4. 怒れる乙女
リドレックはエルメラの用意した自室に向かった。
寮長室は一階。三階までなら歩いて行ける距離だ。エレベーターを待つことなく、階段を上る。
階段の途中、採光窓から覗く庭の景色が見えた。
傾き始めた陽光の中、庭の手入れをする庭師の姿を見つけた。麦わら帽子をかぶった庭師は剪定鋏を巧みに操り生垣を刈り込んでゆく。
ここ桃兎騎士団ではその広大な庭の管理を機械人形に任せることなく人間の手で行っているようだ。
塵一つない絨毯も、曇り一つない窓も、使用人たちの手によって掃除されているのだろう。勿論、毎日。
彼らに支払う毎月の給金は計り知れない額になるはずだ。
金融業を営むハルシュタット家は人件費を惜しむような真似はしないらしい。
金の使い方を知っているとうそぶくだけのことはある。
懐に手をやり指先で紙封筒を確認する。
先程の会見の後、リドレックは寮長から部屋の鍵と当座の支度金を手渡された。
夕食は午後六時から。
それまでに部屋の整理を済ませておくようにと言われた。
豪華な施設に使用人たちによるきめ細かい奉仕、おまけに食事まで用意してくれる――至れり尽くせりだ。
過分な施しに小心者のリドレックは、何か裏があるのではと思わず勘ぐってしまう。
そんなことを考えているうちに、寮長が用意してくれた部屋――三階の 306号室に到着した。
鍵穴に先程渡された鍵を差し込む。
が、手ごたえがない。
「…………?」
どうやら扉には鍵がかかっていなかったらしい。
不用心なと思いながら扉を開ける。
開け放たれた扉の向こう側にいたのは、下着姿の少女だった。
「…………え?」
寮の部屋、そう広くはない部屋の真ん中で少女が一人、佇んでいた。
リドレックより二、三歳下だろう。明るい金髪を三つ編みにして背中に流している。
その成長途中の肢体には飾り気のない白い下着だけしか身に着けていない。
どうやら着替えている途中だったらしい。足元には脱ぎ散らかした服がある。
青い瞳を向けて、少女はリドレックを不思議そうに見つめていた。
「…………」
「……え? え、ええっ!?」
透き通るような彼女の瞳に見つめられて、リドレックは混乱する。部屋を間違えたということはないはずだ。渡された鍵は鍵穴と一致する。部屋番号も指定された306号室。
エルメラ・ハルシュタットは桃兎騎士団に所属する生徒に最高の環境を提供してくれる。
(まさか、女まで用意してくれたってことはないよな!)
いつまでも半裸の女性を見つめているわけにもいかない。取り敢えず扉をしめて部屋を出ていこうとしたその時、
「……こ、こんのぉーっ!!」
下着姿の少女は叫び声をあげて、リドレックに襲い掛かって来た。
「……え、え、何? うわっ!」
少女はリドレックの腕を掴み取ると、素早く関節を決める。一旦、上にねじ上げてから、体ごと倒れこむ。
驚く間もなく、あっという間にリドレックは少女にねじ伏せられてしまった。
俯せの姿勢で床に倒れたリドレックの背中に、少女は下着姿のまま馬乗りになる。背中に回された右腕は少女の手により押さえつけられ、手首、肘、肩、全ての関節からきしむような音と激痛が走る。
「い、痛っ! 痛い痛い痛い痛いっ!!」
「黙れ! この痴漢!!」
悲鳴を上げるリドレックに向かって、背中越しに少女が怒鳴りつける。
言い争う二人の声はバスルームまで響いたらしい。部屋の隣、バスルームの方向から少女が一人飛び出してきた。
「何っ? どうしたんですか、メルクレア?」
シャワーを浴びていたのだろう、金色の髪は濡れたままで、同じく濡れた体にはバスタオルを巻きつけていた。
「痴漢よ! シルフィ!!」
下着姿の少女は、ねじ上げた手を緩めることなくバスルームから出てきた少女に向かって言い放つ。
「大変! ちょっと待って!!」
するとバスタオルの少女は、頭を振って部屋の中を見回した。
「あった! そのまま押さえつけておいて!!」
部屋に備え付けられていた花瓶を手にしたバスタオルの少女は、濡れた足でこちらに向かって駆け出した。
「えい!」
陶製の花瓶を高々と掲げると、可愛らしい掛け声と共に身動きの取れないリドレックに向かって思い切り振りおろす。
狙い過たず、花瓶はリドレックの後頭部に命中した。
「ガッ!」
リドレックはくぐもった悲鳴を上げる。
しっかりと焼きこまれた高級品の花瓶は、頭蓋骨を強かに打ち付けると粉々に砕け散った。
「……い、痛ぃ」
「嫌だぁ~っ! まだ生きてるぅ~っ!?」
リドレックが呻き声をあげると、バスタオルの少女は涙目で悲鳴を上げた。
「……うるさい」
部屋の中に少女のしゃくり声が響き渡ると、脇にある二段ベッド――その下段に人影が起き上る。
ベッドの上に半身を起こしているのは、他の二人と同じくらいの年ごろの、他の二人と同じく金色の髪をした少女だった。
気怠い声と共にベッドから起き上った少女に向かって、リドレックを組み伏せていた下着姿の少女の少女が声をかける。
「ああ、起きたの? ミューレ」
「……何の騒ぎよ、コレ?」
眠たげな目をこちらに向け、ミューレと呼ばれた少女はベッドの上から尋ねる。
「痴漢よ! 痴漢!! 痴漢が出たの!」
「花瓶で殴っても死なないの!」
二人のヒステリックな声に素早く事情を察知したのか、ベッドの少女はシーツをはねのけ寝台を降りた。はねのけられたシーツの下から、少女の裸体が姿を現した。
「オーケー、今すぐ果物ナイフを取ってくる」
寝姿も過激なら行動も過激だ。
一糸まとわぬ姿で刃物を探す少女の姿にいよいよ身の危険を感じたリドレックは、残された体力の全てを使い絶叫した。
「誰か、誰か助けてぇっ! 殺されるぅっ!!」
「って、なんでアンタが助けを呼ぶのよ!?」
下着姿の少女に頭を殴られ、リドレックは沈黙する。
しかし、リドレックの助けを求める声は無事聞き届けられたようだ。
「何事だ!?」
リドレックの悲鳴を聞きつけ、丁度、廊下を通りかかった女生徒が駆けつけてきた。
さっき寮長室の前ですれ違った女生徒、ミナリエ・ファーファリスだ。
室内の有様を見たミナリエは絶句する。
バスタオル一枚だけで泣きじゃくる少女と、
全裸で果物ナイフを握りしめる少女と、
下着姿で馬乗りに跨る少女と、
その下に横たわるリドレック。
「……お前たち、何をやっているんだ!?」
ミナリエの押し殺した声に、少女達は落ち着きと羞恥心を取り戻した。
下着姿の少女はリドレックの背中から飛び降り、
バスタオルの少女は胸元を抑えうずくまり、
全裸の少女はベッドからシーツを取り出し体に巻きつける。
恥じらいに頬を染める少女たちに囲まれて、床に横たわっていたリドレックも身を起こす。
「あー、痛い……」
右腕の関節と後頭部のケガの具合を見ているリドレックに近寄り、押し殺した声でミナリエが訊ねる。
「……どういうことだか説明してもらおうか? リドレック・クロスト!!」
怒りに震えるミナリエの形相に、リドレックは未だ生命の危機にさらされていることを知った。