3. ささやかな宴
試合に勝とうが負けようが――宴会は行われる。
場所はスベイレン中層にあるレストラン《ロワイヤル・ファスト》。
レストランチェーンとして多くの天空島に店舗展開をしている《ロワイヤル・ファスト》は――要するにファミリーレストランである。
このような大衆向け店舗に騎士階級の人間が足を踏み入れることなど、本来ならばあり得ないことだ。
本日の闘技大会において桃兎騎士団寮は、対抗リーグをはじめ個人戦においても惨敗を喫していた。
反省会を高級店で開くわけにもいかず、今回は特別に大衆店で反省会を開くことになった。
つましい宴ではあったが、若者たちにはむしろ好評であった。
上流階級の子女たちにとって、高級店では味わえない庶民の味はかえって新鮮に映った。着色料と添加物たっぷりの食事は健康とひきかえにしても食べる価値はある。
店も臨時収入が出来て大喜びである。
一月前のテロ事件の影響で、スベイレンの飲食店街の客足は落ちている。
こういった形で散財する機会を有効に活用するのは富める者の責務であった。
反省会とは言え、会場には和やかなムードが漂っていた。
その中にあってただ一人、
「なってないわ!」
メルクレア・セシエはおかんむりであった。
グラスを振り回し、同僚たちの不甲斐無い戦い振りを詰った。
「信じらんない! 何よ! あの無様な試合は!!」
「……まだ言ってんの、メル?」
隣に座っていたミューレ・エレクスが呆れたようにつぶやく。
同じような愚痴を聞かされるのは勿論だが、グラスの中身をまき散らされるのも迷惑であった。
上着にかかったオレンジ色の液体をナプキンで拭きながら、メルクレアに文句を言う。
「いいかげんにして。もう何度目よ? さっきから同じことばかり言っているじゃない」
「だって秒殺よ、秒殺! ありえないでしょう!? あんな無様な試合、見たことないわ!!」
「……ちょっと、メル。声が大きい!」
ミューレに続き、同席していたシルフィ・ロッセがメルクレアを抑えにかかる。
新入生の分際で、試合の采配に文句をつけるのはさすがにやり過ぎだ。
周囲の目を気にしたシルフィが、やんわりと宥める。
「いいえ、この際だからはっきり言わしてもらうわ! 今回の試合の敗因は、明らかにエルメラ様の采配ミスよ! 大体、ジョシュア・ジョッシュと二軍選手で勝てるはずがないじゃない!」
メルクレアの勢いはとどまるところを知らず、とうとう寮長を名指しで批判し始めた。
経験不足の若手選手であるジョシュアを主将に抜擢したのは寮長のエルメラだ。采配にケチをつけると言うことは、寮長を非難することと同義である。
「あたしたちが出てれば、こんな無様な結果にはならなかったはずよ! 絶対に勝っていたはずよ!」
言って、グラスの中身を一気に飲み干す。
空になったグラスをテーブルに勢いよく叩きつけ、再び叫ぶ。
「なってないわ! まったく、たるんでいるのよ!」
「また同じことを何度も……って、臭っ! 酒臭っ! メル、あんた酒飲んでいるの!?」
「いつの間に!? 道理でおかしいと思ったらメルクレア、あなた酔っ払っているのね!?」
ミューレが酒臭い息に顔をしかめると、慌ててシルフィはグラスを取り上げる。
匂いを嗅いでみると、ジュースだと思っていたオレンジ色の液体から、ほんのりとアルコールの香りが漂ってきた。
「お酒じゃらいもん! 酔っれなんからいもん!!」
呂律の回らない口調でメルクレアは大声を張り上げる。
「リドレック、……リドレックは何処ぉ?」
座った目で辺りを見渡すが、絡む相手は見つからない。
「こらぁ! リドレック!! 出てこーい! 今日と言う今日はみっちりとお説教してあげるんだからぁっ!!」
◇◆◇
メルクレアの叫び声は店中に響き渡る。
店の奥。ボックス席を占拠する上級生たちは、一斉に彼女たちの方を振り向いた。
「面白ぇな、あいつら」
新入生達の乱稚気騒ぎを見つめ、ラルク・イシューが笑う。
金色の長い髪に白皙の美貌。いかにも貴公子然としたその顔に浮かぶ笑みは、スベイレン中の女生徒たちを魅了してきた。
酒気に頬を染め乱れる後輩達の愛らしい姿に、イシュー子爵家の跡取りは目を細める。
「お前の仕業だな、ラルク?」
隣の席から冷ややかな視線でラルクを睨むのは、ミナリエ・ファーファリスであった。
こういった子供じみた悪戯をするのは決まってラルクの仕業であった。
そしてその悪戯を咎めるのは、同期であるミナリエの仕事だ。
「飲み物に酒を混ぜたんだろう? 子供に酒を飲ませてどうするつもりだったんだ!?」
