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天宮の煌騎士〈ルキフェリオン〉  作者: 真先
【EpisodeⅡ. 狂戦士の帰還】
45/104

6. 鶺鴒館

 スベイレン下層。

 交易港を要するこのエリアには港湾施設以外の施設も少なからず存在する。

 スベイレンにやってくる船員や交易商人といった来訪者を相手にした宿屋や飲食店、娯楽施設などが下層階各所で繁華街を形成していた。

 

 その中でも西区画にあるS-10区は少々、趣が異なる。

 酒場や湯屋、宿屋など、主に男性客を対象とした接客業――要するに風俗街である。


 男が居て女が居る。

 需要があって供給がある。

 いつの時代でも、どこであってもこの手の仕事は無くならない。

 

 いかがわしい風俗街の中にあって、この《鶺鴒館》は一際異彩を放つ存在であった。

 白い外壁に、いくつもの小さな窓。

 植民地様式の瀟洒な造りは一見して娼館とは思えない外観であった。

 ネオン瞬く風俗街で一際目立つ《鶺鴒館》は、会員制の高級娼館である。

 外見のみならず、礼法と教養を兼ね備えた娼婦たちが相手をするのは、いずれも上流階級の紳士達ばかり。会員になるには財産だけでなく、相応の身分が要求される。


 リドレックのような学生騎士が気軽に足を踏み入れることが許されない場所である。

 娼館が醸し出す異様な雰囲気に気後れしていると、


「よりにもよって《鶺鴒館》かよ」


 突如、背後から声をかけられた。


「何だよ、この店?」

「綺麗なお姉さん達がたくさんいる。大人の遊園地だ」

「要するに女郎屋か!?」

「そういう言い方しちゃダメだよ、サイベル。《鶺鴒館》って言えば、そんじょそこらの娼館とは格が違うんだから」


 振り向いた先にラルクとサイベルが居た。

 リドレック同様、娼館を見上げて何やらはしゃいでいるようだ。


「……お前達、何でここにいる?」

「どうだっていいじゃないか、そんな事。……それよりも、だリド。お前ね、こういう店に出入りしちゃあいけないよ、凄くいけないよ」


 下卑た笑みを浮かべて、ラルクは歩み寄る。


「何がいけないってお前、こういう店に一人で来るって言うのがいけないよ、ええ? 《鶺鴒館》って言ったら、一見さんお断りの高級店だ。伝手があるなら、俺達に一声かけてくれたっていいじゃないか?」

「いや、別にこの店に用があってきたわけじゃ……」

「わかってる、わかってるよ、リドちゃん――このムッツリスケベ!」


 皆まで言うなと、馴れ馴れしくリドレックの肩を叩いた。


「闘獣試合の祝勝会を一人で開こうとしていたんだろう? 頑張った自分にご褒美、って奴だ。気持ちは判るが、独り占めは良くない。良くないよ? 幸せって言うのは、皆で分かち合うからこそ価値があるんだ。サイベル君も怒ってるじゃないか、なあ?」

「いや、俺は別に、こんな店に来るつもりなかったしっ! 無理やり連れてこられただけだしっ!」


 いきなり話を振って来たラルクに、顔を真っ赤にしてサイベルは抗議する。


「何かと思えば冗談じゃない! 俺は帰るぞ」

「待て待て、サイベル」

「女と遊んでいる暇なんぞ無い! 帰る!」

「いいから待てって、な? ここに来たのはお前のためなんだぞ?」


 踵を返し帰ろうとするサイベルを引き止める。

 両の肩を掴むと、ラルクは真摯な眼差しでサイベルを諭した。


「いいか新人王、お前には足りないものがある――それは、経験だ」

「経験?」

「そう、経験だ! お前、今シーズンは調子を崩しているようじゃないか?」

「……う」

 

