分の一が一か月の間にこの学校を去ってゆく。

 二分の一が半年の間に、そして残りの半分が一年の間に辞める。

 一年後には新入生は四分の一しか残らない。


 桃兎騎士団寮でも、順当に新入生たちの数を減らしていった。

 学校ではそろそろ午後の授業が始まろうかと言う時刻。

 今ならば他の寮生達に無様な姿を見られることなく、寮を立ち去ることが出来る。

 夜逃げならぬ、昼逃げというわけだ。


 志半ばで学校を立ち去る新入生達を見送ることは、監督生の義務だとライゼは思っていた。

 これは以前所属していた橙馬騎士団寮に居た頃からの習慣だった。

 監督生として新入生を育て上げることが出来なかった――己の不甲斐無さを刻み付けるためにライゼは寮を出て行く生徒、一人一人を玄関先に出て見送ることにしていた。


 自責の念に浸っていると、中庭を横切り一人の生徒が寮に戻って来た。


「リドレック?」


 トーニと入れ替わりに玄関をくぐって寮の中に入って来たのはリドレックだった。

 突然姿を現したリドレックに驚きつつも、すぐに思い出す。

 事情により桃兎騎士団寮を離れていたリドレックだったが、今日から寮に戻ってくることになっていた。

 こんな中途半端な時間に寮に帰って来たのは、引っ越しの準備をするためなのだろう。


 リドレックの姿を騎士団寮で見るのは随分と久しぶりだ。

 あの夜――リドレックと剣を交えた時以来だ。

 二人が戦ったのはこの場所、桃兎騎士団寮の玄関である。ライゼが破壊した扉も元通りに直してある。

 しかし、二人の関係までは修復できるものではない。

 気まずい空気の中、先に口を開いたのはライゼの方だった。


「総督府の仕事はいいのか?」

「ええ、総督が出張なんで。……今のは?」


 先程すれ違った新入生の事を言っているのだろう。

 リドレックは中庭を指さし訊ねる。


「新入生のトーニだ。……故郷に帰るそうだ」

「落伍者か……」


 嘲るようにふん、と鼻を鳴らす。


「遊び半分で騎士修行なんてするからこんなことになるんだ。」

「……そんな言い方をするな」


 その高慢な態度がライゼの癇に障った。

 語調を荒らげリドレックを窘める。


「トーニは試合中の怪我が原因でここを辞めざるを得なかったんだ。奴は奴なりに頑張ったんだ。侮辱をするもんじゃない」

「腕折られただけじゃないですか。もう骨もくっついているでしょうに」

「衆人環視の目の前で腕を折られ、痛みにのたうち回る様を全島中継で流されたんだぞ?」


 貴族社会は、何よりも名誉を重んじる。

 大衆の面前で無様な姿を晒してなお、学校に居続けるのは貴族のプライドが許さない。

 