「別にどうもしねぇよ! ちょっと味付けしただけだって」
短く髪を切り詰めた長身のミナリエの姿は、若武者のような凛とした佇まいであった。
ラルクを問い詰めるその声にも、凛々しさが感じられる。
「……まったく、言いたい放題言ってくれるな」
公然と上級生批判をする少女達を、サイベル・ドーネンが苦々しげな表情で見つめる。
サイベルは在籍二年目。小柄な体躯からは想像できないが、新人王のタイトルを持つ実力者である。
「新入生のくせに知った風な口を叩きやがる。生意気な」
「去年までは同じようなことを、お前も言われていたんだぜ?」
昨年度の新人王に向かって偉丈夫の男、ライゼ・セルウェイが苦笑する。
「威勢が良くて結構じゃないか。新人はこのくらいの元気がなくちゃ、しごき甲斐がない」
後輩たちが生意気な口を叩くのは毎年の事である。
在籍八年のベテランにもなると、笑って聞き流せるようになる。
「あいつらの言うことも一理あるしな。予定調和とはいえ、いくらなんでもこの結果は情けない」
「……僕だって。負けたくて負けたわけじゃないや」
批判の矢面に立たされている本日の戦犯――ジョシュア・ジョッシュは、酒杯を握りしめ半泣きでつぶやいた。
ジョシュアは騎士学校内の格付けから見れば、中堅クラスに位置する選手である。桃兎騎士団寮においても、二軍選手としての扱いだった。
今回、対抗リーグの主将に抜擢され張り切って試合に臨んだのだが、結果はご覧のとおり、惨憺たる有様であった。
酒杯の中身を一気にあおると、テーブルに叩きつける。
「こっちは二線級の選手ばかり、対して向こうは主力選手を投入してきたんだ。あんなの勝てるわけないじゃん!」
「気にするこたぁないわよ、ジョッシュ」
寮長のエルメラ・ハルシュタット試合結果に満足しているようだった。
酒瓶片手に大笑いしているが、決してヤケ酒などでは無い。
項垂れたまま顔を上げようとしないジョシュアの巻き毛頭を叩いて、手荒に励ます。
「負けて当然の消化試合なんだし、誰もあんたに期待なんかしていなかったんだから。お客さんたちも大爆笑だったし、ハルシュタットの本家からも見事な負けっぷりだったって、お褒めの言葉をいただいたわよ」
「それにしても、秒殺はあんまりだと思いますが?」
身もふたもないエルメラの言葉に、副寮長のアネット・メレイがさらに追い打ちをかける。
もともと、冷静沈着な副寮長は感情を露わにすることなどめったにない。試合結果の感想も、実に淡々としたものであった。
「今日の敗北は織り込み済みとは言え、ここまであからさまですと八百長を疑われてしまいます。咬ませ犬にもならないとは、情けないにもほどがあります」
「あううううううぅっ!」
寮長と副寮長、二人がかりで攻め立てられてジョシュアはテーブルに突っ伏した。
「戦力の見直しが必要なのかもしれないな……」
ライゼは顎に手を当て、思案気な顔をする。
今日の試合の大敗は、桃兎騎士団寮にとって憂慮すべき事態である。
寮長たちは気にしていないようだが、監督生の立場として見過ごすことはできない。
「入学から一月。新入生達も学校に馴染んできたところだ。そろそろ本格的な訓練を始めて、新入生も戦力として活用するべきではないでしょうか? どう思われます、寮長?」
「……んーっ? いーんじゃない?」
ライゼが進言すると、エルメラ寮長は乾き物をしゃぶりながら気のない返事をよこす。
「他人事みたいに言わないでください。訓練には寮長も参加していただきます」
「え~っ!? あたしはいいわよぉ。面倒臭い」
監督生の意見具申にエルメラは乗り気ではないようだ。
そもそも試合に出る事すら面倒がってジョシュアに丸投げするような女が真面目に訓練などするはずがない。
「……まあ、この話は後にしましょう」
「そうそう、せっかくの宴会なんだから野暮なことは言いっこなし!」
エルメラが笑ってはぐらかしたその時、
再び店内に叫び声が響いた。
「うにゃ~っ! りろれっくぅぅぅぅ~っ!」
「あ、あれっ!? 私も何だか気分が……」
「……やばい、私達のグラスにもお酒が入っていたみたい」
エルメラの陽気な酒と違い、こっちの酔っ払いは大人しくは無いようだ。
三人の酔っ払いを見つめライゼが深刻な表情を浮かべる。
「……そろそろやばいな。もしもの時の為に、リドレックを呼んどいたほうがいいな」
三人の少女達は有望な新人であると同時に、問題児でもあった。
桃兎騎士団寮において三人の保護者はリドレック、というのが暗黙の裡に決まっている。
