11. 昼休み
昼食を終えたリドレックと少女達は、中庭へと向かった。
騎士学校のそこかしこに設けられている緑地は、生徒達にとって憩いの場所である。
人工的に作られた天空島では緑地は貴重である。
学業、あるいは鍛錬の合間に緑地で過ごす休憩時間は、生徒達にとってささやかなぜいたくであった。
「ん~っ! 気持ちいい!」
芝生の上に寝転んで、メルクレアは大きく伸びをする。
天空島を覆うシールドを突き抜けて降り注ぐ柔らかい日差しは暖かく、心地よい。
昼食後でお腹も一杯。
このまま午睡を決め込みたいところだが、午後の授業があるためそうわけにもいかなかった。
「メルクレア、だめですよ眠っちゃ」
今にも眠りだしそうな様子のメルクレアを、シルフィが注意する。
「……午後の授業、何だっけ?」
「帝国史の授業よ」
答えたのはミューレだ。
芝生に腰掛け、午後の時間割を確認する。
「今日の授業は『四大公爵の台頭』じゃなかったかしら?」
「……うえぇぇっ」
げんなりとした顔で呻く。
戦国時代の終盤から四公体制が成立するまでは、帝国史の一大転換期にあたる。
重要な出来事が立て続けに起きるため、事件と年号、人名など覚えなければならないことがやたらと多い学生泣かせの時代である。
「もうさあ、今日はこのまま寮に帰っちゃおうよ?」
「そんなの駄目に決まっているでしょう」
メルクレアの提案を、シルフィは一言の元に却下する。
予想通りの答えだったが、それでもメルクレアは食い下がった。
「今日は特別だよ! だってさ、ホラ。リドレックが寮に戻ってくるんでしょう?」
桃兎騎士団寮の一員であるリドレックは、本来ならば他の寮生と共にこの騎士団寮で寝泊まりしなければならないはずであった。
今季から桃兎騎士団寮に移籍してきたリドレックは、新入生、それも女子生徒三人と相部屋をあてがわれた。
他に空き室が無かったとはいえ、年ごろの男女が同じ部屋で寝泊まりするのは風紀上よろしくない。
そういうこともあって現在、リドレックは寮を離れ総督府で寝泊まりしている。
丁度、新総督が就任したばかりの総督府は人手が足りない状態だった。空き部屋を自由に使用する交換条件として、リドレックは総督の秘書として働いていた。
新学期が始まり一か月。
ようやく上級生用の部屋を用意することができたので、リドレックは今日から寮で暮らすことになった。
「引っ越しとかいろいろ大変でしょ? あたし手伝ってあげるよ」
仰向けの姿勢からうつぶせに寝転ぶと、傍らにいるリドレックを見上げる
恩着せがましい事を言っているが何のことは無い、授業をサボる口実にしたいだけだ。
「必要ない。もう荷物は部屋に運びこんである」
目論見を見透かしたリドレックがきっぱりと断ると、メルクレアは別の口実を引っ張り出してきた。
「じゃあさ、引っ越し祝いやろうよ! あたしたち四人で、上級生用の食堂でさあ」
「それはつまり、晩飯も奢れと言う意味? 昼飯食べたばかりだと言うのに、この上まだ僕にたかるつもりか!?」
ひきつった顔をリドレックが向けると、メルクレアは口を尖らせる。
授業をサボるのはあきらめたようだが、それでも愚痴を言うのはやめなかった。
「大体、歴史の授業が難しいのがいけないのよ。政変だの戦争だの、同じような事ばかり繰り返してさあ。馬鹿じゃないの」
「……全部、お前ん家の一族がしでかしたことじゃないか」
公表されていないが、メルクレアは皇族の血を引いている。
帝国を築き上げ代々統治してきた皇帝とその一族は、帝国の歴史そのものと言ってもよい。
その歴史の中で繰り返される治世と動乱も、君主たる皇帝陛下の責任である。
「歴史を繰り返さないためにも、しっかり勉強しろ」
「いつまでも過去ばっかり振り替えたってしょーが無いじゃん。今の帝国に必要なのは、前向きな未来志向だと思うの」
「……まず、目の前にある現実を直視してください。皇女様」
メルクレアと帝国の将来に不安を感じていると、遠くからリドレックを呼ぶ声が聞こえて来た。
「おお、リドレック! ここに居たか」
「……ラルク?」
芝生の上でくつろぐ、リドレックたちの元へやって来たのはラルク・イシューだった。
中庭を横切り、手を振りながらこちらに向かって駆け寄ってくる。
「こんにちは、ラルク先輩」
「やあ、これはお嬢さん方。ごきげんよう」
シルフィが挨拶をすると、ラルクは柔らかな笑みで応える。
ラルクは全ての貴婦人に対する心配りを忘れない。それは後輩の女子たちであっても変わらない。
未来の淑女達に優雅なしぐさで挨拶をすると、リドレックに向き直る。
「学校に来ていると聞いたのでさがしていたんだ。珍しいな?」
「……ああ」
親しげに語り掛けるラルクに、リドレックは硬い表情を浮かべる。
「総督府の仕事はいいのか?」
「ああ、総督が出張でな……。時間が空いたんで、この子達の様子を見に来たのさ」