 ラルクの指摘にサイベルは口ごもる。

 確かにラルクの言う通りここ最近、サイベルは勝ち星に恵まれていない。今日の試合も黒星であった。


「お前の戦いは、一本調子で面白みに欠けるんだ。動きも単調で簡単に読める。なんつーか、童貞臭さが抜けねぇんだよ」

「ど、童貞ちゃうわっ! ……つか、童貞は関係ねぇだろう!」

「いいや、重要だぞ。試合で戦うのも女を抱くのも同じだ。相手の動きを読み、的確に急所を責める。剣の極意に通じるところは同じだ」

「……う、確かにそうかも」


 ラルクの屁理屈に、サイベルはあっさりと納得する。


「こういった駆け引きって言うのは訓練で身につくもんじゃない。実戦の中で体を張って覚える他ないのさ。リドレックを見て見ろ。こいつも一夏の経験を経て、強くなったんじゃないか」

「……成程!」

「いや、そういう方面の経験は積んでないから。……ってかサイベルも信じるな!」


 リドレックは夏休みを地上で過ごしていた。

 地獄のような戦場で、泥と血にまみれた戦いの日々であった。

 ラルクの言うような色っぽい話はない。一切ない。


「さあ、大人の階段を上るんだ! 恐れることは無いぞ少年。失ったものが多いほど、人は優しくなれる」

「わ、わかったぜ! 俺は、俺は男になる。……なってやる!」

「何を盛り上がってんの!? ……だから勝手にお前ら行くんじゃない!」


 リドレックが止めるのも聴かず、意気揚々と二人は店の中に入って行った。

 この期に及んで今更引き止める事にもいかず、リドレックも二人の後に続いた。


 ◇◆◇


 三人を出迎えたのはむせ返るような甘い香りだった。

 その甘い香りは入り口に置かれた燭台から漂ってくる。おそらくは媚薬効果があるのだろう。アロマキャンドルの放つ淫靡な香りは、男たちの情欲を掻き立てる。

 内部の造りは普通の宿屋と大差ない。入ってすぐにロビーと受付がある。

 ただの宿屋と違うのは、ロビーの椅子に座っているのが美しい女性たちであり、受付に居るのはいかつい用心棒だ。


 娼館の醸し出す独特の雰囲気に気後れしている三人の元へ、店の女将と思しき女性が歩み寄ってくる。


「いらっしゃいませお客様。おやまあ、なんてことかしら」


 おそらくは引退した娼婦なのだろう。

 年の頃は三十台――外見通りの年齢では無いだろう。

 濃い目のメイクに、きつい香りの香水。高く結い上げられた大量の髪。

 肉感的な体に纏う落ち着いた色調のドレスは、他の娼婦たちに比べ露出度が低い。

 愛想よく語り掛けるその声には、医学の力では隠し切れない年経た女のしたたかさが感じられた。


「元老議員の若様に新人王、巨人殺しの英雄様じゃ御座いませんか。スベイレンの有名人が揃ってお見えなんて、今日はいったいどんな御用で?」


 さすがはスベイレン一の娼館の女将。

 おそらくはスベイレンの名士の顔は全て知っているのだろうが、客にならない学生騎士の顔まで知っているとは驚きである。


「学校帰りに女買いとは粋な兄さんたちだねぇ。いけませんよ、学生騎士様がこんなところに来ちゃあいけませんよ。兄さんたちみたいな男前なら、お相手してくれる若い娘さんたちが大勢いるでしょうに。好き好んでこんな所で高い金払う事はないでしょう」