しかし、頼みの綱であるリドレックはこの宴席の場には居ない。
リドレックは総督府で秘書の仕事を務めている。
おそらく今も総督の元にいるはずだ。
「ラルク、ミナリエ。リドレックにここにくるよう伝えてくれ」
「それが、連絡先が分からないんです」
リドレックに連絡するよう命じられたミナリエが頭をふる。
「さっきも祝勝会の場所を伝えようと思ったんですが、通信が繋がらないんです」
「あいつ通信番号、変えちまったんですよ。地上から帰ってからこっち、すっかり付き合いが悪くなっちまって……」
ラルクもまた連絡先を知らないらしい。
この二人はリドレックとは同期であり、寮の中では最も親しい中である。 彼らが知らないとなると、リドレックと連絡を取る手段がない。
「番号なら俺が知っているぞ」
突如、席の一番隅に座っていた白衣姿の男――ヤンセン・バーグが口を開く。
普段は付き合いの悪いヤンセンだったが、今日はどういう風の吹き回しか祝勝会に顔をだしていた。
誰とも口を利かずホロ・モニターを弄繰り回していたヤンセンは、リドレックの名前が話題に上ると突如会話に参加してきた。
「位置情報から、居場所も割り出せる」
「どこに居るんです? まだ総督の所ですか?」
「いいや、西区画にあるS-10区の辺りだ」
立体画面に映る表示を見ながらヤンセンは答える。
「S-10区、……ですか?」
リドレックの現在位置を聞くなり、ラルクは席から立ち上がった。
「ここからそれほど遠くないな。よし! だったら、迎えに行ってやるか!」
妙に空々しい口調で言うと、ラルクは隣に座っているサイベルの腕を掴んだ。
「……サイベル、お前も付き合え」
「え? 何で俺が……」
「いーから付き合えって! 酔い覚ましの散歩に丁度いい。じゃ、行って来るわ」
嫌がるサイベルを引きずるようにして、ラルクはそそくさと店を出て行ってしまった。
その様子に不審を抱いたミナリエは首をかしげる。
「……何だ、あいつら?」
「遊びに出かけたんでしょ」
店を出て行く二人を見送り、エルメラ寮長は意味深な笑みを浮かべる。
「S-10区って言ったら、風俗街だもん。向こうでリドレックと合流して、きれいなお姉さん達とよろしくやるつもりなんでしょうよ」
「遊びって、……え? そういう意味だったんですか!?」
事情を知ったミナリエが羞恥と怒りで顔を赤くする。
「な、なんて事を! リドレックの奴、いつの間に女遊びなんて……、は、破廉恥なことを!!」
「そんなこと言ったってしょうがないわよ。リドレックだって健康な男の子なんだから」
堅物のミナリエとは対照的に、エルメラは男の習性に理解があるようだ。
「女あそびは騎士の嗜みよ。男ってのはそういう生き物なのよ。出すもん出しとかないと、溜まっていく一方でしょうに」
「出すって何? 溜まっていくって何が!?」
「何って、そりゃあんた……」
「いやぁ~っ!! 聞きたくない、聞きたくないぃぃぃっ!!」
ミナリエは耳をふさぐと、たまりかねたように席を立ち上がる。
ラルクたちを追いかけて風俗街に向かうつもりらしい
。夜の街に向かって駆け出すミナリエを、ライゼが慌てて引き止める。
「おい、ちょっと待て、ミナリエ! 追いかけに行こうにも、居場所がわかっているのか? S-10区っていっても広いんだぞ!?」
しかし、ミナリエは聞く耳を持たず一目散に駆け出して行ってしまった。
「……しょうがないな。おい、ヤンセン。俺達もいくぞ」
「何で俺まで!」
「リドレックの居場所がわかるのはお前だけだからだ。もたもたするな、ミナリエに追いつけんだろうが」
慌ただしく店から出て行くライゼとヤンセンを見送ると、エルメラ寮長は楽しそうに笑った。
「みんな若いわよねぇ~」
「落ち着きのない連中です」
アネット副寮長はつまらなそうに目を伏せる。
元々、彼女は騒がしいことが好きでは無い。宴席に居るのも、寮長の補佐をするためだ。
上級生たちが次々と立ち去ると急に静かになった。
ボックス内に残っているのは寮長と副寮長。そしてジョシュアだけ。
「あ、それじゃ僕も……」
二人の女性に挟まれて、居心地が悪かったのだろう。ジョシュアもまた皆を追いかけ風俗街へと繰り出そうと、席を立ち上がろうとするが、
『お前は座ってろ!』
寮長と副寮長、女幹部二人に両肩を押さえつけられて、ジョシュアは席へと引き戻される。
「……はい」
負け戦を許しても、女遊びを許すほど桃兎騎士団の女たちは甘くは無かった。