「あいつの実家は名のある貴族なんだ。守らなければならない家名がある。体の怪我は直せても、傷ついた名誉だけは戻らないんだ」

「僕はナイトメアに轢かれて、内臓破裂で血を吐いてのたうち回る様を皆に見られましたけど、今もこうしてこの学校に居ますけどね?」

「…………」


 痛烈な皮肉にライゼは沈黙するしかなかった。

 リドレックが言っているのは前年度の最終戦の出来事だ。

 その時、リドレックを轢き殺そうとした対戦相手というのが、当時ライゼが所属していた橙馬騎士団寮である。


「いいよな、お貴族様は。ここを落ちこぼれても帰る所があるんだから」


 その皮肉に満ちた台詞の裏に、純粋な羨望が感じられた。

 リドレックの家庭の事情については、ライゼも詳しくは知らない。《白羽》と呼ばれ、周囲から蔑まれてなお、この学校に居続けるにはよくよくの事情があるのだろう。


「……ところで、どうしたんだ? その恰好」


 ライゼは、さりげなく話題を変えた。

 改めて見ると、リドレックは怪我をしているようだった。

 左腕には袖が通っておらず、上着を肩掛けしていた。


「訓練でちょっと。腕をやってしまいました」


 そう言うとリドレックは上着をまくって左腕を見せた。

 力なく垂れ下がった腕は、どう見ても骨折している。

 痛みを感じていない所を見ると、錬光技で痛覚を遮断しているのだろう。

 神経を操る錬光技は、高度な技術と集中力が要求される。状態で折れた腕を抱えてここまで歩いて帰って来るなど、並の術者にはできない芸当だ。


「…………」


 話題を変えるつもりが、深みにはまってしまった。

 間の悪さに気まずい表情を浮かべるライゼに向かって、リドレックが訊ねる。


「それで、新しい部屋はどこですか?」

「五階の二号室だ。荷物は既に運び込んである。……その前に、病院に行ったほうがいいんじゃないか?」

「いいですよ、この程度の怪我、自分で治せます」

「何言ってんだよ、折れてるんだろう? 意地をはらずに医者に診てもらえ」

「ライゼさんこそ、医者に診てもらったんですか?」

「え?」

「昨日、ボルブを叩き斬ったばかりでしょう? 医者には行ったんですか?」


 戦闘時の過度のストレスは、騎士の精神を大きく衰弱させる。

 精神状態を平静に保つためにも、騎士たちは定期的に医師の診断を受けなければならない。

 特に人を殺害した場合、精神科医のカウンセリングを受けるよう義務付けられている。


「いや、行ってない。大丈夫だ、このくらい。別に何ともないし……」

「だったら、僕も大丈夫です」


 そっけない返事と共にリドレックは立ち去った。

 

 折れた腕をぶら下げ平然とした足取りで歩いてゆくリドレックを見送ると、ライゼは疲れたように深々と嘆息した。

 

 ◇◆◇


 桃兎騎士団寮の五階。

 エレベーターを降りてすぐ目の前に、リドレックに新しくあてがわれた部屋はあった。

 往来の多い騒がしい場所であったがその分、一階への上り下りは楽だった。

 新しい部屋にリドレックは取り敢えず満足すると、部屋の中に運び込まれている手荷物の中から酒瓶を取り出した。


 引っ越し祝いの一杯――などでは勿論ない。

 酒瓶の中身はリドレック特製の薬酒だ。

 体内の新陳代謝を高めると共に鎮痛作用と睡眠促進の効果をもたらす、怪我の治療の前には欠かせない薬であった。


 ベッドに腰掛け、酒がまわってくる頃合いを見計らって治療を開始する。

 まず、左腕にかけていた錬光技〈痛覚遮断ペイン・ブロック〉を解く。

 薬酒の力で抑えられた鈍い痛みが左腕に広がる。

 

