7. 夜を斬る
リドレックたちが大立ち回りを演じているその頃、
宴会場を遅れて出立したライゼ一行が、ようやく娼館の前に到着した。
「ヤンセン。場所はここでいいのか?」
「間違いない」
ホロ・モニターの表示を見つめヤンセンが答える。
「反応がここから動いていない。この店にいるみたいだ」
「そう言えばヤンセン。なんでお前はリドレックの通信番号を知っているんだ?」
「あいつに仕事を頼まれていてな。連絡用に教えてもらった」
「仕事?」
「地上で手に入れた戦利品の鑑定を頼まれたんだ」
そう言うと、ヤンセンはげんなりとした顔で溜息をついた。
「進捗状況を毎日のように訊ねて来やがる。まったく、うるさいったらありゃしない」
「まったく、女遊びだなんて不謹慎な!」
世間話をする二人の横でミナリエは、娼館を見上げ憤慨する。
「ラルクはともかく、リドレックまで! 以前からだらしのない奴らでしたが、最近は目に余ります。このままではサイベルみたいな新人まで悪い影響が出てしまいます。ライゼさんからも何か言ってやってください! 監督生でしょう!?」
「……ああ。まあ、そのうちな」
ライゼは生返事で答える。
実際、監督生として何か言ってやらなければいけないのはミナリエの方だ。
女遊びはミナリエが言うほど、不謹慎な行為では無い。エルメラの言葉を借りるならば『騎士の嗜み』というやつである。
こういう事を抑圧すると、碌なことにならない。
犯罪行為に走るケースもあるし、別の性癖に目覚められるとさらに厄介な事になる。
適当な形で発散させてやるのは、肉体的にも精神的にも健康を維持するために必要な事であるのだが、若い娘には――とりわけミナリエのような潔癖な性格の女子にはなかなか理解して貰えない。
「行きますよ、ライゼさん! 」
「……ああ、わかった」
無粋な真似はしたくは無いが、これ以上ミナリエを怒らせたくもない。
お楽しみの最中であろう、リドレックたちに胸の中で謝罪しながらミナリエの後に続く。
しかし、ミナリエは《鶺鴒館》の中に入ろうとはしなかった。
娼館の建物を前にして、微動だにして動かない。
「どうした? 早く入れよ」
「……ライゼさん、お先にどうぞ」
「どうぞって何だよ? どうぞって!」
「いや、だって。ここは娼館なんでしょう? 入りづらいじゃないですか、やっぱり……」
店を前にして今更ながら、羞恥心が首をもたげて来たらしい。
顔を赤くして、もじもじと身をよじらせる。
「こういうところって、どうやって入るんですか? 事前に予約とかするものなのでしょうか?」
「俺だって知らねぇよ! こんな店、来るのは始めてだ! ヤンセン、お前はどうだ?」
「知っているように見える? 俺が?」
自らの姿を指して、ヤンセンは問い返す。
着た切り雀の白衣姿の男は、どう見ても色街の事情に通じているようには見えなかった。
「いや、だってお前、物知りじゃん? こういう所の作法も知っているんじゃないかと」
「何でだよ。技術者に技術系以外の質問はするな」
「じゃあなんでここまで付いて来たんだよ!?」
「あんたが無理やり連れて来たんじゃないか!?」
勝手がわからず戸惑っていると、三人の目の前で娼館の扉が開いた。
内側から扉を弾き飛ばす様に、勢いよく中から出て来たのは色黒の太った中年男だった。
豚のように脂肪のついたその体は何故か一糸まとわぬ全裸であり、その右手には――これまた何故か、船上刀が握られていた。
「い、いやぁぁぁぁ~っ!!」
振りかざした船上刀か、股間にぶら下がる逸物か、どちらを見たのか知らないがミナリエは悲鳴を上げる。
その声はいつもの彼女からは想像できないほどに、可愛らしい悲鳴であった。
「ミナリエ、下がれ!」
顔を覆って蹲るミナリエと入れ替わりに、ライゼが前に出る。
咄嗟の出来事に無意識に反応できたのは、日々の鍛錬の賜物であった。
「退けぇぇっ!」
雄叫びをあげ突進する黒豚の前に立ちはだかると、素早く抜剣。一挙動で振りぬく。
訓練されたその動きに、一切の淀みが無い。
狙い過たず肩口に深く突き刺さった剣先は、吸い込まれるように胸まで達した。
「がああああ……あっ!」
袈裟切りにされた黒豚は、派手な血しぶきをあげて倒れた。
生暖かい返り血を全身に浴びて、ライゼは正気を取り戻す。
「……あれ?」
足元に横たわる黒豚男を見て、間の抜けた声で呟いた。
やがて、リドレックが娼館から飛び出して来た。