 持って回った言い方だが、ようは出て行けと言いたいらしい。

 有無を言わせぬ女将の調子に、百戦錬磨のラルクもたじろぐ。


「そう言えばここって、一見さんお断りの店だよな? リド、お前紹介状とか持っているのか?」

「そんなもの必要ない」


 ラルクと入れ替わり、リドレックが女将の前に立つ。


「御用改めだ。宿の中を検分させてもらうぞ」


 高圧的な態度でリドレックが言うと、店の中の空気が変わった。

 女たちは青ざめた表情で席から立ち上がり、脇に控えていた従業員――いかつい体つきをした用心棒達が女将の所へ駆けつけてきた。


「ちょいと旦那、無粋な真似はやめておくれよ!」


 女将の顔から愛想笑いが消えた。

 先程とは打って変わって、刺々しい口調でまくしたてる。


「この店はお上の許可を得て経営している真っ当な店なんだよ。営業許可証もあるし税金に加えて付け届けもしているんだ。総督も御承知の筈だろう?」

「それは先代の話だ。今季から新しい総督が就任したことは知っているだろう? 今まで通りってわけにはいかなくなったんだよ」


 言い争う二人に、ラルクが割って入る。


「……おい、リド! どういうことだ!?」

「だから言っただろう? 遊びに来たんじゃないって。こうなった以上、お前達にも仕事を手伝ってもらうぞ」

「仕事って何だよ!」

「人探しだ――この宿にボルブ・クラバーが逗留しているはずだな?」

「…………」


 文句を言うラルクを一先ず捨て置いて、リドレックは女将に向かって詰問する。

 女将は何も言わないが真一文字に引締められた口元を見れば、答えは明白であった。


「奴を捕まえることが出来たら、今日の所はおとなしく帰ってやる。面倒を起こしたくなかったら、どの部屋にいるか教えろ」

「客をお上に突き出せって言うのかい? 冗談じゃないよ! そんなことをしたら店の信用ガタ落ちさ。おまんまの食い上げさね!」


 詰め寄るリドレックひるむことなく女将は威勢よく啖呵を切った。

 海千山千の遣り手婆に脅しは通用しないと見ると、リドレックはすぐさま実力行使に出た。


「だったら、こっちで勝手に調べさせてもらうまでだ。部屋の中を一つ一つ、しらみつぶしに探させてもらうぞ」

「そんなことをさせるものかい! お前達、やっちまいな!」


 女将の掛け声と共に、脇に待機していた用心棒たちがリドレックに襲い掛かって来た。

 リドレックの襟首を掴もうと太い腕を伸ばした瞬間、

 

「ガッ!」


 光子剣の一撃に打ち据えられ、二人の用心棒は昏倒する。

 まさに抜く手も見せぬ早業であった。

 リドレックの右手に握られた光子剣にはフィルターが掛けられていた。

 プリズムの刃はくすんだ緑色で、刃先も丸まっている。

 弱装とは言え光子剣に打たれて無事で済むはずがない。

倒れたまま動かない用心棒達に、女たちが悲鳴を上げる。


「この穀潰しが!」


 用心棒達の不甲斐無い様に、女将が吐き捨てる。


「まったく、使えない連中だね!? 相手は学生とは言え騎士様なんだよ! あんたらみたいなチンピラ、束になったってかなうもんかい。いいから、奥に行って『先生』を呼んどいで!」


 女将に言われ用心棒達は店の奥へと引っ込んでゆく。

 逃げ去る用心棒をリドレックは追いかけない。彼の目当ては、別の所にあるようだった。


「ラルク、ついてこい。サイベルはここで待機だ」


 背後に居るラルクとサイベルに向けて手短に命じると、リドレックは返事を待たずに館の奥へと向かった。


 ロビーに残されたラルクとサイベルは目配せして、頷く。取り敢えずこの場はリドレックの言いなりになるしかない。

 サイベルはロビーに止まり、ラルクは奥へと向かうリドレックの後を慌てて追いかける。


 店の奥は客室になっている。

 元々は貴族の屋敷を改装した物らしく、客室の大きさはまちまちで、廊下も入り組んでいる。

 ラルクに先行して廊下を歩いていたリドレックは突如、客室の扉をノックもせずに開けた。


『キャァッ!』

『おい、いきなり何だ!』


 部屋の中を一瞥しただけで、リドレックはすぐに扉を閉めた。

 行為の真っ最中を邪魔された客が文句を言っていたようだが、リドレックは気にも留めない。

 すぐさま別の部屋の扉を開ける。部屋の中を確認し、閉める。

 さっきと同様に客が文句を言ってきたがやはり無視する。

 リドレックは次々と扉を開けて中を確認していく。

 どうやらすべての部屋を見て回るつもりらしい。

 いくらなんでも行為の真っ最中に邪魔するのはあんまりだ。慌ててラルクが引き止める。


「おい、リドレック!」

「お前は黙ってろ」


 しかし、リドレックは取り合わない。次々と部屋の扉を開け、中に居る人間を確認する。

 部屋の半分ほど確認し終えた所で、店の奥から一人の男がやってきた。

 中肉中背の中年の男だ。

 引き締まった肉体と鋭い眼光から、一目で武芸の心得があることがわかる。

 