彼女たちは帝国内においては最重要人物であり、学内においては問題児であった。
刺客たちから守ると同時に、目を離すと何をしでかすかわからない彼女達を監視するため、リドレックはこうして彼女たちの傍に張り付いているのである。
「お前こそ学校にいるなんて珍しいじゃないか。何をしている?」
「何って、決まっているだろ? 授業だよ」
そう言うと、自分の姿を指し示す。
どうやら実技系の授業に出席するつもりらしい。
洒落者の彼が、今日は野暮ったい体操服姿だった。
「月曜から? 闘技大会の翌日だと言うのに熱心だな」
「第三格技場で棒術の授業だ。リドレック、お前も付き合えよ」
「……え?」
ラルクの意外な申し出に、リドレックは困惑するような表情を浮かべる。
「どうせ暇なんだろう? たまには授業に顔を出せよ。みんな喜ぶぜ」
「いや、僕は……」
「行ってきなさいよ、リドレック」
逡巡するリドレックに、メルクレアが意地の悪い笑みを浮かべた。
「ちゃんと訓練しないと、立派な騎士になれないわよ?」
「……う」
後輩たちの手前、リドレックとしても授業をサボるわけにもいかない。
ラルクに連れられて、渋々後をついてゆくリドレックを笑いながら見送ると、
「そこに居るのはメルクレア・セシエではないか」
突如、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには二人の少年が居た。
「こんな所で昼寝とは結構な御身分だな」
「食べてすぐ寝ると牛になると言うぞ?」
「この場合は豚と言うべきではないか?」
大仰な話し方をするこの二人は、青象騎士団寮のバーゼル・タコムと黄猿騎士団寮のゴードン・ベルナップである。
メルクレア達と同じ新入生で、授業でもよく顔を合わせる。
二人とも名家の出自であり、その出自を何かにつけ鼻にかける――有体に言うと、嫌な奴らである。
今日も芝生に寝転がるメルクレアを指して嫌味を浴びせかけてきた。
「食堂ではたらふく食べて寝ておれば、そりゃ太りもするだろうて」
「その点、我らは節制している故、余分な肉など付き様が無い」
「然り、パンの耳スープはお腹にも財布にも優しい!」
「ソーライスのコスパこそ最強!」
メルクレア達と違い、随分とさもしい昼食であったようだ。
つい先日、詐欺まがいの商売に引っかかった彼らは多額の負債を背負っていた。
実家からの援助もうけられず、未だに返済を終えていないらしい。
「……何なのよ、馬鹿コンビ」
くだらない漫才を続ける二人を、メルクレアは半眼で睨み付ける。
この二人は剣術の授業で叩きのめして以来、何かにつけメルクレアにからんでくる。
品のない彼らの嫌味など気にも留めていなかったが、鬱陶しくてしょうがない。
「学友に向かって随分な御挨拶ではないかメルクレア・セシエ」
「もうすぐ午後の授業が始まるぞ。遅れては困るだろうと、こうして声をかけてやっているのに」
言われて気が付く。
彼らの言う通り、いつの間にか授業が始まる時刻になっていた。
「いけない! 急ぎましょう、メルクレア」
シルフィに急かされ、メルクレアは立ち上がる。
気に食わない連中ではあるが、彼らの指摘はもっともだ。
このままでは授業に遅れてしまう。
居心地の良い芝生に別れを告げると少女達は連れ立って教室へと向かった。
広大な敷地面積を誇るスベイレン騎士学校では、教室間の移動は非常に面倒だった。
帝国史の授業が行われる教室までかなりある。
教室へと向かう長い廊下を歩いていると、二人の少年達が再び声をかけてくる。
「ところで、お前達。先程、上級生と話しているように見えたが……」
「あれはラルク・イシュー卿とリドレック・クロスト殿ではなかったか?」
「……? そうだけど、それがどうかした?」
そう答えると、二人は興奮したように深く頷いた。
「やはりそうであったか! 遠目に拝見しておったが、やはり違うな、お二人とも」
「うむ、その立居振舞からして他の生徒と一線を画しておられる」
新入生にとって、闘技場で華々しく戦う上級生はあこがれの存在であった。
学校の名士達を目の当たりにした彼らは、口々に褒め称える。
「リドレック殿はさすが戦場帰り。死線を潜り抜けた凄味というものが感じられる」
「イシュー卿は近いうちに子爵家を継がれるそうだ。何と言うか、こう、威厳というものが感じられるな」
自分達の先輩を褒められるのは悪い気分では無かった。
しかし、少年たちの手放しの賞賛に、メルクレアはかすかな違和感を覚えた。
(……そういう風に見えるものなのかな?)
同じ寮のメルクレアは、彼らの素顔を知っている。
ラルクは女性に対してだらしがないし、リドレックはぼんやりとしてしまりがない。
それは勝手な思い込みで美化された立派な人間では無い、何処にでもいるような普通の少年たちの姿だった。