娼館の前で横たわる黒豚男と血まみれのライゼを見て、リドレックの顔が一瞬で引きつった。
「……ええっと」
何が起きたのかライゼ自身もよくわからなかったが、とてつもなく不味い状況に居る事だけは理解できた。
◇◆◇
夜の街に回転灯が瞬く。
トラブルが頻発する風俗街では警察車両が常時巡回している。
通報を受けて駆けつけた警官たちは、すぐさま殺人現場の現状保存に努めた。
関係者の事情聴取など、余計なことはしない。
今回の犯人は騎士学校の生徒である。
スベイレンの学生は、騎士と同等の不逮捕特権を持っている。警察官と言えども、迂闊に手を出すことはできない。
現場に居るのは警察官だけでは無い。
娼館の前には騒ぎを聞きつけ宴会場から駆け付けて来たエルメラ寮長の姿があった。
「……で、何があったの?」
現場に到着したエルメラ寮長は開口一番、騒ぎの元凶であるリドレックに、問いただした。
「奴の名はボルブ・クラバー。職業は飛光船の船長。主に非合法な積み荷の輸送を請け負う運び屋です。あだ名は《黒豚》。まあ、見たまんまなんですけどね」
「名前なんかどうでもいいわよ。その《黒豚》さんが何だってロースハムみたいになっちゃってるのよ?」
「僕が十字軍の下で働いていたことは以前、話しましたよね?」
エルメラは頷く。
リドレックが今年の夏、地上におりて巡礼者として活動していたことは誰もが皆知っている周知の事実であった。
「ガーメンで密輸業者の手入れがあったんですが、その時奴を取り逃がしたんですよ。その後ずっと足取りを追っていたんです。十字軍総がかりで探していたにも関わらず奴を見つけることはできませんでした。ところが今日になって急に、奴が鶺鴒館に出入りしていると言う情報をある筋から入手しましてね。こうやって捕まえに来たんですが……」
捕える直前になってボルブは天空島よりもなお高い所へと逃げ去ってしまった、と言うわけだ。
「いきなり殺しちゃうんだもんなぁ」
「そんなこと言ったって、お前……」
リドレックの責めるような眼差しに、ライゼは反論する。
ライゼは涙目になって、その場にしゃがみこんでいた。
人を斬ったのは彼にとって初めての経験だった。恐怖と、罪悪感で気が高ぶっているのだ。
「全裸の黒豚が刀を振りかざして襲い掛かって来たんだぞ!? 誰だって驚くだろう!?」
「驚きますけど、問答無用で斬り殺したりはしないでしょう、普通」
「だって体が動いちゃったんだもん、自然に!」
「……もういいわ。判ったからよしなさい」
言い争いをする二人をエルメラが止める。
周りには警察の他にも大勢の野次馬が集まっていた。
民間人の前で騎士学校の生徒が言い争う姿を見せるわけにはいかない。
「大丈夫? ライゼ」
「ええ、何とか……」
とりあえず落ち着きを取り戻したらしい。
頭を振って立ち上がると、ライゼは気丈に作り笑いを浮かべた。
「後で医者に見てもらいなさい」
「いや、大丈夫ですよ。怪我はしていませんから」
「体の方じゃなくて。心の方の医者よ。人を斬ったんでしょ? 明日にでもカウンセラーの所に行きなさい」
監督生を気遣いつつ、他の寮生たちにも告げる。
「他の皆も寮に戻りなさい。後片付けはあたしがやっといてあげるから。リドレック、あんたも。ここに居られると、かえって話がややこしくなるわ」
「御迷惑をおかけします」
さすがに申し訳ないと思ったのだろう。リドレックは素直に礼を言った。
「その代わり、あの娘たちの面倒はあんたが見て頂戴」
「……え?」
エルメラが指差す先には三人の少女たちが居た。
祝勝会を切り上げ、エルメラと共に現場へと駆けつけた彼女たちは、明らかに不機嫌そうだった。
「こらぁ~っ! リドレックぅっ!!」
「不潔です! リドレックさん!!」
「あたし達を置き去りにして、女遊びとはやってくれるじゃない」
紅潮した顔で、呂律の回らない口調で、酒臭い息を吐きながら、据わった目で睨みつつ――少女達はリドレックの元へと詰め寄る。
「え? え? 何? 何なの? 何で腕を掴むの? 痛いんだけど? ……うわっ、酒くさっ! お前ら酒飲んでいるのか? 酔っ払っているのか? だから離せってば!」
少女たちに引きずられながら寮へと帰るリドレックを見送ると、エルメラは副寮長と共に事後処理に取り掛かった。
警察に事情を説明し、娼館の女将にも謝罪と賠償。考えただけでも頭が痛くなる。
とてつもなく面倒な仕事だったが、小娘どものお守りから解放されるならばお安い御用だ。