「……貴様ら何をしている?」


 この男は、女将が呼んでくるように命じた『先生』なのだろう。

 刃傷沙汰を起こすような無粋な客を始末するため、どこの娼館でも必ずこういった用心棒を一人は用意しておくものだ。

 用心棒の右手には光子剣が握られている。

 その構えから見て、剣術の心得があるのは明らかであった。

 おそらくは騎士崩れ。

 それも、かなりの腕前だ。


「おい、リドレック!」

「任せる」


 リドレックはあくまでも人探しに集中するつもりらしい。

 用心棒の相手をラルクに押し付け、次の部屋へと向かう。


「任せるって、おい!」

「ちぇぇぇぃ!」


 うろたえるラルクに向かって、用心棒は問答無用とばかりに襲い掛かる。

 光子剣を持ってかかってくる用心棒に、ラルクも剣を抜いて応戦する。


「ハァッ!」

「クッ!」


 二振りの剣が交錯する。

 鍔迫り合いから手首をひねり、ラルクは相手の剣を弾く。

 さらに剣を返し、振りぬく。

 最小限の動きでラルクは用心棒の手首を切り裂いた。


「ぐあっ!」


 用心棒は悲鳴を上げて剣を取り落とした。手首の筋と動脈を斬られて

手首を抑え蹲る。

 無防備な後頭部目がけて、ラルクは柄頭を振り下ろした。

 用心棒は声も無く、そのまま気絶する。


「……ふうっ!」


 一息つくラルクに向かって、リドレックが声をかける。


「他の連中は叩き切っても構わないがな、ボルブだけは殺すなよ」

「ボルブって誰だよ!?」

「ボルブ・クラバー。《黒豚》だ」

「だから《黒豚》って何なんだよ!?」

「見れば判る。色黒で、豚のようにでっぷりと太っている……」

「あいつのようにか?」


 リドレックの背後――今まさに、部屋から出て来た男を指さしラルクは訊ねる。

 表の騒ぎが気になって出て来たのだろう。素っ裸のその男は色黒で、でっぷりと太っていた。脂肪は顔まで及んでおり、その重みで鼻までひしゃげている。

 まさしく、直立した豚のような男であった。

 行為の真っ最中を邪魔され、不機嫌な様子のその男はリドレックの顔を見るなり叫んだ。

 

「《白羽》か!?」

「ボルブ!」

「クソッ! こんなところまで!」


 舌打ちすると《黒豚》のボルブは脱兎のごとく駆けだした。

 その後をリドレックとラルクが追う。

 入り組んだ廊下を右へ左へと曲がりながら、ロビーのある方へと駆け抜ける。

 見かけによらずボルブは足が速かった。

 あっという間に店の出口であるロビーまで到着する。

 ロビーには店の女たちと、女将。

 そしてサイベルが居た。

 下着一つ身に着けていないにもかかわらず、なぜかボルブは手に光子武器を持っていた。

 ロビーにたむろする女たちが邪魔だったのだろう。光子武器を展開し、振り回す。


「どけぇ~っ!」

「きゃぁぁぁぁっ!」


 船上作業用の刀――カトラスを振り回し、女たちを追い回すと再び駆け出す。

 店の入り口にはサイベルがいた。待機を命じられたサイベルは、律儀に出入り口を監視していたらしい。

 ボルブの後を追いながら、リドレックは叫ぶ。


「サイベル! そいつを捕まえろ!」

「……え?」


 こちらに向かって駆け寄ってくるボルブの姿にサイベルは絶句する。

 全裸で船上刀を振り回し、女たちを追い払うその姿を見てサイベルは怯えた表情を浮かべて立ちすくむ。


「オオオオオオオオオッ!」

「……ひっ!」


 雄叫びをあげて迫りくるボルブを前に、サイベルは為す術も無く棒立ちとなった。

 立ち向かってこないサイベルを無視して横を駆け抜けると、ボルブは出入り口の扉を跳ね除け《鶺鴒館》の外へと飛び出した。



 

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