「……っ」


 痛みに耐えながらも左手に光子剣の柄を握らせる。

 円筒形の柄を固く握りしめる。

 固定された左手首を右手で掴み――思い切り引っ張る。

 錬光技による治療は危険が伴う。

 骨折の場合、変形した状態で癒着してしまうととても面倒な事態になる。

 自己診断は禁物なのだが、しかるべき施設と専門の医師に頼ると時間と金がかかる。

 先程あった落伍者のように、一週間もギプスをつけて生活などしたくは無かった。

 慎重に折れた骨の位置を合わせると、光子剣の中にある錬光石を媒介にして〈治癒ヒーリング〉の錬光技を発動。

 骨組織を活性化し接合面を癒着させる。

 左腕を軽く振り、治療の具合を確かめてみる。取り敢えず、腕は曲がっていないことを確認すると、ベッドに横になった。

 錬光技による疲労と薬酒の影響で、倦怠感と眠気がリドレックを襲う。

 心地よい睡魔に身をゆだね、リドレックはそのまま眠りについた。


 ◇◆◇


「……失礼します」


 寮長室を退出したミナリエが見たものは、疲れ切った表情のライゼだった。

 いつもの談話室。上等なソファーにライゼは深々と腰かけている。

老人のようにたそがれた様子の監督生に、ミナリエは恐る恐る声をかける。


「どうかしたんですか?」

「……なあ、ミナリエ。俺って空気、読めない奴なのかな?」


 ライゼはうなだれた姿勢のまま、突然そんな事を訊ねて来た。


「……はあ?」

「いや、ソフィーの時もさ、事情も知らずに色々酷い事を言っちまったし……。何か俺って、知らないうちに人を傷つけているようでさ。……無神経なのかな、俺?」

「……はあ」


 要領を得ない質問に答えようも無く、ミナリエは生返事を返す。


「……いや、何でもない。忘れてくれ。そっちこそ、何かあったのか?」


 疲れを振り払うように頭を振ると、ソファーから身を起こした。

 これ以上、詮索されたくなかったのだろう。寮長室から出て来たミナリエに、逆に問い返してきた。


「ええ。またリドレックが問題を起こしました」


 溜息をつくと、先程寮長から聞かされたばかりの話をする。


「学校で訓練相手を半殺しにしたそうです。相手は青象騎士団寮のエナク。まったく、たまに授業に出たと思ったらこれですよ!」

「ああ。それでか……」


 ミナリエが言うと、ライゼは納得したように深く頷いた。

 ライゼの態度を怪訝に思いながらも、話を続ける。


「監督生からも何か言ってやってくださいよ。昨日の事と言い最近のあいつの行動は目に余るものがあります。決闘の件もありますし、今からリドレックを探して来てくれと寮長に……」

「リドレックなら帰って来てるぞ」

「え?」

「さっき会った。今は部屋に居るはずだ」


 それだけ言うと、ライゼは再びソファーにもたれかかる。


「……そう、ですか。ありがとうございます」


 ライゼに礼を言うと、ミナリエはリドレックの居る部屋へと向かった。

 

 リドレックの新しい部屋はミナリエも知っている。何しろミナリエのすぐ隣の部屋だ。

 五階の上級生フロアにあるリドレックの個室の前まで行くと、ミナリエは荒々しくドアを叩く。

 

「リドレック! リドレック、居るか?」


 ドアの向こうに居るはずのリドレックに向けて呼びかけるが返事は無い。


「リドレック! 居るのは判ってるんだ! お前に話がある。ここを開け……て?」


 言いながらドアノブをひねると、簡単に扉は開いた。

 どうやら鍵がかかっていなかったらしい。不用心な、と思いつつも、ミナリエは部屋の中に入る。


「リドレック?」


 声をかけるが、返事は無い。

 誰もいないリビングを抜け、寝室に向かうと、ようやくリドレックの姿を見つけた。

 リドレックは服を着たまま横になっていた。何故か左手に光子剣を握りしめ、大の字になってベッドで寝ていた。

 健やかに寝息を立てるリドレックの姿を見ているうちに、無性に腹が立ってきた。


「おいっ! リドレック、起き……」


 ベッドから引きずり起こそうと、胸倉をつかんだその時、


「…………!」


 リドレックの体がベッドから跳ね上がった。

 ミナリエの腕を掴み、ベッドに引きずりこむと同時に体を入れ替える。その動きは素早く、淀みが無い。

 瞬く間にミナリエはベッドに押さえつけられてしまった。

 仰向けになったミナリエの体に、リドレックは馬乗りになる。右腕の関節を極めたまま、ベッドに押しつける。

 左手に握られた光子剣はいつの間にか起動状態にあり、光子の刃の先端はミナリエの喉元に突き付けられていた。


「……え?」


 リドレックの顔を見上げ、ミナリエは短くつぶやく。

 ミナリエを見下ろすリドレックの顔には、何の表情も浮かんではいなかった。

 

「…………」


 しばらくしてリドレックは、無言でベッドから降りた。

 光子剣をしまうと、ベッドに横たわったままのミナリエに向けて訊ねる。


「何の用だ?」

「……え? え、えっ」


 その時になって、自分がリドレックに殺されかけたのだと言うことに気が付いた。

 寝ているリドレックを起こそうとした、ただそれだけの事でミナリエは危うく命を落とす所だった。


 こんなにも簡単に人は死ぬのだ。


 身近に死を実感した瞬間、ミナリエの全身に冷たい恐怖が襲う。


「わ、私っ、わたしは、……あの。りょ、寮長に言われて……、その……」


 必死で弁明するが、言葉にならない。

 支離滅裂なことを言うミナリエから目を背けると、やはり無言でリドレックは部屋から出て行った。

 残されたミナリエはしばらくの間、ベッドの上から起き上る事すらできなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